第4部22章『暗黒騎士』3
「今度辿り着いた場所は、エルナダ王国の領土でした。付近で一番大きい町を探し、そこで術者を雇おうと思い、トレスという町に向かいました。そこで長官にお会いし、ナマクア行きの術者を手配して下さいました。――――が、今度はそこに、隣国アルファブラの襲撃情報が入ってきたのです。私は、アルファブラに大切な縁者がおりますので、どうしても放っておくことができず、ナマクア行きを止めてアルファブラに連れて行ってもらいました。そこで、天空大隊の攻撃を受けるグレナドの都市を、出来る限りの力で守ったのです」
何人かが感嘆の声を上げた。王もその一人である。
「そなた……あのアルファブラにいたのか……! グレナドは鳥の一団の襲撃に遭ったが、神風が吹き、撤退に至ったと聞いておる。まさか……それはそなたが……?」
ソニアはあらゆる意味での安全面からもそれを謙遜的に否定しておいた。実際、あの風だけが原因だったかは判らない。
「町は既に火災にみまわれておりましたので、熱風による竜巻は発生していました。私は少々力を加えた程度です。私はコンディションが良くなかったので、撤退を見届けられずに倒れてしまいました。そして、私が少しでも風を動かせることを見抜いた鳥軍の兵士がいて、私が原因ではないかと思い、連れ帰ろうとしたようだと聞いております。私は意識がないので覚えていませんが、助けてくれた方のお話でそれを知りました。助けて下さったのは……海の方です。鳥が手負いで私を謝って海上に落としたので、すかさず確保して下さったそうで。次に気がついた時、私は海におりました」
会場の全員が、それを海辺の民か、或いは船で暮らす水上の民だと思った。ソニアは、セ・グールのことは隠さずに話した。彼女を助けた目的や、セルツァのことは伏せて。
「海の底に……棲む種族がいるというのですか?!」
ソニアは、自分の目で見てきた不思議を語り、セ・グールに住む人々の姿形について詳細に語った。大戦に全く関係なく、異なる者達と友好的に付き合える素晴らしさを伝えたいのだ。
そして、たまたまそこでゼファイラスと知り合い、心通わすことができて2人は友達になり、住む場所のない友の為に、一緒にトライアに来て人間と暮らさないかと誘ったことにした。
《暴れていた》というのは、どんなに説明しても人々を不安にさせるだけだと思うので、セ・グールに連れて行かれた本当の理由と、捕獲作戦のことは一切を割愛した。
後は、助けてくれた礼をセ・グールの人々に言ってからゼファイラスと出発し、ここに至るのだ。聖堂のあった孤島の話は、あまりに不思議だし、人が知る必要もないように思われたので、これも省略した。《奇跡の護り》については何か別の入手経路を経て手に入れたことにしようと思った。ビヨルクかセ・グール辺りが無難だろう。
彼女の帰国にどうしてこうも時間がかかったのかは、新たな刺客が来ることをおそれて身分を隠していたということと、今話して聞かせた数々のハプニングによるのだと知って、ようやく皆も心から納得した
「しかし、まぁ、何たる旅でしょう! ほんの半月この国を離れただけで、それだけの未知なる場所に行かれるとは!」
「聞けば聞くほど……ここに戻られたことが、まるで奇跡のようでございますな!」
「全くです! よくぞお戻り下さった! トライアス様のご加護は確かなものなのですな!」
全ての物語を聞き終えたところで、改めて無事の帰還を祝して乾杯をした。
ここに参加した者達は、自分の口から今の話を他の者にしてやりたくて既にウズウズしている。中には帰宅せず城内に残って待っている部下もいるほどだ。
「本当に、よく戻ってきてくれた、ソニアよ。これで我が国は安泰じゃ。刺客の奴も、そなたを飛ばすことには成功したものの、結局はしくじったようなものじゃな。こうして、大きな土産まで連れて元気に帰ってきたのじゃから。いやぁ、愉快よのぅ」
「仰る通りでございますな! 陛下」
あのゼフィーのことを大きな土産呼ばわりするのが可笑しくてソニアは笑った。こうして国は無事であったわけだから、彼女にとっても、この旅は幾つかの収穫があって貴重なものとなった。勿論、人には言えぬ深い痛手を負ってしまっているが。
「今日はそなたもお疲れであろう。話はこれぐらいにするとして、そなたはもう休むと良い。テクトの遠征から帰って、ほんの一日休養を取っただけで今度のご苦労じゃ。明日は一日ゆっくりして、滋養を取ると良い。何やらそなた、痩せてしまったようじゃからなぁ」
旅の苦難で元々痩せておかしくはないのだが、エングレゴールの宮殿で何かされて落ちてしまった筋肉などは、まだ完全に戻ってはいないのである。その姿が人々の同情を大いに引いていたので、誰もが王の提案に賛成した。特にアーサーが熱心だった。長い話の間も、「いっぱい食え」と何度も料理を手渡した。本当は口に放り込みたいところなのだが、さすがに皆の目を考えてそれは止めておいたのだ。口の中に物が詰まっていては話もできないし。
