第4部22章『暗黒騎士』12
自室に戻ったソニアは、部屋の照明を落として薄暗くしてからテラスに出て、昨日のようにセルツァを呼んだ。また蛍火が飛んで来て、テラスにフワリと降りた。
「……やぁ、戦乙女殿」
「どうだった?」
都に戻るまで呼んでも彼が現れなかったので、今ようやくこうして会えたところだ。ソニアは自分も膝を折り、迫るようにセルツァの顔を覗き込んだ。
「あの後、あの竜騎士を尾けていったが、君との約束通りハニバル山脈に向かって、その後は山脈伝いに南へと進んでいったよ。そこまで確かめて帰ってきた」
「良かった……」
ソニアは溜め息をついた。
「暫く観察していたが、特にどこかの所属を示すような標も見られなかった。マントの下に隠しているのかもしれないが。隠密行動中のようだったから見られないようにしてるんだろうね。だから、あれ以上詳しいことは判らなかった。何か引っ掛かるんだが、いまいちよく思い出せなくてね。すまん」
「いえ、ありがとう。本当に助かるわ」
南に向かっているということは、一番の目的はテクトなのだろう。あの国で起きたことを調査に来ているのかもしれない。この国は通るだけだが、偵察をするかもしれないと言っていた。すると暫くはこのナマクアにいるのだろう。
どうか人間と遭遇して騒ぎが起きないようにとソニアは強く願った。あの分では、おそらく何があったのかも解らぬうちに殺されてしまい、騒ぎには至らないのかもしれないが。
とりあえず今回のところはそれでお終いにした。見逃すと決めた相手のことを心配しても時間の無駄である。正しかったのだと信じるより他ない。
そこでソニアは話題を変えた。
「私、これから手紙を書いて、その後は湖の方へ出掛けるの。この城にいる時は大抵毎日していることなの。湖まで行って、人のいない所で寛いでくるだけだから、ちっとも危険じゃないから、その時はついて来ないでもらえるかしら」
それを聞いて、セルツァは目をパチクリさせた。瞬間的には《ついて来ないで》ということに軽くショックを受け、その後は理性的に頭が働き、いろんな可能性を考えてピンときた。
「……泳いだりするのかい? それとも例の男と一緒とか……」
その点については、特に誤魔化さずにソニアも教えた。
「泳ぐこともあるけれど、大抵は歌を歌ってる。そうして時間を過ごすのが一番好きだから」
「ほぅ……! 歌ね」
エルフの血を引くらしい彼女の趣味にセルツァも喜んだ。
「彼とは幼馴染みだから、これまでにも時々一緒に過ごしてお喋りとかしているから、そういう時もあるし」
「ふぅん……。まぁ、解ったよ。つまり敵襲がなくて平和な夜だったら、心配はするなってことだな。その標として君の歌が聞こえてくる、と。解ったよ。覗きはいたしません。ご安心下さい」
セルツァは恭しく胸に手を添えて頭を下げて見せた。ソニアは「ありがとう」と礼を言った。
こんなお願いをするのも、早速この後アーサーと過ごすからだ。セルツァには聞かれたくない話をする可能性もある。それに、彼がまた先日のように自分に迫るようなことがあったら、それをセルツァに見られるのは率直に言って恥ずかしい。エルフの契約を信じたいので、言葉通りならきっと約束を守ってくれるだろう。
緊急時には必ずセルツァを呼ぶとソニアの方も約束し、彼の方から急の用事がある場合は、彼と解る青い小鳥などの姿で鳴きながら来てもらうことにした。それなら、セルツァを知らぬ人の前であったとしてもソニアだけがそれを悟り、その場を離れて2人きりになれる場所を探して彼と話をすることができる。
じゃ、そういうことで、とセルツァは早めのお休みを言い、蛍火となってテラスを離れていった。
彼がいれば、本当に色々なことで安心できるから助かる。有り難く思いながらソニアは部屋に戻り、照明を強めて予定通り書机に向かい、メルシュ王子宛ての手紙を書き始めた。
長い旅となったので帰国が遅れに遅れ、ようやく支援が送れるようになったことをまず説明し、旅の全容は派遣された者に聞いてもらうことにした。そして皆は元気であるか、復興は進んでいるか、雪猿とはうまくやっているか等を尋ね、もし雪猿に慣れたようであれば、大いに手助けできそうな竜が一匹いるから、そちらに派遣させて差し支えないかも伺った。
そこまで書いた所で、《竜》という文字を見てあの王子がどのような顔をするか想像し、ソニアはクスクス笑った。異種族に対する理解がある、さすがのあの王子でも、竜には驚くだろう。まだゼフィー本人には訊いていないが、王子がOKを出すようならあの子に勧めたい国だ。
その後は皆の平穏無事と復興の成功を祈る言葉で締めくくった。
