第4部23章『悪魔の子』7
※※注意※※
この章は大変ネガティブな内容になっております。
文章作品でも映像作品でも、その時のコンディションで受け取り方が変わるものですので、特にメンタルに不調を感じられている時はお読みにならないでください。
詳しくは活動報告の『次章23章について』をご覧ください。
すると母は、そんな姿になっても尚、神への信仰を失うことなく善意の視点で物事を見、ルークスを慰めるのだった。
「ルークス、人々を恨んではいけませんよ。皆は皆で、とても辛い思いをしているのです。あまりに辛いから、誰か他の者を恨もうとしてしまうのです。本当は皆、誰もがそんな苦しみから解き放たれて楽になりたいと思っているのに、なかなかそうできないのです。戦争とは……人々をそんな苦しみの渦に引きずり込んでしまう。
何かが悪いのだとすれば、それは戦争なのです。戦争をするヌスフェラートではありません。彼等も、何か別の方法を取るべきだという点で学ぶことが多いと思いますが、ヌスフェラートそのものが悪なのではありません。それは、お父様を見ているあなたにもよく解ることでしょう。人々には、それが解り難くてヌスフェラートの方を恨んでしまいます。だから……このようなことが起きてしまうのです。
でも……大事なのは、あなたが私の大切な息子であり、神の遣わした天使であり、素晴らしい役目を負っているということなのです。人々は、まだそれに気づいていないだけなのです。これは、試練なのですよ、ルークス。役目が大きい者は、大きな試練があるものなのです。それを越えて、あなたは一人前の天使になるのです。私は、そんな日が来ると信じています。きっとあなたは、人々を救い導く、類稀な神の戦士となることでしょう。私は信じていますよ、ルークス」
子供にとって、親の言うことは神の絶対法則に等しい。ルークスはこれまで母の教えをそのまま受け入れていたのだが、最近ではそれが難しくなってきていた。親を疑うこと、親の信ずるものを疑うことは苦しくて辛いことだし、大抵は思春期を過ぎた子供が体験することなのだが、周囲を取り巻く状況があまりにも過酷で厳しいものである為に、嫌でもルークスは母の信ずる神なるものに疑問を抱いてしまうのだった。
本当に神はいるのか? いるのならば、何故父を奪ったのか? 何故母と自分だけがこんな辛い目に遭わなければならないのか?
母は人間で、信じている神も人間の神で、ヌスフェラートのことは助けないのじゃないだろうか。それどころか、町中の人達のように人間の神もヌスフェラートを嫌っていて、だから父は早く死に、自分は悪魔の子だと罵られる生活を送り、ヌスフェラートの子を産んだ母も神に嫌われて苦しめられているのではないだろうか。
それは、幼い子供にとっては悲し過ぎる思考の模索だった。
だが、間違いのないものはある。母と子の絆。そして愛だ。
夜だけは、どんな心配も忘れて同じベッドで抱き合いながら眠った。生まれてからずっと、ルークスは母と同じベッドで共に眠ってきた。今日は父と寝ないかと言われても、イヤイヤをして母にしがみ付き、父を笑わせたものだ。
男手がないし、ルークスは幼い上、今は外に出られないので薪拾い等の手伝いができないから、この小屋は暖房に乏しい。しかも石を投げられて開いた穴を十分に修繕できていないから、隙間風のせいで室内はとても寒かった。それでも、野宿をするよりはずっといい。それに、こうして母子で寄り添って寝ていれば、互いの肌の温もりでとても暖かかった。この暖か味と愛が、互いを生かし守る縁だった。
フワフワと踊るように頭で跳ねているルークスの金髪を撫で、母は頬摺りした。他のヌスフェラートの子供を見たことはないが、母にはこの子が美童だと解っていた。不幸のせいで陰っていなかったら、輝くばかりであったろうと思う。それが母親として、彼女には残念なことだった。
やがて、彼女は我が子のその美しさを見ることも叶わなくなってしまった。性懲りもなく彼女に石を投げつけてくる連中の、それも悪意ある大きな石が彼女の頭を直撃し、彼女は暫く昏倒してしまった。そして目覚めた時、彼女は前のようにものが見えなくなっていたのである。顔には大きな痣ができ、綺麗な藍色だった瞳は白濁してしまった。
