第3部20章『青の国』6
確かにこのままでは、解放した途端に再び戦い始めて死ぬまで続けそうである。だが、解除しないことにはあのサメ人間を救助することもできない。彼はまだ檻の下で横たわっている。既にあの電撃で死んでいるのかもしれないが、最善は尽くすべきだ。
ソニアは一度セルツァの所に戻った。檻の維持にそれほど力は要らないようだが、歩行を続けるのと同じくらいの継続力が必要なようで、ずっと彼の杖先は光っている。
ソニアは、この檻で何が可能なのかを色々尋ねた。結局解ったのは、部分解除というものはできないので、巧くサメ人間の所だけ穴を開けて救出するという手は使えないこと。そしてもっと縮めて完全に緊縛することもできるということだった。今はまだ縮めていないのは、あのサメ人間がいるからである。生死は不明だが、無理に縮めて飛竜に接触させるのは危険だ。
そして気がつけば、いつの間にか海竜もサメ人間のことに気づいたようで、時々近づいては鼻面を近づけて様子を窺っていた。それは飛竜に対する振る舞いとは全く違っていた。海竜への威嚇に飛竜が近づいて来ると、サメ人間に危害が及ばぬよう海竜は離れていく。
ソニアは側にいる護衛にも尋ねた。
「あの海竜と彼とは、どのような関係なのですか? あの海竜は彼のことをとても気遣っているように見えます」
アシカ系の護衛は複雑そうな様子でサメ人間のことを見ながら言った。
「……あれはアルカスと言って、スローヴル警備隊のうち、竜のいる海域の守備を主に任せられている一隊の隊長なのです。彼は幼い頃から竜との付き合いが深く、だからこそ望んでその海域の守備についているのです。今回は特にその海域が手酷い被害を受けており……しかも、あの海竜ヴェスタは彼の親友なので、救うのに必死だったのです」
そう言う護衛の様子からも、彼への同情が伝わってきた。客人に無礼を働いた非は確かにあるのだが、それもこれも身内を救いたい一心によるものなのだから。
あのような素晴らしい大型海竜と友人関係を築いているなんて、それだけでソニアは凄いと思った。しかも親友だというのなら、尊敬に値するような気がする。
やはり、飛竜も彼も両方死なせたくはなかった。
「セルツァ、あの中に出入りすることもできない?」
何てことを言うんだという顔をしてセルツァは眉根を寄せた。
「できるが……あんな危険な所に誰も入れられないよ!」
「私が行くわ! 見ている限り、あの海竜が近づかなければ下まで降りてこないもの」
「そんなことはオレが絶対に許さない!」
出入する方法があると聞いた護衛者の一人が前に進み出て名乗りを上げた。
「ならば、私が行きます! どうかその方法を教えて下さい!」
やはり、危険でも助けようとしてくれる仲間もいるのだ。その護衛たっての希望でセルツァは承知し、檻の維持を片方で行いつつ、もう片方の手で術をかけてその護衛に光の輪を投げ、頭の上から足下へと潜らせた。すると体が青く光った。
「それで、自在に出入りできる。慎重にやってくれ!」
護衛官は勇敢に突き進み、飛竜の位置や視線に十分注意を払ってタイミング窺った。今は海竜が檻の上部を旋回しているので、飛竜はそちらに気を取られている。
そこで護衛官は檻の外壁に触れ、光の波紋を描きつつ腕が通り抜けることを確かめると、全身を入れていった。檻の表面がそこだけ光ながら波立つ。殆ど、そこに何もないかのように軽々と侵入に成功すると、護衛官はアルカスの体を確かめた。うつ伏せの体を揺り動かし、ひっくり返すが、グッタリと力ないままだ。それだけ確かめると、護衛官は外に出た。
「――――――まだ息はある! だが……どうにか出すことはできないだろうか?」
この術では通り抜けできるのはあくまで外壁の効果を無効にする光の輪を潜った者だけで、その者が触れていようが抱いていようが、他の者は檻の外壁を通過できないのである。囚人を捕らえておくのに優れたこの魔法の檻は、中に入った者を確実に閉じ込めておくことができる。優秀な術者ほどそれを強固にしたり回避したりする関連魔法を心得ており、このセルツァもかなりのものを持っているのだが、今ここでは使用を避けたいと思っていた。触れた者を連れ出せる魔法を施して中に入れ、その者にあの飛竜が突進していったら、脱獄されてしまうのだ。それでは折角の捕獲が水の泡である。
