第4部23章『悪魔の子』9
※※注意※※
この章は大変ネガティブな内容になっております。
文章作品でも映像作品でも、その時のコンディションで受け取り方が変わるものですので、特にメンタルに不調を感じられている時はお読みにならないでください。
詳しくは活動報告の『次章23章について』をご覧ください。
そうこうしているうちに、向こうからランプの灯がゆらゆらとやって来るのが見えた。母と子を追っている、というような慌てた様子のない動きだったが、ルークスは警戒した。母は今すぐ動かせないから、ここで見つかると厄介なことになる。
見つからないことを祈りながらランプが通り過ぎるのを待っていたが、残念と言うべきか、幸いと言うべきか――――――横たわる母がどうしても材木からはみ出してしまうのと相手の目敏さとで、母子は見つかってしまった。
それは、いつも母の手を引いてくれる少女と、その父親だった。父親は少女が母の手を引くよう提案してくれた人だ。少女はこちらを発見する前から涙で顔を濡らしていた。
父親は「あっ」と言うと、すぐさまルークス達の所へ駆け寄ってきた。ルークスは身構えた。
「無事だったのか! ああ良かった! 神様!」
額に厳しそうな縦皺を刻んでいる髭面の父親もまた目を潤ませていた。
「全く、どうかしている。皆、戦の恐怖で頭がいかれてしまったんだ。こんな事、許されることじゃない。もう少しで我々の村はとんでもない罪を犯すところだった」
そして父親は膝を折り、母と子の様子をよく見た。
「動けないんだね? 2人ともまずは家に来なさい。この先にある。今はまだ探そうと躍起になっている連中が沢山いるから、早く隠れた方がいい。十分休んで動けるようになって、外の方もほとぼりが冷めた頃にこっそり出ていくのが安全だ。それまでは我々が必ず守るから」
ルークスはまだ身構えていたが、その肩を母が取って言った。
「ルークス、この方達を信じるのです。助けていただきましょう」
そして母は父親に抱き上げて運んでもらい、少女がランプを持って先導した。ルークスはこの2人が本当に助けてくれるのか、突然豹変したりしないかを慎重に監視しながら、同時に他の人間達に見つからないかにも警戒した。
程なくして到着した家の納屋に2人は案内され、なるべく見つかり難い場所に寝床を用意された。この家が一番2人に対して同情的であるのは村人達の知るところであるから、もしかすると疑ってかかる連中がこの家を探しに来るかもしれないと言うのだ。
見つかり難いことを第一にしていても、なるべく暖かで心地の良い環境を用意してくれたので、2人はそこで改めて互いを治療した。
母の体調は思わしくなった。これだけの目に遭ってきているので、もはや何が原因かなんて特定することはできない。おそらく全ての事が原因なのであろう。
家の人が用意してくれた簡単な食事で最低限の栄養補給をすると、母と子は寄り添って泥のように眠った。
それからは様子見と、どう見ても母には休養が必要だったこともあって滞在を強く勧められていたので、2日間ゆっくりと体を休め、好意に甘えた。
村の人達は、あれだけのことをして逃げられたのだから、きっとこの事はヌスフェラート達に伝わって次にこの町が標的にされるだろうと、恐怖に駆られ騒いでいるらしい。実に愚かしいことであった。
いつでも出発できるよう、家の人々が用意してくれた服や保存食などをまとめて、2人は準備を整えた。
そして3日目の夜、夜道は魔物の往来が増えるから危険なのだが、人間に見つかる方がもっと性質が悪いということで、十分に辺りが暗くなってから母子はその家を出発した。
欲を言うならば、母の体調がもっと回復してから出発させた方が良かっただろう。だが、村人達の恐怖が日に日に高まり狂気の様相もより色濃くなってきたので、できるだけ早くグレネルトを離れたほうが良くなってしまったのである。
母も子も、姿が判らなくらいにしっかりとマントとフードで体を覆い隠し、ルークスはマスクもして再び病気の子供を装った。
そしてランプも松明も持たずに――――あれば目立つだけだ――――夜闇の中を旅立った。荷物は全て家の人が用意してくれ、なけなしの路銀も持たせてくれた。それでもこの母子が進む苦難の道には全く足りないことが彼等には解っており、「どうか村の連中を勘弁してやってくれ。神のご加護を」と涙ながらに見送った。
