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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第24章
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第4部24章『出会い』13

 夜を迎えて華やかさを増したバワームの酒場街。

 コマドリの看板に開店を示す赤い文字の札を下げて、ランプの明かりを路地に放ち、高級酒場《テレサの店》は客の入りも多く、今晩も繁盛していた。

 店内のステージでは楽隊が落ち着いた演奏を続けている。官僚御用達ということもあって、密談、商談の妨げとならぬよう、騒々しい音楽が奏でられていることはない。客同士隣のテーブルの話が聞こえないよう、十分間隔が開けられていのも、その為だ。

 官僚以外の顔ぶれとしては、金持ち、名士、有名人等々で、皆が誂えのいい服を着ており、節度を心得ているから、泥酔して大暴れということもまずない。

 あれから、この店で働くようになって3日目になるポピアンは、店内の様子に目を配りつつ、明日の計画を考えていた。

 結局、今日も彼を見つけることはできなかった。何度も街で確かめているので、この街にいるのは間違いないようなのだが、どうしても彼の気配に行き当たらない。

 街には全く出ずに、何処かに篭っているのだろうか? 彼が変化術を使えることは知っているので、隠れる必要があるとは思えないのだが、とにかく街には出ていないようである。

 城下町はこれでもう殆ど見て回ったつもりであるから、考えられるとすれば後は……

 ポピアンは店の窓から見える夜景に目を向けた。篝火に照らされ浮かび上がる大きな建造物が見える。バワーム城だ。ここにいるとしか思えない。

 だが、どうして城に? 人間世界の重要機関に潜入しているのだとしたら、やはり何か特別なことを企んでいるのではないだろうか? この戦時下だ。人間を攻め滅ぼすことに関係したおそろしいことに違いない。

 もし彼が本当に城にいるのだとしたら、人間の姿で易々と潜入して調べることはできないだろう。姿を消して潜り込んでみるか。よし、明日は城だ。

 口をキュッと結んでそう決意すると、角のテーブルにいる男が手を上げて彼女を呼んだ。ポピアンはすぐにそこへ向かった。

「君、もう一本同じものを」

客が示したボトルをチラリと見て、ポピアンは板についた営業スマイルで頷いた。

「かしこまりました」

裏に下がって伝票に注文内容を記入すると、ボトル保管庫で同じ銘柄のものを探し、程なくしてそれをテーブルに運んだ。そして優雅な所作でコルク栓を抜き、グラスに注いで差し出した。その一連の動作を、同じテーブルの客だけでなく、他のテーブルの者までがウットリと眺めている。

 ポピアンは最初の日に全ての銘柄と置き場所を覚えてしまい、こなすべき仕事はもう粗方身につけて、新入りとは思えない働きぶりを発揮していた。

「君は新しい子だね」

「はい」

「いやぁ、キレイだなぁ」

ほろ酔いの客達は彼女を褒めちぎった。ポピアンは恥らったりして見せないので、その堂々としたところが、よく訓練された王族付きの侍女のように彼女を有能に見せた。その彼女に給仕されると、まるで自分が王族にでもなったような贅沢感が味わえる。人の上に立つことに慣れていなければ逆に引いてしまうのかもしれないが、この店に来る者は皆それなりの地位にいるの者なので、その接待ぶりを非常に気に入った。

「名前は?」

「マリーツァです」

ポピアンはきちりと背を正して、首だけを少々傾いで微笑んだ。ウェーブした長い栗色の髪が軽く頬にかかり、白い肌を引き立てている。

 とろけるような顔をしていた商人の男が目を閉じ、芳しい花の香りでも嗅ぐように首を揺する。

「う~ん。いい名前だ。こんないい娘がいるんなら、これからはここに来るのが楽しみだなぁ」

 そこへ、テレサがやって来てポピアンの背を軽く叩き、テーブルの客達に挨拶した。

「おお、ママ、いい娘が入ったじゃないか」

「そうだろう」

一部始終を端で見ていたらしく、テレサはポピアンの耳元で「よくやるじゃないか」と労いの言葉を囁いた。テレサは、この3日間のポピアンの様子を具に観察しているのだが、仕事ぶりといい評判といい、文句のつけようがない程で、とても機嫌良くしていた。

