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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第4章
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第1部第4章『トライア国軍』その1

 4.トライア国軍


 合格者達は、翌月末までの1ヶ月強の時間を出身地の兵士として今まで通り勤務し、赴任日の1週間前に城の使者から国軍兵服が届けられ、本格的な準備に入った。

 アーサーは寂しがる妹を1ヶ月かけて説得しなければならなかったし、ソニアはリラのことを気遣いつつも、本音としては不在中にアイアスが帰って来た場合のことを1番に心配して、くれぐれも自分が城勤となって都に出ていても、彼を待ち続けていることに変わりはないと伝えてくれるように頼んでいた。

 リラは、本当にソニアがいなくなってしまうことを胸が張り裂けるほどに寂しく思っていたが、彼女が予想もつかない力で自分の道を切り開いていくのをこれまで見てきて、そこに天意を感じていたので、決して自分が妨げになってはならないと思い、出来るだけ気丈に振る舞って残る日々を大切に味わった。

 5歳の時から面倒を見続けて、今では本当の孫のようでさえあった。ソニアが生活の手伝いをしたり働いたりして助けになることは元より、一人身だった老女にとって、彼女の存在は灯火のようなものだったのだ。

 育ての身内としての栄誉は存分に受けていたが、心の底ではリラはこう思っていた。この子が特別な子などでなく、これと言った取り柄のない平凡な子供で、普通にいつまでもこの街にいてくれたら、と。しかし、もはや後戻りできぬことだった。ソニアは見た目にも人と違うし、これまでの生活も普通の子供とは違っていたのだ。

 リラは誰にも見られぬ所で度々涙を零し、溜め息をついた。突然の別れでなく1ヶ月の準備期間があるのは、老人には優しいことで助かった。リラは、この子の面倒を見られたこの8年は天からの恵みのようなもので、それが終わりに来たのだと自分に言い聞かせ、やがては体も納得し、心からそう思えるようになっていった。

 ソニアは赴任後も休暇に時折戻って来ると言っていたし、給料の大半はここに仕送りすることにしていた。リラは断っていたが、ソニアは後ろめたさとこれまでの感謝から、必ずそうするつもりだった。

 心の波の動きは大きくとも、見る限りでは2人の生活はずっと穏やかなものだった。


 遂に出発の日が来た時、合格者3人は新しい国軍兵服をお披露目して人々に拍手で送られた。

 アーサーの妹は、やはり泣きじゃくってしまって彼を困らせており、幼なじみらしい近所の少女も瞳を潤ませていた。港の仕事仲間も海の男式に酒瓶を割って送り出すつもりで来ていたし、教師達も来ていた。

 ソニアはもう1度リラと抱き合ってから、学友や兵士仲間達にエールを贈られ、団長や名士に儀式めいた言葉を貰うと、3人揃って軍隊式に一同に敬礼をした。皆は温かな拍手を浴びせ、頑張って来い、気をつけて、元気で、と声を掛け、港の男が思いきり酒瓶を割って出発を祝した。

 3人は魔術師と繋がるよう手を握り合うと、行ってきますと別れを告げ、1つの光になって宙に舞い上がり、北西の空に向かって飛び去って行った。見送りの一同は、消えていく光の軌跡に向かってトライアスへの祈りを捧げた。


 トライア城での1日目は、新生活準備と儀式ばかりだった。

 集まった30名はまず宿舎に案内されて荷物を下ろし、就任式に向けて身支度を整え直すと、早速城内の国教会で国軍就任式を行い、それから広場にズラリと整列している国軍の前で紹介され、その後には別の場所で定刻集合していた近衛兵団にも紹介され、先日は立ち入りを許されていなかった城内のあらゆる場所を案内され、城下街についても警備域の視点から説明がてら案内され、それから軍の動きの説明や入る部隊のことなどを聞いているうちに、早くも1日は過ぎてしまったのだった。それだけ城は広く入り組んでいたし、城下街も広く、要所が多かったのだ。

 解放された後、一同は空いたトレーニング施設で訓練をし、仲間らしく冗談を言ったり軽口を叩いたりして笑いながら緊張を解そうとした。

 そして何回かに分かれている国軍の夕食時に一同も同席して、興味津々の先輩らと親睦を深めた。同郷の出身者も当然いるので、街のことが訊きたくてやって来る者もいたし、先日の大会を見ていた者はその時の話がしたくてお目当ての者を捜した。

 アーサーは14歳になっており、今では最年少はソニアだけとなったが、大会当初13歳だった2人はやはり注目の的で、皆はとても若い2人に気さくに声を掛けた。同じ年頃の弟妹を持つ者も多いし、中には同じ年頃の子供を持つ年輩の者までいるのだ。子供扱いほど失礼なことはしなかったが、皆、親切にしてくれた。

