第4部25章『奇跡の護り』3
すると突然、ルークスの背後から光る緑色の輪が飛んできて彼を腕ごと緊縛した。驚いたルークスは、それがソニアの技ではないと解った上で周囲に視線を走らせた。すぐそこに、魔法の杖を手にしたセルツァが宙に浮かんでいる。
明らかに異種族の姿をした彼に、ルークスは剥き出しの敵意をぶつけた。
「――――――誰だ?! お前は!!」
セルツァはこれほどの戦士相手でも落ち着いており、必要以上に声は荒げなかった。涼やかな目でルークスを睨み付ける。
「若僧! この方に害成すことは罷りならん!」
「邪魔を……するなっ……!」
ルークスは気迫と闘気だけで光輪を内側から圧し、少し自由になった腕で槍の柄を引き寄せると、刃の付根にある宝玉と胸パーツの宝玉を重ね合わせた。すると彼を拘束しようとしていた光輪が弾け飛び、破片が宙を舞って消えていった。
「――――――人間でないのなら邪魔をするな!! 殺すぞ!!」
セルツァに向かってルークスは鎌を振り下ろし、その衝撃刃でセルツァを圧し後退させた。そしてその隙にまた姿を消してしまった。
杖から発生させていた魔法の盾で衝撃を防いでいたセルツァは、その盾を取り払うと、ふう、と息をついてソニアに駆け寄った。
「驚いたな。やはり大した戦士だ。大丈夫かい? ソニア」
ソニアはセルツァを一瞥もせずに、町に向かって崖から飛び降りようとした。今度は町中にルークスの気配が移ったからだ。
「――――――お願い! 街の人を避難させて!」
「――――――ダメだ! 行くなソニア!」
セルツァも飛び、彼は空中で彼女を捕まえると、そのまま滞空した。
ルークスの攻撃を見ている限り、彼がソニアを殺すことはまずないだろうと思ってはいても、セルツァは彼女を行かせたくなかった。リスクは冒したくない。
「奴はオレが抑える! 君が町の人を避難させるんだ!」
そしてセルツァは彼女と共に下降し、町に降り立つと、そのまま舞い上がった。
「――――――セルツァ!」
「大丈夫! オレに任せて!」
気が気ではないし、セルツァ相手では殺す気の攻撃を繰り出してくるおそれがあったが、こうなったらそれも策かと考えて、ソニアは僅かな時間を彼に託すことにした。
ソニアは走りながら町中に呼びかけて回り、避難勧告をした。逃げ惑う町の人々は、彼女の指示で少しずつ森の方へと移動して行く。少々余裕のある者は、誘導者が軍隊長であると気づいた。
「皇帝軍の攻撃ですか?!」
「敵は1人だ! 私が防ぐから、皆は落ち着いて避難を!」
皇帝軍と名がつけば、人々の逃げ足は更に速くなった。
町の中心部に近い家屋の屋根の上で、ルークスとセルツァは対峙していた。
ソニアに向けるのと違い、セルツァに対するルークスの視線は殺気に満ちていて容赦がない。苛立ちと怒りで、ルークスの金髪が闘気に靡いている。
「お前は何者だ?! エルフか?!」
セルツァの方からも、優れた魔法力が発する波動が放たれているので、互いのエネルギーがぶつかり合うところは特に気流が乱れた。
セルツァは膝丈の杖を横向きに突き出すと、呪文を唱えながら杖先端の宝玉に手を翳し、やがてそっと包むと、そのまま引き伸ばすようにして手を滑らせた。すると宝玉は手の動きに合わせてその姿を変え、金色に輝きながら伸びていき、長方八面体だった姿から細長い刃へと変化した。
呪文詠唱を終えたセルツァは、刀身の光る剣を手にして自然な立ち姿で構えた。
「私はソニアの守護者。その通り、エルフだ! 彼女と、彼女の国に害成す者は、この私が許さん!」
「ほう……いいだろう! 邪魔する者は誰であろうと殺す! 来い! 魔法使い!」
セルツァは、彼女との約束を守って毎晩湖に行く彼女のことは見ないようにしていたので、どうしてこの男が再び現れ、しかも彼女と知り合った様子であるのかが暫く理解出来なかった。だが、2人のやり取りを見て大方の流れの察しがつき、彼女が不安定だったここ最近のことに納得がいくようになり、随分と複雑なことに巻き込まれてしまったものだと思っていた。
そして先日初めてルークスを見た時には判らなかったが、後日思い出したりなどした情報もあり、それと照らし合わせて、彼は目の前の戦士が何者であるかを今は粗方解っていた。先程ルークスの武器と鎧が見せた現象は、それを裏付けているようだった。
見立てに間違いがなければ、この鎧と武器は時の天才サルヴァン=ドロホフが作成した名器だ。武器と鎧が揃っていて、それが重なれば、どんな魔法も打ち消してしまう力を秘めている。先程はその作用で拘束輪が弾け飛んだのだ。そうでなければ、普通はあの輪から脱せない。
とても厄介な相手だから不用意に技を仕掛けてはならないと考え、セルツァは動きを読むことに集中した。
目につく限りの町民を避難誘導したソニアは、すぐに2人の所へ駆けつけた。ルークスとセルツァは家屋の上ばかりを戦いの場に選んで、激しくぶつかり合っている。両者とも卓越した戦士と魔術師であるから、立ち回りの衝撃は強い光と突風を生じていた。
殺す気で立ち回るルークスの姿は、黒いマントを翻らせ鎌を振り翳す死神そのもので、それを見たソニアは胸を掴まれるような痛みを感じた。
ああ……! どうすれば彼を止めることができるの?! 彼を倒すしかないの?!
