第3部20章『青の国』5
予想通り、スローヴルでは部隊の反逆が伝わり大騒ぎになっていた。客人に暴挙を働いたとして、グエルと彼に賛同した高官達は青ざめ、必死で捜索部隊を編成しソニアを探させている最中であった。ハイ・エルフが激しやすい性質の一族であったら、これだけで戦が起きてもおかしくないような事態である。
ところが、そんな中で突如としてソニアが別のエルフを伴って帰って来たものだから、都市の警備兵が急ぎ中央に連絡し、後は二度と襲われぬよう目を光らせながら伴泳し、中央ドームにまで2人を案内した。
迎えるグエル達の平服ぶりは、言うまでもない。
ソニアに対するのとは違って、セ・グールの人々に対するセルツァの振る舞いは、実に堂々としていた。エルフは長身の一族であり、彼もソニアより頭一つ分背が高い。そんな彼が毅然として渡り合うものだから、体の大きな半漁人にも全く負けていなかった。
「危うく、我が村ゆかりの大切な姫に怪我を負わせるところでしたな。下手をすればもっと深刻な事態になっていたかもしれない。この方は実に大切な姫なのだ。私が危機を察知して助けに来られたから良かったようなものの、これは由々しき事態ですぞ。本来なら、我がハイ・エルフ族上げて断固として抗議するところ。そこを、この姫が寛大に事を収めようとし、しかも私に手助けさせようとしているのだ」
グエルは平服に徹した。目の前のエルフが只者ではないことを見抜いており、また弁解できる立場にないことを重々承知しているのである。頭の下げ方を知らない暴君や権力者もいるものだが、こうして必要な時にとことん身を低くできるのは、彼が賢く優れた長官であることの証でもあった。
「恐れながら、貴方様は地下世界に聞こえし魔法戦士、青のセルツァ殿とお見受けいたします。相違ありませぬか?」
「ああ。私がセルツァ=エッテルフィンだ」
何人かが「おお」と感嘆の声を上げた。それ程に有名なのだと知りソニアは改めて驚いた。こんなに異質な国の者までが知っているなんて、一体彼にどのような逸話があるのだろう。
アー・リー・グエルの説明で解ったのだが、ハイ・エルフとの接触を望んだ彼等は、はじめにこのセルツァを探したらしい。彼だけが唯一あの聖域から出て外世界で多くの時間を過ごしており、一族に接触したいと思ったら、彼を見つけて願うのが一番だと思ったのだそうだ。実際、そんなことはよくあるらしい。このセルツァはハイ・エルフの窓口になっているのである。
だが、彼があまりに神出鬼没で何処にいるのかを突き止められず、そうするうちに時間が経過し、今回のソニア確保に至ったのだそうだ。
結局、思わぬ形で彼との対面が叶い、それによって村の娘を頼ることはできないと知らされたものの、代わりに彼が力を貸してくれると言うので、グエル一同は大いに感謝した。
「無事にことが済みました暁には、必ずやご恩に報いさせて頂きます。どうか、セ・グールとハイ・エルフ族の末永き友好関係を」
セルツァは承知し、早速作戦についての相談を始めた。
あの白い飛竜がどうしてここにいるのかはともかくとして、海竜の方は迎撃しているだけなので、まずは白い飛竜の方だけ捕まえてしまえば、戦闘も成り立たなくなるだろうという点で意見は一致し、その捕獲方法について検討された。捕まえさえすれば、後はどうにでもなるから、その先のことは掘り下げずに早々と作戦実行に移る。
ソニアは賓客として扱われ、3人の護衛者を宛がわれた。そして彼女たっての希望で、彼等の作戦が見られるよう、グエル達と共に遠隔映像を映し出すガラスの半球で進行を観覧することになった。
彼女と離れることになるので、セルツァはくれぐれもソニアの護衛を抜かりなく行うよう言い置いてから精鋭部隊と共に激戦域へと誘導されていった。
魔法で対処するのなら、このセ・グールの技で何とかできたのではないかと思うのだが、空に由来しているあの竜を捕まえることは、それ程海の民には困難なことなのだろうかと改めて考えさせられる。端から見ているソニアからすれば、より体が大きいあの海竜を制止することの方が余程難しいように思われるのだが。
ガラスの半球は移動する一行の模様もきちんと映し出し、同時に未だ戦い続ける竜達の様子の方も見せていた。何がこの映像を送ってくれているのかは不明だが、それが複数存在していて、しかもこの半球にそれら全てを映すことができるらしい。これも見事な技術である。
