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Sonja〜ソニア〜  作者: 中島Vivie
第19章
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第3部19章『回帰』9

 父と息子は、互いをジッと見つめ合った。酷く憔悴しているが、息子の目には何らかの決意を示す強い光が見て取れた。それでこそエングレゴールの人間だとゲオムンドは思った。

 ゲオルグは瞬きをし、それからまた父を見つめ、紫色の星を瞬かせた。

「……父上」

「……なんじゃ」

「……私に……私に……やらせて下さい」

ゲオムンドは目を見開き、眉を吊り上げる。これほど早く息子が決意したことに驚いていた。

 ゲオルグはベッドから立ち上がり、青い空の見える窓際へと近づいていった。

「私が……ソニアを始末します」

「お前……」

「私が……必ずこの手で殺します。自分の手でやり遂げたい。ですから……二度と刺客は差し向けないで下さい」

この決意を、ゲオルグは父に背を向けて空の色を眺めながら伝えた。

 ゲオムンドはニヤリと笑みを浮かべ、髑髏の杖でカツンと床を突き、鳴らした。

「――――――よくぞ言った! それでこそ我が息子だ!」

大変愉快そうにハ、ハ、ハと笑い声まで上げる。

 この人は、自分がヌスフェラートとしての、エングレゴールとしての生き方を拠り所にすると決めたと思っているのだろうと、ゲオルグは心の端で思った。或いは、物事を現実的に見る認識の対決において、この息子に完全な勝利を収めたと考えているのかもしれない。

 だが、本当はそうではない。ゲオムンドは物事の本質を何も理解していないし、ゲオルグにとっての生きる縁は、もはやソニア以外にないのだ。例え相互の疎通は失われ、愛が消え失せても、彼には彼女しかいないのである。一晩中自分を呪い、責め続けて朦朧としている彼の頭の中では、今でも愛しい者の光が見えている。

 人並みの愛を受けて育たなかったが故に、それを欲して、求めて、あてのない愛の為に己が身を費やし、心やつれていく自分。報われぬ献身だけが延々と続き、何と愚かで惨めなことだろう。

 もう、何の未練もなく誰にも邪魔されぬ土地へ1人で行き、この光だけを見ていたい。

 だから彼は決めていた。マキシマを極め、完成させ、この呪われた肉体を全て違うものに変えて、ゲオルグではなくマキシマとして生きる。皇帝でも大将でも如何な天使でも敵わぬほどの至高の存在となり、その姿でソニアを迎えに行くのだ。

 出来るだけ苦しまぬよう、優しく、そっと殺してやり、その美しい姿を携えて世界の果てに行く。そこでソニアを葬り、彼女の墓を美しく飾り、命ある限りその墓を守って生きるのだ。最期はそのすぐ傍で朽ちるのだ。

 それが、今の彼に残された少ない望みであり、シナリオだった

 息子のそんな心の内を知らぬ父は、部屋を徘徊しながら話を続けた。

「ゲオルグよ。実は他にも問題があってな。どうも過去の英雄である天使アイアスが甦ったという噂が、根強く世に流れているのだ。もしやすると、あの天使に特性の似通った新たな天使が出現したのかもしれん。戦に戦を重ねてホルプ・センダーも力をつけてきた。先日は人間がヴィア=セラーゴに侵入することを許したばかりでなく、獣王大隊長ラジャマハリオン殿も負傷した。こうなれば、一刻も早くそなたの研究の完成が望まれる」

ゲオルグは窓を開け、流れ込んでくる涼やかな潮風を浴びて目を閉じた。

 『天使』。ソニアもまた心奪われて人間世界に留まり、その男を待つ人生を送ることになった。今となっては憎しみを感じさせる名詞である。

 ゲオルグは潮風に土色の髪を靡かせながら、父を振り返り見た。入室したばかりの頃とは違って、彼の顔には生気が戻ってきている。瞳の輝きは、父譲りの危険な光を宿していた。

「……必ず倒しましょう、天使を。全て」


 ゲオムンドはその後すぐに孤島の宮殿を後にし、ヴィア=セラーゴへと戻って行った。当主が帰ったことで住人達の緊張も解れ、宮殿に平穏な静けさが再び訪れる。

 ずっと心配されていた若君もようやく自室から現れて、待ち構えていたガルデロン達に世話を許した。まず若君の怪我をガルデロンが治療し(本来なら若君自身で治せるのに、何もせず放っているからである)、それから地下浴場での湯浴みを勧めて、若君は「そうだな」と気のない返事をして湯浴みをし、さっぱりした所で身なりを整えて光射すサンルームで遅い朝食を摂った。その頃にはすっかり昼の時刻である。

