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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第25章
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第4部25章『奇跡の護り』10

 アーサーは彼女の手を元通り胸に戻して重ねると、ゆっくりと立ち上がり、皆に背を向けたままで言った。

「……おい、そこにもう1人いるな。……彼女をこんな目に遭わせたのは……お前か?」

セルツァとディスカスがテラスの人影について全く触れようとしないものだから、アーサーは察しがついていた。その人影は少しも身動きせず、何も応えなかった。

 2人が黙ったままであるから、それが答えとなり、アーサーはツカツカとテラスに向かった。そしてその人物の側にまで来ると、グイと胸倉を掴んで顔を突き合わせた。

「――――――答えろ!」

 それは彼と同じくらいの背丈の若者で、風に煽られるように流れる金髪をしていた。そして目には夜が宿っているような隈取りがあり、ささやかな牙が口元に覗いている。耳は天に向かって伸びており、人間より長い。

 こんなに間近で、この種族の者を目にするのは初めてだった。

 そして服装なども見て、アーサーは一つの可能性に行き当たった。

「あんた……先日アルエス湖の近くにいた奴か?」

ルークスは、こんなに近くで人間の男に迫られ、しかも胸まで乱暴に掴まれているのに、怒りも見せず、感じず、ただ無言で顔を背けた。珍しく嫌悪感すら湧かなかった。

 そこで殴り合いでも始めはしないかとセルツァが慌ててやって来て、アーサーの肩を取った。

「どうか落ち着いてくれ。こいつのことは……私も殺してやろうかと本気で思っていた。だが……事故だったんだ。こいつ自身に彼女を傷つけるつもりはなかった。それに、ソニアも彼を守ろうとした。元を言えば、こいつが暴れたから大変だったんだが、それでも彼を殺さず止める為に、彼女は自らの身を捨てたんだ。それにこいつも……その後に、彼女の命を救う為に自ら命を絶とうとした。そこで奇跡が起きて……彼女の母親の霊が降臨し、彼を止め、彼女の命を救ったんだ。彼女もその母も、こいつへの制裁は望んでいない。2人の意志を尊重してやってくれ。それに……こいつ自身が既に十分思い知っている」

掻い摘んだ説明であるし、そうなるに至った経緯については不明だったが、それでも、これで起きたことの大筋が見えた。この中で彼女のことを誰より理解しているのはアーサーだ。彼女がそうしたのだろうということには少しの疑問もなく、痛いほどによく解った。

 だが、痛過ぎる。

 アーサーはルークスの服をそうして掴んだまま、あまりのやり切れなさに天を仰ぎ、そして掻き毟るように己の髪を掴んで瞼を伏せ、俯いた。悲痛な叫びを上げられぬ代わりに歯を食い縛り、肩を震わせる。こめかみを流れる血は沸騰した。

 これから葬送の儀でも始めるような、張り詰めた冷たい静寂が辺りを覆う。ハーフを含むものの、四族の者達はそれぞれに、彼女の魂の不在――――言わば心の死――――を悼んだ。

 ようやく胸の拍動が治まってきたアーサーは、今尚ルークスの胸倉を掴んだままで考えを巡らせた。どうしてこのヌスフェラートがまた現れ、しかもいつの間にか彼女と深く関わることになっていったのか。その経緯を知りたいと思う。だが、それは後でいい。今、最も重要で謎なのは、彼女が目覚めないことだ。彼は独り言のように嘆きを呟いた。

「彼女は……この国を守ることに誰よりも必死だったんだ。例え死んでも……魂だけになっても守り続けるとさえ言っていたんだ。それなのに……生を与えられたと言うのに、何故、彼女の魂が戻ってこないんだ? そんなの……おかしい……!」

セルツァもまだアーサーの肩を取ったままでいる。そして慰めるように言った。

「我々にも解らないんだ。彼女の魂が何処か遠くに行ってしまって迷っているとか、或いは何かが引き止めたり捕らえたりしているということも有り得る。または……彼女自身がもはやこの世界に戻って来ることを望まなくなったという可能性もなくはない」

「望まなくなった……? 見限ったとでも? この世界を? そんなことは有り得ない」

「例えばの話さ。言ってみただけだ。考えられる原因は全て把握しておかないと、対処方法も見つからんからな」

そう言いながら、セルツァはふとルークスの顔が強張るのに気づいた。何かに怯えるように瞳を震わせ、視線を落としている。

 ルークスは、彼女の最期の眼差しと言葉を思い出した。体までが震え始める。

「おい……お前……」

「…………連れて……行っちまったんだ……」

ようやく当のヌスフェラートが口を開いたものだから、アーサーは顔を上げてルークスをよく見た。彼の手にも、ルークスの震えが伝わってくる。

「あの男が……彼女を連れて行っちまったんだ……。きっと……」

アーサーはルークスを激しく揺すって迫った。

「おい、何だよ《あの男》って。誰のことだ」

ルークスにとって、その呟きはあくまで独り言だったので、それ以上のことは何も言わなかった。

 だが、ソニアとのやり取りを見ていたセルツァにはピンと来るものがあった。

「もしかして……彼女に死んだと話していた……彼女の兄のことか?」

セルツァがあの場にいたとは、ルークスは知らない。だが、それとは関係になしにルークスは反応しなかった。その言葉を聞いて大いに反応したのはアーサーで、彼はゾクリと寒気を感じた。物事の核心に迫った時に稀に感じるものだ。その答えが決して良くないものであることが先に解っているから、答えを知る前に悪寒に襲われるのである。

