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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第25章
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第4部25章『奇跡の護り』8

 吹き抜けになっている中庭の中央に噴水があり、そのすぐ脇のベンチに男が腰掛けていた。ベンチの周辺には小振りの花を咲かせる植物が色々植わっており、そうしていると優雅に一休みしているようでもあるのだが、男はとても青い顔をしていた。

 そこにようやく、水を持った女官が馳せ参じてきた。

「大丈夫でございますか?」

この男が苦悶の表情でこの回廊の柱に寄りかかっていたところを、偶然通りかかったこの女官が驚いて介助し、傍らのベンチまで強引に連れていって座らせ、その後は水を取りに走り去っていたのである。強引にというのは、この男がどう見ても重症そうであるのに、始めは女官の介添えを断り、そこで唸り続けていたからで、それを見兼ねたこの女官が実力行使に移ったからであった。

 発症した当初は汗びっしょりだった男だが、今はもう痛みが引いたようで、疲労した後の涼しい顔で風を浴びていた。

 この中庭は、このバワーム城内に5つあるうちの、最も小さくて閑散とした所でもあったので、幸い人影はまばらであったから、彼は人目を気にすることなくこうして休んでいられた。もう少し目立つようだったら、無理をしてでも立ち去っていただろう。

 彼は女官の差し出したコップを受け取ると、二口、三口と軽く水を喉に流し込み、すぐにそれを返した。

「……もう平気だ。下がれ」

礼の一つも言わない男に一々腹を立てるほど若くはない女官は良心的に考え、彼の顔色が良くなったことを見届けると、それだけで善しとし、言われた通りに去って行った。

 その後も暫くはそのままベンチに腰掛け、背凭れに寄りかかりながら、彼は先程襲った痛みの原因について考えた。

 彼の体には、確かに様々な処置が施されている。何があってもおかしくないとは彼自身が思っていた。だが、これまでは慎重に慎重を期して適合性のテストなどを繰り返した上で施術を行ってきたし、何よりこんなに激しい痛みを引き起こすような拒絶反応は起こった例がなかった。

 まさか、今更になって後遺症が出てきたとでもいうのだろうか?

 それにしてはあまりに治まりが早い。突発的で短時間過ぎる。そして心臓など、一部の臓器にだけ起きる発作とも違っていた。左肩から斜めに、腹部にまで達する広範な部位が激痛に見舞われ、肌が引き攣った。

 その辺りに部分移植をしているとか、過去に傷を負ったとかならまだ解る。だが、そうではない。拒絶反応でないとしたら……これは一体何なのだ?

 彼が己の体にしたことは、元はと言えば愛する双子を救いたいが為だった。双子の成長速度は人間並みであり、そのせいで老化も早いであろうから、その老化を抑えるべく、細胞の性質を変化させようとしたのだ。老化の原因となる物質の代謝が早まれば、普通のエルフやヌスフェラートのように、長い人生を若い肉体のままに送ることができる。それを願ったのだ。

 そのような性質を彼女の体に取り込ませる手段として、食した生物の性質をそのまま己の体に取り込み、体現できる特質を持った植物に着目したのである。彼が長年の旅と研究の中で見つけた不思議な蔓植物だ。地下世界の森の奥地にしか自生しない稀少種である。

 この植物の細胞と己の細胞とをまずは融合させた。とてもとても小さな単位で。そしてそれを己の体に注入する。それを、ゆっくりと繰り返していった。するといつしか己の体にもその植物の特質が宿るようになっていったのである。

 彼女の為に、彼はこうしてまずは自分が実験台になったのだ。

 その後は、何かの血肉に触れれば、その性質を己の中に取り込むことができるようになった。しかも、現時点での自分より劣等な性質というものは体現されずに消滅し、優れたものだけが受け入れられた。これもまた、その植物の素晴らしい特質だったのだ。

 扱いの加減は非常に難しく、素人が試せば死んでいただろうと思われる。己の体内に殺人鬼を注入するようなものだからだ。だが、研究者として優れた彼だからこそ、見事にそれを使いこなすことに成功したのである。

 これで、使いようによっては巧くいくことが判り、彼は双子にそれを試せるように試行錯誤を始めた。彼女にはここまでしなくていいから、まずはエルフの性質をこの植物細胞に取り込ませ、融合させた後、ゆっくりと彼女の血中に注入していこうと考えた。

 だが、運良くエルフの娘を捕らえることに成功し、忌まわしい事故の結果とは言え、その体で実験をすることができるようになってから融合を試してみたものの、何故か巧くいかなかった。エルフの性質に関しては取り込みを拒否しているような結果が出たのだ。体の部位によって反応が異なるかもしれないので、使用する箇所をいろいろと変えてみたのだが、これもダメだった。彼の場合に成功していたのは、ヌスフェラートの性質においてだけだったようなのだ。

