第4部26章『時空回廊』2
彼は一足一足、ゆっくりと祭壇に近づいて行った。柱にも壁にも生物や人物の像は飾られていない。偶像は崇め奉らない精神文化だったのだろうか。全て植物的曲線や幾何学紋様のみで形成されている。
緑色の光は壁からも床からも発されており、特に奥の祭壇は金色に輝いている。その奥からは白い光が漏れて出ている。この都市の外観や不毛さからいったら、とても美しい建築だ。
彼は階段の手前まで歩いた。だが、今のところ何も起きない。
すると、祭壇の入口から漏れ出ていた光が遮られ、光が帯状になった。そこに何者かが立っているからだ。
光を背に受けた人物は、そこから彼の姿を検め、やがて前に出てきた。
『これは……奇怪な』
共通語だった。しかも、その人から発されていると言うより、壁や床全体から響いてくるようだった。そして確かに、竜人のようだった。全身を鱗で覆われているのに、全体の骨格が2足歩行の人型になっている。
そしてこの場所が普通でないように、その竜人も普通ではなかった。体が薄っすらと透けているのだ。実体がないのか、或いは、何処かに本体があって、その像だけを映しているのか。
マキシマの姿は虫族に最も近い。だから虫族の言葉を選んで共通語を使ってくれたのかもしれない。好都合なので、彼も共通語で問いかけた。
「あなたが、ここの番人か?」
『……左様。お主のような姿の者を見たことがないが……何者だ?』
番人には何も隠し事をしてはならないという。だから彼は質問にすぐ答えた。
「……これは生来の姿ではない。改造を施している」
そして、彼はマキシマの姿から元の姿に戻ってみせた。番人は優雅に尾を揺らす。感心しているらしい。
『成る程。それが、ここまで辿り着けた由縁のようだな。して……お主の望みは何なのだ。何時の時代だ』
番人の方も承知していて、話が早かった。ここを訪れる者が他の用事を携えていることはまずないから当たり前なのかもしれないが。
彼はそれを言う前に、一つ深呼吸をした。
これは、夢ではない。確かに祭壇も番人も存在した。だから……望みも叶う。
改めて決意し、彼は言った。
「174年前の……ある人物のもとに行きたい」
番人の額の皺がグッと寄った。彼の望みを快く思っていないことの表れである。
『行けるが……見るだけだぞ。それでいいのか?』
彼もまた、番人の答えに眉を顰めた。
「干渉してはならないというのは……本当なのか?」
『ああ、そうだ』
「……したら……どうなる?」
『いろいろとおかしくなる。世界が狂う。酷いと、終わる』
あっさりと番人は言い放った。同じ問いを、かつて何度も繰り返しされ、その都度答えてきた倦怠感がそこに表れていた。ここに来る程の者は、必ずこの問いをするのだろう。
『ある人物というのは……誰だ?』
彼は心を落ち着かせ、一度その人物の顔を思い浮かべてから言った。
「……ヌスフェラートの……ゲオムンド=エングレゴール」
『それは……お主の何だ?』
「……父だ」
番人は目を細めて、また尾を一揺らしした。物言いたげな様子である。だが、そこにも倦怠感が表れていた。
『よかろう。来なさい』
番人はクルリと背を向けて祭壇の中に入っていった。許可を得た彼は階段を上り、その後についていった。
白い光に包まれた祭壇内部へと番人は入っていき、白光の中に姿が消えた。彼もその光の中へと入っていく。
他と比べて光が強いから眩しく感じられていたが、中に入れば、やがてその光量に目が慣れていった。そこは円形の空間で、縦に長く、壁に幾つもの扉が並んでおり、中央寄りにもう一枚壁が立っていて、そこにも扉がズラリと並んでいた。
各種族が管理している魔鏡回廊というものにも少し似ている。あちらの場合は鏡だが、こちらは全て扉だ。その性質上、行き着く先が違う。
この空間に入れる者がいかに少ないであろうことと、実際に辿り着けた感慨に一時耽り、彼はよくよく辺りを見回し、観察した。
