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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第24章
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第4部24章『出会い』7

 水辺のソニアは、彼が確かに去ったことを感じてから身を動かした。そして竪琴を放り出し、膝を抱えた。

 彼とのやり取りが容易にゲオルグとの衝突を思い出させ、苦しくてしょうがなかった。どちらも、自分を死なせたくないから逃げろと言う。助けてやるから、人間と離れろと言う。どちらも狂った破壊者ではなく心ある人達で、でも、そんな人達が人間世界を攻めに来るのだ。人間が彼等に攻められるのも辛いし、そんな彼等と戦わなければならないことも、とても辛い。

 今、ルークスと名を知ったあの戦士は、自分のことをただの娘だと思っていたから、こうして戦うことなしに別れることができた。だが、あの時の戦士だともし解っていたら、もうこの場で戦わざるを得なかったかもしれない。

 どうしてなのだろう。皇帝軍は、彼は、何故そんなにも人間を滅ぼしたいのか。どうしてあのような礼儀と心のある人が、進んで戦に臨めるのか。守る為の戦いではなく、侵略者として。

 自分はどうすればいいのだろう? 今は、これ以上別れを前提とした辛い衝突をしたくなくて帰ってもらったが、何か他にできることはあるのだろうか? 何かできることがあるから、運命が彼をここに連れて来たのだろうか?

 仮にトライアへの進軍を止めることができなくても、この戦局に変化を及ぼすことができないのだとしても、何かもっと他に、実りある変化をもたらすことができるのだろうか。彼を通して。

 ソニアは肩を震わせた。こんな、人に軽々しく相談できない事態に直面する度、アイアスのことが懐かしく思われる。彼だったらこんな時、どうするのだろう? どんなアドバイスをくれるのだろう?

 ソニアはその思いから、自然に胸元に手を当てた。そこには小さな巾着が下げてあり、中にパンザグロス家のペンダントが入っている。

 ふと、ある情景が甦ってきた。デルフィーで、まだリラばあの所に預けられる前、海を見ながら2人して並んで座っていた時のことだ。よくそうやって勉強だと言い、目に映るものを1つ1つ、あれは何だ、これは何だと名前を教え、その意味を教えてくれたのである。

 その時、彼はこんなことを言った。

『……時々ね、よく解らないものに出会うことがあると思う。これからソニアも、何度もそういうことに会うだろう。物じゃなくて、出来事もね。何でこんな事が起きたんだろうって、解らないようなことが時々あるんだよ。そんな時は、とにかくそれをよく見ることだ。何でかが解るまで、ジッとそこで見ていたり、触ってみたり、つついてみたりするんだ。そうするとね、ああ、そういうことだったのかって、そのうち解る時が来るんだ。どうしてかなって思うくらい不思議なことほど、大体すごく大切なことが後ろに隠されていたりするものだから、不思議だなって思ったら、取り敢えずそれをよく見られる所に行くか、捕まえるかして、触ったりできるようにしておくんだよ。見失わないようにね』

最も適した抽斗が開いたかのような思い出だった。これまで殆ど思い出したことのない記憶だった。

 あの人と話し合うことで、何か道が開けるのでしょうか? お兄様。

 今ここにアイアスがいないことの寂しさから、ソニアはまた涙を零した。思い出は甦っても、返事は来ない。いつ、彼は迎えに来てくれるのだろうか。

 瞼を開けて、彼の瞳を思い出す。ブルーグレーの優しい瞳が彼女に笑っていた。

 愛しています。お兄様。頑張ってみます。

 彼は私に、また会おうと言ってくれました。明日の夜もここで歌えば、また来てくれるかもしれません。もし会えたら、今度はもっと別の話を、いろいろしてみようと思います。

 きっと、道が開かれるのだと信じて。

 ソニアは放り出してしまった竪琴を拾い上げ、謝りながら撫で擦った。そして、湖岸の夜で癒されるどころか、新たな悩みを抱えて森の道を引き返し、城へと戻って行ったのだった。


