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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第7章
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第2部第7章『テクト城決戦』その3

 テクトルの森に入ってから、幾度も強力な魔物に遭遇して足止めを食らっていたソニア等一行は、これまでなら行軍を止めていた暗さにまで辺りが覆われる時刻になって、ようやく森を抜け出、見通しの効く小高い丘から平原と森を見渡すことが出来た。

 後少しでテクト城だという所にまで来ているので、夜になろうが、今晩は到着するまで行軍を続けるということでアーサーやディランと意見を一致させており、後はひたすら王城を目指すのみであった。

 そして、ここに来て一行は、次第に濃くなる闇の中に光るものを目にした。遠征経験は確実にソニアより勝っているディランが逸早く言った。

「――――テクト城だ! もうすぐだぞ!」

見通しが効く分、見えていてもまだ遠く彼方のことであり、光も小さかったが、この付近一帯であんなに光るものと言ったら、テクト城以外には考えられなかった。だが、光り過ぎているようだった。

「松明じゃない……?」

遠目の効くジマーが先頭に出て目を薄くし、舌打ちした。

「煙が上がってる! 襲撃されているんだ!」

2刻前に通信役の術者が飛んで無事を確かめているので、その後のことであるのは間違いない。

 ソニアは抜刀し、闇の中にあって最も見え易い白馬と体を皆に晒して、テクトに向かい突き付けた。

「――――――テクトを守る!! 行くぞ!!」

「お――――――――――っ!!」

威勢よく男達の咆哮が轟き、先陣を切って駆け出したソニアの後に続いた。

 もうそこに目的地が見えているとあって、もはや闇の中でも、道の見える限りソニアはキャンターの体制でアトラスを駆った。それに続ける者は続き、体格的に馬にそれを強いられない巨漢兵は駆け足(ギャロップ)で後を追った。


 破壊された城壁の割れ目を攻撃する巨大魔獣との戦闘が今尚続き、それに力を注がねばならぬ為に、城壁を乗り越えて入って来る中小の魔物達には手が回らず、ますます数が増えて城塞内を跋扈されてしまった。家屋も傷つけられ破壊され、侵入した魔物に襲われる市民も出てくる。

 王は司令官として持ち場を離れずに謁見室から指示を出し続け、まだ外で活動しているという姫の身を案じた。再三に渡る避難命令にも姫は応じず、しかし、勇敢な行いのお蔭で幾人もの負傷兵が致命的な後遺症を残す前に治療されて助かり、多くが戦線に復帰できるまでになっていた。

 しかし英才教育と才能により治療を行える彼女も、呪文を施せる集中力が次第に底を尽きてきて、これ以上の援護は出来なくなった。後はせいぜい負傷兵を安全な場所まで移動させることくらいしか、やれる事はない。それでも、姫はそうすべく現場に残って作業を続けた。

 まだ巨大甲殻類や魔獣が大挙して城壁の割れ目を狙っている。割れ目の大きさは既に十分で、押し入って来ようとするのを必死に槍や魔法や矢で阻止している状態だった。こんなことを長く続けてはいられない。

「――――――頑張って! 後少しよ! きっと援軍が来ます!」

姫は、ボロボロ、ヘトヘトの兵士や魔術師達にそう叫び続けて鼓舞した。本来こんな所にいるはずのない彼女が傍にいることで兵士等の必死さは増し、どうにか士気が高まって凌いでいた。

 今晩中に救援が来る見込みがなかったら、自国の勢力だけで持ち堪えるのはいよいよ無理なのではないかと思える窮状だ。

 大蜥蜴が鉤爪で城壁を引っ掻き、割れ目にも手を伸ばして、抵抗する兵士達を追い払おうとし、下からは大きな蟻が群れで雪崩込んで来て兵士の邪魔をした。一匹一匹を剣で刺し、槍で払ってもキリがなく、尻から発射された蟻酸を顔に浴びてしまった者は叫び、のた打ち回った。

 姫は酸をも恐れず、苦しむ兵士の救出に向かい、護衛兵が盾となって何匹もの大蟻を仕留めながら手助けをした。家屋の陰に来て、虫の酸に効くと言われている石鹸水やら土やらをかけて皮膚の侵蝕を和らげた。石鹸水を提供したのは、難航する戦いを見兼ねて家から出て来た勇気ある市民だった。

