第4部23章『悪魔の子』22
※※注意※※
この章は大変ネガティブな内容になっております。
文章作品でも映像作品でも、その時のコンディションで受け取り方が変わるものですので、特にメンタルに不調を感じられている時はお読みにならないでください。
詳しくは活動報告の『次章23章について』をご覧ください。
(※このエピソードは安全です)
ヌスフェラートの皇帝が住むという宮殿は、人間世界の聖堂を20も30も集めたような、壮麗で威風に溢れた施設だった。大きくて幅の広い階段が何段も何段も続き、その脇に石の彫刻が立ち並んで通る者に視線を落としている。その上にある最初の建物は柱ばかりで構成され、しかもその柱一本一本にまで人物が彫刻されていた。こんなに素晴らしい作りの彫刻をこれまでに見たことのないルークスは、まるで本物の兵士や官吏に見られているような気がして落ちつかなかった。今にも動き出しそうなほどである。
金色に光る水が流れる噴水や、ヴォルトでさえもすっぽり入りそうな大きいサイズの檻らしき球状の鉄製オブジェ等が順に2人を迎え、その脇を通り過ぎて行く。全てのフロアが広く設けられ、天井も高く、壁や柱などの装飾が華美であるから、何処に視線をやっても飽きることがなかった。
ただ、凄いとは思うのだが、どんなオブジェも彫刻も、ルークスは好きにはなれなかった。自分の性には合っていないのか、或いは人間世界でこれまで暮らしてきて育った嗜好の差なのか、長時間の滞在には耐えられそうにもない落ちつかなさをルークスに感じさせていたのだ。
そうして案内役の後に続いて進むうちにいろんな役職の者とすれ違っていくのだが、やがて黒装束の戦士集団と行き合った。鎧も黒いのだが、光沢によって銀色にも見える物々しい装飾で、左側にそれぞれ赤いワンポイントとなる翼の形をした肩章を付けていた。
「あれが皇帝騎士団だ」
ヴォルトにそう教えられ、ルークスはドキリとし、彼等の様子を目で追った。父もかつてあのような出で立ちをしていたのかと思うと、胸が熱くなる。さすがにこの一団は他の者達より精悍な顔つきをしており、眼光が鋭い。
「父のように騎士団員になりたいと思うのであれば、そうすることもできる」
そう言いながら、ヴォルトはルークスの反応を見ていた。もし興味を示しているようであれば、今のうちにここで直接売り込んでおいた方が話が早い。場合によってはこのまま見習いとして宮殿に残ることも可能だろう。
だが、ルークスの様子からは何とも彼の希望を読み取ることはできなかった。確かに何かしらの感慨を持って騎士団を眺めているのだが、竜を目にした時のような悦びが感じられない。
まぁ、すぐに答えを出すのは難しいだろうと考えて、ヴォルトはひとまず保留にして先に進んだ。
いろんな空間を通り抜けてやっと辿り着いた中央ドームの上階に謁見室があり、この都市を見渡せる大きなテラスが取り囲む広い空間で2人は人々に歓迎された。正確にはヴォルトが歓迎されて、それにルークスがくっついていたのだが。
ここから先はヌスフェラート特有の言葉と、ルークスにも理解できる言葉とが入り混じった会話になり、黙って聞いているルークスが理解できたのは3分の1にも満たない内容だった。
広いフロアの中央に長方形の大テーブルがあり、その両脇に5人ずつの人が座っていて、一番遠い端にある1つだけ特別に大きな席に座している老人が、とりわけ存在感を放っている。王や皇帝といった役職の意味はいまいちルークスにはピンとこないものなのだが、この老人がこの場でヴォルトを除いて最も偉い人物なのだということはルークスにも肌で感じられた。それ程に、何か違うものを持っていた。
別段ゴテゴテの装束であるとか、何らかの権力を示す過剰な装飾品を身に着けているということはないのだが、黙って立っていても人を畏れさせるヴォルトのオーラと同じようなものを、この人も持っているのである。それを何と表現していいのか、ルークスにはまだ判らなかった。
理解できた3分の1足らずの会話から流れを読み取ると、彼らはまず地下世界の情勢について語らい、それからヴォルトの近況について質問し、それにヴォルトが答え、それから彼が初めて弟子を取ったということに話題が移り、ルークスに注目が集まった。
ルークスにも理解できた方がいい内容についてはヴォルトが積極的に共通語で話すので、この辺りの会話は特に把握できた。
「両親を亡くして身寄りのない少年なのです。戦士としての素質があり、私も何故か今回はこの者を教えたいと思いましてな。本人も望んだので、師弟関係を結んでおります。大変優秀な生徒です。いずれこの地下世界に名の聞こえる強者となりましょう」
「ホウ……それは実に運のいいことだ」
「アグロス サム オーベルヌ ゼン」
「ゼラフィン ダス テルト マー……」