 そして新人虐めをしてやろうという企み顔の者よりも、未だこの若さでの入軍が信じられぬ顔つきの者の方が多く、珍獣を見るような目で2人の姿をただ追うばかりだった。特に、ルピナス色の髪の美少女にはいつでも人々の視線が集まった。

 兵舎は城の中でも大きい施設で、国軍、近衛全員を収容する為、横長で高さもある建物だった。1部屋10名でちょうど1部隊に当たり、新人たちは振り分け通りに3つに分かれて、同じ部隊で働く仲間同士で眠ることになる。

 班分けは単純に先日の成績順に上から10名毎に区切ったらしく、ソニアは3隊中の1番目に、アーサーとドマは2番目の隊に決まっていた。10傑入りしていたアーサーでも、他2つの競技の、特に障害物走の成績が足を引いていたのである。口に出さずとも、彼は心の中、あの時当たり負けたことを再度悔やんだ。

 ここトライアの軍のあり方は解り易く、とにかく実力主義である。毎年体力的な問題や年齢的な問題、そして勤務上の失態などで、自己申告と選抜を含め30人の帰郷組が全軍から選ばれ、去って行き、その空いた穴に適宜見合った者が横滑りや昇進をしたりして入り、最下層30名分が空いて、そこに新人が入って来るのだ。だから実力があれば幾らでも長く在籍し、どこまでも昇進して行けるのだが、力不足ならあっという間に1年で帰らされることもあり得るのだ。

 ほぼ全員が常にその危機感を持っていたので、国軍はいつもピリッとした緊張の中にあって、とても頼もしく精悍だった。近衛兵も然り、である。

 近衛というのはまた特殊で、全くの新人が入隊をすることはない仕組みであり、国軍で最低1年は務めて城や城下街のことをよく把握した者が、希望を申し出て入隊することになっていた。実は帰郷組30名とは近衛も含めてのことであり、近衛の空いた穴には国軍から希望者が入っていったのだ。

 近衛は国軍のような遠征がない分、城や国の高官達に近く仕える兵士なので、なかなか希望者は多く、毎年倍率の高い中での選考となっていた。そして勿論、1番優秀な者が選ばれた。今回の新人の中には、近衛隊に入ることが夢だと語る者もいて、その人気の高さをソニアは知った。

 ただし、あれ以来人に口にもしていないことだったが、相変わらず彼女の目標はこの国のトップ、国軍隊長になることであったので、そのような者にはひたすら国軍の階級を昇ることしか見えていなかった。

 ソニアは同室の男達と、この前の大会のことや出身地の話などをし――――殆ど質問に答えるばかりだったが、それからようやく大人用の大きめのベッドで眠りに就いた。

 向かい合わせに5つずつベッドが並んでおり、足を向け合って横になる形にベッドは配置されている。各ベッドの脇には小さな書き机と椅子もある。大半の兵士は書き物も読書もしないものだが、家族や恋人に手紙を書く時だけはこの書き机を使うのだ。

 今はそこに教師から貰った本や魔術師から貰った魔法早見表などを置いて、窓から射し込む松明の薄明かりに照らされて、ソニアは寝息を立てた。


 翌日から初の部隊行動が始まり、一晩明けたことで早くも気心が知れてきた仲間達と訓練や食事を共にし、城下街の北側地区にある石畳の道の補修作業を行い、事故や犯罪がないか巡回したりし、また訓練や食事をして、小刻みに時間が流れていった。

 警戒する犯罪の種類も田舎町とは多少違っており、金品狙いの窃盗やスリが多く、金や物の集まる首都らしかった。

 城内では、さすが芸術の国らしく頻繁に音楽が流れていて、国王の御眼鏡に適うようにと、いつも音楽家が城を訪れて王夫妻の耳を楽しませていたし、食事や就寝前の一時や朝一番の目覚めの時などには、王室付きの音楽家がいつも演奏をしていた。

 城下街でもよく演奏が聴こえたし、踊り子や歌手や役者も沢山おり、そういうものに身近に触れていられることをソニアは嬉しく思った。海からは遠く離れてしまったが、ここは実に面白い街だった。

 ソニアも皆もよく働き、休憩時や夜には沢山冗談を言い合い、家族や恋人の話などをして笑い合った。同室の仲間は本来なら卑猥な話を日常的にしているはずなのだが、メンバーにソニアという女性がいることと、彼女がまだ思春期に入りたての年齢であることから、慎みを持って過激な話は控えられていた。

 それに、そのせいで士気が落ちるかというとそんなこともなく、極真面目で有能な彼女との活動は刺激になって彼等を良き兵士にしていたし、一片の汚らわしさも感じさせない彼女の美しさに日々触れていると、不思議と生々しい欲望は薄れて満ち足りてしまうのだった。

 男だらけの所に1人女性を投じれば、皆いい格好をしようとして頑張ってしまうのは世の常であるし、そんな作用もあってか、新人第1部隊はとても優秀に日々の仕事をこなしていった。