 割れ目を守る兵が1人、また1人と減っていくことで、巨大魔獣の侵入はもう時間の問題となり、今にも押し破って雪崩込んで来そうだった。

「――――――姫! だめです! 貴女だけはもう城にお入り下さい!」

 唯一の王位継承者として生き残ることが重要な使命である彼女は、これ以上の無茶は越えてはならぬ一線と悟って護衛の言うことに従い、城閣に戻る決意をした。

 後ろ髪引かれる思いで割れ目を振り返りながら、姫は撤収を始め、護衛等が負傷兵を担いで運んでいく。

「ああ……! どうぞお守り下さい……! 神様……!」

姫がそう呟き、戻る道へと顔を向けた時、背後で強烈な炸裂音がして、また振り返り立ち止まった。

 見れば、割れ目の向こうの大蜥蜴が叫びながら足をバタつかせてひっくり返っている。巨大甲殻類も割れ目に背を向け、違うものを警戒していた。

 城壁の上にいた弓兵が身を乗り出して下を窺い、声を張り上げた。

「――――――援軍だ!! トライア兵だぞ――――――っ!!」

 姫は目を輝かせて喜び、ありったけの声で指示を出した。

「――――――開門を!! 彼等を入れてあげて!!」

 ただちに閉ざされていた城門が鎖を巻き上げて開かれ、弓兵によって魔物の侵入を阻止する中、騎馬のトライア兵が勢いよく雪崩込んで来た。姫はそれを出迎えに門に走ったが、驚いたことに、そこへ入って来たのは僅か10騎ばかりだった。

 挨拶もそこそこに112隊の隊長が言った。

「――――――指揮官と共に、半数以上が城外に残って戦っています!」

 112隊はそのままテクト兵の戦いに加わり、腕の良いところを見せて侵入した魔物達をバッタバッタと斬り倒していった。姫は城に戻ることなど忘れてその光景を見ていた。

 そうこうするうちに、また割れ目から叫びが上がって魔物が倒れたのが見え、それに目を留めていると、何か白い獣が飛び込んできた。一瞬射かけた兵もいたが、皆の手が止まり、この瞬間だけ時の流れが物凄く遅くなったように感じて、それに見入った。

 飛び越えて来たのは、純白の美しい馬と、それに騎乗する長い髪の戦士だった。着地するや騎手は馬の尻を押してヒョイと地に降り、馬だけが駆け抜けていって、割れ目に残ったその人はルピナス色の髪を炎の明かりに照らして翻らせ、剣を構えた。

 かつてその人に会ったことがあり、白馬のことも、竜の鱗の施されている鎧のことも知っている姫は目を見開いて頬を染めた。

「――――――ソニア様!!」

衛兵達も驚き見守っており、そんな彼等に誇らしげに姫は言った。

「何てことでしょう!! 精鋭とは聞いていたけれど、わざわざ国軍隊長様がやっていらしたなんて!!」

 長剣を構えるソニアは、割れ目を守る兵士達に短く簡潔に指示を出した。

「――――――私が防いでいる間に土嚢を積め! 壁に出来る物は何でも置くんだ!」

そう言うと、ソニアは皆が呆気に取られている中を1人割れ目に向かって前進し、急に風が吹き出して辺りを覆った。

「――――――ザナ!」

氷炎の突風が起きて巨大な魔物達を襲い、凍りつき吹き飛ばされてひっくり返った。彼女はそのまま前進を続けて城壁の外に出る。

 圧倒された兵士達は束の間行動に移るのに遅れたが、姫の叫びで途端に動き出した。ありったけの土嚢を運んで積み、市民にも協力を求めて、家からテーブルやらタンスやら何でも運ばせて壁になるよう積み上げ、みるみる防壁が築き上げられていく。

 その向こうではトライアの国軍隊長が凍りついた魔物を一撃で粉砕して、生き残れる者も『アイアスの刃』で薙ぎ払い、次々と仕留めていった。

 城壁の上からそれが見える弓兵は、そこから攻撃を続けつつも、あまりの格差に見入ってしまい、言葉が出なかった。誰がかつて、この大陸で大百足の無防備な腹や砕け散るサラマンダーの姿を見たことがあったろうか?

