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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第23章
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第4部23章『悪魔の子』10

※※注意※※

この章は大変ネガティブな内容になっております。

文章作品でも映像作品でも、その時のコンディションで受け取り方が変わるものですので、特にメンタルに不調を感じられている時はお読みにならないでください。

詳しくは活動報告の『次章23章について』をご覧ください。

 ある岩だらけの山道で、母は血を吐いた。血混じりの咳だった。

 ルークスは心臓をギュッと掴まれたように感じ、鳥肌が立った。2人ともが、肉体の感じるどうしようもない現実として、あることを予感していた。

 ルークスは泣かなかった。本当に怖い時、おそろしい時、涙も言葉も出はしない。

 次に通った村で、何か大きな騒ぎが起こっていた。不穏な騒動ではなく、久々に湧き返っている様子である。村に入ってすぐ、2人はその意味を知った。

「アイアスがヌスフェラートの大将を倒したぞ!」

「勝ったんだ! 終わったんだ!」

人間がこんなに笑っているのを見るのは、一体何ヶ月ぶりのことだろう。

 母は呟いた。

「ああ……これで……道が楽になりますね」

しかしそれと同時に、ヌスフェラートに出会い息子を託すという方法が失われたことも彼女は悟った。

 大戦終結の喜びに村人達は気を大きくして、大切な酒を出したり食べ物を出したりして祝杯を上げ始め、この時ばかりは盲の女性と子供も仲間はずれにされることはなく、パンや干した果物を分けてもらえた。母はとても喜び、その殆どをルークスにあげてしまった。

 勿論ルークスの方こそ母に元気になってもらいたいので、自分の分はいらないから母さんが全部食べてくれと言うのだが、母は生の果物を少々しか口にしなかった。

「本当に……いいのよ。今は乾いたものや固いものはとても食べられそうにないの。折角だから、悪くならないうちにお前がおあがり。お願いだから」

ただの遠慮や、子供を優先してのことではないのだ。ルークスはそれでも、比較的日保ちのする物には手をつけず、後で母さんが食べる分だと言って取っておいた。

 母の体調からすれば、この村で一泊した方がいいように思われたのだが、「隣街は近いそうだから、今日はそこまで行きましょう」と言って母は出発したがった。

 人々の喜びは続き、演奏のできる者が弦楽器を弾いて音楽を奏でている。その音を背に、母と子は村を出て痩せた道を歩いた。

 次の町もきっと同じように浮かれていて、食べ物をくれたり泊まらせてくれたりするかもしれない。そう期待しながらルークスは母の前を歩いた。

 ――――――と、彼の肩に載せられていた母の手がスルリと滑り、母が倒れた。そして大量の血を吐く。ルークスはさすがに引き攣った声を上げて母を抱き起こした。

「母さん! 母さん!」

これまでに何度もそうしているように、ルークスは母の胸に手を当てて治療呪文をかけた。だが、幼いとは言え、母の血を受け継ぎ素養もあるお陰で、ルークスには怪我や病の程度を感じることができる。その感覚の示すところによれば、母の症状は、もはやこの呪文で治るような域を通り越していた。もっと高等な治療術を行える人の手ならば救う道はあるのかもしれない。でも、そんな人は何処にもいないし、母子は自らで自らを癒すしかないのだ。

 治療呪文というものは、本人の生命力を頼みとするところもある。元の体力がない状態で、言わば死人のような衰弱者をケロリと治す、というような奇跡は行えないのだ。暖かい寝床での休養と、十分な食事、そんなものがあってこそ、治療術は成功する。この旅はそれらを全て放棄するに等しいものだった。

 ああ、どうして、あれ程多くの人々を癒してきた母が、あんなにも献身的だった母が、誰にも治療してもらえない、こんな状態になるなんて。自分の手で治してやれない程に体を蝕ませてしまうなんて。

 ルークスはずっと震えていた。

 一時気を失っていた母は、また少し意識を取り戻すと、ルークスを確かめようと彼の体を撫でた。

「ああ……ルークス。私の天使」

先程の町からかなり離れたのだが、何故か風に乗って音楽が聞こえてくるように思えた。

 世界は陽気になり、やれお祝いだ、勝利だと浮かれ騒いでいる。

 だが、それが何だと言うのだ?

