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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第24章
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第4部24章『出会い』17

 彼の胸で、ソニアは悲痛に噎び泣いた。

「ああ……どうしたらいいの……! 私には……あなたと戦うことなんかできない……! できないわ……!」

ソニアは改めて、この人と刃向け合うような状況には決してなりたくないことを痛感した。

 ああ……! 彼が皇帝軍などでなかったら……! このままでは、いずれ正体が知れて敵味方に分かれてしまう!

 どうしたらいいのですか? 神様! お兄様! 私は……彼と戦いたくない……! でも、このトライアを守りたい……!

「口が切れている」

ふと、彼は覗き見た彼女の顔に唇から血が出ているのに気づいた。ずっと噛み締めていて、切れてしまったのである。

 指で拭おうとする彼の手よりも早く、ソニアは自分の手の甲でそれを拭った。

「どうしたら……この国を守ることができるのかしら。それが叶うなら……この身も命も惜しくはないのに……!」

彼女のいじらしさに心打たれているルークスは、それが叶わぬと解っているからこそ彼女を哀れみ、諭した。

「身を捧げても、守り切れないものはある」

それは真実だろうとソニアも思う。過去に痛感しているから。

「でも……私は諦めるわけにはいかない……。どうして……どうして皇帝軍の人と出会ったのかしら……!」

「ソニア……」

「私かあなたか……或いは2人とも死んでしまうわ!」

「何を言ってるんだ! オレが死ぬものか! 人間との戦なんかで死んだりはしない! それに君のことも死なせはしない! ソニア……頼むからこの国を出てくれ。オレと一緒に行こう! 生涯かけて君を守る!」

「……生涯……?」

そこまで言い切った時、彼はようやく自分の中にあるこの感情が、この世で何と呼ばれているのかに気がついた。

 何てことだろう! たった3度会っただけで……オレはこの娘に命を懸けられるようになってしまったのか! これまでは唯一、師匠だけが己の命の預け先だったのに。

 それを確認するように、ルークスはソニアを改めてまじまじと見た。

 すると、まだ止まっておらぬ血の紅が彼女の下唇に広がり、ドキリとするほどその様が妖艶に見え、彼の胸を一層高鳴らせた。

 彼女は魅惑的な美族、エルフの血を受け継いでいるのだからだと己の心に弁解することもなく、彼は素直に、この類稀な乙女の全てに打ちのめされてしまったのだと自覚し、降参した。神を持たぬ彼は、この出会いを何に感謝すればいいのいか解らなかった。

「我が主の命であろうとも、君だけは決して殺さない! 反逆者になろうとも、君だけは守り抜く! この誓いを……疑わないでくれ! 君の歌と美しさを守れるのなら、オレの命など安いものだ」

その瞬間、ソニアは恐怖した。

 私は、あなたを欺いている! 私は……私は……

 自分の為に命を懸けようとまで言わせてしまったことに、今こそ決断せねばならないと彼女の心は急き立てられた。彼がこのまま真実を知らずにいてはいけない。そんな酷いことはできない。

 言わねば! 今、言わねば!

「私は……」

「――――――言うな!」

 彼の目が万物を静まらせようとするかの如く威圧的に光り、ソニアを捕らえた。その勢いに彼女は呑まれてしまった。

「君が拒んでも、オレは君を守る! これがその誓いの証しだ!」

 血の味の接吻。

 彼から流れてくる激しい想い。この孤独な若者に深く同情し、癒したいと思うソニアの気持ちがそれと混ざり、口枷となって、彼女から一切の言葉を奪ってしまった。

 彼にとって、自分は唯一の、初めての同族なのだ。それ以外には、おそらく本当の友人も恋人もいない。その孤独が、自分にはよく解る。

 この深い同情が、真実を告げる機会をソニアから奪ってしまった。言わぬことは彼を傷つけてしまうかもしれないのに、今ここで正体を明かしてこの情熱を遮ることもまた、彼の心を砕くようでできなかったのである。それほどに、彼の熱情と想いは強くて純粋だった。

 そして同情が、どこの世界でもそうであるように、《愛のうち》であることもソニアは知っていた。言葉通りであることを薄々実感しながら、ソニアは血の味の炎に思考力を奪われていき、一切の抵抗力が消え失せてしまったのだった。

 一頃して2人が離れた時、何故か彼女の方ではなく、彼の方が涙を流していた。ソニアの血で唇を紅に染めて、はらはらと、彼の頬を涙が伝っていく。今の状況がどんなものであれ、その姿を美しいとソニアは思った。

「ハハ……オレは……泣いているのか?」

彼はそう言いながら涙を拭う。

 彼の、その純な姿が、限界まで堪えていた彼女の涙をどっと溢れさせた。

 ソニアはガクリと膝を折って、地に伏せた。

「ああ……! ごめんなさい……! ごめんなさい……!」

彼はそんなソニアを抱き止めて、その様子に戸惑い、やはり力ずくで彼女を連れて行く以外に道はなく、彼女が自ら己の手を取って共に来てくれることはないのだろうかと胸を締め付けられた。

 ソニアは両手で深く顔を覆い、どうしようもなく哀れな様子で噎び泣いている。

 手で覆う闇の中で、彼女は必死にアイアスの姿を求めた。

 お兄様。お兄様。私はどうしたらいいのですか?