 侵入した魔物達も徐々に数を減らしていき、城外の魔物達も主力が次々倒されていくと状況が変わって、暴力性が戸惑いに転じ始めた。壁の向こうで魔法の爆音と刃の破壊音が響くにつれて、魔物達の叫びがただの喚きや情けない声になっていく。

 やがて弓兵が腕を振り上げながら言った。

「――――――退いてくぞ! 退き始めた!」

 城外では騎馬のトライア兵が駆けずり回って、残党の尻を叩くように追撃をして撤退を早め、森へ森へと追い立てている。ここに来るまでの僅かな日数で学んだ未知の魔物との戦い方を彼等は早くも実践しており、急所や弱点の攻撃は効率よく敵の鼻を挫いて戦意を喪失させ、恐怖を煽り、敗走を余儀なくさせていった。

 撤退が本物だと確信した弓兵は、飛び上がって拳を掲げ喜んだ。

「――――――やった! 奴らは逃げてった! 勝ったんだ! 守ったぞ―――――っ!」

 ボロボロの兵士達は歓喜に吼えて、鎧や盾をガンガンと打ち鳴らした。

 城塞内の敵も見る限りは駆除されて、後は物陰に隠れているものがいないか捜すばかりである。まだまだ民に警戒を解かせる訳にはいかなかったが、危機のピークが去った今は、恐れなどないに等しかった。

 再び門が開かれると、残るトライア兵が歓呼の中で迎え入れられ、国軍隊長が一番最後に徒歩で入城して来るのを認めると、待ちかねていたロリア姫が駆け寄った。今はドレスの裾を下ろしており、土埃で汚れつつも王族らしい堂々とした立ち姿を見せた。

「ようこそお出で下さいました! ソニア様! トライア兵の皆様!」

そして深く、深く頭を垂れ、膝を折った。

 彼女が何者か判ったソニアもようやく笑顔を見せて、兜を取り、小脇に抱えて跪いた。

「お久しゅうございます、ロリア王女。トライア国軍隊長、ソニア=パンザグロス、貴国のお力になるべく参上つかまつりました」

姫は恐縮してすぐに立ち上がらせた。そうすると、ソニアの方がずっと背が高い。

「まぁまぁ、そんなに改まったことはなさらないで! あなた様がいらっしゃるなんて思いもしませんでしたわ! この戦時だと言うのに! 何と嬉しいことでしょう!」


 ソニアは状況を見て、もはや急な襲撃の気配はないと判断すると、城塞内の魔物捜索を手伝うよう、111、112隊に命じ、自分は110隊とアーサーと共に姫君の先導を受けて王城へと入って行った。

 アトラスも他の馬も無事テクト兵に預けられ、十分な手入れをされた。戦いが終わるのを遠くで見計らっていた馬車もその後到着し、やっと城塞内に入った御者達はホッと胸を撫で下ろした。

 幹部の居並ぶ中、ソニア等は謁見室で王に拝謁した。王は玉座から駆け下りるようにして自らソニアの手を取りに行き、同じ高さで派遣部隊を歓待し、それからロリアをギュッと抱き締めた。

「何という無茶をしたのだ! お前は……!」

 ソニアは礼の姿勢を崩さず、にこやかに言った。

「姫君は大変勇敢に振る舞われ、立派に指示を出されておいででした。城壁の外にいても、そのお声が通るのが聞こえましたよ」

王は信じられぬとばかりに頭を振りつつ、責めるような厳しい表情をそのままに、しかし、誇らしさが目と口元にどうしても出てしまって、改めて娘の顔を覗き込んだ。ロリア姫はソニアに誉められてすっかり紅潮し、目をパチクリさせている。

 王はそれ以上娘のことを追及するのを今は止めて、賓客達のもてなしに専念した。

「何はともあれ……本当によく参られた! 詳しい構成は聞き及んでいなかったので、失礼ながら、まさかここまで貴国のエリート達ばかりを派遣して下さるとは思っていなかった。大変有り難いことじゃ……! 長旅の後に戦いまであって、さぞお疲れであろう。まずはそなたも、そなたの部下達も、ゆるりと体を休めなされ」

 ソニアは詳しい打ち合わせの為にアーサーとディランだけをその場に残して、その他の兵はテクト兵の案内に従って休憩をするように退出させた。地位的にも実力的にも、そこに揃った3人が現トライアのトップ3である。

 テクトの参謀長官が、書き込みだらけの地図や戦力を表す駒を使って、これまでの襲撃の流れを一通り説明し、今どれだけの力がこの国に残されているのかも包み隠さずに教え、ソニア達は窮状を詳らかに把握した。敵勢の力によっては、明日にも滅ぼされてもおかしくないギリギリの状態である。

