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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第24章
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第4部24章『出会い』10

 夕餉から間もない晩方。ソニアは自室のテラスで久々にセルツァを呼んでみた。もう2日間会っていないので、そろそろ情報確認をしておいた方が良いと思ったのだ。自分の守護の為に遥々来てくれている人をずっと放っておくのも申し訳ないし。

 少し時間を開けると、今も本当にいるのか実感が薄れてくるのだが、呼びかけ後間もなく、また蛍火が漂って来てテラスにセルツァが現れた。

「やぁ、ご機嫌麗しゅう。戦乙女殿」

彼の様子に別段変わったところはなかった。呼ばれて近くに来られたことが嬉しいようでニッコリと笑う。

 ソニアはあれからゼフィーがビヨルクに行ったことなど、観察していれば彼も解ると思われるが、一応説明しておいた方がよさそうな事項の進展について彼に教えた。

「オレも昨日の朝は驚いたよ。あんな雄叫びで叩き起こされちゃたまらんからね。正直、ビヨルクに行ってくれて助かったと思ってる連中の方が多いんじゃないのか?」

「もう、そんなことゼフィーの前で言わないでよ。あの子傷ついちゃうから」

そう言われて、セルツァはケタケタとおかしそうに笑う。

「あんだけ暴れた後なのに、そこまで気を遣ってもらって、何たる幸運だろうな。あの暴れん坊は」

彼の喜び方は、どうやら母と同じ性質を娘に見出して二重に愉快、といった様子である。そういう時の彼は、目がとても優しくなるのだった。

「祭の準備も順調だし、今のところ何の問題もないよ」

「そうか。今朝は剣術の稽古をしなかったようだが……あれは特に何でもないの?」

「ああ、ちょっと寝坊しちゃったの。最近忙し過ぎて疲れてたから」

「まぁ、無理もないな。なら、今晩は早くお休みよ」

彼の反応を見る限りでは、水辺での休息時間を覗いているようには見受けられなかった。約束通り、信頼して距離を置いてくれているのだろう。もし覗いているのであれば、アーサーとの情事やルークスのことまで見ていて、こんなに落ち着いてはいられないだろう。

 それで安心したソニアは、お休みの挨拶を言ってセルツァと再び別れた。彼は優雅にお辞儀をしてそのまま蛍火となり、テラスを離れていった。

 これで、彼の目を気にせずにルークスを待つことができる。

 ソニアは竪琴を手にすると、いつものように城壁を飛び越えて森の中へ入って行った。


 昨夜とほぼ同じ時刻に、ミラル湖周辺には琴の音が流れ始めた。乾期の暖かで爽やかな風が弦の響きを乗せて水面や森を撫でるように優しく流れていき、夜の呼吸がもっと深く、ゆったりと穏やかになっていく。

 やがてその流れに混ざり夜風に乗って漂い始めたのは、天上の歌声だった。

 待ち人の出現を願いながら、ソニアはひっきりなしに歌を紡ぐ。

 現れてくれるだろうか。多分……いや、きっと現れるに違いない。

 そう考えながらも、ふと頭を過ったのはアーサーのことだった。昼間はあれ程、事ある毎に自分の側に来ていた彼だったのに、日が落ちた途端にパッタリと姿を見せなくなってしまったのである。今晩は1人で考えたいと言った自分の為に、早いうちから身を引いてしまったのだろうか。そう思うと、何だか彼に随分悪いことをしているような気がして、改めて申し訳なく思った。

 おお、フェデリ。私の太陽。

 そうだ、あの人は太陽。その光を今は陰らせたくない。だからもう少し……様子を見よう。

 こめんなさい。アーサー。

 そうしてアイアスやその他のいろんな人のことを思い歌い続け、ミラル湖の波音を肌で味わううちに、程なくして背後に人の足音がした。気配を消さずに、自分の存在を知らせようとしている歩き方だ。驚かせないよう、そうしているのだろう。