「ああ、ただの竜人ではなく、天使であるヴォルト殿に師事するとは何たる誉れか」
「そのヴォルト殿が目をつけられたのがヌスフェラートだというのは、何とも誇らしいですな」
「全くだ」
「ヴェリータス」
「ところで……まさかとは思うのだが……この少年、リヒテンバルド殿に似ておらぬか?」
「ああ、あの先代の。確かに……」
「その、皇帝騎士団首席だったリヒテンバルド殿がこの者の父上です」
「――――何と!」
それで場が軽く騒然とし、ますますルークスは好奇の目で見られた。ヴォルトはルークスが要らぬ差別を受けぬように配慮をきかせ、リヒテンバルドが辺境での余生を好んだため、このルークスも辺境育ちで共通語しか知らぬ為、ヌスフェラート語は話せないと説明してやった。
「では、リヒテンバルド殿はお亡くなりなのか」
「残念なことであったな」
「だが、確かに彼の息子であるならば、秀でた血を引くのは確かだ。その上ヴォルト殿の目に適ったのであれば、間違いなく最高の戦士となるのであろうな」
「ヴェルマーナス」
「実に楽しみなことだ」
父の名を他人の口から聞いてルークスも度々ドキリとし、本当に父がここで生きていた人なのだと実感して、また感慨無量になった。
「この者、既に父上と同じ竜時間を使いこなしております。それが、私が目をつけたところでもありまして」
「何と……!」
人に誉められることの少なかったルークスは、好意的な熱視線や賛辞を浴びることに慣れておらず、次第に落ちつかなくなってきて外に出たくなった。
そんな子供らしい戸惑いを見せている少年に皇帝が穏やかな笑みを向け、貫禄ある声でこう言った。
「そなたも、将来父のようにワシに仕えてくれるのであれば、歓迎いたすぞ。必ずや相応しい地位を与えよう」
父も仕えていたヌスフェラート世界の最高権力者からの大変光栄な誘いの言葉なのだが、正直、嬉しいのかどうかルークスには解らなかった。
ここでも、素早く察したヴォルトがフォローした。
「この幼さですから、まだ将来が定まっておらぬのです。いずれどのような選択をすることになるのかは、まだ私にも解りません。私のように世界を放浪する者になるかもしれませんし」
「それもまた、いいだろう。ワシは強い者が好きじゃ。その者が選ぶ道ならば、それはその者の運命なのじゃろう。それがどのような道であれ、ワシは尊重する」
この時、ルークスの印象に一番残っているのは、皇帝の笑みを見て、何て余裕のある人だろうと感じたことだった。余裕があるというのは、強さの証だ。
ルークスに焦点が当たった部分の流れは概ねこのようなもので、後はまた大人同士の世界情勢に関する話題に戻り、かなり重要らしい情報をやり取りして、やがて会談は終わった。
ヴォルトは宮殿での滞在を勧められたが、今回は立ち寄っただけだと断り、ルークスを連れて早々と宮殿を後にした。
「お主もそのようだが、実は私もあのようなかしこまった場所はどうも好かん」
それを聞いて、ルークスはこの国に来て初めて笑った。
そして街を見物しながら、ヴォルトは尋ねた。
「……どうだ? 父上の国は」
ヴォルトは常に素直な意見を求め、ヴォルトが喜ぶようなことを敢えて言うような、いい子になることをしないように教えてきたので、ルークスは包み隠さずに言った。
「……ここには、住めないと思います」
「ホウ、随分と早くにそう考えるな。何が好かん?」
ルークスの表情をずっと追っているヴォルトに意外そうな様子は少しもなかった。そう言うであろうことは始めから解っていたのだが、細かな理由やルークスの考えるところは、この竜人にはまだ全てを推し量ることはできないのだ。そして、そこを知りたいと思っていた。
「……父さんは好きです。誇りに思います。でも……でも……ここの人達の生活は、何だか自分には合わないように思います」
「半分はそなたの血の故郷だ。住めば、やがて慣れていくのではないか?」
「そうかもしれませんが……今はとても、そんな風になった自分を想像できません。ボク……この地下世界に来て暮らすようになってから、よく解りました。人間が嫌いだし、一緒に住めることはありませんが、それでも、あの地上世界が好きなんだって」
「……生まれ育った世界だものな」
「ボク……太陽が好きなんです。あの光は、この地上世界にはありません。今は師匠と修行しているし、何処までも師匠と一緒に行きたいと思っています。でも、将来……あの皇帝という人が言っていたように、僕が大きくなってからどういう風に生きていくのかを決めるのだとしたら、少なくとも、太陽のある世界で生きていきたいと思います」
「……成る程な。よく解った」
それで、あくまで見識を深める為だけに後3日ほどヴァイゲンツォルト国内を巡ると、ヴォルトとルークスはヌスフェラートの領域を後にして新たな世界へと旅立っていった。