 ソニアは皆の妹のように可愛がられ、時折「好きな男はいないのか?」とからかわれたりもした。ソニアは柔らかく微笑んで、時には頬を染めて目を輝かせるので、からかうつもりの大人たちでさえ、それを見るとドキリとして胸がくすぐられた。

 彼女は「お兄様が世界で1番好き」と言い、その姿にあまりに皆が魅せられたので、その噂の『お兄様』が俄かに仲間の注目を集めることとなった。同郷のドマやアーサーにも尋ねるくらいだったが、2人共本人を見たことがないので皆も想像に任せるしかなく、どれほどの男だろうとイメージが膨らんだ。

 アーサーの方は部隊の最年少であるだけに、やはり弟分として可愛がられていた。ドマの話で、彼が早くに父を大戦で亡くし、幼い頃から港で働いてきた感心な少年であることが知れると、仲間は更に一目置いて彼を悪いようにはしなかった。家族想いの働き者を好かない者は、戦士には向いても兵士には向かないだろう。アーサーの方こそ皆から熱烈にからかわれていたが、少年らしく顔を赤くしながらも、決して彼は心の内を明かさなかった。

 ソニアもアーサーも殆どの兵士も皆、週に1度手紙を書き故郷の家族へ送って、月に1度は帰郷して無事な顔を見せた。現在遠距離恋愛の真っ最中である者は、多ければ毎日のように手紙を認め、送っていたりもする。

 現在の部隊長は新人を統率する為に経験者があてがわれ、様々な指導をしていたが、本来ならば全軍10名1部隊単位でその中から隊長が選ばれることになっており、やがては今の部隊長によって新隊長、副隊長などの役割が決定されることになっていた。

 この段階で士官としての能力が認められていれば、今後の昇進にとっても有利なので、皆は意識的に明晰な指示を出したり、仲間の様子を見たり、積極的に働いたりしてアピールした。


 そして、役割分担の決定予定時期とほぼ同じ頃に、早くも年に3回ある御前試合が行われることになり、昇進を賭けて皆の目つきが変わり始めた。士官のような性質の役割はともかく、通常の兵士は御前試合で成果を上げれば、ずっと上の位の部隊に編入することが出来るのだ。

 ソニアはこれにこそ深い関心と意気込みを持っていた。今や、彼女はこの国で最も強い者達に囲まれているのだ。この中で1番になることが、《誰にも負けないくらい強くなる》ことの最も解りやすい証明法だった。国軍隊長を目指してはいるが、アイアスは1番偉い者になれとは言っていない。重要なのは、誰にも負けないことなのだ。

 御前試合が近づくにつれてソニアの目は爛々としてきて、仲間でさえ白い獣に火が灯っているのが判ったのだった。

 例年なら、新人は各地方から年功序列で送られてくる者が多い中で、今年だけは本当に実力で這い上がって来た強豪達ばかりあであるから、経験豊富な国軍の者達でさえ、いつにない警戒心を働かせていた。先日の大会をその目で見ていた者は特にそうだった。皆、日々の訓練を怠らずに体のキレを磨いてその日に備えた。

 御前試合は3日間に渡って行われ、その間は国軍も近衛も半数ずつが出場と勤務に分かれて、初日と2日目を交互に入れ替える。先日の大会と違い、兵士の数が多いのでこうなるのである。勤務中の怪我による不参加以外は正当なものとして認められない厳しさであり、決して体調不良などを起こさぬよう万全を期して臨まなければならない。

 トーナメント方式は先日と同じであるが、そう簡単に時の運で位が上がらぬよう、組み合わせは上位の者と下位の者とを出来る限りまんべんなく振り分けていた。その為敗者復活戦はなく、1度負ければそれきりとなるのだ。

 振り分け結果は3日前に掲示板に貼り出され、自分が1日目の出場か、2日目の出場か確認していた。新人達は国軍の先輩達のことをまだ何も知らないので予想の立てようがなかったが、同郷の好でよく先輩と語らう者達が仕入れてきた情報によると、先日の戦いの10傑は相当警戒され注目されているとのことだった。特に魔法戦士であるソニアは。

 幸い、新人もきれいに振り分けられていたので、余程勝ち進まない限りアーサーやドマと戦うことはなさそうだった。しかもソニアが1日目で、アーサーとドマが2日目である。部隊単位で出場させないと仕事にならないので、ソニアと同じ隊の者は皆1日目の出場だ。

 新人第1班が強豪揃いなので、次に強力な第2班が二日目に回され、バランスを取る為に第3班が1日目になっている。こうしてなるべく力差のハッキリした者同士を戦わせて、弱者が運良く勝ち残るというケースを減らすのだ。

 こうした振り分け法には長年をかけてあみ出された極意があるらしく、学者めいたプロまでいて、その文官が数人がかりで毎度組み合わせを決めているのだとか。

 そんなことはさておき、ソニアは組み合わせの内容に驚いていた。1戦目から彼女の相手は大して階級の変わらない相手で、2戦目以降もそれは続いていた。それはつまり、どうやら彼女を強豪として位置付けているらしいのである。2日目のアーサーもそうで、順調ならば彼もかなり上まで上がってくるはずだ。もちろん第1班全員がそれぞれ強豪扱いを受けており、そうと知ると皆は意気を上げて拳を打った。