戦士である自分には……彼を殺して止めることしかできないの?!
ソニアは必要に迫られ、無理矢理にでも闘気を振り絞り、ありったけの風を起こした。
その時、彼女の闘気に応じて一筋の光の矢が天から舞い降りて来た。先程叩き落とされ放り投げられた精霊の剣だ。さすがエルフの魔力がこもった品で、持ち主の必要に応じて再び馳せ参じたのである。
精霊の剣はソニアの目の前で止まると、そのまま宙に漂った。仄かに光を放ち、不思議な和音を響かせている。
武器は欲しかったが、これではまるで《お前は戦うしかないのだ》と改めて宣告されているようで、ソニアは苦々しい顔でそれを手に取った。
殺すしか……それしかないのですか? 神様……
そんな……
辛さに顔を歪め、ソニアは柄を持つ手の力を強め、握り締めた。
確かに、このままではセルツァを傷つけるおそれがあるし、この町の破壊を止められなければ、その次には城下街が狙われるだろう。その被害はどこまで及ぶか判らない。この破壊力だ。彼1人で半日も暴れたら、それだけで城下街は壊滅的なダメージを被るだろう。
今、ここで止めておかなければ……
だが……
家屋の屋根に飛び乗り、飛び越えながらソニアは彼等を追い、最終決断を迫られた。躊躇している余裕はないと、よく解っている。もう、道の分かれ目はそこまで来ているのだ。
彼等皇帝軍にアイアスは殺された、それは悔しくてしょうがない。本当はその喪失感と痛みがまだ彼女の奥深くで心を穿ち、穴を開けて広げている。それは努めて無視しているが、後で再び大きな苦痛をもたらすだろう。
だが、それはいい。殺したのは彼ではない。皇帝軍ではあっても、彼はアイアスを殺していない。
自分は、彼を殺したくない。
ああ、神様……! 私は彼を殺したくありません!
彼女が走り抜けた後に、涙の粒が煌きながら落ちていく。光と混じり合い、金色に輝きを放っていた。
『お前の信ずる道を自由に突き進め』
ふいに過ったアーサーの言葉が、彼女を後押しした。
相手に呪文をかけても殆ど一時的にしか効果をなさないので、セルツァは苦戦していた。竜時間の使い手と噂に聞いていたから、加速呪文を己にかけているのだが、それでどうにか凌げているといったところだった。確かに、ルークスは瞬間移動としか思えない動きを何度も見せる。しかも、それ抜きで十分に手強かった。こちらが加速呪文を使ったから、向こうも竜時間で応じているのだ。
呪文には時間的限界があるから、繰り返しかけ続けねば効果が切れてしまう。ルークスもそれが解っているから、セルツァに魔法をかける隙を与えまいと、細かな連続攻撃を休みなく仕掛けてきた。明らかに、魔術師のスタミナが切れるのを待って止めを刺す気なのだ。
ルークスは息を切らせているセルツァに槍の切っ先を突きつけて、余裕の笑みを見せた。
「――――――どうした! もう限界か?!」
「――――――なんの! お生憎様だな!」
2人はまたぶつかり合い、激しく火花を散らせた。
すると、2人を強烈な風が圧した。さすがに2人ともがよろけ、身を立てようと体を低くする。
「――――――もう止めて!」
風の主がソニアだと知ると、セルツァは彼女にフッと笑んだ。エルフ由来の技がエルフの情を呼び起こす。
「来るんじゃない! これはオレの仕事だ!」
「殺し合いは嫌よ! それ以上はもう止めて!」
「――――――君は黙って見ていろ! ソニア! オレはこのエルフを倒し、オレの手で国も滅ぼして君の未練を断ち切ってやる!」
彼女が来てしまったので、邪魔をされたくないルークスは様子見を止めてセルツァの息の根を止める体勢に入った。神速で彼の背後に回り込み、槍の柄で一気に払い落とす。
「――――――セルツァ!!」
屋根から落ちて地面に叩き付けられたセルツァはすかさず防御壁を築き、真上から流星雨のように降り注いでくる真空刃から身を守った。
彼女の風で地に落ちる時の衝撃が和らいでいたし、真空刃も微妙にズレて多くが地面を削った。そして最も大きな技でセルツァを斬り裂こうと、ルークスが舞い降りてくる。回転する鎌からは青い炎が生じていた。
ソニアが間に飛び込み、渾身の真空刃で迎撃する。これまでで一番の爆音が炸裂し、両者ともが威力に圧されて後方に飛んだ。
ソニアは身を立て直すとセルツァの下に駆け寄った。彼は防御壁を解いて上半身を上げた。
「セルツァ! もういい! あなたも逃げて! これは彼と私との戦いなんだから!」
体を起こすのを手伝うソニアの手を取り、セルツァは焦りのない冷静な面持ちで言った。
「大丈夫だ。オレはまだ戦えるよ。君が彼を殺すのを躊躇っていたから、奥の手を使っていないだけだ。だが、これ以上はもう危険だ。オレは彼を倒す」
「だめ……! だめ……! 殺さないで!」
セルツァは目を見開いた。ソニアは首を盛んに振りながら、涙を湛えた瞳で彼に嘆願する。
「何故だ? 彼はこの町も国も滅ぼすぞ? 殺さなければ止まらない」
「だめ……! 私の大切な友人なの……! 殺したくない……!」
その姿はかつてのある人を思い出させ、セルツァの切ない過去が甦り、彼は走り出すソニアを追うことができなかった。