 アーサーは怖々と口を開いた。

「……今……《彼女の兄》と言ったな? それが……死んだのか? そうなのか? どっちの兄だ? 双子の方でなく……もしかしたら、彼女を救った方の……そっちの義理の兄か? どうなんだ?」

声を極力抑えているものの、その剣幕は凄まじくて、誰にも止められなかった。

 ルークスが相変わらず反応せず、ただ震えているだけなので、アーサーを宥める為にもセルツァが説明した。

「私が2人の話を聞いたところでは……2ヶ月ほど前に、先の英雄アイアスが皇帝軍の者に倒されて死んだということだった。彼女はそれを聞いて、大いにショックを受けていたよ」

アーサーの頭に血が上り、彼は目をカッと見開くと、遂に両手でルークスを吊るし上げた。それでもルークスは無抵抗だった。

「――――――お前……それを……それを彼女に言ったのか?! 言っちまったのか?!」

セルツァがアーサーの両肩を取って止めようとするも、アーサーはそれを振り切ってルークスを下ろし、放心状態の彼をそのまま殴り飛ばした。されるがままのルークスは吹っ飛び、転がってテラスの端にぶつかった。条件反射的に受身を取っていたが、気持ちとしては全く自分を守ろうと思っておらず、罰として全てを受け入れるつもりのようだった。

「バ……バカ野郎っ……! 何てことを……! 彼女にとって……その男を待つことがどれだけ大切なことだったか……! 彼女がこの国で強い戦士になったのも……今、この国にいるのも……皆、その男の為だったんだぞ! 生きる理由と言えるくらいだったんだ! そいつが死んだと解ったら……あいつはどうなる……?!」

 ルークスは立ち上がらず、そのままテラスの端で力なく座った。アーサーはそこにヨタヨタと近づいて行き、ガクリと膝をついた。もう、セルツァはただ見守っていた。

「お前は……ソニアを2度殺したんだ……! 生きる目的を奪って……その後、本当に命まで……! この野郎……! 畜生……!」

アーサーはもうそれ以上ルークスには手を出さず、握った拳で何度もテラスの床を叩いた。悔しくて、悔しくて、この怒りのやり場が何処にもなかった。目の前の男はあまりに萎れて憐れななりをしているので、続けて殴る気にもなれず、今回の事態を防げなかった自分のことも許せないから、ただ悶えるしかない。2人ともが悔しさと罪悪感とで胸を絞めつけられ、息が詰まり、そこに蹲って声を押し殺して泣き、涙を流した。

 セルツァは感慨深くこの2人の様を眺めた。ルークスの命懸けの想いは見ているし、この人間の男についても、彼女に片恋をしているらしいとは聞いていたが、こうして会ってみれば、強くて純粋な想いを持つなかなかの男である。

 姿こそ若いものの、大いに年長であるセルツァは、ふとこの2人に温かな気持ちを抱き、静かに歩み寄って膝を折り、両者の肩を抱いた。

「……そう自分を責めて思い詰めるな。お前達。彼女の母の御霊が彼女を救いに来たんだ。彼女の魂だけ放っておくはずはない。きっと彼女を探して、導いてくれるだろう。彼女はきっと帰ってくる。そう信じろ」

同じエルフであるからこそ、そして母であるエアを知っており、信じているからこそ、彼は早くからそう思っていた。このまま目覚めぬことなど有り得ない、と。

 そんな齢300を越えるこのエルフにとって、彼等の激しくも瑞々しい若さは、煌く星のように美しく輝いて見えた。姿だけでなく、エルフの寿命から言えば彼も決して若くない訳ではないのだが、しかし肉体はいくら若くても、心だけは時の中で若さを失っていくことがある。拙さ愚かさとは別の、炎のような情熱が。

 いや、本当は失うわけではなく、単に忘れてしまうだけなのかもしれない。錆び付いて放っておくうちに元の動きができなくなるのだ。

 この2人を見ていると、ふとそんな昔の自分が甦るような気がして、セルツァは錆が洗い流され若返っていくような震動を覚えた。

 彼等はまだ若い。そして特に人間の方は、自分達一族よりもずっと短い時間の中を走り抜けるようにして生きていくのだ。だからこそ、こんなにも美しいのだろうか。

 セルツァは夜空を見上げ、そこに浮かぶ半月の白さに昼間見た神秘を思った。

 ……エア、お前は幸せだったのかもしれない。

 神秘の世界を思わせるその月の光が、テラスで嘆く彼等の姿を仄白く照らした。その光を見ていると、再びあの世界に誘われるような気がしてくる。

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