 1日目と2日目の両日でそれぞれベスト50を出し、3日目に合わせて100人の勝者同士で更にトーナメントを続ける仕組みだ。国軍、近衛合わせて城勤は800名いるので、各日400人を50人に絞るのだけでも大変なことであった。


 1日目が訪れ、第1班は完全なコンディションで広場に赴き、先日のように国王や国軍隊長の言葉を賜ると早々に試合が始まり、より高度で激しく、鮮やかなレベルの戦いが次々と目の前で繰り広げられた。

 新人たちは見入ってしまった。明らかに、先日の大会より上だった。初戦から、既に先日のベスト19に近い者が戦っているのだ。先程までの勢いはどうしたのだと言いたくなるような緊張ぶりの仲間もいたが、ソニアはむしろ目を輝かせて武者震いしていた。強い者を見た時に腰が引けるか、それともワクワクするかで戦士の天分は決まっている。ソニアは紛う方なき戦士体質に成長していたのだ。

 ソニアの第1班は概ね勝ち進み、第3班は1回戦で10人中8人が勝ったものの、2回戦では半数以下に減ってしまった。3回戦での勝者がベスト50入りをする。

 ソニアは魔法無しで見事3回戦も勝ち残った。第1班中7人までが残り、第3班も1人だけ上位戦に進んだ。

 試合数が多いだけに、全て終わった頃は落日寸前で、自戦と観戦とで大いに体を興奮の波に晒した皆は、時間差で水浴びと食事とを済ませ、夜勤があるものはそのまま勤務に入り、仕事明けの者は兵舎で明日の出場者達に今日の出来事を話して聞かせた。

 新人第1班は城下街警備の夜勤があるので城を出、変わって第3班がアーサーやドマ達にソニアの勝利を告げた。アーサーもドマもニヤリと笑うと、自分達もそれに続くため、長々と話はせず丹念に柔軟体操と自主トレーニングをしてから、早めの眠りに就いたのだった。


 2日目が始まり、夜勤があったお蔭で今日の第1班は休みとなった。そして城外での休暇を取らずに、第一班の皆は兵服のまま広場に繰り出して、自分達もトレーニングをしながら観戦した。

 ドマは先日10傑入りしなかったものの、それは対戦相手の不運でソニアと当たってしまったからなので、本来十分な実力の持ち主である。彼は危なげなく勝ち、次へと進んで行った。

 アーサーも懸命に戦っている。相手が位の低い兵なので、1戦2戦とも勝利した。彼はこの城に来てからも背が伸びてきており、以前はソニアと同じくらいだったのが離れ始めていた。ソニア自身も伸び続けてはいる。どちらも長身戦士になりそうだった。

 アーサーは遠目でもソニアを見つけ易かったので、彼女が手を振って喜んでいるのを見ると、自分も笑って返した。

 結局、その後もドマとアーサーは勝ち残り、第2班からは4名が上位戦に進出した。昨日も含め、ともかくこれは異例のことだった。ベスト100の内、入ったばかりの新人が12人もいるというのは。

 例年各都市から平均1名ずつ選び出されていた方式を打ち破って今回大会を開いたことで、より優秀な戦士を1度にこれだけ掻き集めることが出来た証だった。このプランを打ち立てた役人は成功を喜んで鼻高々で観戦していた。

 恐れが現実となって、自分の地位が脅かされはしないかと震撼している者は多かったが、デルフィー出身者は同郷の快挙を誇らしく思っていた。


 3日目というのは、実際には4日目で、2日目の勝者に夜勤の者が必ずいる為、一度も休暇を取らずにそのまま上位戦に出場する者がいないよう、公平を期する為に1日の休戦日を設けていた。その御前試合実質3日目、ベスト100人は広場に集まり、この日だけは各部隊も欠員多数の状態で勤務し、休暇の者は観戦に来た。

 勤務の者も、特に近衛は城内の窓から覗き見られる機会が多いので、ウズウズして我慢ならない様子で度々顔を見せていた。厳格な上司に見つかって怒鳴りつけられる声もたまに聞こえてくる。そんな時、国王は朗らかに笑っていた。 

 今日はピラミッドの頂上が決まるまで試合が続けられる。振り分け屋の見事な配分によって、まだ強豪ほど残り易い組み合わせになっていた。1回戦、ソニアはまだ魔法を使わずに剣技や体術だけで勝ち、アーサーも奮闘して相手の足を奪い「参った」を言わせ、ドマも応酬の末、相手を打ち破って勝利した。