ソニアはグエルの説明を受けながら様子を見守った。欲を言えば、本当のところはセルツァの間近でこの模様を見守りたかったのだが、セルツァはそれを許さないし、話の流れ上、ソニアも大切な姫らしくしていなければならなかったので――――族長の孫であるから大切な姫であるのは事実であるが――――仕方なくそこで見ることに納得したのである。
一団は徐々に現場に近づいていき、やがて別れて散らばっていった。セルツァの側には彼の護衛役が3人残り、映像もセルツァを追う。ソニアだけでなく、グエルや他の高官達も緊張し、胸を高鳴らせている様子だ。
音声は竜の雄叫びばかりが勝って、セルツァが何をしているのかは伝わってこないのだが、何らかの魔法を発動させたらしく、光の球が生じてその地点に留まり、そうすると今度は違う場所へと移動を始め、また暫くしてもう一つの光の球が生じ、その地点に留まった。
それでソニアも気づき始めた。魔法知識に長じていたアイアスから、このようなやり方があるということを以前に聞いていたのである。小規模の範囲魔法なら魔方陣を画けば済むが、ずっと広大な範囲に術を施す場合はそうするわけにもいかないので、基点となる魔法球を発生させるのである。彼は何か、大きな魔法を発動させようとしているのだ。
そうして、竜とぶつからぬよう進路を慎重に選びながら移動と光球の発生が続き、計11個の星が生み出されると、それで基点作成は終了し、セルツァ等は移動を止めた。
そして恐らく、その基点を利用した呪文の詠唱が始まったのだろう。基点となる星の輝きが強さを増し、本物の星がそこにあるように眩しく光を放った。するとその光はニ方向に光の手を伸ばしていく。何地点かの映像も合わせて見ると、各星が手を伸ばして光の筋によって繋がろうとしている様子だった。光同士がしっかりと結合すると、ブレることなく真っ直ぐな直線となって互いに連携し、星も光の筋も更に光を強めていく。
やがて、その星と光の筋はゆっくり動き始めた。各地点の星達も同様に動いているから、巨大な魔方陣そのものが動いているらしい。星や光の筋は残像を残し、光の軌跡が次第に増えて面を描いていく。なだらかに曲面を成しているので、巨大な球が形成されているようである。
光の球面は外側と内側の2つあり、二重の皮膜を持つ魔法球が完成していく。全体像が見えないので想像でしかなかったが、トライアの城をすっぽりと包み込んでしまうくらいの大きさがあるのではないかとソニアは思った。
「これで捕獲の檻の準備はできました。後は、ここにあの竜が入ってくるのを待つだけです」
グエルがそう言った。
一度球を完成させたその檻は、徐々に光を失い薄れていった。基点の星だけが、月ほどに光量を落としつつも姿を残して待機している。動物を捕らえる罠のようなものを仕掛けたのだろうか。そこに罠があると知られたら入ってこないから、こうして存在感を消して息を潜めるのだろう。
遠隔で見ているソニアやグエル達の方まで何となく静まってこの模様を見守った。その後は、釣りや狩りと同じく、長い長い忍耐の時となった。
竜達は、一体何処にそんなエネルギーがあるのかと不思議に思えてくるほど過激な戦闘を続け、体当たりや噛み付き、電撃などを繰り返して海域を大きく移動している。その為、かなり大きな檻を設けはしたのだが、そう簡単にはピッタリ中に入ってくれるような機会は訪れない。
「……海竜の方がまだ正常な意識を持っていれば、誘導を願うことも可能なのですが、すっかり我を忘れていましてな。今はひたすら偶然を待つしかありませんな」
ここが、水を操作して白い飛竜を導きたい理由でもあるのだ。この魔法ではそこまで補うことはできないのである。
すると、竜の激闘を追う方の映像も見ていた者が声を上げた。それに注目すると、海竜の頭に誰かがしがみ付いている。ソニアも身を乗り出して覗き込んだ。よく似た別人かもしれないが、それはあのサメ人間のようだった。
「彼は何を?」
今回ソニアを連れ去った反逆者達がまだ全員捕まっていないので、その首謀者である人物を見つけてグエル達も呻いた。