例によって彼女は「そんな必要はない」と休暇を断ったのだが、今回はその場の全員があまりに根強く許さなかったので、多数決になると簡単に負けてしまった。とにかく皆は、無事に帰ってきてくれたことだけで十分有り難いと思っているのである。こんなに身を削ってまでこの国に戻ってきてくれた彼女をすぐに酷使したりしたら、彼女にもトライアスにも申し訳が立たないと思っていた。
そして最終的には、ゼフィーの面倒を見たり、久しぶりにアトラスに乗ったりしたいことなどもあり、勤務に直接関係のないことについては好きにさせてくれというソニアの願いが通って、そのような小仕事の後でアトラスで付近の視察に行くことにした。
町の人々も彼女の姿を見れば帰還が本物だと信じられて喜ぶだろうし、彼女が行くだけで場が清められることを知っているアーサーとしても、森が鎮まっていいかもしれないと考えた。一緒に行くと言いたいところだが……そんなわけにもいかないのでぐっと堪え、彼女に代わって勤めに専念することにした。
速記の書記官達は早くも退場して、清書の為に書室に向かっている。国が発行する新聞もあり、この後その製作に取りかかるのだ。明朝の掲示を目標としている。
宴がお開きとなると、ソニアは王の用意してくれた特上の湯浴みを楽しむ為に湯殿に向かった。高官専用の居住区にあり、必要な時に湯屋を呼んだりして湯浴みをする場合はそのスペースを使うことになっている。今日は特別に王がたっぷりの湯を用意させてソニアの為にその場を貸し切っていた。
亜熱帯域のこの国では水浴が主で、湯浴みは贅沢なものであるから、歓迎や労りにはもってこいである。しかも今日は王の心遣いで花やオイルがふんだんに使われているので、ソニアは心から湯を楽しんで心身を癒した。
落ちついて自分の体をよく見ると、筋肉が内側から衰えていくようなあの現象はもう止まったようで、逆に力を取り戻そうとしている肉体活動が感じられた。どのような作用であの現象が起きたのかは不明だが、継続して行わないと効き目が切れ、体は元に戻ろうとするようである。戦士として力の必要なソニアはホッとした。
国賓であるフィンデリアの為にも今宵は同じ湯を用意したから、今頃は彼女もお姫様に相応しい一時を過ごしていることだろう。
たっぷり寛いだ後、もう休むだけなので普段着になって湯殿を出ると、自室に行く途中でアーサーと出会った。そろそろ出る頃かと思って彼女に会いに来たのである。
「ああ、いい香りだ。本当に、ゆっくり休めよ」
「ええ、ありがとう。あなたもね。何だか随分やつれてしまったみたいだもの」
ソニアの世話をしていた侍女達は先にその場を去り、2人だけとなった。久々に会えた恋人同士の邪魔をしてはならないと、大いに気を遣っているのだ。皆が嬉しそうにしている。
2人きりになれたアーサーは、すぐ真顔になった。
「……お前、言ったよな。お前がいなければ、オレが軍隊長になれるって。でも……てんでダメだったぜ。お前のいない生活なんて考えたことがなかったから……こんなに苦しいことはなかった」
「アーサー……」
彼は自嘲気味に笑った。でも、輝きのある笑みだった。
「お前のいないこの半月……オレにとっては地獄だった。もう2度と……こんな思いはしたくないよ。お前がオレを選ぶかどうかは別としても……側にいないなんて、もう耐えられない」
人がいないから、彼はソニアをきつく抱きしめた。半乾きの彼女の髪が、2人の体に纏わりつく。ソニアは、喜びで胸が熱くなるのを感じた。
これが、彼が自分を想ってくれるような炎なのだろうか? その温かみなのだろうか?
彼女には、まだ解らなかった。
「……私もね、ここに帰ってくるまで、何度もあなたのことを思い出したわ。辛い時とか、どうしたらいいか解らなくて困っている時とか。あなただったら、きっとこう言うんだろうなって言葉が浮かんできて、それに力付けられたのよ」
それは彼をとても喜ばせた。このおそろしい旅に自分は同伴できず、何の役にも立てなかったが、そんな心の中であったとしても、彼女の力になれたと言うのなら嬉しいことだ。
彼女を早く休ませる為に彼は腕を解き、去り際にこう言った。
「もし……できるなら、今日、皆には話さず隠したことを話してくれ。……オレには。そのうちでいいからさ」
「アーサー……」
そして彼は通路を曲がり消えて行った。ソニアは暫くそこに立ち尽くしていた。
さすがに彼は気づいていたらしい。それが嬉しくもあり、心苦しかった。隠し事があると気づいて隠され続ける者の歯痒さは辛いものだろうから。
彼には……話せるだろうか。どこまで? どれだけ?