竜人は空間の中央に行き、そこでまたクルリと向きを変えて彼と見合った。この竜人は少々背を屈め気味にしている。動いても止まってもそうだから、背をシャンと伸ばすことはないらしい。
「……訊いてもいいだろうか?」
『何だ?』
「あなたは……何者なんだ? 生きているのか?」
これまた、《ああ、やはり》という様子で無感動に番人は瞬きをした。
『生きている、ということが、どのような状態を指すのか、それにもよるな』
「肉体はないのか?」
『大昔はあった。失ったつもりはないが……ずっとここにいるうちに、こうなった』
「ここが造られた時から……ここにいるのか?」
『そうだ』
彼はゾッとした。この都市の状態を見る限り、途方もない年数が経過していると思われる。そんなに長い時間を生きているなんて、どうしたらそんなことが可能なのだろう。しかも、こんな寂しい場所で。自分には到底耐えられない。
「あなたは何年……ここにいるんだ?」
『……さぁな。もう忘れた。時は数えるものではない。ただ、そこにある』
こんな所の番人をしているくらいだから、そんなものなのかもしれない。時の経過を数えるのは、達成感と喜びを持って行うか、或いは失ったものを数える時だけだ。この番人は、既にそのどちらもないのだろう。
「ここは……どうして造られたんだ?」
この質問を訊く者と訊かない者と分かれるのか、《そうきたか》というように番人は額の皮をヒクヒクと動かした。何でも答える番人であるが、これは特に本人も説明したい欲求のようなものをチラリと覗かせていた。
『時の神秘を調べ……操ろうとしたのだ』
「あなたは……その一員?」
『そうだ。携わった者の責務として、ここに留まり、見守っている』
率直に、彼はそれを凄いと思った。どうやったらそんなことが可能になるのか。
「それで……時の神秘は解明されたのか?」
『……いや。できたのか、できないのか、よく解らん。ひとつ確かなのは……そんな事はするべきではなかった、ということだな』
「では……何か問題が?」
『この都が滅びた』
この番人の人となりが次第に解ってきて、彼は同情のようなものを少し感じた。対象こそ違えど、研究者として、未知への挑戦と、そのリスクへの恐怖、葛藤は理解している。あまりに実直で責任感が強かったから、この番人はここに留まっているのだろうか。こんなにも永い間。
「破壊しようとは……思わなかったのか?」
『一つの選択肢として、確かにそれもあった。だが……ここを破壊するのにもかなりのエネルギーが要る。それに、それなりに有用なのだ。ここは。それで維持管理をすることにした』
「そうか……」
研究者というものは、己の研究が生み出した結果にどこまでも向き合わなければならない。それを放り出さず遂行していることに、彼は敬服した。この人物は信頼できるという思いが強くなっていく。
「いろいろ訊いて済まないが、もう一つだけ……。この場所を知ることも探すことも妨げられていると言う。オレがここまで辿り着いたのは……何か資格があるからなのか? 選ばれているということなのか?」
番人はまた目を薄くし、十分吟味してからこう言った。
『……そうだ』
彼の胸はドキリとして、鼓動が高鳴った。この自分に、どんな資格があるというのだろう。
『訊かれそうだから先に言っておくが、それが何なのかは今は教えんぞ。どうせ……追々解っていくだろうからな』
「……わかった」
問答はそこまでにし、彼等は実行に移ることにした。
番人がいる中央部分の円床には同心円状の紋様が描かれており、ビッシリと古代神聖文字が刻まれている。番人はその幾つかを指でなぞった。すると触れた文字が白色に光り、壁に並ぶ扉に変化が見られた。扉そのものの位置はどれも変わらないのだが、その向こうの空間に動きがあるようで、扉の隙間から強い光が漏れ、それが上下左右に動いた。個々の扉ごとにバラバラにそんな動きを見せる。
その乱舞を見ながら、彼はこの遺跡のことを知るに至った過去の出来事を思い出した。