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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第25章
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第4部25章『奇跡の護り』12

 空が白み始め、地平線に広がる丘陵の縁を光の帯が縁取り、その上に浮かぶ細い雲が天に漂う大陸のように金色に輝く頃、ソニアは目覚めた。

 ゆっくりと瞼を開き、パチパチと瞬きをする。

 そこには、見覚えのある石天井のフレスコ画があった。大地に生い茂る植物と鳥達の姿だ。

 部屋を染める青い空気。目覚めた鳥達が囀りを始めている早朝。最も朝の早い大鳥達はとうに巣を離れたようで、聞こえてくるのは忙しない小鳥達の高い声ばかり。

 ふと首を傾けてみると、左にアーサーがいた。自分の左手を握ったまま、ベッドに頭を伏して眠っている。散々泣きはらした顔をしており、子供のようにしゃがみ込んで。それでも、彼女の手だけはしっかりと握って離さないようにしていた。

 テラス側の壁際にはセルツァがいる。座って壁に寄りかかり眠っていた。ぐったりと疲れた様子で肩膝を投げ出し、俯き、目を閉じている。

 他には誰も見当たらなかった。

 ソニアはもう一度フレスコ画に目をやり、暫くボンヤリと考えた。

 私は……死んだのだろうか? それとも……ただ眠っていただけ?

 優しい眼差し。同じ色の瞳。同じ色の髪。

 その他の、夢に至る以前に起きたことの方がまるで絵空事のようで、現実感が湧いてこない。その絵空事と夢との間にも、何だか大きな空白がある。

 一体、どれが夢で、どれが現実なのか。

 ただ、これだけは確信していた。

 あれは自分の作り上げたイメージでも何でもなく、本物の母だった、と。

「お母様……」

彼女のその囁きに、アーサーがピクリと反応して目を覚ました。これだけ敏感なのであれば、眠りは余程浅いところにあったのだろう。

 彼女が瞼を開き天井を見ているので、彼は身を起こしてもっとよく覗き込んだ。その瞳は気紛れに開かれたのではなく、目覚めのしるしとして何度も瞬きをしていた。

「ソニア……」

彼のささやかな呼びかけに応じ、ソニアは顔をゆっくりと向け、微笑んだ。

「おはよう、アーサー」

喜びで声も上げられぬ彼は、手を震わせながら彼女の額を撫で、頭を撫で、頬を撫で、彼女の目覚めをこの手で確かめた。彼女はずっと微笑みを浮かべている。

 間違いないと解るや、彼は精一杯気持ちを抑えつつも彼女の背にそっと手を差し入れ、膝の下にも腕を回し、上掛けごと抱き上げた。そのまま立ち上がり、ギュッと抱き締める。そして彼女の胸に顔を埋めた。音を立てぬよう静かに静かに振る舞っていたが、彼女を抱く腕の力はとても強く、今尚震えていた。

 セルツァも気づき、飛び上がるようにして起き上がった。

「気がついたのか?」

アーサーは涙目で腕の中のソニアを彼に見せた。彼女の顔にはすっかり生気が戻り、輝く笑みをセルツァに投げ掛ける。

「おはよう、セルツァ」

セルツァは深い安堵の溜め息をつき、彼女の手を取って跪き、恭しく接吻した。そして眩しそうに見上げ、笑みを広げる。

「よく目覚めた……! 無事で何よりだ……!」

従者専用室では、ディスカスもまた同じように喜び、床に転がっていた。朝になって同室していることが知れると問題があるので、先程退室していったのである。彼は心の中でこの吉報を主に伝えていた。これで、晴れて務めを果たし続けることができる。

 次第に太陽の光が射し込んできて各々の色彩が存在感を持つようになり、テラスの柵の明暗もはっきりとして来光を告げた。朝日の訪れは彼女の目覚めを象徴しているようでいて、実は彼等の心の方を表しているのかもしれない。

 ソニアはアーサーの腕から降ろしてもらうと、問題なく普通に立って歩けることを確かめた。アーサーもセルツァも後遺症などがないか心配していたが、体の方はいたって正常なようである。

 定期的に口は湿らせてくれていたらしいが、さすがにまず喉の乾きを覚え、ソニアはセルツァがテーブルのピッチャーからコップに注いだ水を貰い、一気に流し込んだ。

「私、どれくらい寝てたの? なんだかすごくお腹が空いちゃった」

それを聞いて、もう本当に大丈夫だと彼等も心から安心し、胸を撫で下ろして笑った。

 自分の体のことや今の状況に問題がないようだと判ると、ソニアは改めて部屋を見回した。テラスは無人だ。夢の中でこの部屋を見た時には、そこで泣いている人がいた。

「……あの人は?」

ソニアは2人に尋ねた。彼女が誰のことを探しているのかは2人共が解っていたが、どちらも黙ったまま気まずそうにして目を見交わし合った。特にアーサーの方には、顕著な嫌悪感が映っている。

「彼は……明け方近くにここを出て行ったよ。何処に行くとも言わなかったが……人目につかないよう消えたんだろう」

セルツァがそう言うと、ソニアの顔にパッと不安の色が広がったので、ますます面白くなさそうな顔でアーサーが言った。

「お前が目覚めたって、会わせる顔がないんだ。出て行って当然だ」

 ソニアは、テラスの向こうの、城壁のそのまた向こうに広がる森に目をやった。彼女の直感がこう告げていた。彼は1人で出て行ってしまったのだ、と。一時の退散ではなく、永久に離れようとして。広大なこの世界の、この荒れ狂う海のような乱世の何処かに、1人で旅立ってしまったのだ、と。