ソニアも一部の護衛官も、生きていると判ったアルカスを何とか助けたいと思ったので、この際、失敗したらもう一度捕獲する前提で試させて欲しいと考えた。だが、グエル達高官の命ではそんなことは許されていない。やはりここは、グエルに強く解除を願って理解してもらうよりないだろう。
そうソニアが考えた時、事態が急変した。バチバチという激しいスパーク音がするので見上げてみると、何と白き飛竜の体が檻から半分出ていた。これにはセルツァも非常に驚き、目を剥いた。
「――――――そんな……有り得ん……! この球形牢呪文を生身で通り抜けるなんてことが――――」
この模様は、中央ドームで見守るグエル達にも伝わった。
「エルフの……このセ・グール由来でない魔法でもダメなのか……?!」
護衛官も、セルツァの側で同じことを言った。
「セ・グールの魔法では簡単に破られてしまうので、この竜の住む土地や空の領域に住まう者の魔法なら対抗できるのではないかと望みをかけていたのです! 或いはエルフの娘に水を操作してもらい、本物の檻に追い込むかという方法で……!」
「――――――それを先に言ってくれ! っても……そんな竜のことは今まで聞いたことはないが!」
ソニアが見上げていると、白き飛竜はまるで果物の中から体を出す芋虫のように体を捩らせて外に外にと体を出していった。体が長いので少し時間はかかるのだが、やがて全部が出て脱出に成功してしまうのは目に見えている。
護衛官が出入りする時の波紋とは違った種類の激しい抵抗を示す電気的な弾けが起こっているのは、本来許された方法での脱出ではないからだ。
「――――――避難を! 今のうちに!」
護衛官、そしてセルツァとソニアは檻から距離を置いた。待ち構えていた海竜が早速下降してきて飛竜に攻撃を仕掛ける。体の下半分がまだ檻の中にある飛竜は、激しく上半身を動かしてそれに対抗した。そして何度か身を捩らせるうちに、全てが出切ってしまった。
それを見計らい、セルツァも球形牢呪文を解く。檻が形と光を失った途端にアルカスの体が沈み始めた。放っておくと深い深いところまで落ちていってしまう。
再開された激闘の様子を窺いながら護衛官はアルカスの体を確保しに向かった。間に合うか気になって、一同の撤退がやや遅れる。すると、先程のような呪文を使われてはたまらないと思ったのか、飛竜はソニア達の方にも突進してきて、敵を蹴散らそうとした。
「――――――危ない!!」
護衛官ごとソニアを防御バリアが包んでいるので直撃はされないのだが、そのバリアさえも押しのけるようにして突進してくるものだから皆は吹っ飛び、バリアも砕け散ってバラバラになった。セルツァ達の方は別のバリアに守られ、その様を目撃している。
「――――――ソニア!!」
セルツァはバリアを飛び出して、水中に放り出されているソニアの救出に向かった。水中で最も身動きの取り辛いソニアは、必死で水を掻いて飛竜の動きを見ている。何度も攻撃をするつもりのようで、身を翻してこちらに引き返してきた。
護衛官達は早く陣形を取ろうと、互いに寄り集まった。そして再びバリアを発生させるのだが、また飛竜が激突すると、あっけなく砕かれてしまう。どうやらあの檻と同じように、飛竜は魔法効果を打ち消してしまう性質を持っているらしい。
そこに海竜までが突っ込んでくるものだから、誰も彼も思うような身動きが取れなかった。渦巻く水流に翻弄され、誰が何処にいるのか判らなくなってしまう。
先程至近距離で顔を見られたせいか、ソニアは度々狙われた。護衛官のバリアも間に合わず、無防備なところに頭から突っ込んでくる。口を大きく開け、噛み砕く気だ。
戦士としての瞬間の判断でソニアは飛竜の鼻面に手を掛け、押されながら身を捻り、そのまま飛竜の額に出ている小さな突起部を掴んだ。
この飛竜と密着することで、もっと明確に意志が伝わってくるようになる。根底にあるのは竜全般への怒りだ。だが、今は思わぬ小さな障害物が額に張り付いているのが気に入らなくて苛立ちを募らせている。そして、どうやって振り払おうか考えている。
触れることができたソニアも、しがみ付きながら必死で心を送った。
止まって! 止まって! 私はあなたに何も悪いことはしない!