「明日からも頼むよ。マリーツァ」

「じゃあ、いいのね!」

テレサは軽く頷くと、他のテーブルへ挨拶回りに行った。ポピアンはやっと聞けた正式雇用の言葉に喜んで頬を染めた。これで心置きなく昼は探索に専念できる。それに、この仕事は面白いとも思っていた。

「では、ごゆっくり」

テーブル客にお辞儀すると、次なる客の呼びかけに応じてポピアンは足を運んだ。

 彼女が人間に扮している間に使うことを選んだ名は、ある呪文の一語である。ポピアンは縁起を担いでそれを使用しているのだ。

《マリーツァ》――――――来れ、()()()()()よ。私の下に。



 朝、浅くて暗い眠りから覚めたソニアは、日の出前の薄闇であったが、そのまま起きてしまった。もう一度眠る気にはなれなかった。

 この時刻、仕事の為に起床し働いているのは食事の仕度をする厨房の人間か、じきに朝の交代時間が来る夜勤の兵士くらいである。

 夜明け前のひっそりと静かな靄の中、ソニアは軍服に着替え、剣を手にテラスから飛び下り、早朝練習の野原へと向かった。昨晩部屋へ戻った後もずっと泣いていたからか、それとも睡眠不足でか、目が赤い。

 いつもの野原へと辿り着いたソニアは、最初から剣を手に舞った。何かを考えるように低速で剣を滑らせるかと思えば、急に激しく攻撃的に振り回したりなどして、でもまた躊躇うように剣速を緩め、一旦止まってしまう。そのようなことを何度か繰り返していた。

 彼女は悩み、迷っていた。そして苦しんでいた。勿論ルークスのことを。

 彼はトライアの攻撃部隊ではない、ただの偵察だ。だが、今のままではいずれ正体が知れて彼と本格的に衝突することになる。その時、どうなるのか。

 人間世界で生き、兄を待つうちに軍のトップに上り詰めた者のことは呆れて放っておいてくれるのならいい。だが、彼の剣幕と過去からすれば、そうもいかないように思う。何としても自分を説得して、君の考えは誤っているのだと主張して、力ずくで人間世界と決別させようとするのではないだろうか。この国の軍隊長は混血だと広める手段に及ぶことすらするかもしれない。

 その状況は、まるでゲオルグとの諍いと同じである。何て苦しいことだろう。

 自分はこの国に留まり、人間を守る為に残りたい。だが、自分を連れ出そうとするならば、その結果戦いが起きるのは必定だ。本当の敵として刃を交えるのならばまだしも、自分のことを心から案じて強硬手段に及ぶ者との戦いは、考えたくもない苦しみだ。

 だが、もしそうなったら、剣を握る自分の手は強くあらねばならない。躊躇していては、自分の信条もこの国も守れないのだ。だから、ルークスと已む無く戦うことになった場合を想定して剣術の稽古をしていたのである。

 とても難しい。非常に困難だった。あんなに悲しい過去を持ち、自分と同じ種類の不幸と向き合い生きてきた人に刃向けるのは。

 殺す必要はない。ただ、どれだけ自分の決意が強くて、彼の説得に応じる可能性が全くないことを理解してくれさえすればいいのだ。

 でも、まだ見ぬ彼の戦士としての実力は計り知れない。万が一にも負けて、意識不明の状態で連れ去られてしまうような事態は避けたい。

 もし、自分が彼の想像しているような非力な娘だったとしたら、本当に彼は攫ってしまうのだろう。ゲオルグのように。絶対安全と思える場所に自分を匿い、大戦終結までそこから動くことを許さないのだろう。

 そうならないよう、自分に主張を守る力と術があることは有り難いものだが、戦いそのものが耐え難き苦痛となるのは目に見えている。避けられるものなら避けたいものだ。だが……彼に剣を向けられるようにしておかなければ。