 異例の大躍進が続いていたが、そろそろここで新人達の数は半減し始めた。これ以上上に進むのは無理かと思うような領域に入って来たのだ。現在残っている時点でトライアベスト50の戦士の中にいることになる。ここより先はさすがに、実力も経験も高く、これまでじっくりと揺らがぬ地位を築いてきた強者達ばかりが待ち構えているのだ。国軍華の第1中隊100名のど真ん中へ突入しているのである。

 2回戦、遂にソニアは魔法も使い出し、アーサーやドマは長期戦になって苦しんだ。魔法という武器があるだけに、ソニアは相手を翻弄させて剣を奪うことに成功し、3回戦進出を勝ち取ったが、ここでアーサーは体格の違いが不利となって力負けし、巨漢に地に叩きつけられて伸びてしまったのだった。その図は、プロの戦士が少年相手に力を振るう悪辣なものだったが、真実は正当な戦士として相手を全力で倒した潔いものだった。ドマも、ここで敗退した。

 もはやソニアの他、新人では第1班の仲間1人が残るだけの状態だ。それでも、とんでもなく異例のことだった。

 応援していた新人達も、ただ大騒ぎするような声援の送り方は出来なくなり、つい固唾を飲んで見入ってしまうようになった。会場中が静まり、勝敗が決した瞬間にだけ歓声が湧き起こる。

 シードで無条件進出の1人を除く24人が3回戦を行った。誰の目も、今ある自分の地位を譲るまいと必死で目をギラつかせ、未知の新人に対して特に火花を散らせた。皆、体格のいい岩のような戦士か、中肉で技の巧みな洗練された戦士ばかりだ。

 その中で1人、ルピナス色の長髪が日に輝くソニアが浮き立っており、土くれの中に咲く一輪の花のようだった。

 3回戦、ソニアは魔法も風も使って全力で相手に挑んで行った。風の訳を知らぬ者は、彼女が発生させた魔法の為か、或いは突風が吹いてきたのだとしか思わなかった。ともかくそれでソニアは相手を足止めして消耗させ、あの大技で遠くまで弾き飛ばすことが出来た。対戦相手は生まれて初めて体験した破壊力に圧倒されて、横たわったままで降参した。もう1人の新人は破れた。

 完全なる異常事態の中心は、もはや明確だった。以前国軍隊長が呟いた言葉を、今は皆が口にし出していた。いくら何でも、とても常人とは思えないのだ。

「……あれは……もしかして……トライアスの生まれ変わりなんじゃないのか?」

「……女神の再来だ……!」

 もし、この国に伝説的な女戦士の信仰がなかったら、或いはソニアはもっと困難を味わっていたかもしれない。しかし、トライアス信仰があればこそ、彼女は恐怖や非人間の対象として見られることもなく、俄かに天から降って来た恵みである可能性を期待する眼差しを向けられ始めた。そして、それが為に、この国はより多くの恵みを受けることとあいなるのだ。

 ベスト13となり、別のシードが1人できて、残る12名で4回戦を行った。アーサーやドマ等、応援する者達でさえ震えがきていた。現時点で、国軍最強の部隊110隊にいるのと同じレベルなのだ。長年兵士に憧れ、志し、その世界を見てきた者でなければこの震えを理解できなかったろう。

 この状況を端から最も冷静に見ていたのは、おそらくテントの下の国王達であった。朗らかな人格でありながら物事に動じぬ大きさと鋭さがある国王は、先日、近衛兵隊長が彼女本人に直接素性を尋ねたところ、英雄の妹であると名乗っていることを知ると、すぐに口の堅い部下にアルファブラへ飛んでもらい、パンザグロス家に訪問して真偽を確かめさせて来ていた。

 得られた返事はこうだった。英雄本人はずっと不在で、いたのは彼の両親だったのだが、両親は英雄本人からその旨を伝える手紙を貰っており、了解しているのだという。家紋のペンダントを持つソニアという娘は、確かに英雄が家名を与えた家族であり、彼の妹である、と。

 何やら事情があるらしいことを国王も近衛兵隊長も感じ取っていたので、最初から全て内密に行い、得られた結果は決して人にふれ回らないことにした。

 そして英雄を英雄として尊重しつつ、私生活の壁を守り、養女とは言え、英雄が妹と認めた娘を自分達の国に迎えられたことを恩恵と受け止め、祝したのだ。

 だからこそ、彼女が英雄の妹であるという目で見られる者には、あり得ぬことではなかった。英雄アイアスが大戦を終結させたのが18の時。18歳で世界を魔の手から救ったのだ。それに比べれば、13歳でこんな一国の、たかが13傑にいることなど、何でもないのではないだろうか? 何せ妹なのだから、英雄の。

 4回戦、相手は彼女の『アイアスの刃』を警戒して右に左にと機敏に動き、間合いを詰めては剣の降りを抑え込んで発射させないようにした。戦闘はレスリングの様相を呈し、魔法も出させまいと腕を取って、体格差にものを言わせて押し伏せる。