体の大きさの割にその思念が強烈だったので驚き、飛竜は海竜への関心を一時脇に置いて、この邪魔者をどうにかして剥がすことに専念し始めた。
そこで、本来この海底王国が得意な環境ではないこともあり、飛竜は本能的に上昇に転じ、一気に海上を目指した。護衛官もセルツァも全く追いつけない。
「あの竜にひっかかったまま上がっていきます!」
「何てことだ! ソニア――――――――っ!」
自分の安全だけを願うのなら、もっと早々に手を離してセルツァ等と合流した方が良かったろう。だが、ソニアにその考えは全くなかった。この飛竜と疎通して何とか止めたい。その思いで一杯になっていたので、この時ばかりは世界のこともトライアのことも忘れて、飛竜のことだけに集中していた。
先程改めて施された適応魔法のお陰で、急激な深度変化にも体はついていけたが、しがみ付いていること以外にできることは何もなかった。
そして前を向くこともできずに頭を伏せていると、いつの間にか瞼の向こうが明るくなり、水を裂く音で水中を脱したことが判ってソニアは目を開けた。
水中より激しい動きができるようになったところで、飛竜は錐揉み状に落下してみたり身を捩ったりと素早く動き、ソニアを振り落とそうとした。
ソニアは止まってくれることをずっと願いながら、ひたすらしがみ付き続ける。以前より力を失っている腕でそうしているのは、至極困難なことだった。このままでは本当に振り落とされてしまう。
ようやく自分のフィールドに来たということもあり、ソニアは思い切り風を起こして飛竜の行く手を突風で圧した。こうすることで多少なりとも速度が下がってくれる。
飛竜の方でもそれを起こしているのが額の邪魔者だと判り、なお苛立ちを募らせる。小うるさくて忌々しい虫が、ちょうど手の届かない背中に貼り付いてしまって叫び出したくなるような感覚だ。
バチバチと音がして、視界一杯に電光の筋が波打っているのが見える。電撃で痺れさせて落とそうとしているのだ。だが、不思議なことにソニアには刺激が感じられなかった。スパーク音の震動が伝わってくるのみで、本来あんな電気刺激を受けていたら一撃で吹っ飛ばされるであろう衝撃が襲ってこない。
この状況では考える余裕がなかったので、ただ必死に掴まり続けていたが、飛竜の方でもどうしてだと考えている戸惑いが伝わってきた。魔法なのか、この生き物には電撃が通じないのか。
後で判ることなのだが、それはソニアの掴まり所が良かったせいであった。電撃を放つこの飛竜本人が感電することがないのと同じように、彼女が必死で掴んでいる突起部の両方に手を置いていることで、放つ電光は彼女から弾かれるように外側に発生していたのである。そうでなかったら、あっという間に感電していたことだろう。
電撃は効かないし、風も邪魔をする。しかも頭の中に直接鬱陶しいイメージを流し込んでくる。飛竜の方でも訳が解らなくなり、ひたすら錐揉み飛行を行った。
海面まで上昇し、その後飛翔に転じていたセルツァだったが、一向に追いつくことができない。彼女がくっ付いているので攻撃魔法を浴びせるわけにもいかないから、追うより他、何もできない状態だった。
そして追いながら心配しつつも、あんな荒竜にずっとしがみ付いていられる彼女の能力に大いに感心し、痺れを感じていた。母親も冒険心が強く、色々やんちゃなことをする人だったが、ここまで勇ましく果敢ではなかったものだから、新鮮さに胸を揺す振られてしまう。
飛竜は、今度は海に突っ込み、海の中でもがいた。そして、それでもソニアが離れないとなると再び上昇し、ギャアアァと喚いた。
この模様を見る為に遣わされた偵察兵のイルカや護衛官が海面から顔を出し、水平線の遥か彼方に消えていこうとしている竜の姿をどうにか捉えた。意外な展開となり、賓客が命の危険に晒されているので、いかに飛竜が遠く離れていこうとも心から安堵はできないのだが、空の戦いとあっては彼等には何もできないので、そうして見守り続けるより他なかった。
いつまで力が持つかわからないから、ソニアはずっと全身全霊で飛竜に呼びかけ続けた。魔法を行え、戦士としても長じている彼女は意識の集中や集束に優れているから、飛竜にとっては頭の中で大鐘を鳴らされているような騒々しさだった。
止まって! 暴れないで! 私はあなたの嫌いな竜じゃない敵じゃない!