 途端に激しい恐怖心が彼女を襲った。

「だめ……! 彼を1人にしちゃ……1人のまま行かせちゃいけない!」

そう言うと、ソニアは破れた軍服姿のままでテラスから外に飛び出し、森の中に消えていった。

「――――――ソニア!」

2人が止める間もなく彼女の姿は見えなくなる。

 目覚めたばかりだというのに彼女があんな男のことを追って行ってしまったものだから、彼女の優しさに改めて感心し、ときめく部分があるものの、後に残された2人はバツの悪い思いをした。これが彼女らしさであり、彼女の良さなのだと解ってはいても、一連の騒動の原因となった悪漢に心を注ごうとするのは、どうしても承服しかねるのだ。人としての当然の心情である。

 そして特にアーサーは、かつてない程の嫉妬を感じ、その炎に身を焼いた。あの予感が何だったのか、彼はこの時ようやく心底思い知ったのである。


 朝露に濡れて宝石のように輝く森の中を、ソニアは当て所もなく走りながら彼の名を呼んだ。それしか方法がなかった。

 彼がもう何処まで行ってしまったのかも解らないし、どちらに行ったのかも解らない。だが、まだ間に合うのなら、声の届く所にいてくれるのなら、彼を探し当てたかった。

 このまま罪悪感だけを引きずって自分からも離れていってしまったら、彼はまた1人になり、以前よりずっと辛い孤独に身を置くことになってしまう。ソニアにはそれが耐えられなかった。

 彼を殺すことなしに止めたい一心で自分は飛び込んだ。でも、それはこんな風にしたかったからではない。

 あの後どうなったのかは、まだ聞いていないが、皆と一緒にいたのだから、彼は戦うのを止めてくれたのだろう。一時的な休戦であったとしても、それは良かったと思う。

 だが、その代償に彼が再び1人にならなくたっていいのだ。それでは自分の心も救われない。そして、大切な友人である彼自身が救われない。町や人命がいくら救われたって、それでは意味がないのだ。ソニアの胸は痛んだ。

 彼の背負うもの、彼の苦しみと切なさの全てを理解することなど到底成し得ぬだろうが、それでも、彼が今また暗い淵に立ち、その下の暗黒を見ていることだけは彼女にも解った。

 あの人はとても情熱的で、優しくて、その心を流れる川が本当はとても透明なのだと知っている。だからこそ、彼がその情熱故にどれだけ自身のことを責め苛んで追い込んでしまうかを考えると、胸が張り裂けそうだった。居ても立ってもいられず、走り回らずにはおれない。

 一日で一番気温の低い、ひんやりと湿った早朝の森を突き抜け、ひた走り、ソニアは彼の姿を求め、返事のあることを願った。

 それでも呼びかけに応じる者の動きも声もなく、森は自身の目覚めに忙しくしているだけである。戦闘時にはあれだけ存在感のあった彼の気配も、今は全く感じられない。完全に気配を消してしまったのか、本当にもう届かぬ所に行ってしまったのか。

 とにかく、もうこれでは探しようがなかった。ソニアは足を止め、嗚咽し、悔し涙を零しながらそこに膝を折って倒れ込んだ。

 ここはもう城から大分離れた場所で、町からも遠ざかっている。人々の生活音はここまでやって来ない。自然の音だけが辺りに満ち、葉擦れの協奏と小鳥の囀りばかりが彼女を包んだ。

 彼と出会ったことの意味が解り、折り合いのつくことを願って語らい、触れ合った。それでも……ああ……あの不幸な人はますます痛んだだけで、まだほんの少しも癒されてなどいない。そして昨日の破壊は止められても、この先の破壊は続いてしまう。そして、その破壊は彼を苦しめ続ける……!

 彼の不幸は、そのまま彼女の不幸でもあり、単なる同情なんてものではなかった。もし彼を救うことができなかったら、未来を信じる自分の心の力は失われてしまうだろう。それ程に、彼の存在は特別なのである。

 結局、自分が守れたものは何だったのか。あの町だけなのだろうか。それも、起きる必要のなかった、自分の至らなさ故に発生してしまった突発的な破壊を止めただけ。

 自分は、何と非力なのだろう。双子の弟といい、皇帝といい、肝心の、大切な渡り合いではいつも望むような結果を出せず、全く役に立っていない。ただ少し剣を振るうのが巧いからって、人より戦うのが巧いからって、それが何だと言うのだ。

 ソニアは無力感に苛まれ、落胆し、そこに伏せったまま泣き続けた。朝の光が横から射し込み、そんな彼女を慰めるように撫でていく。

 その様を、ジッと見守る影があった。

 人は、相手への自分の想いの深さ大きささえ、なかなかに気づかないものである。きっかけがあって、ようやくそれに気づかされることがある程度だ。ましてや、相手がどれだけ自分のことを想っていてくれるのかなど、知りようもない。数々の出来事を通して実感していき、ようやく心からそれを信じられるようになるのである。

 だからソニアは、彼の純粋さと情熱的な性質を解ってはいても、その心まではまだ理解しきれていなかった。彼女の目覚めをその目で見届けることなしに彼がこの国を去るはずはなかったのだ。

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