 ソニアは無理矢理にでもイメージし、剣を振るい続けた。

 朝日が射し込んでくるまでそれを続けて、さすがに心身共に疲労したソニアは剣舞を止め、息を切らし、叢に倒れ込んだ。ただの肉体鍛錬よりもずっと苦しいから、もう一度立ち上がって始める気にはなかなかなれない。

 胸元に手を当て、首に下げている巾着袋の中にあるペンダントを感じ、ソニアはまたアイアスのことを思った。

 お兄様……あなたは、私がおそらく100%の人間ではないことを知っていた上で、人間世界に置いていかれたのですよね? そうですよね?

 あなたは、姿形に捕らわれずに心や想いの方を大切にするよう私に度々教えてくれました。それは……私が何かしら別の種族の血を引いていると察していたから、敢えて強調していたことなのですよね?

 お兄様と旅をし、このトライアで暮らすようになったお陰で、今の私があります。

 森の仲間を失った痛みは忘れられません。でも、人間側の事情もよく理解できたから、私は誰をも恨むことなしに生きてくることができました。それはとても幸せなことなのだと思います。

 でも、あの人はもっと辛い思いをしてきました。どうやって溶かし、解し、温めればいいのかもわからないくらいに、深くて冷たいものを抱えて生きることになってしまったんです。

 私は、どうすればいいのでしょう。全く解らない。私にも立場があります。そんな中で……どうやってあの人と向き合えばいいのでしょう。

 戦いたくない。彼にこれ以上の苦しみを刻み込みたくない。

 お兄様……。あなたに会って、相談することができたらどんなにいいか……。

 ソニアは朝焼けの空を見上げたまま、吐息した。

 すると、そこへ青い小鳥が舞い下りて来た。セルツァだ。

 昨日は寝坊し、今朝は早過ぎる起床の上、随分と荒れた稽古ぶりであるから、気になって姿を見せたのである。青い小鳥は暫くソニアの顔の上で羽ばたくと、彼女の脇に転がる剣の柄に降りた。

 人目につく可能性がある場所だから、彼は小鳥姿のままで言葉を話した。小さな体に合わせて声が高い。小鳥が人真似をしているような感じだ。

「オハヨウ、戦乙女殿。どうしたんだい? 調子が悪そうだね」

「……おはよう、セルツァ。あなたも朝早くから私の番で大変ねぇ……。自由が全くないじゃない」

「オレのことはいいよ。これでも凄く楽しんでるから」

冒険好きの好奇心旺盛で、しかも守護する相手が大好きな女性の娘とくれば、喜び一杯の疲れ知らずな状態なのかもしれない。それでも、ソニアは何となく済まなく思った。

「戦のことを思うと憂鬱になってしまうのよ。……皇帝軍がどれだけおそろしく強大か、この目で見てきてしまっているから」

全くの嘘ではない。

「そうか……。つい最近まで人事だったが、オレも君と関わって真剣に考え始めてるよ。今はオレ1人だから君にかかりきりだけど、そのうち応援が来てくれるだろうから、そうしたら皇帝軍の情報をもっと仕入れるようにするつもりだ。君が少しでも安心できるように尽力するよ」

「……ありがとう。本当に助かるわ。そうしてくれるなら。でも……あなたも、その応援の人も、あまり危険なことはしないでね。私を守りに来て誰か他の人が傷つくなんて嫌だから」

「心配しないで。オレ達はまず連中にやられるようなヘマはしないから」

見事な変身術の小鳥姿でそう言われると、そうなのかもしれないと思う。やっと、ソニアの顔にも微笑が灯った。

「思い詰めるなと言っても難しいかもしれないが……体調に響かないよう、程々にな」

「ええ、わかった。セルツァ」

 彼は「じゃ、また」と言って木立の中に飛び去っていった。

 自分の素性がバレてルークスと衝突するようになったら、セルツァが間に立ちはだかるのだろう。これは自分とルークスとの個人的な問題だから、できれば知られたくないのだが……そうもいくまい。どちらが、どちらをも傷つけることなしに治まるようにしなければ。