 ソニアは胸を高鳴らせつつ、振り返らずに歌い続けた。

 ルークスは現れた。ここから見える少し離れた木立の所に、距離を置いて立っている。そしてソニアと目が合うと、軽く会釈した。

 今日は礼儀正しく登場したかったのだろう。昨晩の非礼をかなり恥ずかしがっていたから。そこで、彼女を驚かせて中断させることのないよう、彼女から見える位置に、しかも淑女に対する礼を保てる距離を十分に開けて、静かに立ったのだ。

 彼は若い木の幹に寄りかかって、武器を肩にかけ、それを挟むように腕を組んでいる。そしてうっとりと目を閉じ、歌に聴き入っていた。

 ソニアも無理に歌を早く切り上げることをしないで、一曲十分に歌い終えた後に、ゆっくりと弦から手を離した。そして彼に頷いて見せた。挨拶のお返しだ。

 演奏後の静寂がとても心地良い刹那を共有した後、彼は彼女に近づいて行き、改めて跪き、彼女の手にキスをした。

「……やあ、ソニア」

彼は説得に対する意気込みを持ってやって来たのだが、昨晩の様子からすると彼女は歓迎しないであろうし、困り顔で拒絶されるのではないかと思っていたので、内心重い心持ちであった。だが、すぐにその懸念は晴れた。彼女が昨晩以上に素敵な笑顔を彼に向けたからである。ただの月の光ではなく、自ら輝く星のようだった。

「星が綺麗な夜ね。ルークス」

彼は暫く、身も心も痺れていた。とても動くことなどできない。

 これまでに誰かが、ことに母以外の美しい女性が、彼にこんな笑顔を向けてくれたことがあっただろうか?

 笑顔。なんて甘美で清らかな、魔法の力を秘めているのだろう。

「私を説得するつもりで来たのでしょう? さぁ、ここへお座りなさいよ」

予想と違う意外な対応に戸惑いつつも、始めから彼女の側にいたいという純粋な衝動を持っていたので、それを押し込める理由もなくなり、彼は言われるがままに隣に座した。

「今日も、君の歌は素晴らしかったよ」

「ありがとう」

2人は岩に腰掛けたまま、湖面に視線を落とした。近づき過ぎると、今度はなかなか相手を見られなくなる。街の光が炎となって長く尾を伸ばし、たおやかに揺らめいている様を見つめながら、ルークスはどう切り出そうかきっかけを待った。

「……今日は、あなたを待っていたの」

「えっ……それじゃあ、まさか……」

「ううん。国を出るつもりは今も全然ないわ」

ようやく2人は間近で見つめ合った。互いが、互いの真剣さをその眼差しに読み取る。

「でも……やっぱり、もっとあなたとお話したいと思ったの。今日は何をしていたの? この国の偵察は進んだの?」

何と答えたらいいものか、ルークスはますます戸惑った。こうして彼女に拒絶されることなく側にいられるのは嬉しいし、楽しく過ごせるのなら、幾らでもそうしていたい。彼女の隣にいて直に彼女の清い波動を感じていると、歌を聴いているのと同じように心身が恍惚とした。

 だが、忘れてはならない本当の目的は、説得してこの国を出ることに同意してもらうことなのだ。その本筋を外れてはならないと解っているのだが、こう言っているものをいきなり説得モードで押し進めては雰囲気をぶち壊すだけのような気がするので、彼女の求めに応じた方がいいようにも思う。何でもあからさまに答える訳にもいかないので、よく考えてものを言う必要があるから、その点でもバランス感覚が求められ、ルークスは慎重に言葉を選んだ。

「まぁ……それなりに」

「その姿だとダメよね。変装とかしてるの?」

「……オレの扮装を知って、バラす気なのかい?」

ソニアは笑って首を横に振った。

「そんな事はしないわ。でも、気になったの。あなたのその姿だと、人間の国で偵察をするのは面倒だろうなって思ったから、どう言う風にしてるのかしらって。本当よ。まだ、誰にもあなたのことを言ってないし。言うつもりもないし」

