第4部23章『悪魔の子』1
※※注意※※
この章は大変ネガティブな内容になっております。
文章作品でも映像作品でも、その時のコンディションで受け取り方が変わるものですので、特にメンタルに不調を感じられている時はお読みにならないでください。
詳しくは活動報告の『次章23章について』をご覧ください。
森の奥の小屋で待望の赤子が誕生したのは、雪の降り積もる冬のことだった。
妻は産気づくまで甲斐甲斐しくよく働く女だったが、陣痛が始まって外に出られなくなると、後は夫ができるだけのことをした。普通の男は大抵こんな時オロオロしてしまって役に立たないし、知識としても何をすれば良いのか知らないことが多い。それでもこの男が立ち働くことができたのは、妻の指示が的確であったことと、多少の危機に簡単にパニックを起こすような弱い神経の持ち主ではなかったことが理由にある。
そして何より、この妻を愛すればこそ、少しでも役に立ち楽にしてやりたいという気持ちがあった。また、かなり年若いこの妻の方も――――女と言うより娘と言った方が似合うほどだ――――これが初産でありながら気丈に立ち向かえたのは、これまでに度々他人の出産に立ち合い、赤子に祝福を与える、ということを行ってきたので、全ての行程を心得ていたからである。
彼女は聖職者だった。
そして、妻を心配そうに見守り、時には体を擦ってやる夫の方は、歴戦の戦士だった。彼の手は、本来このような仕事には向いていない。だが、器用で繊細なところがあった。
この小屋には夫婦2人しかおらず、産婆を呼んではいない。一般的な町の出産では、まず1人は介助役の女を頼むのが常だから、この状況は少し珍しい。
降り積もる雪のせいで産婆を呼びに行けないのでもなく、街が遠過ぎるのでもなく、金がないわけでもない。最初から2人は、余程のことがなければ人を呼ぶつもりがないのだ。何故ならば、それは夫である男の姿が、ありありとその理由を物語っていた。
彼の肌は青ざめた色をしており、目の縁には暗い影が落ちている。そして長い犬歯と尖った耳。この地域ではまず見られることのない特徴だ。
男は人間ではなかった。正真正銘、純血の、生粋のヌスフェラートなのである。大変に珍しいことであるが、この2人は、異種族の中では特に明確な敵対関係にある(一方的に片方が攻めるばかりの図式だが)者同士ながら、相思相愛となり結ばれた夫婦であった。
過去に例がないわけではないが、ヌスフェラートの男が好奇心から人間の娘を犯すことが稀にある程度で、愛が伴うことは滅多にない。
そのような中で、この2人の絆が成立したのは幾多の偶然が重なってのことなのだが、何より双方が、それぞれの種族の中では変わり者の部類に入るところが大きいだろう。
娘は聖職者であるが故に、相手の姿ではなく魂を見て接する精神が染み付いているし、男の方は同属に対して嫌悪感を抱いており、人間については特別な感情を持っていなかった。
だから、これまで同族の娘の中に見出したことのない清らかさというものを備えている彼女に初めて出会った時、彼は甚く衝撃を受け、それがそのまま激しい恋慕へと移り変わるのは容易いことだったのだ。
相手が普通の人間の娘だったならば、叫んで逃げられたことだろう。だが、彼女は逃げずに男とまともに対話をし、互いをもっとよく知るために共に旅をするようになり――――最終的には男の熱意を受け入れる形で娘が応え、結ばれたのである。
だが、2人ともそれぞれの世界での常識はきちんと心得ている。男の方は人間世界の戦士や魔術師ではまず歯が立たないほどの強戦士であるから、身の危険はないのだが、それぞれの種族の感情から、娘の方の身が案じられた。
一時はそのせいで身を引くことも考えて彼は多いに悩んだのだが、かつて経験したことのない熱情には抗えず、また娘の方も勇気ある人だったので、彼の苦悩を理解した上で受け入れ、愛したのだった。
長い相談の末、2人は人間世界と言っていい地上世界の方で暮らしている。地下世界で彼女を守ることも提案したのだが、彼女自身がこの地上に留まることを選んだのだ。未知の世界をおそれたわけではなく、これからも人間達の助けとなり、神に仕える者として見守っていきたいと考えてのことだった。だから完全に孤立した場所には敢えて住まわず、行こうと思えば人里に行ける森の中に身を置くことにした。
男の方がわざわざ人前に姿を晒すことはしないので、建前上は娘が1人で森の暮らしをしていることになっている。