それを考えるだけでもソニアの心は重くなった。共有した方がいいものもあるし、しなければならないものもある。だが……ものによっては話すのがとても辛い。
それでも、この気遣いはとても有り難いものだ。
ソニアは「ありがとう」と小さく呟き、それから自室へと向かった。
高官居住区の軍隊長の部屋には、帰還を祝して沢山の花が飾られていた。帰還して初めてこの部屋に入るソニアは「まぁ!」と喜びの声を上げ、侍女たちが置いていったメッセージカードを楽しく読んだ。
それからテラスに出て、部屋の明かりが入らぬ暗がりに進むと、周囲に向かって囁いた。
「セルツァ……! セルツァ……! いるの……?」
すると、あの蛍火が何処からともなくやって来てソニアの目の前をフワフワと漂い、それからテラスの角に降り立つと、暗がりの中にセルツァが現れた。一応、人目が何処かにないか気遣って、膝を折って背を屈めている
「やぁ、戦乙女殿。無事にお国に戻れて良かったね」
彼は満足そうに笑っている。
「では、セ・グールのことは無事に済んだのね?」
「ああ、勿論さ。そりゃ急いだのなんのって。君の到着に間に合って良かったよ」
ソニアは彼の肩に手を置き、あの状況で勤めを果たしてくれたことに心から礼を言った。
「どういたしまして。でも、もうああいうのはゴメンだよ。オレは君を守るのが務めだから。もう離れないからね」
その点について、ソニアは少々躊躇いながら訊いてみた。
「それは有り難いんだけど……《離れない》って、どの程度?」
すると彼は、しまったというように肩を竦めて慌てて訂正した。
「あ、いや、その、目が届く所からは離れないっていう意味で、何処にでもくっついて回るつもりじゃないよ! そこは心配しないでくれ。例えば、今は呼ばれたからここに来たけれど、レディーの寝室を覗くなんてのは、もってのほかだから普通はしないよ。そんなことをしてリュシルに知られたら、エライ大目玉を食らうよ!」
「安心した」
ソニアは笑った。
「オレは守護者であるけれど、君のプライバシーはきちんと守るつもりだから。その点は安心してくれ。エルフは礼儀と契約をとても大切にしている。人間世界の方じゃ、どうも覗きというのが横行しているようだが……エルフは基本的に、覗き見も盗み聞きもしない。見ていることが相手に解るように見るし、聞きたいことがあれば、直接相手から訊く。それを守れないのは恥だとされているんだ」
「よく解ったわ」
普段はどのようにするつもりか尋ねると、今朝のように動物に変化してみたり、姿を消したりして守護を続けると言う。このセルツァも、ポピアンのように雲隠れの帯を持っているそうなのだ。それなら何処にでも行けて便利だろう。
「ここは初めてだけれど、なかなか良い所だね」
彼がどんな所を見て回ったのか聞き、ソニアはいろいろ解説して彼の理解を助けた。国や高官達、兵の種類や官吏の種類など。そして城の何処にどのような施設があるのか。自分は普段、どのようなスケジュールで動いているのかを。
「あの、君に最初に飛びついてた男は城の護りの長なのか。成る程なぁ。彼が恋人だという噂を耳にしたが、そうなのかい? いや、あんまり皆が喋っているから、嫌でも耳に入ってきたんだよ」
大好きな母と瓜二つの娘がどんな男とつきあうのかは、当然気になるようである。
「……周りの皆が昔から勝手に騒いでいるだけなのよ。でも……そういうことになるかもしれないし、ならないかもしれないし。まだ判らないわ。とりあえず親友よ」
「ほう……あの男の方が君に熱を上げているんだな? 成る程、成る程、ますますよく解ってきた」
面白がっている様子だ。
「……いざ皇帝軍に襲われたら命を落とすかもしれないから、皆、毎日おそれの中で暮らしているの。本当に戦いが始まったら、私はこの国と王を守る為に全力で戦う。あなたはその時……どうするつもりなの? 私を連れて何処かに避難しようなんてしないでね」
「……本当にヤバくなった時は最終手段としてそうすることも有り得るとは思ってるが、それはあくまで君の命を優先してのことだ。ギリギリまではオレも一緒に戦うよ。何たって、ここは君を育んでくれた国なわけなんだから、恩があるからね」
ソニアは今までで一番柔らかく笑んだ。
「……ありがとう。それが何より嬉しいわ」
「ただの機械的な守護者じゃないから。君の命は勿論だが、君が幸せであること、笑顔でいられることも大切だからね」
そしてセルツァは再びソニアの手を取り、その甲に接吻した。
「さ、もうお休み、戦乙女殿。君には本当に休養が必要だ」
ソニアもそれを認め、おやすみを言って部屋の中へと戻って行った。セルツァはまた蛍火となり、フワフワとテラスを離れていく。
明日からの一日を元気に過ごすには、今は沢山眠ろう。使い慣れたベッドで久々に横になれるのだから。
セルツァと話しているうちに髪もすっかり乾いたので、ソニアはすぐ床に入り、うんと伸びをして、ここで改めて無事に戻ってこられた喜びを噛み締め、トライアスに就寝前の祈りを呟き、後は睡魔に身を委ねた。