 翌朝、彼女の変化に真っ先に気がついたのはアーサーだった。

 結局、昨晩遅くまで王と話をしていたので、それが終わってから彼女の所に行くのも悪いかと思い、そのまま自室で就寝したのだが、朝になって、彼女がいつもの稽古に行ったか念の為に部屋を確認しに行ったら、珍しく彼女はまだそこにいた。しかも彼のノックがモーニングコールとなり目覚めたばかりで、入っていいと言われ扉を開けて見た彼女の姿は、まだ寝起きの状態だった。

 ソニアはそのまま顔を洗いに洗面器のある台へと歩いていく。アーサーは目をパチクリさせた。

「……どうしたんだ? お前が寝坊なんて。珍しいな。まぁ……無理もないか。大変な旅をして帰って来て、休暇だって結局、挨拶回りと迷子探しとで忙しかったわけだし、しかもオレに話したり王様に話したり……大変な秘密を抱えてて気苦労が多かったもんな。そろそろ、これまでの疲れがドッと出たのかもしれないな。無理せずに大事を取れよ」

洗った顔をタオルで拭きながら、ソニアは笑顔を見せた。変に心配をさせたくないのだ。

「昨晩あんまり眠れなかったの。考えることが多くて。でも心配しないで。ちょっといつもより寝坊しただけだから」

確かに寝不足気味の様子で彼女が少し青い顔をしているのが気になったのだが、アーサーは「そうか」と笑い返して背中を叩いた。確かに、考えることが多いのは事実だ。早く落ち着いて、夜まで悩みを引きずらないようになればいいと彼は願った。

「――――さ、着替えるんだから出てよ」

「はいはい」

彼は朝食を自分の部屋で一緒にしないか誘い、ソニアがそれを受けると機嫌良く部屋を去って行った。そして彼女に代わって、食事の仕度を自分の部屋にしてくれるよう女官達に頼んでくれた。

 ソニアは素早く身支度を済ませ、国軍の服装になると、鏡の前に立って自分の姿を見た。寝坊のせいで朝の運動を省略したせいもあり、いまいち冴えない顔をしている。

 これではいけない。心の不安や疲れを顔に出しては。頑張れ!

 ソニアは鏡の世界にいる自分に笑って見せた。朝の光は、夜とは違って彼女に活力を与える。瞳には、昨晩にはなかった炎が宿っていた。

 アーサーの部屋に行った時にはもう仕度が整っており、2人はすぐに食事を始めた。

「最近あなたの部屋で食事をする機会が増えたわね」

「オレは願わくば毎日そうしたいんだが」

2人が一緒にいると世話係は皆嬉しそうで、よく観察していく。もちろんジロジロとではないが、今日はああした、こうした、と人に話せるように2人のすることを実に器用に盗み見ているのだ。だから、人に聞かれたくない大切な話題は、彼女達が水を注いだりスープをよそったりと、一通りの給仕を終えて退室してからとなる。

 彼女が無事に帰国してからの本人や周辺人物の反応については、特に皆が注目して目が光っているから、城の至る所にそうした観察者がいて、煩わしいと言えば煩わしかった。

 しかし、アーサーの方は割り切っていて、彼女の秘密が漏れるような危険にはとても注意を払うものの、彼女へのアプローチ自体は人目を憚らなくなり、すっかり恋人気分であった。一応彼女が嫌がらないよう、彼女自身の反応には十分気を遣っているが。

「昨晩……王様から聞いたぜ。例のこと、打ち明けたんだってな」

「……うん」

「この事で相談できるのがオレだけだって知ってるから、オレを呼んで色々話し合ったんだ。お前がこれから、どうしていくつもりかってことも聞いた。まぁ……ひとまずは良かったな。この国で一番重要な人に認めてもらえたんだ」