 ガルデロンも給仕も黙々と働き、ディスパイクは用命を待ってジッと佇んでいる。やがてする事のなくなってきたガルデロンも手持ち無沙汰な様子でディスパイクの隣に立ち、若君が何でもいいから何か言ってくれるのを待った。あれからどうなったのか、ソニアと一体何があったのか、彼等は何も知らない。

 ゲオルグは硝子の向こうに見える青い海原と空に目を向け、手を止めた。

「……静かだな」

「さ……左様でございますね。本日は海風も穏やかで、よいお天気でございます」

ガルデロンはいつになく吃音気味であった。若君は気にせず続ける。

「……昨夜の嵐が嘘のようだ……」

「左様で……ございますね」

ガルデロンもディスパイクも、ただドギマギとするだけである。どんなに訊きたくても、昨夜の事は訊いてはならない。こちらから尋ねることは決して許されないのだ。忠実な部下らしく、仕える主の方から話さないことを詮索してはならないのである。

 その歯痒さは2人の身じろぎと、盛んに泳ぐ視線に表れていた。が、若君はそれらを一切を目に入れることもなく、硝子窓の向こうばかりを見ている。

「……2人共、人間の姿への変化は出来るのだったな。……どちらが得意だった?」

「は……人間への変化でございますか? どちらかと言われましても……比べたことがございませんので……宜しければこの場で変化致しますので、ご覧頂くのが早いかと……」

「ああ、それは……今でなくともいい。とにかく……用を頼みたかったのだ。どちらか1人でいい。どちらか……こらから、この島を離れて欲しい」

「……と、申しますと……密使か密偵のお役目でもございますので……?」

若君の食事はとてもゆっくりとしており、殆ど減っていなかった。今もフォークを手にしてはいるが、それを握る手はテーブルに置かれたままである。若君は、ずっと遠くのものに目をやっているようだった。

 ヌスフェラートは丈夫な身体をしているし、一族の技術や魔法があるから大病を患ったことなどないのだが、新技術の実験で若君自身の体に施術をした時などは、直後に拒絶反応が起きたりすると何日も寝込むことがあった。今の姿は、その後ようやく回復してまともな食事をする時の様子と一緒だった。

 大いに蝕まれ、傷つき、だが、そこから脱しようとしている。遠くにある光を思い、それを命綱と思って縋り、生きている。

 実は昨夜、ガルデロンはこの若君が自殺してしまうのではないかとおそれていた。今まで一族にそのような者はいなかったが、とにかくこの若君は優しい。それが故に、どう見てもソニアと決別したとしか思えぬ昨夜の放心ぶりからして、その命綱を遂に失い、生きる望みを失って、自ら命を断つのではないかと案じたのだ。

 気に食わないことがあった時、これまでの一族の者は怒りを外に向けて、他の者を殺め消し去ることで脅威をなくし、自らの心に対処してきた。だが、この若君の場合は、その刃の矛先を己に向けそうな気がしたのである。

 だが一夜明けて当主が訪れ、当主の働きかけが効いたのかは不明だが、とにかくこうして無事姿を現したものだから、ガルデロンは深く、深く安堵していた。まだ不安は残っているが、一番の峠は越えたであろう。

 後は自分達が全力で働き、若君をお慰めして、少しでも早く元気になってもらいたいと思っていた。ディスパイクも同様で、2人共が、若君の命は出来る限りこの自分が遂行し、叶えたいと願い、必死で言葉を耳に入れた。

「……何年もということにはならんと思うが……もう暫くオレの研究に時間がかかる間……ソニアの側にいて、ソニアを守って欲しいのだ。……勿論、人間の姿に変化してな。長期になるだろうから……出来るだけ人化が得意な者が良いと思ったんだ。

 ……オレが行くまで……ソニアを……皇帝軍にも……父にも……他の誰にも殺されぬよう、守ってやって欲しい……」

 2人は驚き、若君がこの期に及んでまだ双子への愛を失わず、諦めていないのだと思った。昨夜あんなにも打ちのめされ、捨てられていった後だというのに、それでも尚、彼女を大切にするのかと。