「まさか邪魔をするわけではないと思うが……あの者は誰よりあの海竜に思い入れがあるから、ああして何度か説得を試みている。誘導できないか試しているのだろう」
その光景はとても危険なものだった。海竜の巨大な頭部にある小さな突起に手を掛けて、どうにか体をへばり付かせてくっついているのだ。荒馬乗りなどとは全く比べものにならない。何せ、この竜は戦っている真っ最中なのだから。
ソニアはその姿を見て、先程受けた無礼に対する憤慨を何処かに忘れた。この人は命懸けだ。後でどんな仕打ちを受けようとも構わないから、また命を失っても構わないから、この事件を早く収めたいのである。或いは単に、あの竜を助けたいだけなのかもしれなかった。純粋に、感心した。
彼の言葉が海竜に伝わったのかは不明だが、それから海竜は何度か方向転換をした。今は攻撃に有利なポジションを得ようと泳いで白い飛竜から距離を開け、白い飛竜の方はそれを追っている位置関係にあった。
こうして見ると、海竜も白い飛竜も体中に傷を負ってボロボロになっている。確かにこれ以上の戦闘は近海に悪影響を及ぼすだけでなく、彼ら自身を死に至らしめるだろう。
すると、誘導が成功したのか、海竜が11の基点が輝く魔方陣の領域に直進して来た。その後を飛竜も追ってやって来る。皆が思わず手に汗握った。セルツァも杖を構えた。
白い飛竜は咆哮し、それと同時に体表から青い電光を迸らせ、額から海竜目掛けて放った。
護衛者達は防護膜で電撃の影響を受けずにいるが、海竜と頭のサメ人間は直に電撃を浴び、海竜は苦しみの雄叫びを上げつつ更に直進を続けた。
サメ人間は衝撃のせいで海竜の頭から離れてしまい、そこに白い飛竜が突っ込んでくる。そこは正に、罠の仕掛けられた領域だった。
セルツァは海竜の通過後、素早く杖を振り上げて宝玉を光らせた。すると再び巨大な檻が光り輝き、その中にサメ人間と白い飛竜を入れた状態で確定し、金属的な和音を辺り一杯に響かせて完成を告げた。
勢い余って、白い飛竜は輝く壁に頭から衝突してしまう。そしてそのまま全身を球面の内側に打ちつけてしまった。ギャアッという驚きと痛みの叫びを上げる。
サメ人間は意識を失っているようで、ぐったりと力ないまま下降していき、檻の最下部にまで沈んでいくと、そこに横たわった。
飛竜は檻の中でグルグルと回り続け、何処かに出口がないか探し回っている。
「――――――大変! あの人も閉じ込められちゃったわ!」
セルツァもどうやらそれに気づいたようで、護衛の者達と何やら慌てた様子で話し合っている。
やがて、護衛者の声がガラスの半球から響いてきた。手首に装着しているグローブの甲にある宝玉に向かって話しているので、それを通しているようだ。
『アルカスが中にいます。どうされますか?』
高官達がすかさずグエルに向かってセ・グール語で何か言った。グエルは難しい顔をして考えている。そうして、こう言った。
「構わん。あ奴は客人に無礼を働いた罪人だ。そのままでいいとセルツァ殿に申せ」
ソニアは正直驚いた。自分も軍人として、部下の失態については厳しく処するものだが、今の場合は死ねと言っているようなものである。たった今捨て身の行動を起こし、その結果飛竜の捕獲に成功したのだ。もう少し評価しても良いのではないかと思った。
「彼は懸命に頑張りました! 私のことはもう水に流しておりますから、どうか助けてあげて下さい!」
「……いや、あなたがお許しになっても、我々として示しがつきません。彼はこのまま、あの竜と共に処分いたします」
「処分?!」
決して穏やかではない言葉だ。
「これから暫く調査をして、あの竜のことが解るかどうか試みます。竜王国に戻せばおとなしくするならそうしますが、またこちらに来る可能性があれば、ここで殺します。今はそちらの方が濃厚ですな」
「殺すって……どうやって?!」
「それはこれから決めます。あの檻ごと海底火山に放り込んだり、海溝に沈めたり、方法は幾らでもありますから」
これまであまりに害を被ってきたので、早く始末してしまいたいのだ。人間でも、畑を荒らす動物は罠に掛けて捕まえたり殺したりする。ごく正常な判断なのだろう。
だが、ソニアにはどうしても納得がいかなかった。どんな経緯があったにせよ、あの素晴らしい飛竜とサメ人間を両方とも殺してしまうなんて、早計に過ぎるのではないか?
