第4部22章『暗黒騎士』10
ソニアは、森の中で先程の青年兵と合流することができた。アトラスにしがみついたままミルアが森をさまよっているのを見つけ、ミルアの証言から魔物の出現を知り、彼は大急ぎで村へと戻ってミルアをまず預けると、もう1人の駐在兵を伴って慌てて馳せ参じてきたのだ。
2人は各々の馬に乗り、アトラスを先行させてソニアの下へ連れて行くよう誘導を頼んでいた。賢いアトラスは少しも道に迷うことなく。先程辿ったルートを走り、ソニアに再び会うことができた。
「――――軍隊長様!!」
青年兵ミクスの言うことが未だに信じられずにいたアキは、本当にそこに噂通りの容貌を持つ人がいたものだから、おそろしく仰天した。今のソニアは兜を脱いでいるのだ。
ミクスは馬から下りると、ソニアに駆け寄り跪いた。アトラスも彼女に擦り寄る。ソニアはアトラスの首筋を撫でてやった。
「ご無事でございましたか! 良かった!」
「……ああ、ミルアは?」
「はい! お蔭様で、村に無事連れ帰っております! 怪我もありません!」
「そうか、良かった」
困ったままのアキもようやくそこに降り立ち、彼の場合は平伏した。
「おや、いいよ、そんなことは。ところで、村には誰か残っているのかい?」
兵士が残って村を守っているのかということである。ミクスはまたもやしまったと思い、顔を青くした。まぁ若いのだし、村の駐在では緊急時の対処に戸惑うのは致し方ないことであると思い、ソニアは苦笑した。
「私を心配して2人で来たんだろうけど、何があっても、やはり1人は村に残らなければいけないよ! こんな時に魔物が襲ってきたらどうするんだい?」
「――――は、はいっ! ごもっともです!」
「では村に行くよ! ミルアの様子も見たいから、私も少し休ませてもらう」
「はいっ!」
ソニアはアトラスに乗り、ミクスもアキも再び騎乗した。
「あの……ミルアの話では、何か大きな魔物が出たそうですが……それはもう済んでしまわれたのですか?」
「……ああ、済んだよ。心配要らない」
彼女の言う『済んだ』とは、彼等の思い描く対処法とは全く異なっていたが、パニックを起こしたくないソニアは一切の詳細を語らなかった。
そしてミクスの先導で3人はパレッタへと向かった。
程なくして到着したパレッタの村では、ミルアの母親らしき人物が村の入口で、皆の見守る中、懇々とミルアを説教しているところであった。小さい村であるから、村のほぼ全員がそこに集まっている。そんな中の老人2人が「まぁ、まぁ」と母親を宥めつつ、ミルアも優しく窘めた。
村人に説明する暇はなかったので、誰もソニアのことは知らない。だから、ミクスとアキの他にもう1人白馬の騎士がやって来たものだから、皆の目を引いた。何しろ馬が美しいし、鎧も凄い。
「おや、そちらは?」
その質問に答える前に、ミクスとアキは馬から降り、並んでソニアの方を向くと敬礼した。
「――――ようこそパレッタへ! 歓迎致します!」
失態続きであった彼等も、この時ばかりは板についたキリリとした敬礼を見せたものだから、ソニアも満足そうに頷いた。そして彼らは村人達に告げた。
「――――国軍隊長閣下がお見えになられた! ここで暫くお休みになられるそうだ! 皆、準備を!」
話の途中で彼女が兜を脱いだので、村人たちは揃って目を真ん丸に見開き、彼女が止める間もなく何人かが何処かにすっ飛んで行ってしまった。その場に残った老人などは拝み始めてしまう。
「ああ……良かったのに。ちょっと水だけ飲ませてもらいたかったんだ。どうぞお構いなく! そう言ってやってくれる?」
ミクスとアキは応じたが、村人の方は聞こえているのかいないのか、彼女を拝むことに忙しい。子供はポカーンと見ている。恥ずかしがるのはソニアの方であった。
アトラスから降りると、皆からは畏れ多くて近づけないようなので、ソニアの方から気軽な握手で応じていった。
そうしているとミクスが戻ってきて、今回のことを説明した。