 セルツァという母の知り合いが守りに来ているから安全だと説明しても、エルフの村にでも自分が避難しない限り、ルークスは認めないだろうか。言ってみる価値はあるのかもしれないが……。

 いずれにしても、セルツァがいればルークスに強引に連れ去られることだけは避けられるだろうと考え、ソニアは有り難く思った。後は、できるだけ誰も傷つかないように気を払うのみだ。

 ソニアはトライアスに、これ以上誰の傷も増やさず癒しを持って事が進むよう祈り、それから身を起こした。

 どんなに不安が多くても、一日は始まり、流れていく。


「おはようございます、ソニア様。泳がれたのですか?」

女官がソニアの部屋に朝食を運んできた時、彼女は髪を湿らせていた。タオルを首にかけて乾かしている最中である。

「ああ、ちょっと汗をかいたんでね。朝のミラル湖も気持ちがいいもんだ」

「ご鍛錬に精が出ましたのね。お食事をしながらでよろしければ、髪をお拭き致しますが」

最初は遠慮して断ったのだが、女官が熱心だったので頼むことにし、ソニアは食卓に着いた。女官はタオルを手に取り、丁寧に髪を挟んで軽く叩いていく。

 そうしていると、扉をノックする音とアーサーの声がした。「どうぞ」と中に入れると、彼は既に鎧甲冑姿で仕事の格好になっていた。そして珍しく女官に髪を手入れさせているソニアの姿を見て、感心の声を上げる。

 女官が気遣って退室した方がいいか訊くので、アーサーはいいから続けるように言った。今この場では邪魔者でないらしいことが判ると、女官はホッとし、ますます手入れに熱を入れる。

「食事が済んだら、後で会って欲しい奴がいるんだ。いいかな?」

「あら? 懐かしい友人でも来たの?」

「そう言う訳じゃないんだが、まぁ、詳しくはその時に」

「ええ、わかった」

 彼はそれで部屋を出て行こうとし、ソニアは食事を続けたのだが、暫くしても扉を開閉する音がしないのでふと見てみると、そこには中途なポーズのままストップモーションをかけて固まったようなアーサーが未練がましく彼女を見ていた。

「どうしたの?」

一緒にいた女官は笑いを堪えるのに必死だった。仕事を離れたプライベートな場に2人がいる時にしか、彼のこんな姿はお目にかかることができない。アーサーはポーッと幸せそうに眺めていた。

「いいなぁ……。そうしてると、このトライアの王女様みたいだ」

女官も心から同意して頷いた。

「ええ、本当に。王女様にはお御髪の手入れが必要ですわ。ご苦労なさって、すっかり痛んでしまっておりますもの。カフラ油をお差ししましょうね」

女官が手を止めて整髪用の油を取りに行こうとすると、アーサーが自分で行くと言って女官には手入れを続けさせた。別室の鏡台にあったのは、残り少ない少量のカフラ油が入った瓶が1つ見つかっただけだった。

「なんだ。もうないじゃないか」

「あら、適当に使っていたから、補充を頼むのすっかり忘れてたよ」

女官がすぐに用意しましょうと退出しかけたのだが、驚いたことには、アーサーが自ら請け負ってカフラ油を取りに部屋を出て行ったのだった。

「ああ……わざわざ行かなくても良かったのに。別に油なんか差さなくたって良かったから」

彼が消えた後で、半分呆れた様子で笑いながらソニアがそう言うと、女官はタオルドライを終えてブラッシングを始め、年齢に見合った母親のような柔らかい口調でこう言った。

「お幸せでございますね。王女様」

ソニアは食事の手をふと止めて、また胸元に手を当て、ペンダントを感じた。アイアスの微笑みと、ルークスの厳しい眼差しが交錯する。

「……そうね。私は……幸せだ」

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