正式の書簡として丸め、紐で縛り、蝋印を押す。国軍隊長の紋である翼を広げた鷲がそこに現れた。これを明日、出発する派遣隊に渡せばいい。ああ、楽しみだ。
手紙を書き終えたソニアはようやく全ての必要から解放されて自由の身となり、クローゼットから愛用の竪琴を取り出すと、また部屋の照明を落として就寝したように見せ、それからテラスに出てヒラリ城壁に飛び移った。それを越えればすぐ森があり、森伝いに湖に行くことができる。
人に目撃されず静かに森の道を進み、ソニアは通い慣れたいつもの場所を目指した。
湖の岸辺にある大きな岩の上に座って、祭の準備に熱を入れている城下街の明かりが湖面に映るのを眺めながら、ソニアは竪琴を軽く弾き、帰国の悦びを歌に歌った。夜でも花の甘い香りが漂ってくる素晴らしい夜景だ。
ああ、またここでこうして時を過ごせることの何という悦びだろう。ソニアの胸は震えた。
そうして時間を過ごし大分経った頃、ようやく職務を離れることのできたアーサーが遅れてここに到着した。彼も平服に着替えて楽そうにしている。白い歯が街の炎に照らされて彼の笑顔がわかった。
彼はソニアの隣に座り、途中だった曲が終わるまで聴き入っていた。
「……お疲れ様。こんな時間まで大変だったわね」
「いや、こっちこそ待たせて済まなかった。早く来たかったんだが、いろいろあってね」
「あなたはずっと働き詰めだから、無理に今日じゃなくても明日でもいいのよ?」
「オレは今日聞きたい。大丈夫だよ」
聞く気満々である、という意志表示に、彼はしかめ面までした。ソニアは笑った。
この穏やかな空気と素晴らしい夜景は、辛い話をするのに大いに助けとなるだろう。他の人々には言えないような秘密を話せる友がいるというのは、とても幸せなことだ。彼を前にして、ソニアはその思いをかみしめた。
どこまで言えるか解らないが、彼に言えない秘密があるとすれば、それは他の誰にも決して話せないもので、自分1人の中に隠して墓まで持っていくものになるということだ。
どうか、彼に話す勇気が得られますように。ソニアはそう星に願った。
心の準備に時間が必要だったせいで、辺りはシーンと静まり、歌の後だから一層その静寂が迫ってくるように感じられた。それでも、先に歌で清められていたお蔭か、夜風には優しさがあった。
「……この旅は本当に長かった。とても人には話せないようなことが多くて……本当はもっと沢山の出来事があったの。あまりに多くて……順を追わないと話すのが難しくなるかもしれない。だから……大事なことはなるべく一気に喋ってしまうわ。だから、アーサー、私が話す間……できれば何も言わないで。あなたにあまり驚かれたら……私……それ以上話すのが怖くなってしまうかもしれないから」
夜闇の中で、アーサーが黙って頷いた。それを見て、ようやくソニアも話し始める気になる。
ソニアは竪琴を脇に置くと、膝を抱えて吐息し、まずビヨルクのことから話し始めた。雪猿に取り付いた魔物が本当は何を守ろうとしていたのか。そして王子がソニアに対して語った含みのある言葉。かつて国王にも会ったことがあり、その時も同じような反応をされたのだが、国王も王子も、自分のことを一目である一族の者と見抜いていた。
王子の提案で魔物と戦い無事に禁断の間を開放すると、王子はそこにあった魔鏡ヘヴン・ミラージュで自分を別の土地に転送させてくれた。転送薬ではなく、特別な道具を使ったのだ。
しかも辿り着いた先は――――――異種族の村だった。自分と同じ姿を持つ者達の。
国王や王子はその異種族の血を遠く引いており、成人の儀式の際に彼等の村を訪れるから彼等のことをよく知っていて、それで一目でソニアがその種族であると見抜いたのである。だからこそ、魔鏡を使うことを許してくれた。
「そこは……ハイ・エルフという種族の村だったわ。本当に生まれて初めて、私と同じ髪の色や目の色をした人達に会って……とても驚いた。そして、同じ姿だから良くしてもらえて……耳の形は違うんだけどね。あの人達は皆、耳がツンと長いの。いろいろ見せてもらったり歓迎されたりして……旅立つ時にはあの剣を頂いたの。あの村には戦士がいないから使う者にあげるって。《精霊の剣》といって、その人達の作なのよ」
異種族の作と知って、あの剣の魔力と言っても過言ではない潜在力の秘密に納得がいったようで、アーサーは感心の溜め息を漏らした。
「彼等の流星術で行ける人里は限られていたから、ナマクアには行けず、私はその次にディライラに行ったの。それで、城に行くところまでは話した通りなんだけど……止まる部屋で気づいたら、荷物の中に村からついて来てしまった妖精が入っていたのよ。当初は《冒険がしたかった》と言ってたけれど、後で判ったのは、その妖精は私の護衛をする為に送られていたのよね」