 御者も含めてたった40名の派遣部隊とは言え、精鋭揃いの彼等はまさしく願ってもない救いの手だった。何と言っても、先程見せつけられたばかりのソニアの力は、文字通り一騎当千だ。彼女の部下も、1人で何人、何十人分もの働きが出来る強者ばかりである。40などという数字は、惑わされるにはあまりに小さい数字で、実際はその何倍もの戦力を得たのも同然だった。

 一通りの打ち合わせが終わった後は、3人も休息する為に退出していき、残った幹部等は目を輝かせて色めきたった。

「これだけの精鋭なら、きっと凌げましょうぞ……! 王!」

王は頷きながら、トライア王への礼状をどれほど熱烈な感謝の言葉で埋め尽くそうかと考えた。

 ロリア姫は乳母に咎められながら、汚れたなりを綺麗にするべく部屋へと引っ張られて行った。


 夜が深まって残党の始末も終わり、城壁の修復や焼失した家屋の解体作業が夜を徹して行われる中、王の誘いを受けたソニアが、今度はアーサーだけを連れ立って、謁見室の隣にある小さな会議室に赴いた。

 王とロリア姫、護衛のデイル近衛兵隊長だけの少人数で円卓を囲み、果実酒を嗜みながら様々な事を語らった。状況が状況であるだけに、平時の高官交流のように長々とのんびりすることは出来なかったが、これほど魅力的な賓客がいるのに、何もせずにおれる訳がない。

「何と……この大戦をそのようにお考えであるか」

今は大戦絡みの話題で、敵や魔物について意見交換をしているところだった。ソニアの述べることには、王や姫、デイル他、彼女を知っているはずのアーサーまでもが驚いてしまった。

「魔物は常に人間を襲う訳ではありません。大戦が始まるまでは野生の動物と変わらず、ただ日々の狩りをし、テリトリーを侵した人間に攻撃を加えるだけでした。人間にとって危険であることに変わりはありませんが、習性を熟知すれば、本来は共存できる生き物なのではないかと思います。今は……おそらくヌスフェラート達が何らかの操作を施して、人間を襲わせているのではないかと思えてなりません。攻撃性のない魔物を、かつて何度も目にしてきましたから」

「……そのような事を言う者は初めてじゃ」

ロリア姫は、彼女の意見に誰より賛同して深く頷いた。

「それだからこそ、あなたは『トライアス』と呼ばれるのでしょうね。トライアスとあなたの主張は全く同じですもの」

「ご存知なのですか? あの叙事詩を」

「ええ。以前国王会談で初めてお会いしましたでしょう? あの時、ソニア様はトライア王の護衛でいらっしゃった。そこで、あなたが女神の名で呼ばれているのを知って、大変興味を持ちましたの。それで、その後すぐに読み始めましたのよ」

テクト王が笑いながら付け加えた。

「あれ以来、ロリアはそなたに夢中でのう。よく話に聞かされたものじゃよ」

姫はパッと顔を赤らめて、悪戯っぽい眼差しで王を睨んだ。王は笑っていた。

「宜しければ、私に叙事詩を説明させて下さいますかしら?」

ソニアは「是非とも」と微笑し、王やデイルやアーサーも頷いた。

「今はもう、実在したかどうかも判らないくらい遥か昔の時代に生きていたとされる伝説的な女戦士が各地を旅して、見聞きした物事を綴った長編叙事詩です。当初は違う題名がついていたらしいのですが、著者の名があまりに有名だった為に、結局、後年そちらが本の題名に変わったのだとか。原本の所在は知れていないそうですね。今は各地に写本が残るのみらしいです。この城の書庫にも1組ありましたので、それを読みましたのよ。

 前半部と後半部とに分かれていて、前半が戦いの章、後半が祈りの章です。全編を通して世の哀しみばかりを綴っているので、別名『哀しみの叙事詩』とも言われています。

 トライアスは強き戦士でありながら、人間以外の者にも深い慈悲を持つ人で、大戦の度に人と魔物とが憎しみを深めていくのを嘆いています。ヌスフェラートとも戦わずに共存できる道もあるのでは、とすら考えていた方なんです。

 全く……ソニア様のご意見も、これと同様であると思いますわ。あなたが女神の再来と言われる理由がよく解ります」

テクト王もデイルも言葉にこそしなかったが、その顔には《箱入り娘の姫はともかく、軍人であるはずのトライア国軍隊長でさえも、やはり女性であるが故か、男性ほど外敵に対する警戒心が高くないのではないか》という分析が表れていた。アーサーにその色はなかったが、違った理由で賛同はしかねていた。