 これで彼は困り果て、どうすれば純粋なエルフの性質を彼女に導入できるのか改めて悩んだ。それで、今日にまで至っている。

 もし、自分と同じような体にさせることしか方法がないのだとしたら、幾ら何でもそれには彼女自身の了解が要る。巧く扱わないと少々戸惑う肉体であるから、何も知らせずに勝手に行ってしまったら、彼女に酷く恨まれるかもしれない。だから、それは最終手段にするつもりでいた。

 だが……そうなる以前に、今のような断絶の状態になってしまったのだ。

 もし、この体になったことが先程の痛みの原因なのだとしたら……どちらにしても、確証が得られるまでは、決して彼女に使うことはできないだろう。その機会もないと思うが。

 彼がそうしてベンチに座り考え込んでいる間は一羽の鳥も噴水の縁に舞い降りて来ることはなく、やって来るのは、そよと吹く風ばかりであった。

 これ以上考えても答えは出ないだろうと見切りをつけ、彼は立ち上がり、そこを去ろうとした。3階建ての国務棟、そして2階建ての文化棟と2つの渡り廊下に囲まれたその中庭で、国務棟の方に顔を向けると、彼はちょうど正面に当たる噴水の向こうに人影があるのに気づいた。放射状に舞い上がり、日光を受けて煌きながら水飛沫が落ちていく。

 その向こうにある回廊の柱の陰からこちらを見ているその人と視線が合うと、彼は我が目を疑った。呆然と、ただ立ち尽くす。

 するとその人はさっと身を翻して国務棟の入口の方へと歩いていった。そして角を曲がり消えてしまう。

 我に返り、彼は走った。先程まで苦しんで休んでいたとは思えぬ素早さで噴水を回り、回廊を走り、角を曲がった。

 誰もいなかった。遠くの庭園にある木陰で3人の文官が語らっているだけである。

 気のせいだろうか? 先程の激痛に続き、幻覚を見るなんて……心弱っているのだろうか。

 彼はまだ息を弾ませながら、胸の鼓動を聞いていた。なんだか、無性に切なくなる。水が見せる蜃気楼という幻を見たのかもしれない。その中に、自分の深層意識の中にある願望を投影してしまったのではないだろうか。彼はそう考えた。そして、そういうことにした。

「あの……」

すると突然背後から声がしたものだから、彼は大いに驚いて振り返った。幻のことに夢中だったので、すぐ側に人がいることも解らなかったのだ。

 そこにいたのは若い娘だった。女官ではないらしく、普通の庶民のようなワンピースを着ている。それが、人の心を見透かすような大きな目でジッと彼のことを見上げてくるものだから、彼は少し引いた。

「アラーキ大臣様は何処にいらっしゃいます? お城の中が広くて迷ってしまったの」

それは、国王に仕える3大臣の中の1人の名だった。

「……総務棟の大臣室にいるだろう」

「それは何処?」

彼は周囲を見回し、適当な者がいないか探した。運の悪いことに、誰も通らない。頭を使うのに忙しいから、こんな娘の案内などしたくなかった。

「その辺の奴に適当に訊くといい」

「あら、冷たいのね。案内してくれたっていいじゃない」

城の中でこんな言葉使いをする図々しい者は見たことがないから、彼はつい露骨に嫌な顔をしてしまった。

「そんなに嫌なの? 知らないわよ。私は大臣にお呼ばれされてるんだから。すっごく嫌な感じの人に会ったって言っちゃうからね」

彼にこんな口を利く者もいないから、彼の眉間にはますます皺が寄った。

 まったく……人間の娘というものは……。

「ねぇ、案内してくれるの? くれないの?」

まるで狙い澄まして彼の機嫌を損ねに来たかのようなこの娘に、もはや彼は開いた口が塞がらなかった。何か悪いトラップにでも嵌ってしまったような感覚だ。

 こういう者は、さっさと誰かに押し付けるに限る。

 彼はついて来いとも言わずに歩き出した。娘はその後ろから澄ました顔でついて来る。

 やれやれ、その辺で兵士でも捕まえて、この娘を案内させるとしよう。

 彼は大声を出すのが好きではないので、ずっと向こうの木陰にいる文官を呼ぶことはせずに、国務棟沿いの回廊を通り抜けて行った。この辺を通っていれば、そのうち誰かに出会う。