「迷子になっていたミルアを助けて下さったのは軍隊長閣下なんだ。モースさん、どうかあなたからもお礼を」
呼ばれたのはミルアの母親で、それを聞いた途端にひどく赤面し、娘とソニアとを何度も見比べた。
「まぁ……! まぁ……! 何てことでしょう……! お前は軍隊長様のお手を煩わせてしまったのかい?」
母親はミルアを抱いたまま深く頭を下げた。
「いいんですよ。たまたま通りかかっただけですから。ところで、この方をあまり責めないでやって下さいね。話によると、この方ばかりのせいではないようですから」
ミクスのことである。
「それに、この年頃の子供というものは、どうにも好奇心が強いものですから、ミルアのことも、まぁ程々に」
安心したのと、彼女に思わぬ弁護をしてもらえた感激でミクスも赤面し、頭を掻いた。アキが羨ましそうに彼の脇腹を肘で小突く。
「私もデルフィーで町を守っていた頃は、子供がふいにいなくなるのはよく経験しましたよ。こんな時ですから、安全の為に子供は外に出られなくて、さぞつまらないのだろうと思います。近場なら、兵士が1人ついていれば十分ですから、時々は花くらい摘むのは許してやって下さい。その代わり、今回のようなことがないように、勿論ミルアも必ず言う事を聞くこと。それが条件です」
「まぁ……まぁ……! 本当にそうですわ! わかった? ミルア」
ソニアの言ったことの全部が解ったわけではないのだろうが、ミルアは頷いた。「言うことをきく」と呟きながら。
ソニアは、そんなミルアに微笑んで手を差し出した。母親は驚いたのだが、ミルアを抱こうとしているのだと解って体を傾けた。後はミルアの方が自分で手を差し出した。
「そらっ!」
ソニアはミルアの手を引いて腰を抱くと、そのままヒョイと体を持ち上げて肩に乗せた。無邪気に「キャッ」と声を上げてミルアは喜ぶ。そしてもう片方の手で村の人々と握手もしながら歩いて行き、少しだけ他の人々と距離を開けることで、ソニアはミルアとだけ話せる環境を作った。彼女がこの村を訪れた本当の目的はこれだった。
「……ミルア。さっき出てきた魔物だけど……見た?」
ミルアはキョトンとしてソニアの顔を覗き込む。
「どんなだったか覚えてる?」
ミルアは首を横に振った。子供だから正直で良かった。
「大きい音しか……おぼえてない」
「……そうか。ミルア、あの魔物は私が追っ払ったから、もう安心していいからね」
姿は見ていなくとも、あんなおそろしい音を立てる魔物を追っ払ってしまったということが、まるで奇跡のように思われたようで、ミルアは目を輝かせた。「うん!」と満面の笑みで応え、ソニアにしがみ付く。
「……ミルア、それでね、お願いがあるんだ。皆が怖がるといけないから、今日のことはもう内緒にしようと思うんだよ。だから……どんな音だったとか、どんな声が聞こえたとか、あまり人に言わないで欲しいんだ。……約束してもらえるかな?」
ミルアは頷いた。こんなに間近でお願いをされたら、どんなことでも引き受けてしまいそうになる。
「2人だけの約束だよ」
それが特に嬉しかったようで、ミルアはもっと元気に頷いた。
「うん! 約束する!」
「ありがとう。いい子だ」
ソニアはミルアの頬にキスすると、脇に手を入れてそっと地に降ろした。そしてもう一度約束のしるしに、今度はウインクして見せると、ミルアも下手ながらそれを真似てウインクを返した。これで約束は成立だ。
ふと気がつくと、すぐ側で小さな男の子が2人、羨ましそうに眺めている。ソニアは苦笑し、その2人を招き寄せると、片腕ずつ2人を抱いていっぺんに肩に上げた。持ち上げられた子も、見守る大人達も大いに喜び、高らかに笑い声を上げた。
その後、本来の目的はレカン採集であることを説明すると、代わりに良い株を探してくれると村人が請け負ってくれ、ソニアはその好意を受けることにした。祭までに城に届けてもらうことになり、これで無事目的も果たせたようなものだとソニアも喜び、小休止の後、パレッタを去って城都への帰路についたのだった。