母と子は、もはやこうなったら、どんなに危険でもヴァイゲンツォルトを目指してみようと考えていた。この状況では、何処かの村に定着するというのはもはや無理な話だ。
何処かにとても変わり者の人間がいて、こんな姿の母でも受け入れてくれて母子共々匿い、養ってくれるという奇跡のような出会いでもなければ、この地上で安全に暮らせる場所などないだろう。
だが、ヌスフェラートの血を引く子供まで認めて迎え入れられる度量のある人間など、この地上にはいはしない。男なら母を見初めることはあるとしても、やはりルークスのことは邪魔に思い、殺そうとするだろう。女ならルークスをおそれるだろう。そんな者を匿ったことが他人に知れたら、その人自身が責められかねないから。
そうなれば、母はそんな危険を冒すまいとする。だから、もう目指すのはヴァイゲンツォルトしかなかった。
そして母はこうも覚悟していた。自分の体はもうボロボロで、長い旅には耐えられないかもしれない。だから、もしヌスフェラートの一味に出会うことがあったら、自分は殺されてもいいからルークスを保護してもらい、ヴァイゲンツォルトに連れて行ってもらえるようお願いしよう、と。かつての皇帝騎士団の首席戦士の息子だ。彼の名と、ルークスの首に下げている父の形見である騎士団の証を見せれば、きっと彼らは息子を守ってくれるであろう、と。
だから母は、自分が殺される可能性については一切話さずに、ヌスフェラートと出会えた時の振る舞いをルークスに教えておいた。その時こそマントとマスクを脱いで全身を露にし、騎士団の証を見せて父の名を叫べ、と。そして助けて下さいとお願いするのだ。
だから、危険と言われている地域でも敢えて避けずに進み、ヌスフェラートとの遭遇を願いながら村から村へと渡り、行く先々で怪我人や病人を治療して少ない報酬を得、いつでも餓えた状態で道を進んだ。
盲目の女と病気の子供はどことなく気味悪がられ、一時の宿を貸してくれたとしても大体納屋であり、家の中に泊めてくれることはあまりなくなった。それでも納屋に泊まれるのならまだいい方で、泊めてくれないこともあり、野宿を余儀なくされることもあった。そんな旅はますます母を消耗させ、ただでさえ養生が必要だった体をもっと痛めつけることになった。
ルークスは子供である生命力と、ヌスフェラートらしい強靭さで深刻な衰弱には至らない。体さえ大きければ母を背負うことも、腕に抱いて運ぶこともできるだろうが、今は肩を貸せるほどの身長もない。杖や手摺り代わりにルークスの肩を掴むのが一番しっくりいくポーズなので、どんなに母を助けてやりたくても、ルークスに可能なのは母の目となり、肩を支えにさせてやることくらいだった。
病気で肌を見せられない幼い子供が先導役となって、盲の母親と歩いていく姿は、美しさよりも不幸や災いを人々に連想させた。ここまで悲惨な生活をしている者は、きっと何か疫病神にでも取り憑かれているのだ、とか、触れると不幸が伝染する、と体が反射的に考えてしまうのである。本当の伝染病患者相手なら自分の身を守るのに役立つ正常な反応であるが、避けられる方としては辛い。
女性と子供なので、心配した騎馬の兵士が声をかけてくれることもあったが、母の酷い顔を見ると呻き声を漏らして、小金を足下に落とすと、すぐに立ち去ってしまった。
シェルトランを離れ、石を投げられなくなっただけマシではあるが、少しも楽にはならなかった。餓えが上げる苦しみも、全身の痛みも、それが強ければ強いほどルークスは母への愛を思った。
中央大陸ガラマンジャ北西部にヴィア・セラーゴというヌスフェラートの都市があり、そこからヴァイゲンツォルトに通じているという。しかし、その都市は標高の高い山々に囲まれており、到底2人の足では進めないであろうから、その北西部手前にある森の洞窟から地下世界を目指せと父は言っていた。そこならば、金を払えば安全に通してくれる番人がいるらしい。それに皇帝騎士団にまつわる者はただで通してくれることになっているから、父の騎士団の紋章を見せて案内してもらえということになっている。
だが、その森までの道は遥かに遠かった。それに、ヴィア・セラーゴは人間達の認識ではヌスフェラート唯一の王国と思われている。近づけばそれだけ危険度も高くなる。付近の森の邪悪さは、他の森など比較にならないとの噂だった。
とても、辿り着けるとは思えなかった。