「……同じ異種族として、オレの身を心配してくれているということなのかな?」

「そうね。それが半分。興味がもう半分」

それが嘘であったとしても、ルークスには嬉しかった。

 しかし、いわゆる女性というものと、こんな風にお喋りするなんて、一体何年ぶりだろうとルークスは思った。ヴァイゲンツォルトでは出生のことがバレないようにあまり滞在しないし、師匠と一緒である間は、どの種族も2人のことを敬意と畏れから距離を開けて見るので、馴れ馴れしく話し掛けてくる者などいなかった。1人立ちして地上世界で暮らすようになってからは、人間に姿を見せないようにしているので尚のことである。

 女性を避けている訳でも、おそれている訳でもないのだが、生い立ちとこれまでの成り行き上、そのような生活が定着していたのだ。だが、こうして心惹かれる娘と会話していると、かつて母が生きていた頃の安らぎを思い出した。ゆっくりと、ルークスの表情が和らいでいく。

「近づかないで済む範囲は遠くから見てるよ。人間に訊いたり、近づいて見たりする必要がある時には、君の言う通り変装して入る」

実際、そうしていた。旅行者を装ってテクト戦に関するこの国側の認識を調べ、それがテクトで得られたものとほぼ一致していることが解っている。

 城下街は祭の準備だとかで何処も忙しそうにしていた。この街の夜が遅かった理由もそれで判ったのだが、ルークスには何とも気に食わないことだった。

「……この国の人達は、祭りの準備をしているね。戦があるかもしれないのに。気にしていないのかな?」

「ああ……そういうことではないのよ。皆、とても楽しみにしているの。毎年。それを戦の為に中止したりなんかしたら、それだけで気持ちが落ち込んでしまうでしょう? だから、少しでも皆が元気にこの大変な時代を乗り越えられるよう、敢えて行うのよ。思いっきり盛り上げてね」

「ふぅん……危機感が薄いのかな、この国は。祭どころではないだろうに」

「……あなた側から見ると、そういうのって、面白くないの?」

「……正直、何だか滑稽に見える」

「そう……」

ソニアがとても残念そうに首を落とすので、ルークスはそこで止めた。つい本音が出てしまうが、彼女の気分を損ねたくて来たのではない。

「祭りの時にも、まだあなたがこの付近にいるのだったら、是非見て欲しいわ。本当に素晴らしいのよ。そうしたら、きっと皆がどれだけこの祭を楽しみにしているのか、解ってもらえると思う」

それは難しいな、とルークスは思った。開催はもう少し先のようだし、それまでに魔導大隊が攻めてこないとも限らない。そうなる前に彼女を避難させたいのだ。自分にも使命があるから、その時までズルズルと逗留するわけにもいかないだろう。だから何も言わなかった。

 ソニアもそれを察して話題を変えた。

「私のことも……探したりしたの?」

「……ああ。だが……見つからなかった」

そういうルークスの様子は少々照れていた。使命遂行中に他の事をしたということが気恥ずかしいのである。

 彼は、あれ程美しい娘ならばすぐに見つけられるだろうと思って森からも探し、街を歩きもしたのだが、ソニアの姿はチラとも見かけることがなかった。

 家の中からあまり出ないのかと思い、仕方なくその辺の人間に《ソニアという歌の上手い娘を知らないか》と尋ねたのだが、そんな娘は知らないと言われ全く収穫がなく、がっかりとしていた。

 住処を特定しておいて、いざという時には救出に向かえるようにしておきたいのだが、これでは家が判らない。

 実は、質問の仕方が悪かったのだということをまだ彼は知らない。彼女の名前はあまりに有名だから、名だけを尋ねればすぐに正体を知ることができたろう。

 しかし、《歌が上手い》という補足事項を付け加えてしまった為に、この国でそれを知るのはアーサーだけであるから、まさか軍隊長のことを言っているのだとは思われなくて、「知らない」と言われてしまうのである。