町で食料を2人分揃えようとすればバレてしまうが、男の方は広大な森での狩りが得意だったので、その途上での山菜や果物などの収穫も合わせれば、むしろそれだけで十分に2人分を賄うことができたから、娘の方は特に気にせずこれまで通りのことをしていれば良かった。
病人がいれば看てやり、己の魔術で可能な限り癒してやり、子供達には神の教えを説いてやりながら愛しみ、隣町への手紙などがあれば運んでやるなどした。その返礼として、食べ物や金品を頂くが、それは決して強制ではない。
付近の村々では、彼女はとても好かれていた。若くて美しく健気な神の使いとして尊敬され、多くの若者に憧れられていた。
だが、彼女があまりに熱心に神に仕えているものだから、それを止めて自分の妻にならないかと言える者はおらず、村を去る彼女を毎回名残惜しく見送るばかりで、そんな彼女の方は森の奥の小屋に戻れば、秘密の夫であるヌスフェラートと夜を共にしているのだった。
そんな彼女が自分の体の変調に気づいたのは、彼と暮らし始めてから半年後のことだった。いつものように聖職者としての勤めを行うべく人里を訪れていた時のこと、急に胸のむかつきを覚えて、彼女は道端で嘔吐してしまったのだ。感覚の鋭い彼女は、すぐにそれが悪阻であると悟った。
畑仕事をしていた村の若者がそれを見とめて駆け寄り、彼女の体を気遣って小屋までお送りしましょうと申し出てくれたのだが、彼女は丁寧にきっぱりと断ってその日は早々に切り上げ、森の小屋へと1人で戻ったのだった。
彼女の悪阻は酷かった。確証を得られるまで妊娠の可能性は夫にも話さなかったので、深刻な病にでもなってしまったのではないかと夫が真剣に心配するほどだった。異種族の愛に耐えられぬ体なのかもしれないとさえ考えもしたのだ。ある意味それは当たっていた。
そして彼女も薄々気づいていたので、もはや間違いないとなった頃に夫にそれを話した。
人間の妊娠と悪阻の関係でも、腹の中にいるのが男児であったり父親の特徴の方を色濃く発現していたりすると、症状が重くなるという。明らかな異物を抱え込んでいることに体が必死で適応しようとしている証なのだ。
だから、ヌスフェラートの血を引く子を宿したからこそ、自分の悪阻は重いのかもしれない、と彼女が話すと、夫はとても驚かされると同時に心から喜んだ。
平均寿命の長いヌスフェラートらしく、彼は彼女の10倍以上の時を過ごしているのだが、それでも初めての子供なのである。まさか授かるとは思ってもみなかったので、それは二重にも三重にも嬉しいことだった。
人間達がまず知らぬことなのだが、地下世界には各種族共通のある不文律がある。それは《異なる種族と交わり、子を成してはならぬ》というものだった。特にそれで法的に罰されるということはないのだが、かなり固く守られている。
何故か、という部分について知っている者は少ない。しかし迷信と思われる風習やしきたりなんていうものは、皆そんなものである。そんなしきたりのことなど当たり前のように、疑問を抱かずに生活している者が殆どなのだ。
そして他種族に性的興味を抱く者も通常はあまりいないし、それ程に種族同士の形態があまりにかけ離れているから、しきたりが役に立つ機会そのものが少なかった。虫族と獣族、或いは鳥族と暗鬼族の掛け合わせなんて、普通は考えられないものだ。
しかし、地上世界の者――――つまりは人間なのだが――――と交わってはならないとは言われていない。だから彼も途中で引き下がることをしないでここまで来たのだが、人間との場合はどうなのかについては、よく解らなかった。
遥々、地上世界にまで行って相手を求める者などいないと思われて、敢えて語られないのかもしれないし、人間に興味を持つ者など、いる訳がいないと考えられているのかもしれない。
だからこそ、彼女との生活が何を生み出すかは全く未知なるものだったので、告げられた受胎は一種の奇跡だった。
症状が良くなるまでの期間、男は実に面倒見良く彼女の世話をした。この時も、彼女の的確な指示のお陰で家事が身につき、こなすことができるようになった。それ以前の戦士としての粗野な生活からは考えられないものだった。だが、この変化を、彼はとても気に入っていた。
この物語が限りなく美しいのは、ここまでである。美しさはいつまでも残り、続くが、後は過酷で残忍な影が覆ってくるのだ。