「ええ」

王への敬愛がソニアの顔にも表れ、瞳が輝く。アーサーもそれに応じて柔らかく笑んだ。

「本当に素晴らしい方だと、昨日改めて思ったわ。お仕えできることを心から誇りに思う」

「そうだな。オレもそう思うよ。お前のことを……本当に真剣に考えてくれてる」

部屋に2人きりの今、盗み聞きする者もいないのだろうが、ソニアは囁くように言った。

「人間の血が……一滴も流れていないかもしれないのに……」

そんな彼女の手を、アーサーがそっと手を伸ばして優しく包んだ。

「お前が……いい奴だからさ。血なんて二の次だ。何の関係もない」

そう言ってくれる人1人に巡り会うのだって幸運だと思うのに、2人もいるということがソニアにはとても有り難く感じられ、もっと笑みが輝いた。やっと彼女らしい光が射す。

「オレも王様も考えは一緒だから、とりあえずこの事は3人だけの秘密ということになったんだ。今は……隠し通そう。な、ソニア」

「ええ」

「そして、万全の備えで敵に向かう! お前の弟が来ようが、刺客が来ようが、オレ達は絶対に負けない!」

「……ええ!」

彼の励ましは、鏡に向かって勇気を奮い起こそうとするのよりずっと楽に彼女を勇気付けた。朝の光より、灯より、この人は暖かな炎を持っている。そうソニアは思った。

 そしてふと、この国に伝わる有名な歌の歌詞が頭を過った。

《 おお、フェデリ。私の太陽 》

そのたった一節だけなのだが、ソニアの頭の中で自然と何遍も繰り返され、特に《太陽》の所が目の前の彼を見事に表していると気づいた時、もっと喜びを感じて胸が温かくなった。

 この太陽が日常から欠けたらどうなるのだろう。彼は、自分がいない間は地獄のようだったと言っていた。自分も同じようになるかは判らない。でも、何らかの理由でこの人が失われるようなことがあったら、夜の闇は更に深くなり、人々の心にも、自分の心にも大きな影が落ちるのだろう。

 この人は、この国と自分を光で照らして温めてくれる太陽だ。この光を陰らすことのないよう願いたい。ソニアはそう思った。

「……ところで、お前は昨晩どうしてたんだ? 本当は会いに行きたかったんだが、もう時間も遅かったから声を掛けなかったけど」

ついギクリとしてしまう。しかし顔には出ず、その僅かな沈黙は彼女の不満を表しているのではないかと彼は受け取った。

「お前に良かれと思って止めといたが……もし休んでるところを起こしちまったりしたら悪いから。でも……一人にしちまって、かえって良くなかったかな? ……そうだったらゴメン」

「あ……謝ることなんかないわよ。そんなに気を遣ってくれるなんて、ありがとう」

ソニアは慌てて訂正し、彼が心配しないよう元気そうにフォークを動かして食事を続けた。

「……昨晩はね、やっぱりいろいろあったから、落ち着いて一人で考えたくて湖に行ったの。街の見回りにも行かなかったわ。最初はあなたを探してたんだけど、王様に呼ばれて行ったって聞いたから、一人で行ったのよ。でも、お陰でゆっくり考えることができたわ」

彼を探していた、ということが特に嬉しかったアーサーは「そうか」とだけ言い、彼も食事に専念し始めた。

「1人で考える時間も、大切だもんな」

暫くして野菜を頬張りながらそう言った彼の様子が何だかくすぐったくて、ソニアはクスクスと笑った。

「……おかしいか?」

ソニアは首を横に振りながら、尚も笑った。おかしがる彼女が愛しくて、彼も笑う。

「今夜は? またあそこに行くのか?」

どう答えたらいいものか、ソニアは思案した。昨晩考えていたことでもあるのだが、もう一度ルークスに会って話をする為に水辺に行くというこの計画を、アーサーにも打ち明けるべきかどうか、まだ悩んでいた。

