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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第24章
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第4部24章『出会い』5

 城下街。西地区の一角。とある道具商の家。

 祭の準備で夜更かししていた幼い少女が、いい加減にしなさいと母親に叱られベッドに入るところだった。

 いずれ成長して大きくなることを考えて造られた彼女のベッドは、今の彼女には大き過ぎるのだが、人生の3分の1は寝るのだから、いい物を、と与えられた唯一の贅沢品である。決して裕福ではないこの家の父親が2日間かけて見つけてきた質のいいクローグを使用し、一週間かけて完成された大切なものだから、彼女は宝物にしている。

 頭の部分には人形が乗せられるように小さな棚が作られており、彼女の誕生日毎に木彫りの人形が増え、そこに並んでいた。今はそこに6つの動物やら女神やらがいる。もうじき7つ目が加わる予定だ。

 その、今の彼女にとってはキングサイズであるベッドの中央に座り、窓から顔を出して小さな手を組み合わせ、少女は就寝前の祈りを捧げていた。

 母親は蝋燭を手に、娘が祈りを終えて眠りに就くのを見届けようと戸口に立っている。その蝋燭の仄かな明かりが、戸口の脇に吊るされた、祭用に作っている途中の彼女の衣装を照らしていた。トライアスを称えるパレードに子供が列を成すのだが、その時に着るものだ。白くてレースのフリルが沢山ついている。

「あ……また聴こえるよ。お母さん」

「ん? 何がだい?」

少女は振り返り、外を指差した。

「遠くで、誰かが歌ってる。とってもキレイ」

「……誰かが祭の歌の練習をしているんでしょう」

「そうかなぁ……。ずっと前にも聴いたことがあるんだよ」

母親は一日の疲れで欠伸をしながら少女の話を受け流した。

「ずっと前にも練習してたんでしょうよ。……さぁ、もう寝なさい」

きちんと取り合ってくれないので不満そうに返事をし、少女は横になった。一体何処から聴こえてくるんだろうと考えながら。歌でも何でも、何かが聞こえてくれば普通はその方角くらいは判るものだが、この歌声だけは何処からともなく響いてくるのである。

 大人は日々の生活に追われていて、ゆったりと夜風を浴びる心の余裕が少ないのか、或いは歌声を聴いたとしても眠気に襲われるかで、その歌声を不思議がるに至ることがあまりないようだ。

 少女は歌声の不思議を胸に、もう一度トライアスに明日を祈って目を閉じた。

 やがて母親がそっと部屋を出て行き、扉が閉じられ光が失われると、微かな寝息が部屋に満ちていった。


 風が歌声を運んでくるようだった。この風は、何処から吹いているのだろう?

 騎士は森をさまよった。

 西から来たかと思えば次は南から。そして東からも。しまいには頭上から下りてくることもあった。こんな現象は初めてだ。何かの妖術に嵌り込んでしまったのだろうか? まさかこれが、噂に聞く妖精……或いは美声の一族と言われているエルフの歌声なのだろうか? この人間世界でそのようなものに遭遇することは考え難いのだが……。

 何処からこの歌が流れてくるのか判らないものの、もはや彼は歌声の虜となっており、歩みを止めることはできなくなっていた。鎖で体を縛られたとしても、気持ちは前に進んでいただろう。

 こんなに歩いているのに、まだ距離感が掴めない。近づいたのか、遠ざかったのか、どちらなのだろう? 人間で、このような芸当のできる者がいるのだろうか? それこそ考え難いが……。

 どのくらいの間、彷徨ったのだろう。先程休んでいた丘は既に下り、そこから森伝いに平地を歩いて大分時が経ったように思われる。ここに来るまでに何度か歌が終わり、別のものに変わっていた。だからこそ、これが歌だと判別できるのだが、今はこれで5曲目になるところだ。

 曲の合間にようやく幻惑から醒めたようになり、その時ばかりは足を止めて現在位置を冷静に考えられるようになる。だが、どのように歩いてきたかが解らないので、自分のいる場所を知ることができず、目標物を探しているうちにまた歌が始まり、そうすると歩き出さない訳にはいかなくなるのだった。

 思えば、これまでの人生で歌というものを聴くことはあまりなかった。母親の子守歌を少々覚えている程度である。こんなに達者で美しい声の持ち主の歌など聴くのは生まれて初めてであるから、まるで新しい竜に会うような喜びが体を駆け抜けていた。

 人間の里も知っているし、ヴァイゲンツォルトに行くこともあるが、じっくりと芸術というものに触れる機会はあまりなかったので、自分がこれほど美というものに引き寄せられる性質を持っていたのだということを初めて知らされた。