 その空気を察してはいたが、少しも気に留めぬ様子でソニアは続けた。

「その叙事詩が、偽りごと、作りごとでない証明はもはや出来ない時間の隔たりがありますが、私は、その中で語られているような戦時・戦後の憎しみや行き過ぎた恐怖心が、今尚、世界中で幾人もの者を苦しめていると確信しています。おそらく、かつての被害者が敵軍の中にもいて、戦っていることでしょう」

 ソニアは、自分がアイアスと出会っていなかった場合のことを考えていた。

 あのまま衰弱して死んでいたかもしれないが、もし生き残っていたならば……下手をすると、人間に攻撃をする側の者になっていたかもしれない。もしヌスフェラートに保護されていたりなどしたら、成長後は喜んで戦いに加わり、森の仲間達の仇をとろうとしただろう。人の運命とは、そのような危ない橋の上に成り立っているのだ。

 遠い目でそう言う彼女を、アーサーはこれまでと同じく謎めいて感じたし、他の皆もそうだった。

 ややあって、王が言った。

「では……どうすれば良いとお考えかな? 我々に何が出来るというのだろう」

 ふいに、またロリア姫が叙事詩を語った。今度は内容そのものを(そら)んじだした。

「――――はじめに『生命』あり、その内より『魔法』、『力』、『知識』いずる。それら4つを司る神は、愛徳により世を統合せし。いつの時代よりか、この調和崩れ、憎しみ天に満つ。血流れ、海、川、大地、空、全てが悪しき色に染まれり」

後半部分はソニアも加わり、2人揃って暗誦した。

「『トライアス』の冒頭に引用されている、『創世記』の序文です。『トライアス』はこのナマクア大陸の地域的伝説ですが、『創世記』は世界共通のもの。これなら広く知られていましょう?」

王は頷いた。

「ウム、この世の始まりを語っておる太古の伝承じゃな。4つの要素の神がいて、『生命』が人間であり、『魔法』がヌスフェラートであり、『力』が竜であり、『知識』が精霊であるという」

ソニアは王以上にゆっくりと、深く頷いて続けた。

「この、古き言葉が重要だと思っています。今は調和が乱れた状態であり……かつては愛徳がそれを統合せしめていたという、それこそが大切なのではないでしょうか」

デイルは呆れたように頭を振った。

「そうは言っても……何をしろと? まさか、魔物やヌスフェラート共に愛を示せ、などとは仰いますまいな? この状態で何が出来ると言うのです?」

アーサーは誰がどう発言しようとも相槌を打たず、喋るのを全てソニアに任せて自分は聞き役に徹し、様子だけを窺っている。

ソニアはデイルの言葉に尤もだと言うように、2、3度頷いた。

「……そうですね。大変難しいことかと思われます。特に……既に何かを失った者には」

またあの遠い目だ。こんなに静かで、冷ややかな氷とも思える透明度の高い輝きを見ていると、その場の誰もが、目の前にいるこの女性が軍人であるとは思えなかった。アーサーですらもだ。

「私はともかく、これ以上、『トライアス』に記されているような哀しい出来事が起きぬようにしたいと願っています。遠い道程かもしれませんが、本当の(・・・)平和の為の努力は惜しまないつもりです。ですから、私の軍はある方針を掲げております。

 魔物であろうとも、逃げる敵は追わぬこと。

 襲ってくるまで攻撃はしないこと。

 不要な威嚇もしないこと。

 この3つを守るだけでも、きっと不幸な事件は防げましょう」

「ほう……騎士道ですな」

王は感心した様子で椅子の背に凭れ、デイルは眉根を寄せてウウムと唸った。姫は賛同のしるしに微笑した。

 ここで、今まで黙っていたアーサーがようやく口を開いた。無口な男と思われているだろう。

「不要な血は流さない。常に最大の良心の下に敵と接すること。――――これが現在、トライア国兵がモットーとしている理念です。これまでのところ、それによって被害が増えた例はありません。トライアが標的にされた時にどうなるかは、まだ解りませんが」

彼は事実だけを述べたのであって、自分の考えを言ってはいないのだが、ここでそう発言することは、最終的に彼女のやり方に従っている証だった。彼が完全な賛成派ではないと知っているソニアは、彼の振る舞いに少し驚いて目を合わせた。アーサーは微笑んでいた。