 また、《ソニア》なんて馴れ馴れしく呼ぶ者もごく少ないから、尚のこと違う人物のことを探しているのだと思われてしまった。軍隊長にあやかって、生まれた娘に《ソニア》と名付ける家が増えているから、この都市での《ソニア》人口も増えており、少女にはよくある名前となったから、そんな幼い娘のことを探しているのではないかと思われるのだ。それはそれで不審者扱いされてしまう。

 そしてテクトに派遣されたメンバー構成について人間に尋ねた時も、人々が彼女のことを守護天使だとか軍隊長様としか言わず、しかも女性だと判るような表現も特に使わなかったので、この国の事情についてまだ知識の浅い彼は、例の全装甲の戦士がその軍隊長であるとまでは突き止めたものの、それが女性だとまでは知らなかった。

 ソニアにそこまでの細かな現状は伝わらないが、とにかく今の所、幸運にも正体を悟られていないのだと知り、彼女はこう言った。

「……お願い。私のことは探さないで」

「……オレに無理矢理連れ出されるかもしれないからか? だが、いざとなったらオレはそうするぞ。こうしている間にも、この国を攻める隊が準備を整えているかもしれないんだ。オレの目と鼻の先で戦が始まったら、必ず君を助けに行く。この国と心中なんかさせるものか」

調べ続ければ、いずれ正体が知れてしまうのだが、彼の決意はお願いして止めてくれそうな気配が全くない断固としたものだったので、ソニアはまた俯いた。

『知られたくないことが色々ある』なんて言ったら、ますます興味を持たれてしまうだけだろう。この人は、女性が知られることを嫌がっている秘密を暴こうとするような下劣な精神の持ち主ではないようだが、今は命の方を優先して決意を変えないはずだ。

「……どうしたら、探すのを止めてくれるのかしら……」

彼女が相変わらずこの国を離れるつもりがないから、そう言っているのだということが歯痒くて、ルークスは苦い顔で何度も首を横に振った。

「この国の……何がそんなに大切なんだ? 君の方が何倍も価値があるのに……」

また押し問答になってしまいそうなので、ソニアはサッと手を上げ、彼の口元に翳した。

「……今は、この話はもう止めましょう。私がしたかったのは、昨日みたいな話じゃないの。あなたが皇帝軍であるとか、私が人間の国で暮らしているとか、今は大戦中だとか、そういうことは皆何処かに置いて、もっと違うお話がしたいわ。

 例えば……あなたがこれまでどんな風に生きてきたのか、とか、あなたの仲間はどんな人達なのか、とか。そういうことが聞いてみたい。

 あなたが私を説得に来たのはよく解ったけど……今、そういう話をする時間くらいはあるでしょう? あなたのような人と会うのはとても珍しいし、あなたにとっても私みたいな者と会うのは珍しいと思うの。だから、まずはもっとお互いのことを話して、よく知り合いましょうよ。……どう?」

彼のじれったそうな表情に変わりはなかったが、彼も湖面に視線を落とし、暫し考えた。彼自身、彼女の生い立ちにはとても興味があった。彼女の方が彼との長い会話を望んでくれているのだから、ゆっくりできるので、先にそれを知ってもいいだろう。

「……そうだな。君がどうしてこんな所で暮らしているのか、オレも知りたいと思っていた。君がそれを聞かせてくれるのなら……オレも自分のことを話そう」

ソニアは微笑んだ。

「ありがとう。嬉しいわ。それじゃあ……順番に、少しずつ話していくというのはどうかしら? お互い、これまでに色々あっただろうし、それを一遍に話すのでは大変だから、交互に聞かせていくの。最初は私から始めるから」

「……ああ、わかった。そうしよう」

ソニアは心落ち着ける為、そしてこれから幕が上がる劇の前奏とでもいうように一度だけ弦を掻き鳴らした。そうすると、彼女の不安も、彼の苛立ちも鎮まり、物語りを始める気持ちが互いに整っていった。

 ソニアは、アイアスとトライアスに心の中で祈り、ここから何が始まるのかは解らないが、見守ってくれるようにお願いした。

「物心ついた時……私はガラマンジャの森の中に住んでいたの」

柔らかな風が2人を包んでいった。

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