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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第24章
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第4部24章『出会い』19

「……どうしたんだ? お前」

アーサーの声がして、ソニアはハッと瞳に生気を取り戻した。ノックに対して返事をし、彼がそっと入って来た一連のことは日常茶飯事で、条件反射的に行えたのだが、普段あまり聞かない台詞を耳にすると、彼女も目が覚めたのである。

「おはよう。アーサー」

返事はしっかりとしている。だが、毎日顔を合わせている彼には、彼女の変わり様はあまりに明白だった。アーサーは近寄って、痛々しそうに彼女の頬に触れた。

「お前……顔色悪いぞ? また寝てないのか?」

ソニアは、今、目が覚めたばかりのような瞬きを何度もして、彼を見た。

「……あら、そんなにヒドいの? 確かに……昨晩もあまり眠れなかったから」

 アーサーは屈んで、彼女の顔を覗き込んだ。頭を優しく撫でる何気ない仕草で、彼女の左側頭部に傷がないか探してみる。特にそれらしきものはなかった。

 そしてふと、彼女の口元に薄っすらと残る傷跡に気づいた。こんなに近くで見てやっと判る程度なのだが、怪我をしているのは彼女の下唇だったのだ。しかも、ただ何処かにぶつかったというものではないのが、その形を見て判った。下唇の緩やかな曲線に沿うようについた傷。これは歯型だ。まさか彼女が転んでも、こんな風に自分の歯で傷を負ったりはしないだろう。彼女が、自分で噛んだのだ。そうとしか思えない。

 しかも、傷を負ってすぐに治療呪文をかけていれば普通なら傷は跡形もなく消える。このように少々残ってしまうのは、施術が遅れたからだ。

「……どうしたんだ? その口」

「えっ……?」

「傷があるぞ」

ソニアは下唇に手を当て、そして何か見られたくないものを見られたかのように瞳を震わせた。

「……何かあったのか?」

彼は、追い詰めないよう優しく訊いた。そして彼女が答えるのを待った。彼女は何処か別の世界を見るように視線を虚空に置き、なかなか言葉が出せずにいる。それでも彼は辛抱強く待った。彼女が何も言えぬ時間が長いほど、事の深刻さが大きいもののようだと彼にも伝わり、それに呼応して彼の不安も大きくなっていったのだが、それでも彼は待った。

 ようやく、ソニアはポツリと言葉を呟いた。

「これからのことを……考えていたの」

彼女の目は、滅びへのおそれと、血の色の罪悪感に染まる世界を見ていた。

「辛くて……悲しくて……」

彼女の哀れな姿を見て、アーサーは胸が絞め付けられる思いがした。闇の中で己の唇を噛み締めながら、この国に振りかかるあらゆる災難を憂い、1人重責に耐え、嘆き苦しむ彼女の姿が頭を過った。

 彼はただ、抱き締めて慰めてやることしかできなかった。

「ああ……! どうしてお前1人がそんなに苦しまなければならないんだ……! お前の弟も、皇帝軍も、全てお前を苦しめる……! オレに……そんなものを全て消し去る力があれば、お前の心を楽にしてやれるのに……!」

彼は口惜しく歯を食い縛った。

「この国を……守りたい……」

そういう彼女の頭を撫でて慰めながら、それでも、この傷であんな位置に血が垂れるほどの出血になるだろうかと、アーサーは不思議に思った。

 帰国したばかりの時はあんなに元気だったのに、何かが変だ。何かがおかしい。

「……とにかく、元気出せ! お前はどうあったって、このトライアの軍隊長さんなんだからよ! お前がそんなんじゃ、戦う前から負けちまうぞ! オレ達は強い! そう信じるんだ!」

 おお、フェデリ。

 ソニアは間近に見る彼の瞳の輝きに、アイアスの微笑と同じ救いを感じた。

 大切な家族。仲良く一緒に暮らす者。

 愛する仲間。

 ようやくソニアは、雲間から覗く月ほどの微弱な光を顔に取り戻し、笑顔を見せた。アーサーも、もっと大きな光を投げかけるようにして微笑み返す。

「お前……毎晩1人でいるのは良くないんじゃないのか? 1人でいると、そうやって辛いことばかり考えちまうんだろう。体に毒だぜ」

「…………」

「オレじゃ……助けにはならないのか?」

あなたの言葉は、いつも私に元気と勇気をくれる。そう思いながら、ソニアは湖の辺に立つルークスの姿を脳裏に過らせた。彼に会うのは……辛い。

「アーサー。……今夜はあなたといたいわ。私を励まして、元気付けて」

彼の喜び様は、言うまでもない。アーサーは、疲れている彼女が息詰まらせないよう精一杯気持ちを抑えつつ、もう一度彼女を抱き締めた。

「あそこに行くか?」

それはダメだ。絶対に。

「……街を見回りましょう。一緒に。それで何処か……静かな場所に行って……星を眺めたいわ」

「珍しいな。他の場所に行きたがるなんて」

「偶にはいいじゃない」

「……そうだな」

彼と一緒にいて語らっていれば、何か道が見えてくるかもしれない。そう思い、そうなるよう願って、ソニアも彼の背を抱いた。

「それじゃ、無理はするなよ」

アーサーはあまり長居はせず、逸早く仕事に向かっていった。少しでも彼女の負担を軽くしてやろうと、先に雑務を片付けてしまうつもりなのだ。

 彼に勧められるまま、ゆっくりと朝食を摂ったソニアは、昨日とは違う今日を迎える為に、鎧のパーツ1つ1つに手を触れ、願いを込めた。

 私は戦士。戦士たらねばならぬ者。

 どうか《奇跡の護り》よ、私を戦士に変えて。

 私がお前を身に着けている間だけでも、戦士でい続けられるよう、私に魔法をかけて。

 鏡面に映る武者姿に、ソニアは何とか自信を取り戻し、微笑んだ。王者の如く、テクト王の与えた《英雄》の名に相応しく、威風堂々と。

 扉を開けて王室に向かおうとすると、そこにはディスカスがいて、彼女を待っていた。普通なら愛想良く朝の挨拶でもするべきところを、彼はただ黙ってジッと立っている。何となく、雨に濡れた犬のようだった。