 実に誠実で良心的な行動をするトライア軍のやり方に呆れつつも、感心と敬意とを強く抱いて王やデイルは暫く言葉を失い、ロリア姫ばかりがにこやかに言った。

「素晴らしいことですわ……! 我が国の方針も、是非それに習いたいものです。ねぇ、デイル」

姫にそう振られてデイルは肩を竦ませ、やや照れながらも、ソニアへの憧れで溢れそうに煌く姫の瞳に見入ってしまったのだった。

 それが伝染したかのように、人々が何故ソニアに従い、敬うのかがデイルにもよく解り、彼は純粋な憧れを感じた。これがカリスマ性というものなのだろうか。

「王や姫のご意志とあらば……」

彼はそれだけ口にした。

 会談も時間的にそこで終わり、ソニアとアーサーは席を立ち、握手やキスを交わした。

「有意義な時間でした」

「ウム、実に刺激的な談話であった。そなた等とは、もっと話がしてみたい。だが、まぁ、今夜のところはゆっくり休んでいただいて、また折を見て語らおうではないか」

「はい、お心のままに」

 一礼して、颯爽と2人は退出して行った。

「……いやはや……改めて見ても美しい方じゃのう」

王がポツリと言った。美女を見た時の単なる男性らしい感激ではなく、未知なる輝石を発見したかのような、畏れと好奇心の綯い交ぜになった感嘆がそこにあった。

「ええ、本当に。以前も唯人ではないと思っていましたが、あの方には、本当に内から漲る輝きのようなものがありますわ」

 軍の中では若い30代前半のデイルも同じように、自分よりもっと若い2人の出て行った戸口ばかりを見続けた。

「……あのような、一国の王女と見紛う方が軍隊長だとは……未だに信じられません。しかも、トライア随一の戦士だなんて……」

襲撃の脅威がありながらも、3人の頭は暫くこの不思議な女性のことで一杯になったのだった。


 会議室から謁見室を抜けて回廊に出たソニアとアーサーは、トライア兵にあてがわれたテントを張る広場のある、城閣の東側へとゆっくり歩きながら話した。

「……あなたが、ああ言ってくれるなんて、ちょっと驚いたよ」

「……上官の意志は絶対だからな」

彼がそう言うと、ソニアは気分を害したように眉をひそめて、とぼけている彼の顔を見た。

「それだけじゃないよ。オレは、お前のやり方にはそれなりに敬意を持っている。お前のその考えをまだ完全には理解してないから、必ずしも賛成は出来ないが、ああいった場で否定するほど悪くも思っちゃいない。多分、必要なのは時間と理解の方だ」

 ふいに彼が立ち止まったので、ソニアも足を止めた。アーサーは、彼女が少し戸惑うくらいにジッと彼女の目を見つめた。その奥にあるものを見透かそうとするように目を細めて。

「…………何?」

 夜警の兵は配置されているが、それ以外の兵は皆、行軍と戦闘の為にヘトヘトで休んでおり、夜の城はとても静かだ。今は虫の音ばかりが庭園に広がっている。月光も射し込み、魔物の脅威さえなければ、実に美しくて穏やかな夜だった。

 そんな中で、アーサーは僅かに首を傾いだ。

「……オレは、誰よりお前と長い付き合いのつもりなのに、まだ半分もお前を知らないような気がする。お前の中に……一体何が隠されているんだろう? ……それを、いつか知れる日が来るんだろうか?」

ソニアは瞳を揺らがせ、そして伏した。少し鼻で笑ってみせる。

「そんなもの……ないよ」

 アーサーはそれ以上言及せず、彼女の背を叩いて再び歩き出した。

「まぁ、気にするな。そう思っただけだ。明日からも頑張ろうな」

「ええ、この国を守りましょう」

 2人は拳をつき合わせて笑い、この静寂の仲間入りをするべく、テントに戻って行った。


 襲撃の失敗に懲りたのか、幸い夜の間に敵の再攻撃はなく、休養を取れた兵士達は力を取り戻して朝の目覚めを迎えた。トライア兵の加勢によって意気が上がっているくらいだ。

 ソニアは城壁を越えて城塞の外にも出ると、人気のない木立を探して習慣通り朝の運動をし、暫く汗をかいた後で朝食を済ませた。行軍中と違って、もう少しまともな食事にありつけるのは有り難いことだった。