「待ってください! どうか決断を下す前に、私に時間を下さい!」
ソニアのその申し出に、高官達は目を丸くした。色々あって気を遣う相手だし、彼女の一存でセルツァが術を解除してしまう恐れがあるので、無下にはできない。明らかに反対の立場を取るのなら、それを無視して押してまで処分を強行することはできないのだ。
「何故です……? あの不届き者を救う為ですか?」
「それだけではありません! あの竜も殺さずに済むのならそうしたいのです! 私にも少し調べさせて下さい! あの竜が暴れていた理由が判るかもしれませんから」
ソニアの願いで、彼女は護衛者に連れられて、竜が捕獲された現場へと赴いた。セルツァはずっと檻の側にいて、術の維持に力を注いでいる。
あれから、海竜は檻の中に入った飛竜を見に戻ってきて一度攻撃をしかけたが、檻が邪魔をして阻まれてしまうことと、飛竜の方も中で身動きが取れなくなっていることを理解すると、攻撃を止めて周辺を旋回していた。互いに牙を剥き、自由になったらいつでも襲いかかろうとしている。誤って周辺にいる人々の方を攻撃することはなさそうだが、これでは決して術を解くことはできそうになかった。
ソニアがやっと到着すると、一番大きな危険が去ったとは言え、セルツァが咎めた。
「まだ終わってないんだ! 来たら危ないよ!」
ソニアは訳を言って、それでもセルツァが認めないのを無視して巨大な檻のギリギリ表面に近づいた。側にいるだけでビリビリと檻のパワーが伝わってくる。全身の毛が逆立つようだ。
白い飛竜は主に海竜に敵意をぶつけていたが、閉じ込めた連中のことも解っているようで、ソニアに対しても叫びをぶつけた。檻のパワーを通してはいるが、それでもこんな至近距離で真正面から竜の叫びを聞くのは初めてで、ソニアは身震いしつつ感動した。
ビヨルクの地下にいたあの雪猿のように、それを覆い支配していた化物のように、この飛竜の心が感じられないだろうか。ソニアはそう願った。
ねぇ、あなた、どうしてこんな所で暴れているの? 何がしたいの?
このままだと、あなた、殺されちゃうのよ?
興奮し切っている飛竜の方で彼女の意志を汲み取る余裕は全くないようだったが、その代わり飛竜の感情らしきものの断片がソニアに突き刺さってきた。
それは憎しみだった。しかも竜に対する。この海竜が憎いのか? それとも竜全般が? 体の大きさに負けぬその感情の塊は、ソニアの予想以上だったので体ごと押されそうに感じた。
彼女自身がそこまでの感情を抱いたことがないので、あくまで推測なのだが、自暴自棄なまでに、己の身を滅ぼして死んでもいいと思うほどに竜を攻撃したいという欲求のようだ。何がそれほど、この竜を憎しみに駆り立てているのだろう。