第4部23章『悪魔の子』28
※※注意※※
この章は大変ネガティブな内容になっております。
文章作品でも映像作品でも、その時のコンディションで受け取り方が変わるものですので、特にメンタルに不調を感じられている時はお読みにならないでください。
詳しくは活動報告をご覧ください。
長々と感動の対面をしているつもりはなかったので、ルークスの方から切り出した。
「今日ここに来たのは、大切な用があったからだ。とても大事なことだから、驚かず冷静に聞いて欲しい」
男と家族達は、涙目のまま顔を見合わせた。
ルークスは懐から金の入った袋を取り出してテーブルに置いた。
「ここに、十分な金がある。すぐに仕度して、この地を離れろ。何処か、人里離れた僻地に行け」
「離れろって……どういうことだね?」
「……いずれ、過去に例のない規模で戦が始まる。人間はことごとく滅ぼされるだろう」
男の妻がヒッと声を漏らした。
「人里にいると、その時に攻撃を受け易い。離れて暮らせば、戦火の影響は少なくて済むだろう。いずれ終わる時が来るとしても、あなた達にはもう少し穏やかに終わる方法を選べるようにしたいんだ」
「な……何だって?!」
娘は後退って母親と抱き合い、震えた。男共々、顔が見る見る青くなっていく。
「数年先のことだから、信じるのは難しいかもしれん。だが、あの英雄アイアスが滅ぼされ大侵攻の始まる時が来る。気づいてからでは遅いのだ。今のうちに安全そうな土地を見つけて穏やかに暮らせ」
男はうろたえ、だが負けずに食らいついた。
「あんた……あんたは……そっちの方の人間になっちまったのか? 母さんが人間だったのに……それでも……やはり人間を恨んじまったのか?」
「……そうだ」
静かだが、キッパリとした声でルークスも返した。
「ああ……何てことだ……! そんな……酷い話が……!」
「……オレがいなくとも、大侵攻は始まる。それが始まるのはオレのせいじゃない。このことであんた達と議論する気もない。これから起こることだけ胆に銘じて、後は自分の判断で行動しろ。信じようと信じまいと、その金は置いていく。どうか受け取るのを拒まないでくれ。今のオレには、あなた達への恩を返す方法が他にないんだ」
男はテーブルの金袋に目を落とし、肩を震わせた。
「その金は汚い金じゃない。それに、受け取ることは人間への裏切りにはならない。オレがただ心から、せめてあなた達には母のような悲惨な死に方をして欲しくないと思っているだけなんだ。侵攻を認めることにもならないし、認めなくていい。ただ受け取って、他所の土地へ行ってくれ。頼む」
「そんなこと……できんよ。この土地を……しかも今夜これからすぐ離れろなんて……! そんな危険があるのだとしたら、皆にも教えてやらねば!」
ルークスは背の槍を下ろし、男に突きつけた。妻と娘は小さく悲鳴を上げた。本気で傷つけようという動作ではなく、あくまで断固とした意志表示の為に向けた刃だった。男にもそれが解っていた。何故ならば、ルークスの目に男に対する殺意はなかったからだ。
「他の土地ならば、好きにそうするがいい。だが、どれだけの人間が信じてくれるかな? それに……この町は救えん。諦めろ」
「……ど……どういうことだ?」
「……今夜、これからすぐに発て。後ろを振り返るな。この町のことは忘れろ。もし邪魔をするなら――――――死ぬぞ」
それで、彼がこれから何をしようとしているのかが解り、男達の顔色が一層青くなった。
「あんた……いかんよ……! それだけは……! それだけはしちゃいかんよ……! ラニルトさんが喜ぶものか! きっと……きっと……心から嘆かれるぞ!」
ルークスは身振りで家族達に準備を促した。妻も娘もすぐには動けずにいるが、ルークスの表情が全く変わらないのと、相変わらず男に突きつけられている槍が恐ろしいのとで、やがておずおずと仕度に取りかかり始めた。
男は尚も必死でルークスを説得しようと試みる。
「あんたは……神に仕える母親の息子なんだろう? そんなことは、神の道に背くことだ! 絶対にしちゃあいけない!」
ルークスは、再び皮肉めいた笑みを口元に浮かべた。そして首を少々傾げた。
「神など、いない」
その表情。奥底に秘めた、あまりに深い悲哀。