 やはり少女の体格では無理だとあわや彼女が敗れるかに見えた時、ソニアは身を捩らせてどうにか片手をほんの少し解放させ、体の密着した状態から魔法を唱えた。

「――――――ザナ!」

彼女の風も加わって激しい氷風が相手を吹き飛ばし、鎧を凍りつかせたまま地に落ちた。通常の戦闘でも、ここまで至近距離で魔法攻撃を浴びることはまずない。風が加わったことで氷炎魔法はより上級な《ザナル》に匹敵する威力を発揮していたので、相手は起き上がろうと心で思っても、体がついていかなかった。

 拳で地を叩きながら相手が降参するのを聞くと、ウォーという唸りに近い歓声が起きて、それから拍手が響いた。

 ソニアはもみ合っている時に何度も首を絞められたり打撃を受けたりしていたので、クラクラとしていた。魔法力にもそろそろ限界が見えてきていた。彼女は魔術師ではないし、若さ故まだ容量が小さいので、魔法力の壷はすぐに干上がってしまうのだ。

 次の戦いでは今までのようにはいかないだろうと考えながら、ソニアは土まみれの顔を拭い、体をはたきながら息を切らせた。ハラハラ見ていたアーサーは走り寄って怪我がないか気遣ったが、大したことはなく、治療班が少し打撲を診れば大丈夫だった。

 ベスト7が決し、また1人がシードになって6名での5回戦が始まった。国軍110隊でも、近衛011隊でも、望めば入れるのではないだろうか? ソニアはとにかく勝つことだけを考えた。9匹のブラック・パンサーとキング・パンサーに囲まれたあの時を思い出せば、怖さは微塵も感じられない。生きるか死ぬかの戦いではないからだ。

 大戦時に山ほど魔物を打ち倒してきた猛者とソニアは対決した。開始と同時に相手は吠えて威嚇した。それで脅されるようなソニアではなかったが、ふいに森の仲間を追って来た人間の戦士達の姿を思い出し、今までと違った種類の熱が背筋に走った。そして不思議にも、数年ぶりに彼女はあることに気づいた。自分がどうして戦士になりたいのかを。

 アイアスと共に生きたい想いが強過ぎて隠れてしまっていたが、それがなくとも彼女はきっと戦士の道を目指していただろう。護りたいものを、自分の手で護る術を手に入れる為に。

 ソニアは凛として、若い青さを感じさせない貫禄ある立ち姿で剣を構えた。見ている者にも、彼女が今ここにいることを納得させるだけのものがあった。

 相手は、ソニアのような魔法や剣圧の飛び道具がないだけに、先程の兵士ように早々と突っ込んで来て間合いを詰め、至近距離で魔法を浴びる危険を冒して肉弾戦に持ち込もうとした。ソニアは剣で受け、手足は取られまいとして素早いかわし身を続け、高速の攻防が続いた。相手の剣の一撃や打撃は一々重く、ソニアは両手で剣を握ってしっかり受けねばならなかった。

 彼女はどうしてか、自分の後ろに護らねばならぬトゥーロンやダンカン達がいるような気がして、自分の勝敗が彼等にまで影響するような錯覚に陥った。

 見ていてみんな、私はこんなに強くなったんだよ。もうみんなに苦しい思いはさせないからね。私がみんなを護るよ。

 ソニアの、試合とは思えぬ気迫漲る目の輝きに相手もつられて、次第に立ち回りは本物の戦闘になっていった。本当に斬ってしまうことを恐れて皆が剣技をある程度控えていたが、それもなくなり、ソニアも躊躇わず体当たりや『アイアスの刃』を放った。

 相手の剣が彼女の服を裂き、鎧にも深い傷が付き流血したが、ソニアは今大会最高の刃を放って観衆にも疾風が飛び、圧される者があり、3発目では大きく相手が吹っ飛んで地に落ちる前に気を失わせていた。治療班と審判が駆け付け、相手の状態を見てソニアの勝利が宣言された。

 自分自身も出血していたが、彼の治療を優先させ、ソニアは息を切らせながら辺りを見回した。どうだと観衆の顔を見てやろうというものではなく、護った仲間の姿を探していた。

 トゥーロンもダンカンも誰もいなかった。気配を感じたが、それは心の中のことなのか、懐かしい姿は幻でもそこには見られなかった。ソニアの顔にふと切ない影が過った。見ている者には勝ったのに何なのだろうとしか思えなかった。

「大丈夫か?」

また怪我を気遣ってアーサーや仲間が側に来ていた。夢から覚めたように彼等の姿を認めると、ソニアは「うん、何でもない」と微笑んで見せた。

 遂にベスト4となった。この場に13歳の少女がいることを、少女本人とテントの中の要人達だけが当然に思い、その他の大多数の者は未だに信じられず、奇妙な幻に惑わされているのではないかと疑った。本当に人間なのか? 本当に13歳なのか?