 自軍の兵士の状態を確認し、それから逸早く謁見室で王や幹部等と改めて打ち合わせをし、部下を城内の要所に配置させると、巡回を兼ねて兵舎や町に足を運んで、テクト兵やテクト民と交流した。

 この緊急事態につき非番の者は1人もおらず、兵舎にいるのは負傷者と病人だけだったが、ソニアは会釈しながら通り過ぎて、1人1人に軽く挨拶した。

 すると、起き上がれる者は慌てて上体を起こし、そう出来ない者も緊張してその場でコチコチになった。ソニアは彼等に無理をさせぬよう制止し、「ご苦労様」とだけ名誉の負傷を労い、病人にも「お大事に」と戦えぬことを恥じぬよう気遣った。

 昨夜の戦いに参加していた者でも、彼女をハッキリと見られた者は少なかったので、噂以上の美貌の剣士が本当に目の前に現れると、皆、釘づけになってしまったのだった。

 町では復旧作業を見学し、負傷した民や家屋を失った民も慰問した。

 昨夜大急ぎで家具類が積み上げられた城壁の割れ目は、その後の徹夜作業で更に土嚢で固められ、石で補強もされた甲斐もあり、防壁として役立つくらいにまで回復していた。これなら、簡単に破壊されて魔物が入り込んで来ることはないだろうと見て、ソニアは他の外壁にも問題がないかを見て回った。

 トライア兵達も、配置された場所でテクト兵や民とお喋りをしている。歓迎すべき救援部隊は好待遇を受けており、民が「喉は乾いていないか」と度々井戸から汲みたての冷たい水を勧めに回っていた。

 普段あまり目にしない隣国の兵士の格好を、子供達は興味津々で物陰から窺っていたし、その中でも、慰問する国軍隊長のことは後を追ってゾロゾロと尾を引くようについて回る始末だ。

 テクト兵や民がソニアのことを「不思議な人だ」「女神の生まれ変わりと言われているのも頷ける」と話しているのを聞くと、トライア兵は自慢げにほくそえんだ。


 ソニアは城壁の上に立ち、外周森林の様子や彼方を監視しながら、ディラン、アーサー、デイルと今後のことを検討した。

 身軽な魔物が城壁を乗り越えて来るのを阻止することは出来ないが、大型の者を食い止めることが出来れば、大分戦い易くなる。門と、補強した割れ目を堅守し、侵入した魔物を逸早く仕留めるやり方が、シンプルながら最も効果的なようだった。

「しかし……敵は、我々をここに閉じ込めて物資が尽き、抵抗力が無くなるのを待っているのかもしれません。今では物流は殆ど停止してしまい、備蓄だけで生活している状態です。この防戦も、長くは持たないでしょう。今までの攻撃が、本気ではない……主力を控えているものだとしたら恐ろしいことですが」

そう言うデイルに、ソニアも冷静かつ苦い面持ちで頷いた。その姿には、前代ジェラード国軍隊長にも劣らぬ歴戦の厚みのようなものを感じさせる威風があり、一夜明けてもまだ、デイルはこの将が21歳とは信じられなかった。

「世界の戦況を聞くに、いずれの地でも、侵略軍が10日以上の長期戦に持ちこんだ例はありません。どんなに長くても、あと2、3日の内に決戦を挑んで来るでしょう。勝っても負けても、篭城はそれまでですよ」

ソニアの言葉に、デイルの息は詰まった。解ってはいても、言葉にされると恐ろしいものである。

「勝とうな」

アーサーの声が心地良く通った。

「勝ちましょう、必ず」

ディランも深く頷いて加わった。ソニアはそれに微笑んだ。

「ええ、私達なら出来る」

 何時でも、何処でも、彼女が笑ってさえいれば、彼等は負ける気がしなかった。

 デイルもその魔法に初めて触れ、不思議と、心を占めていた不安が戦う力に変わっていくのを実感した。戦士にとって何より重要なのは、恐怖に囚われぬ戦闘意欲である。どんなに豪腕、巨漢でも、心弱ければ役には立たない。トライア兵の強さの秘密は、ここにあるのではないだろうか?

「この城塞は優れています。あなた方もよく耐えてきました。きっと勝ち残れますよ。バワーム王国やエクセントリア王国に続く戦勝国になりましょう!」

デイルは、若いながら皺の刻まれ始めた顔で凛々しく笑んで手を差し出し、堅く握手した。

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