 例のヌスフェラートが偶然にもあの水辺に現れ、自分のことをエルフの血を引く娘としか思っておらず、戦火から救おうとしているから、自分も彼と色々話してみて重要な情報を引き出したり、皇帝軍の動向を探ったりなどしてみたい、と。そしてその計画を了承してもらった上で、夜は水辺に1人で行かせてもらうのだ。

 だが、彼はとても心配するだろう。ルークスの言っていたことを信じてもらえたとしても、この国の安全ではなく自分の身のことだけを心から案じて、心労をかけるかもしれない。セルツァだって、このことを知ったらきっと側近くで見張ろうとするだろう。

 だから、どのような方向に転ぶか見えてくるまでは、自分1人だけの秘密にしておきたかった。

 彼を目の前にして、その光を陰らせたくないと思うからこそ、やはり今は言うまいとソニアは決意した。

「……もう少し、1人で考えたいの。昼間は人が沢山いて忙しくて、とてもゆっくりできないから。だから……今晩はまた1人であそこに行こうと思ってる」

「……そっか」

一緒にいられないことがアーサーを落胆させた。

「ごめんなさい。あなたと居たくないわけじゃないの。でも……1人でないと考えられなくて」

「……いいんだよ。お前のいいようにすることだ。それが一番大切なんだから。オレが必要な時に、オレを側に置けばいい」

いつになく寝坊したりした彼女の為には、彼女の望む休養を取らせることが一番だ。彼はそう思い、言葉を口にしたが、それは理性であって、本当のところは彼女と夜を過ごしたい気持ちが猛烈に高かった。だから、落ちた肩はなかなか上がらなかった。

「……ごめんね」

「オイ、謝るなって。いいから」

アーサーは己を奮い立たせるようにして背筋をシャンとさせた。今や彼女は目の前にいて、これからもずっとこの国にいてくれるのだ。しかも、きっと自分を愛せると言ってくれた。こんなに恵まれているのに、己の欲望が彼女の負担になってはいけない。

 彼は無理にでも笑い、食事を続けた。


 その後、やはり一緒にいたい気持ちが強かったせいで、彼は今日一日何かと彼女の側にやって来た。勿論仕事を装ってである。ビヨルク派遣隊のその後について確認したり、祭に向けて体制を強化した北方警備の具合を確認したりなどで、私的なことには一切触れなかった。

 ソニアの方も、人に言えぬ気懸かりがあるだけに、それをなるべく表に出さぬよう、勤務中は職務に徹した。

 何しろ、昨晩聞いた話の通りだとすれば、まだこの城都市付近にあのルークスがいて、情報を得ようと嗅ぎ回っているはずなのだ。それを思うと緊張が緩められなかった。

 今までは自分の歌にそれ程の引力があると自覚がなかったので知らなかったのだが、あのエルフ達と同じ血を引いているのなら、そんな力を持っていることにも自然と納得がいき、そうすると、あのルークスが突然水辺に現れたことも理解できた。『惑わされたのかと思った』と言っていたくらいだし、本当は人間の前に姿を晒すつもりはなかったのだろう。あくまで秘密の調査のようだから、今もきっと変装したり潜り込んだりなどして、必要な情報を得ることに従事しているのかもしれない。自分のことも探しているのではないだろうか。

 その懸念がある中ではあるが、城も街も順調に回転していた。ビヨルク派遣隊はトラブルなく復興作業を行っているようであるし、城下街は祭の準備一色に染まっているし、地方からの報告も問題がなかった。祭当日のシフトに合わせた警備体制のリハーサルも行われている。万事快調だ。

 大戦の脅威が反動となって民は祭に力を注いでいるから、この分であれば例年以上の盛り上がりを見せることが予想された。その間に襲撃でも起きなければ、きっと過去に例のない素晴らしい祭となるだろう。

 この様子を、ルークスは何と捉えるのだろうか。失うには惜しい文化であると感じてくれないだろうか。ソニアはそう思い、人の見ていない所でそっと嘆息した。

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