 しかしその度、トライアス伝説を思い出すことで彼等は幾分事態が飲み込めるのだった。

 準決勝の相手は素早い男で、魔法も刃もかわそうとソニアの動きに神経を集中させ、剣でぶつかり合ってはまたすぐ離れるという忙しない戦法を取った。ソニアは2、3発魔法を放ってそれで尽き、後は風と刃を頼みに戦った。

 早業同士の対決になると戦い方は変わるもので、大技はあまり使わず、ひたすら剣舞と打撃、防御の応酬が続いた。魔法がなくても、逆にこの方がソニアには戦い易かった。しかし、治療によって血は止まっても消耗はそのままである。双方動き回るうちに息が切れ、長引くほどに両者のスピードが落ちていった。

 風のおかげで、僅かにソニアは彼を上回ることが出来、体当たりを掛けて突き飛ばすことに成功した。大人だけに彼女よりまだスタミナのある彼は、うまく起きあがって尚も戦った。

 彼女の魔法が尽きたことに気づいて、今度は接近戦を仕掛けて来るようになり、刃にだけ気をつけて手足を取ろうと試みてくる。剣がぶつかり合うとどうしても体格差で押し負けるので、ソニアは何度も横に振り払った。

 これ以上長引かせられないことを感じて再度体当たりに行くが、相手は少し食らいつつも寸での所でかわして抱き止めるようにし、そのまま彼女の後ろを取って首を絞め始めた。

 観衆の声が上がる。彼女の正面にいなければ刃の攻撃もない。彼も彼で、これを逃せばもう勝てないと思い、渾身の力で腕を固めて引き絞った。ソニアは剣持つ手を押さえ込まれもがいた。足をバタつかせ彼を蹴るが、彼はそれに耐えて絞めることだけに集中した。朦朧としていく意識の中で、ソニアの中にまた森の仲間達の幻が甦る。アイアスもそこで見ている。

 私は1番にならなければならないんだ。誰にも負けないくらい強く……

 そんな思いの中、世界が真っ暗になった。


 目覚めてそこに見えたのはアーサーの顔だった。これまでにあまり見たことのない青ざめた顔だ。ソニアは戦士らしく、何の問答もしないうちにガバリと上体を起こした。ドマや、第1班の仲間も傍らで様子を見ていた。

 向こうでたった1つの戦いが行われており、先程の相手が闘っていた。決勝戦なのだ。負けを悟ったソニアはガクリと肩を落として、まだ朦朧としている頭で戦況を眺めた。

 彼女の高い目標を知るアーサーは下手なことは言わず、ただこう述べた。

「……よくやったよ」

ドマ等も、「大したもんだ」とか「何にしてもベスト4だ」と言って励まし、称えた。

 先程の相手が接戦の末破れて勝敗が決し、全試合が終了した。国王等が健闘を称えて全行程が終了し、皆でゾロゾロと広場を後にし始めた時、ソニアは呼び止められて立ち止まった。

 国王だった。

「素晴らしき戦いであったぞ、ソニア。そなたは必ずや全てを打ち負かすようになるじゃろう」

かしこまって直立していたソニアは、王直々の激励に呆然としてしまった。王はニッコリと笑って彼女の肩をポンポンと叩くと、ウインクして去って行った。激しく落ち込んでいたソニアは、温かい水を流し込まれたかのように心が緩んで、穏やかな息を吹き返した。水浴び場に辿り着く頃にはまた沈んでいたが、それまでは人に笑顔を見せられた。


 女性専用の水場は、女性が少ないことと現在勤務中であることから、他の者は1人もいなくて、ソニア1人きりで使えた。湖から引かれている水が常時循環して壁の縁を流れており、樋をずらして小さな滝を現れさせ、その下で水を頭から浴びるようにできている。

 ソニアは水を浴びながら、壁に両手をつき考えた。戦いで火照った体が冷やされていく。

 彼女の感じた敗戦の悔しさは、悔しさ(・・・)という言葉で済むものではなかった。彼女にもかつて負けた日はあるし、どうしても勝ちに拘るプライドの固まりというタイプの人間でもない。彼女ですらここまで辛くなるとは思わなかったくらい、不測のことだったのだ。

 森の仲間を思い出し、護らねばと感じながら戦って負けたことで、何か、護らねばならなかった者まで死なせてしまったような落胆に襲われていたのである。

 これではまだ、皆を護ることが出来ない。アイアスに会うことは出来ない。

 外では、快挙にさぞかし少女本人は胸を張っていることだろうと人々が話していたが、ここでは逆だった。ソニアは数年ぶりに仲間を失った痛みを思い出して、小滝に打たれながら涙を流した。


 もう日の暮れた外ではアーサーが待っていた。仲間と語らい、賞賛され励まされた後で、互いに夜勤のない身なので、食事までの時間を少しでも彼女と話そうと思っていたのだ。さすがに女性用水場のすぐ側で待つのは恥ずかしくて、彼は離れた兵舎の壁に寄り掛かって鎧の具合を見ていた。そしてソニアの姿を見つけるとすぐにやって来た。