ずっと体が濡れていたので今まで気がつかなかったが、この竜の体は鱗ではなく毛に覆われていた。白い剛毛がみっしりと生えて、トカゲなどより獣に近い。そして温かい。それが珍しいことなのかも解らぬソニアは、ただこのような竜もいるのだ、とだけ考えて特に気に留めなかった。
そうして、一匹と一人の意地の張り合いが続いた。
どれくらいの時間、ある意味決闘とも言える戦いが繰り広げられたことだろう。既に何日間も戦い続けていたこの飛竜は元々体がボロボロで疲労していたし、頭に直接叫ばれるという、これまでにない妙な攻撃に対する回避方法を知らなかったので大いに消耗し、やがて力尽きて海面に着水し伸びてしまった。
巨体がプカプカと海に浮かび、ソニアの体は沈まず海の上に出た状態である。激しく息を切らせている飛竜の胸が大きく上下しているので、その反動でソニアの体も揺れ動く。
ソニアの方も疲労困憊で、もう一度飛び上がって暴れられたら掴まっていられそうになかった。
もう、いい加減にしてくれよ。あんた、何なんだよ。
そういう心の言葉がソニアに伝わってきた。やっと落ちついて問いかけられるので、ソニアの注ぐ思念エネルギーも穏やかなものに切り換えられ、囁くように飛竜に伝えた。
あなたがあんまり暴れるから、みんな困っていたのよ。どうしてあんな事をしていたの?
隠す気力もないようで、飛竜の心のイメージがダイレクトに伝わってきた。
この飛竜は、度々他の竜から差別を受けている。迫害を受けている。その光景が見えた。白いから、小さいから、毛むくじゃらだから、自分達と全く違うから。
何処に行っても他の竜の群れに追い立てられている。誰も仲間にいれようとしない。
空がダメならば、地の竜はどうだろう。試してみたが、これもダメだった。
そして、最後に海の世界を試してみたのだ。幾つかの海域を訪れたが、何処もこの飛竜を馬鹿扱いする。そして、この海域のボスたるあの海竜は、許し難い屈辱をこの飛竜に与えたのだ。
竜の考え方が人間の尺度で測れるはずがないのが解っているのだが、ソニアはこの飛竜の思い出に殆ど共感している自分に気がついた。いや、受けとめた思念を自分のものと混同しているだけなのかもしれない。だが、この竜の気持ちはよく理解できた。
しかも、竜というものは陸海空を問わず、何と気位が高くて排他的なのだろうと思った。それ程に、この飛竜の思いに秘められている過去の竜から受けた拒絶が容赦ないのだ。
もう少し心の中を探ったのだが、親兄弟と呼べるような者の存在は見当たらなかった。物心ついた時には一人だったのか。それとも、もっと不思議で神秘的な方法でこの竜は生じ、最初から一人だったのだろうか。
この飛竜はもう、竜族全てを忌々しいものと見なしている。そして、今こうして訳の解らぬ小さな者に取り付かれて、成す術なく力尽きた己にも嫌気が差している。
ああ、この竜は、あの海竜との戦いで滅んでもいいと思っていたのかもしれない。
この大戦によって、全ての魔物の血が騒ぎ狂暴化しているから、いかに竜とは言え、この飛竜もその影響を多少なりとも受けたのかもしれない。
直に触れることでソニアにも判ってきたのだが、この竜には若さ故の自暴自棄なところがあるようだ。というより、幼く感じる。見た目から竜の年齢を計ることなど彼女にはできないが、もしかすると、自我をもって世界に出てから、まだそれ程年数が経っていないのではないだろうか?
この飛竜の事情を徐々に知れたことで、ソニアの心は落ち着いていった。この飛竜には、彼女が理解し共感することのできる共通点があるのだ。だから、今度は彼女の方から自分の身の上を語った。言葉ではなく、思いで。
自分は、今暮らしている人々と同じ種族ではない。そのことを知られてしまった時、私はどうなるのだろうか。恐れられ、突き放されるのだろうか。
もし、そうなるのなら、それでもいいだろう。私は一人で生きていこう。孤独の道を歩もう。一人でも荒野を歩き、愛する人の平和を願って戦おう。
そう、私は一人でも戦える。きっと。
でも……どんなにか辛いことだろう。
飛竜の息遣いが変わった。より深くて、穏やかなものになっていく。
彼女にはかつて大切な仲間達がいたが、皆追い詰められて酷い死に方をし、全てを失った。同じ姿を持つ者にはずっと巡り合えず、長い年月を不安の中で過ごしてきた。その情景と想いが伝わっていき、飛竜の方でも、自分と同じ部分をこの小さな者が持っていることに気づく。
私は、人々に拒絶されることを恐れながら暮らしてきた。幸い、これまで知られずに済んできたので、まだ仲間に入れてもらえているが、でも、いつそうなるかわからない。だから、あなたの気持ちは解るよ。
その時、飛竜が身震いした。そして瞼を閉じる。その目から、大粒の涙が零れた。