 石と薄い草ばかりがチラホラと生える寒々しい勾配の道で、この痩せた土地のように痩せた母を腕に抱きながら、ルークスはただ、やるせなさと虚しさばかりに襲われた。

「愛する……私の……天使……」

実際に口から出せた言葉は、おそらくそれが最後だろう。肌を通して伝わってくる言葉がずっと頭に響いていたので、その後も母の声は彼に聞こえていたが、我が子への愛を告げる言葉、そして神への祈り、そして父への祈りの言葉、それらを代わる代わる長いこと紡いだ後、次第に声は小さくなり、風の中に溶けてしまうように消えてしまった。

 その時にはもう、すっかり母の身体は冷たくなっていた。

 自分の顔が涙でぐしゃぐしゃになっているのを、ルークスはずっと気がつかなかった。

 どれだけの時間、そうしていたのかは解らない。

 道端に倒れている女と、それを抱きかかえている子供の姿に気づいたのは、これから行くはずだった町から馬でやって来た男だった。終戦の喜びと、今後のことを隣町の長と語らう為に、先程の町へ向かおうとしている代表者だった。

 彼は馬の歩みを止め、その様子を見てとると、すぐに女が既に死んでいることを理解した。そこにいるのは、身寄りのない、行く当てのない孤児だ。

 男は瞬時に考え、大戦が終わったのだから、こんな子供1人くらい問題なく自分の村で養えるだろうと判断した。そして馬を下り、ルークスに寄った。

「……可哀想に。いつ死んだんだ」

「……さっきです」

ルークスはまだ口が利けた。母の躾で人とのやり取りの礼儀は身についている。

 そして男の驚いたことに、男が提案するよりも先にルークスの方が助けを願った。

「……助けて下さい。母さんをきちんとするのに、ボク、大きな穴が掘れません。何か道具を貸して下さい」

男は「わかった」と言い。近隣の村の長としても、大戦が終わった道に女性の死体を転がせておくわけにもいかないので、手伝うことにした。

 そこでまずは一旦自分の村に戻り、道具を手にやって来て、男も穴を掘るのを手伝った。何と言っても、そこにいる子供は物言いこそしっかりしているが、6才かそこらの幼さである。1人で大人一人分の墓穴を掘れるわけがない。男が手伝ったお陰で、小一時間で穴はでき上がり、後は母の体をそこに入れるばかりとなった。

 だが、ルークスは躊躇った。これまで、人が死ぬと穴が掘られて、そのまま埋められるか、柩に入れられて埋められるかするという風習は見てきた。母の手伝いで他人の葬儀にも何度か加わっているし、父のそれも見ているから、今では死というものの概念が解っている。

 人はある時冷たくなり、二度と目を覚まさなくなる。二度と言葉を話すことはなくなり、笑うことも、食べることも、手を上げることもなくなるのだ。そうすると、穴に埋められることになっている。

 父もそうしたのだし、母も他人のことをそうしてきた。だからきっと、これが正しいやり方なのだ。母もそうすべきなのだ。

 だが、ルークスには母を土の中に入れてしまうなんてことはできなかった。

 その様子を見て取った男がこう言った。

「名残惜しいのはよく解る。おじさんはあっちの町に用事があってこれから行くから、それから帰ってくるまでの間はそうしていなさい。後でお母さんを埋めてあげよう」

ルークスの了解を待たずに男は馬に乗って出かけて行き、母の亡骸とルークスだけが残された。6才の子供にしては、ルークスはとても冷静で、身の回りの出来事を理解していた。

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