「頭、どうだ? 何ともないか?」

「うん、平気」

口に出さずとも、アーサーだけはここに来る前から彼女の様子がいつもと違うのを判っていたので、気にしていた。彼は明るく元気な少年で一本気な雰囲気があるが、無粋なことを言ってソニアの気分を損ねた試しのない細やかさがある。

「……今日はお前が最高だった。後日再戦ならあと2つ絶対勝ってたぜ。後は魔法力と体格だな。でもそれはすぐに伸びるさ」

お世辞や見え透いた嘘をつかない彼の言葉にソニアは薄く笑んだ。

「あなたも、体が大きくなれば間違いなくもっと上に行ける」

2人は目だけで笑い合った。互いにいい幼なじみで、友人で、ここに居てくれることがとても嬉しかった。

「これから軍が再編されたらどうなるのかな。お前はきっとすっげー上に行っちゃうんだろうな」

「あら、アーサーだって良かったじゃない」

「……第1中隊に入れたらいいな」

「うん」

 2人して話しながら兵舎に鎧を置きに行き、そのまま食堂へと向かった。兵の食事は小刻みなので、時間は確実に守らなければならない。余裕のある時は早めに行くものだった。

 そして試合での成果を囃し立てられ賞賛されながら食事を終えると、ソニアはふと、ただ兵舎に戻るのが嫌になって城内散策を始めた。城の中は何時でも人が多過ぎて、休みの時ぐらいしか大好きな歌を歌ったりできなかった。それに今日は、誰にも見られずにがむしゃらにトレーニングがしたかった。

 しかし兵の出入りは制限されており、外出は一々隊長に断りを入れたり門番に確認してもらったりしなければならなかった。そんな面倒をするのはゴメンだったし、夜のほんの小一時間のことで手間を取るのも無駄に思えたので、ソニアは適当な脱出路を見つけると、松明の光が届かぬ物陰に身を潜めて辺りを窺ってから、城外の焼却場にゴミを落とす木戸を開けて城壁の外に出、やっと足を乗せられるくらいの縁を伝って頃合いを見てから飛び降り、森の中へと入って行った。落としたゴミを焼却する為の小屋があるだけで、今そこは無人だったから誰にも見られずに済んだ。

 ソニアは苦しさのままに森の道を走り、この時分には人影の少ない街道を選んで、城都全体をぐるりと外から回るように走り続けた。巡回の兵士とも会いたくなかったので、詰所の側では木立の中を迂回した。

 1周すると結構な距離だったが、気の済むまで走り続けているうちに3周はしていて、消灯時間のことを考えてそこで足を止めた。

 まだ時間はあるだろうが、汗だくで帰りたくはなかったので、湖まで行って水浴びをすることにした。特に危険な生き物はいないらしく、夜でも水泳が楽しめる所だと聞いていたので、1度やってみたかったこともあった。ソニアは足を止めた道から最も近い湖岸を目指して森の中を進んだ。

 人が普段は使わないような道無き道を進んでいくうちに、夜闇の中ながら景色が開けて、鏡の如く静かな湖面が広がり、そこに街の明かりが火柱となって揺らめいて映り、月や星までが読み取れるのが判った。まるで上にも下にも世界があるような美しい光景だった。

 ソニアは思わず見とれて溜め息をつき、残っていた苦しみが少し軽くなるのを感じた。この街を既に気に入っていたが、もっと好きになって、ソニアは夜景に目を細め、そして急にここで歌いたくなった。

 ソニアは歌を口ずさみながら水の中へと入って行き、ゆったりと水に浮かんで泳ぎながら歌い、潜って全身浸かってまた顔を出しては歌った。こんなに気持ちのいいことがあるのだろうかと胸震わせ、水の冷たさと目の前の夜景にウットリと心解し、それから岸に上がって風で服ごと体を乾かしながら歌を歌った。

 アイアスへの想い、森の仲間達への想いを歌にしているうちに、彼女の苦しみは癒されていった。歌は風に乗って街の隅々にまで流れ、お喋りで歌に気づいていない婦人でも、酒で泥酔いの男でも、木版ゲームに夢中の子供でも、不思議と穏やかな気持ちになり、眠気を誘われる者もいた。

 彼女はこの場所を大いに気に入り、また来ようと心に決めた。そして服が乾くと城へ戻り、今度は壁に飛び移って木戸から中に侵入し、兵舎へと何食わぬ顔をして戻って行ったのだった。

 仲間に「何処へ行っていたんだ」と訊かれたが、彼女はただ「トレーニングを」とだけ言い、もっと話したかったのに彼女本人がいなくてつまらなかった彼らも、消灯時間が来て仕方なく横になったのだった。

 ソニアは瞼の向こうのアイアスと森の仲間達を見ていたが、今は皆にこやかに笑っていた。

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