 あぁ、何だろう。この切ない旋律は。胸が熱くなる。溜め息が出る。

 ふと、彼は我に返った。歌が終わったのだ。

 足元を見る。彼の目でも足跡を辿ることは難しいので、何処をどう歩いて来たのかは調べられない。周囲を見回しても、木々に遮られて街の灯すら見えなくなっていた。

 ここは何処だろう? ……水? 水の音がする。寄せて……引いて……。そうか、これは波だ。湖が近いのだ。

 ――――そうか、自分はあの湖の縁にまで来てしまったんだ。

 それに気づいた彼は水音のする方に進み、そうすると今度は彷徨うこともなく木立が開けて湖岸に辿り着いたのだった。

 皿のように広がる夜の湖。湖面には街の明かりが映り、ゆったりと炎のように揺らめいている。足元では波が打ち寄せていた。水と森の神秘の国、トライアの主都を育んできた水源、ミラル湖。これまた絶景だと彼は吐息した。風の温かさと香しさが更に演出を高めている。

 ここにいるということは、休んでいた丘から城に近づくルートで移動してしまったことになる。湖面には松明に照らされる城の影も映っているのだ。だが幸い、人の気配はあまりないので、慌ててその場を離れる必要はなさそうだった。

 また歌が始まった。

 彼は左手にある湖岸の方に目を向けた。驚いたことに、そちらから歌が流れてきた。しかも、声が近くに感じられる。

 彼がここで歌の流れを読むことができたのは果たして偶然だったのか、それとも気の流れを敏感に読み取って戦う戦士としての資質がそれを可能にしたのか定かではなかったが、とにかく幸運の成せる技だったと言えよう。この歌に酔いしれていながら、何処に歌い手がいるのかを事前に知ることなしに辿り着けた者は今まで1人としていなかったのだから。

 彼は左手の湖岸に向かって歩んだ。確かに、こちらから歌声が聴こえてくることが一足毎に実感できる。

 やがて岸は小さくうねり、ささやかな湾を築いている場所に出た。

 いた。ここだったのだ。

 そう解ったのは、この小さな湾の対岸に座して琴を掻き鳴らすような所作をしているのが見て取れる人影があったからである。ここからではどのような者かよく解らなかった。

 そこに人間がいるのだから、本来ならば彼は姿を隠さなければならない。だが、彼の頭にはようやく歌声の主を発見した喜びと、炎に見かってまっしぐらに突き進む蛾の如き衝動ばかりしかなく、さらに近づいていった。

 この歌声を聴いていると、自分が何者であったのかなど忘れてしまう。静かに、静かに、そっと歩み寄る一個の魂でしかなくなる。

 音楽が止んだ。

 曲が終わったのではない。中断されたのだ。

 彼はもう、その人物がどのような姿をしているか、よく見える所にまで来ていた。だから当然、向こうもこちらのことに気づいたのだ。

 こちらの姿に驚き、見開かれている瞳。闇の中でもそれと判る白い肌。長い髪。この亜熱帯の国らしい軽衣をに纏い、腕と足を長く覗かせている。星明りと湖に映る街明かりの反射光だけの夜闇なのだが、夜目の利く彼の視野では、全てが眩しく発光しているかのように見えた。実際、発光していたのかもしれない。

 そこに居たのは、月の光で作られたような美しい娘であった。

 竜時間をかけているわけでもないのに、まるで時が止まったかのように感じられる。

 歌が止み、風が止んだことで、徐々に彼も我に返っていく。

 娘の耳は長くない。妖精でもエルフでもなかった。人間だ。

 その現実に彼は一気に狼狽えた。

 人間だ! 逃げるべきか? 口を封じるべきか?

 彼のその心は、小さな一歩の後退りに表れた。こんな美しいものを手にかけることはできない。

 彼のその様子を見て、驚いていた娘の方が先に行動を起こした。彼をジッと見据えたまま、手を滑らせて竪琴を優しく掻き鳴らしたのだ。娘の方が先に落ち着きを取り戻しているのである。

 彼はそこに固まった。その音色がそう命じているように感じられたからだ。

 娘はその一掻きでは足りないと思ったのか、残響が消えて無くなると、もう一掻きし、今度は何度も滑らせて音を重ねていった。この和音が続く間は、彼は動けなかった。

 彼を値踏みするようにジッと凝視していた娘の視線がそのうちに柔らかくなり、そこに居なさい、と言うように微笑み、頷いた。この娘は彼をおそれず、拒まず、迎え入れたのだ。

 それを見て、彼は緊張の鎖が解けていくのを感じ、体の力が抜け、楽になった。娘がそのまま、彼女の隣のスペースを手で示すものだから、彼は促しに応じて隣に座そうとした。そこで初めて、夢中ながらも手放さずに持ってきた武器の存在に気づき、この場には合わないように思われたので、すぐ足下に横たえて置き、それから自分も座った。

 娘は音を絶やさずに奏で続ける。

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