男はルークスの抱える闇を垣間見て、言葉では到底この若者を説得できないことを悟った。既に、説得不能なほどの仕打ちが、過去が、彼にはある。その因縁がこの村にはある。
「それでも……しちゃあいかん……!」
それ以上のやり取りはせずに、その後ルークスはひたすら準備を進めさせた。男は決意できず、準備には参加せずにルークスと向き合っているのだが、家族は着々と物を集めていった。
そして農業用の荷馬車に必要な荷物を全て積み終えるのを見て、ルークスはようやく槍を引き、再び背に負った。
「……もう一度言うが、これまでの戦を参考にしてはいけない。あなた達が想像もしないような種族が加勢して、今度は一斉攻撃を仕掛けることになる。ヌスフェラートはあくまでその一部だ。甘く見て人里の近くに住んではいけないぞ。本気で僻地に行け」
妻と娘が馬車に乗り込んでも、男は依然として抵抗し、ルークスと対峙していた。
「……オレは十分助言した。ここから先どうするかはあなた達の自由意志だ。だが、これだけは言っておく。オレの邪魔はするな。あなたはいい人だ。オレの手で殺したくない」
今の男の抵抗ぶりからすると本当に邪魔をしに来そうだったので、ルークスは馬車にいる妻と娘に向かって続けた。
「この男を失いたくなかったら、しっかり捕まえておけよ。できるだけ楽に死なせてやるが、本当に殺すからな」
そして返事を待たずにルークスは踵を返し、すっかり暗くなった夜道の中に消えて行った。
男はまだそこに立ち、肩を震わせていた。妻が荷馬車から降り、夫を抱き締めて離さないようにした。娘は動けず、馬車の上でずっと震えていた。
《※都合によりカット》
地下世界で再び師弟は合流し、ヴォルトはルークスの変化に気づいた。何をしてきたのかは聞かなかったが、ある程度察しはつく。そしてこの師は思った。
ルークスは何か吹っ切れたような様子であるのだが、それはあたかも病を患った者が、吐くものを吐いて楽になった姿に似ている、と。病が完治したのとは違うのだ。
師として、この弟子を心から愛しているヴォルトは、勿論ルークスの幸福も願っていた。だが、ヴォルトにも解っている。ある限度を超えた不幸を経験し、決して癒えることのない傷を心に負う者は、完全に幸せになることなど、ほぼ不可能なのだということを。
あくまでその闇と何処までも付き合っていき、折り合いをつけていくしかないのだ。そしてそこばかりは、ヴォルトに手が出せる領域ではなく、彼自身で道を見出していくより他ないのだ。
「……さぁ、行くか」
2人と竜は、また旅を始めた。
そうして再びこれまでのような師弟の旅が続き、ルークスはサルヴァン=ドロホフの武器防具を完全に使いこなすようになって、遂に18才を迎えることになった。
精悍な美形戦士に見事成長し、ヴォルトは弟子に大いに満足していた。教えられることは、ほぼ全てこの弟子に伝え切ったという達成感があり、充実していた。
「さぁ、お主はこれから一人で立つのだ。もはや、私を師匠と呼ぶ必要はない」
「では、何とお呼びすればいいのでしょう。自分は、いつまでもあなたの弟子であり、部下であると思っています。
今後も、自分に何かお命じ下さるなら、自分は喜んでそれに応えましょう。あなたのお役に立てるなら、それ以上の喜びはありません」
「嬉しい言葉だ。滅多なことではお主の手を煩わせる必要はないと思うが、いずれ始まる戦では必ずや手を借りることになるだろう。それまでは、お主の心の赴くまま、世界を旅し我がものにするがよい。そして私のことは……まぁ、好きに呼ぶがよい」
ルークスはニッと笑った。
「では、師匠と」
ヴォルトも笑った。
恩ある師に深々と頭を下げ、ルークスはパースメルバに騎乗し、飛び立った。
行く先はまだ決めていない。だが、地上世界になることは確かだった。戦の際にヴォルトの役に立てるよう、できるだけ地上世界のことを把握しておこうと計画しているのである。長期滞在の際は、パースメルバを地下世界に帰すつもりだ。
地上に竜は少ないが、太陽がある。月と星がある。ルークスの心は疼いた。
黒装束に鎌を隠した槍を持つ悪魔のような竜騎士は、そうして地下世界の森の彼方へと消えて行ったのだった。
この章はこれで終章です。
次章からは自主規制のない通常の物語に戻ります。
今章の自主規制に至った背景等を活動報告にて述べさせていただきました。
よろしければご一読ください。