 そうして暫く2人は見つめ合い、ただならぬ雰囲気の中で沈黙していた。

 どんな手を使っているのかは判らないが、彼は自分の抱える問題を知っている。ソニアはそう思った。

 やがて、ディスカスは無言のまま頭を下げた。このままではおかしいと、さすがに気を遣ったのである。忙しなく行き交う者達の足音や声が響いてくる中、ここだけは空気が灰色にくすんでいた。彼女の目には、しかし、もう敵意の色はなかった。

「……ディスカス」

「……はい?」

「お前に、言っておかなければならないことがある」

心許ない様子で彼女の言葉を聞こうとしているディスカスの姿は、どこか哀れだった。

「……大事なことだからね。それに、一度しか言わないだろう」

ソニアは彼の肩を取った。そんな事をされると思っていない彼の驚きと震えが伝わってくる。その波動は、やはり怪しき気を帯びていた。

「お前がその名と姿を偽り、正体を隠そうとする限り、私は無理にそれを暴くつもりはない。だが……のんびりとお前に守られているわけにもいかなくなった」

彼はキョトンとしている。彼女の言葉の意味を完全に呑み込めていないのだ。まだ、自分の正体がバレているとは思っていないから。

「お前の仕える魔導大隊から襲撃がある前に……私は別の問題で、命に関わる戦いをすることになるかもしれない」

ディスカスは腰を抜かした。元々直立2足歩行の実体を持たぬ彼は、意識をしっかりと保たねば、人間として立ち続けることができない。

 彼の髪はざわざわと揺らめき、危うく蛇に戻りそうなところであった。自軍の名を聞いて、彼はようやく悟ったのである。

 何故解ったのだ? どうして? 私が魔導大隊の手の者だと。

 ソニアは目を細め、微笑した。

「……安心なさい。私を守るつもりなんだろう? 誰にも危害を加えなければ、私はお前の使命を遂行する邪魔をするつもりはないよ」

 おそろしい方だ。どうして見破れたのだ。……素晴らしい。

 彼はブルブルと不気味に全身を震わせた。髪の毛から足の先まで、全てが小刻みに震えている。

 彼が落ち着く様子はなかったが、時間があまりないのでソニアは続けた。

「近い未来、戦いが起きる可能性がある。それで、最悪の場合は命を落とすかもしれない。それはお前でも守り切れないだろう。だから……その前に私はどうしてもお前の主人に伝えなければならないことがある」

ディスカスは昨晩の情景を思い出し、冷や汗した。彼女は、あの男との対決を覚悟しているのだ。部下達の情報と合わせ、あの後、地下世界側の情報網とも連絡を取り、照らし合わせ、正体を突き止めている。

 当初は戦鬼大隊の差し金かと思っていたが、そうではなかった。あの男は、もっと特殊な存在だったのだ。皇帝軍で最もおそろしい存在と言っていい竜人ヴォルトの唯一絶対にして最強の手駒。竜王大隊がこのトライアに興味を示し、偵察を送り込んでいたのである。

 しかし会話から見たところでは、あの男は彼女の正体を全く知らずに言い寄っているようだった。彼女は告げたいようだったが、できずにいた。それがバレてしまった先、戦いに発展することを懸念しているのだろう。自分自身も今、それを大いに案じているところだ。

「私の口から伝えたかったが……私はここを動けない。それにお前のご主人も、お前をここに送り込んできたところを見ると、当分は私の前に現れる気がないんだろうと思う。だから、私が万一死んでしまうおそれの保険として、彼に伝えて欲しい言葉をお前に託しておくよ。……彼が死ぬのが先か……私が死ぬのが先か……それはわからない。だから、なるべく早く、彼が死ぬ前に……」

ソニアはあのヴィジョンを思い、悲しく目を伏せ、そこに黄昏色の世界を見た。

「そうなる前に……伝えておくれ。頼んだよ」

 我が主、ゲオルグ様が死ぬ? 何を言うのだ!

 ディスカスは、実の妹でありながらぬけぬけと兄の死を口にすることに憤りを感じた。だが、語る彼女の悲しげな瞳。自分の正体を見抜いた彼女のおそるべき力。

 もしやこの方は……真の未来を見ているのだろうか……?

「フフフ……。驚き過ぎたようだね。口も利けないでいるとは。まぁ……いいさ。大事なことだけ覚えていて欲しい。あの人に……こう伝えてくれ。《あなたの母親は、あなたを捨てはしなかった》と。いいね、頼んだよ」

そう言うと、彼女は慈愛に満ちた眼差しで、座り込んでいるディスカスに微笑んだ。そして1人先に通路を歩き始めた。

 《捨てはしなかった》……? 一体何のことなのですご主人様?!

 あぁ、解らない。この方を取り巻く物事の、何と計り知れないことか! 全くもって不思議なことばかり。

 だが……あぁ、ゲオルグ様! この方にお仕えすることの何と面白いことか! 何という喜びでしょう! さすがはあなた様の妹君でございます!

 置き去りにされたままゴミのように転がっている彼を振り返り見て、大声でソニアは言った。

「――――どうした? ついて来ないのか? ディスカス」

裂けんばかりの笑みを顔に浮かべて、彼は慌てて立ち上がり、彼女の後を追った。

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