これにはさすがの村人も腹を立てた。村々を巡って治療ができてこそ彼女は役に立ったのだし、それができなければ用無しになってしまう。それは村にとっても困ることだし、彼女も生活が立ち行かなくなるから、双方にとって痛手だ。
しかし、悪意ある者もいれば善意の者もいる。とある良心的な家の者が、大して手伝うこともなくて遊んでばかりの子供を貸してくれると言い、ルークスより大きな少女が母の手を引いて歩いてくれるようになったのである。この少女は、ずっと前から母のことを慕っていた心優しい子だった。
その少女に手を引かれて小屋に戻ってきた時、悔しさのあまりルークスは泣き叫んだ。送り届けた少女は、さすがにルークスのことはおそれて早々に村に帰ってしまった。
「ああ……泣かないで、ルークス。こうしていれば、私にはお前が見えますよ」
母は彼を抱き締めて体を擦った。
「みんな……大嫌いだ……! 大嫌いだ……!」
「そんなことは言わないで。あの子のように、助けてくれるいい人達もいるのよ」
それからは、ますます家事が困難になり、ルークスが一生懸命に手伝った。彼は父と同じように並みの人間以上に夜目が利いたから、誰か見張りの者が来ても判らないくらいに暗くなると、こっそりと家を出て薪拾いなどをし、母が集めるのを見て知っていた薬草などをできるだけ集めてきた。
母の血を受け継いでルークスには治療術の素質が僅かながらあったので、これを機に母はルークスに改めて術を仕込んだ。治療呪文は覚束なげながら行うことができる。それでも母の目を治すことができないから、ルークスは悔しがった。それでなければ意味がない。
そもそも村に他の治療術者がいれば、このような後遺症を残すこともなく母の目は治っていただろう。だが、その唯一の術者である彼女が長時間昏睡していた為に治療が遅れ、もはや呪文では治らぬほどに症状が進行してしまったのである。
つくづく、悪意ある者達の愚かさの成せる不幸だった。
本当ならばルークスが母の手を引いて手伝いたいのだが、それはできないから、それ以降、朝になって迎えの少女が来てから、手を引かれて母は出かけていくようになった。
側にいれば石の飛礫から母を守ることができるのに。そう思うとルークスは居た堪れない。だが、実際もし彼が出ていけば、もっと石が飛び、息子を庇う為に母はもっと傷つくだろう。だからルークスにできることは夜の手伝いと、日中は家にいる、この2つしかなかった。
傷つくほどに母と子の絆は強まり、どうすれば互いを生かし続けられるかを真剣に模索した。少女が手を引くようになってからは、さすがに己の罪深さを認識したのか、或いは少女の方に石が当たると何かと面倒だからか、石を投げられることは減っていった。
これが余所者と村人との間で計られていた微妙なバランスの最終着地点になるように思われ、事実、それから暫くの間はある意味平穏な日々が続いた。
ある夜、母は息子を抱きながら言った。
「こうして目がよく見えなくなってからは、世界はただ明るいか暗いかしか解らないの。でも、かえってものがよく見えるようになった気がするわ。人の心や温かさは、目で見えるものではないのよ。皆も同じようになれば、お前の肌の色なんか気にせずに、お前の中の光をそのまま見ることができるだろうに」
治らないと解ってはいても、毎晩ルークスは母の目に治療呪文をかけた。母はただありがとうと言い、「お前の光が見えたよ」と彼を抱き締めてキスをした。
早く大戦が終わって欲しい。早く大きくなりたい。そして母と2人でヴァイゲンツォルトに行きたい。ルークスはそう願った。
ルークスの願いをよそに、大戦の模様は苛烈なものになっていった。アルファブラの戦士アイアスとその一団の戦いは噂に聞こえてくるが、まだまだヌスフェラートの将は残っていて、この大戦がいつ終わるとも知れなかった。
街道は魔物で溢れ、人々は危険を冒しながら農業や狩猟を行っていた。この地域は王都から離れているので駐在する兵士はいない。だからルークスのことを報告されずに済んでいるのだが、その分村の防備は薄かった。かと言って戦士を雇えるほどの資金もない。となると、村人たち総出で自警をするしかないのである。
いつでも魔物に受けた傷で誰かが新たに苦しみ、母の治療を待っていた。