 アイアスはただ微笑むばかりで、とても遠く感じられる。そして答えは何も浮かばなかった。

 やがて、ソニアは闇に助けを求めるのを諦めて、顔を露にした。同じく膝を折って彼女の肩を抱き、アイアスと同じように目線を合わせたルークスの顔がそこにあり、彼女に微笑んだ。

「オレは……こんなふうに誰かのことを思ったことはなかった。……君に出会えて嬉しい。これからは……君に呼ばれずともここに来る。君が来るまで待っているよ。君よりも早くここに来てね。どうか……そんなに苦しまないで。その時までに、どうかオレと来る決心をしてくれ」

ソニアは眩暈を感じて視線を落とし、目を伏せた。

「この誓いは……血の誓いです」

倒れぬように頭を上げ、ソニアは地に塗れた彼の口元に手を伸ばした。宵色の瞳が涙に溺れ、揺らめく。

「私か……あなたが必ず傷を負い……死にまで至る誓いです。私はあなたにそれをさせてしまった……! これは私の罪……! どうか傷を負うのなら私を……!」

「何を言うんだ!」

血をなぞる彼女の手を取って、彼は眉を顰めた。

「でも……私はこの国を救いたい……!」

彼女は、彼でないものを見ていた。彼にもそれが解った。

「私の命と引き換えでもいい。どうかこの国をお救い下さい……! 神様……!」

その姿の痛々しさに、彼は再び彼女を抱き締めた。そうしていないと、彼女がどんどん別の世界に囚われていきそうに思われた。

「神など要らない……! 君を守るのはオレだ! トライアは諦めろ、ソニア!」

「トライアを……お救い下さい……!」

ソニアは天に祈った。無数の星が瞬いている。あの光の全てが伝説の天使だったならば、世界を救うことも容易いだろうに。

 その星空を遮ってルークスは立ち上がり、彼女を抱き上げた。彼女の瞳にようやく彼が映る。

 複雑そうな彼の顔。

 ああ、孤独なこの人を、どうぞお救い下さい。神様。

 もし対決が避けられないのなら、そして、どちらか、或いは双方が死に至る傷を負うのなら、何としてもトライアをお守り下さい。お救い下さい。

 トライアの救いの為に彼を守ることが無理ならば……トライアの為に、彼の為に、私は彼と共に逝く覚悟はあります。

 でも、私の命一つで全て足りるのであれば……どうぞ、彼をお救い下さい。神様。

「……立てるか?」

ソニアは彼の腕から降り立った。よろめき、彼の胸に倒れ込んでしまう。ソニアはそのまま目を閉じ、彼を抱き締めた。彼の救いを願う想いを込めて。

「ソニア……」

愛しい人に抱かれる喜びに彼は恍惚と目を細め、彼女の背を大きく包んだ。

 そして彼は思い立って己の唇を噛んだ。

 彼が何かしたのを察し、ソニアが見上げると、彼の口から一筋血が垂れていた。

「ルークス? 何を……」

「もう1つの誓いだ」

彼はソニアの顔を抱き寄せ、先程よりも力強く、熱く、長い口付けを彼女に捧げた。彼の血の味が口の中に広がり、想いが流れてきて、彼女の気が遠のく。互いの胸はずっと激しい鼓動を打ち鳴らしていた。

 そして血の刻印は彼女の頬に移り、額に移り、そして首筋に移って彼女を呪縛した。

「……死のうなんて考えないでくれ……! 君の命と引き換えに何かを祈ったりしないでくれ……! 君が死んだら……オレも死ぬ。ここにそれを誓う」

 ソニアは目の前が真っ暗になった。

 誓いの花に塗れて気を失いそうな彼女を、彼が抱き止めた。

「ああ……神様……!」



 あまりの驚きに青ざめて立ち上がった勢いで、傍らの小テーブルが倒れた。ランプも全く点いていない部屋は真っ暗で、彼の目ばかりがギラギラと光っている。

 自室で部下の送る映像を見守っていたディスパイクは、己の髪が数多の蛇に戻っていることも忘れて驚愕の叫びを上げた。

「……なんということだ……!」

 闇の森を、梟の声が低く響いていった。

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