「あなた、人間嫌いでしょ」

「…………」

「そーいう人が、何でこんなに人の大勢いる所にいるのかなぁ」

まったく、何なんだ? この娘は。次から次へと小うるさい鳥のようによく喋ってくれる。

 彼女の甲高い声にイライラとしながら、彼は歩調を速めた。

「あ、怒った? もしかして当たり? やっぱりね」

娘の方も彼に遅れまいと、小さな歩幅で猫のようについて来る。

「そーいう人に限って、妹とかは結構ベタベタに可愛がったりするのよね」

彼は立ち止まり、キッと彼女の方を振り返った。娘もそこで立ち止まった。

「大臣に何とでも言うがいい。お前のような失礼な女は、この城には不似合いだ。帰れ」

少しは反省しているのか、娘は腕を後ろに組んで、上目遣いで彼を見上げた。そうすると、彼女の長い睫がとても強調される。娘は何度かパチパチと瞬きをした。

「アハ、また当たっちゃったのね。ごめんなさい。そんなに怒んないで」

彼は消えろとばかりに右手の庭を指差した。そしてクルリと踵を返してまた歩き始める。

「怒らないでよ」

娘はまだしつこく彼の後をつけて来た。

「ついて来るな」

「謝ってるでしょう? そんなに怒らないでよ」

どれほど甘やかされて育ったのか知らないが、何故こうも図々しくて礼儀がなっていないのだろうと彼はウンザリした。彼の美の範疇を著しく外れたものを目にすると、彼は気分が悪くなるのだ。

 そもそも、彼にとっては双子だけがこの世で唯一の女性で、その他全ては雑多な生物でしかなかった。その双子が理想的過ぎるから、他のあらゆる種族の女性はことごとく視界の圏外となってしまう。この娘などはその典型だった。

 早く誰かを見つけようと歩み続け、長い渡り廊下から中央舎内に入っても人は疎らだった。しかも重い書類を抱えている者や、持ち場を離れられない番兵のような者にしか行き合わないので、誰にもこの娘を押し付けることができない。彼の苛立ちは一足毎に増していった。

 すると、娘はこんなことを言った。

「あなたとお話がしたかったの」

彼は再び足を止め、《何?》といった怪訝そうな顔で娘を振り返った。すぐ側にいた番兵もハッタとそれを見ている。とっくに通り過ぎていた書類持ちの文官でさえ、こちらを振り返り見ていた。

 自分の視界の圏外だからといって、彼の感覚がそれほどおかしいわけではないので、彼には解った。彼等は皆、この娘を見ている。美人なのだ。

 しかし、そんなことはどうでもいい。だから何だと言うのだ。

 話がしたかった? 自分と? 何の面識もないこの娘が、何故?

 そうして、2人がまるで言い合いの真っ最中の知人よろしく向かい合っていると、大きな声が通った。

「――――おお! よく来たな! マリーツァ」

すぐそこに螺旋階段があり、お付きの秘書官を従えた小太りで禿げ頭の中年男がそこを降りて来た。アラーキ大臣である。

 耳の後ろから後頭部にかけて辛うじて髪を残すものの、禿げた頭頂部はテカテカと光っている、脂ぎった壮年期の寡男だ。高い地位になければ明らかに女性に敬遠されそうな、視覚的に決して美しいとは言えない上に、強引な性格で声も大きい男である。

 しかし、それとは裏腹に白い大臣服は少しの汚れも乱れもなく整っており、頭髪にも始終気を遣って秘書官に鏡を持たせているほどである。

 彼女を見る大臣の顔は、実にトロけそうであった。

「ああ、良かった! やっとお会いできましたわ! アラーキ様」

娘は急に態度を変え、大人びた艶のある顔つきと仕草で品を作り、ニッコリと笑った。

「迷っていたところを、このゲオルグ様が親切にご案内してくださいましたの」

彼は呆気に取られた。この娘の豹変ぶりはさることながら、その上自分に対して偽りの謝辞まで述べるものだから、今までの苛立ちも何処へやら、ひたすら呆れるばかりであった。

 そんな彼女の手を取り、アラーキ大臣は歓迎の挨拶をする。通り過ぎる者が皆、この2人のやり取りを振り返り見ていった。完全に、美女と野獣の組み合せだ。

 ひとしきり言葉を交わした後、大臣は彼にも笑顔で礼を言った。

「やぁ、どうもかたじけない。マリーツァを案内してくれてありがとう。ゲオルグ殿」

上機嫌の大臣に、彼はやや詰まった答えをした。

 そして大臣は彼女をすぐ隣に並べて、自らの部署へ向かおうと歩き始めた。

 去り際、まだ呆気に取られている彼のことを振り返り、娘は言った。

「またお会いしましょう、ゲオルグ様」

そのまま大臣と秘書官と娘の3人は総務棟へと続く通路を楽しそうに遠ざかっていった。彼等とすれ違った者は通路途中で止まり、彼等のことを振り返り見ている。

 彼は未だに呆然としていた。小型の嵐でもやって来て散々めちゃめちゃにしてから通り過ぎて行ったかのようである。

 ……何だったんだ、今のは、一体。

 溜め息をつけばいいのか、笑うべきか、舌打ちでもすべきなのか、それも解らずただ立ち尽くす。

 そしてふと気づいた。

 何故、彼女は自分の名前を知っていたのだろう?

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