 だが、それはすぐに否定された。同じ淡々とした調子で若君はサラリと言う。

「……オレは……オレの手で、ソニアを殺すことにした。……必ずこの手でやり遂げたい。だから……オレが行くまで、他の誰にも殺させてはならないのだ」

 2人はその言葉に胸を突かれた。長年、この若君がどれだけあの双子を愛しみ、可愛がってきたか、遠隔監視の部屋で幸せそうに彼女の姿を見つめてきたか、よく知っている。その彼をここまで決意させるほどの酷い何かが、昨夜あったのだ。

 2人は打ち震え、その出来事から自分達が守ってやれなかったこと、そして今ですら出来事の払拭に何の役にも立てないことが口惜しく、もどかしく感じられた。

 真っ先に、ディスパイクが名乗りを上げた。

「私が……私が参ります! ゲオルグ様! 私めの方が、ゲオルグ様と共に人間社会に潜入する機会が多かったですから、ガルデロンよりは慣れているかと存じます。それに、ガルデロンはこの宮殿の大切な執事。彼が不在では管理がままならないこともありましょう。私が残ったとしても、彼ほど役には立てません。ですから、どうか私にお命じ下さい! 私が参ります!」

この主張にはガルデロンも反対はできなかった。それが最も合理的だと解っているからだ。直接ソニアに近づいて守護役を務めたい気持ちはあったが、若君の為にはディスパイクが出て行き、自分がこの宮殿をより良く管理することの方が利に適っていた。

「……そうか。お前が行ってくれるのが、確かにいいかもしれないな」

「必ずやソニア様を、命に換えましてもお守り致します!」

「……うむ。ソニアを頼む」

早速出立しようとしているディスパイクを、ゲオルグは手で制して止め、今暫く待たせた。

 左手でサッと宙に陣模様を切ると、そこに立体的な世界地図が現れ、ある一地点だけが点灯していた。この宮殿に連れて来た時に新たな処置を行って、いつでもソニアの居場所が判るようにしているのだ。

「……今はアドロミラル海だな。おそらく船にでも乗っているのだろう。そこに向かえ」

「――――――はっ!」

ディスパイクは床に沈み、あっという間に姿を消した。

 後に残されたガルデロンは、いよいよその他の命を待つばかりとなって、1人、ただただ悲しく若君の背中を見ていた。

 あれほど猛り狂っていた雷鳴と雨音の夜が過ぎ、今は島全体が静寂に包まれており、このサンルームも静か過ぎて、自分の存在が煩く感じられるほどだった。

 食器の噛み合う音。心臓。耳鳴り。ああ……溜め息が零れそうだ。

「……ガルデロン」

「――――は……はいっ」

ゲオルグはフォークを皿に置き、もうこれ以上食事は続けない様子でグラスの水を飲んだ。

「……オレは、また暫くここを空ける。その間……頼んだぞ」

「はいっ……それはお任せ下さいませ。今度は……どちらへ?」

ゲオルグはゆっくりと顔を向け、ガルデロンを見やると、彼には意味不明な微笑をそっと口元に浮かべて、また彼方を見た。

「……秘密だ。極秘の行動なのでな。落ちついたら居場所を知らせる」

 この時、これを最期に、100年以上の長きに渡ってこの宮殿の主であった若君が二度とここへ戻って来ることはないことなど、ガルデロンには知る由もなかった。

 説明のつかぬ妙な胸騒ぎと物悲しさ、寂しさを感じたのだが、それが何なのか解らないので、ガルデロンはいつものように若君の出立の準備をして、送り出すことしかできない。

「……かしこまりました。ご連絡をお待ちしています。お気をつけて、行ってらっしゃいませ」


 食事の後、手早く各部署に指示を与えて仕度を整えたゲオルグは、宮殿4階にある流星・飛翔術専用の発着台から飛び立ち、流星の弧を蒼穹に大きく描いて突き抜け、彼方に消えていった。

 薄っすらと消えていくその軌跡に向かって、ガルデロンはゆっくり深々と頭を下げていく。

「……行ってらっしゃいませ」

軌跡の先は北に向かっている。人の国もあれば、森も氷原も海もある。若君の目的地が何処なのかは不明だが、そこでの無事と目的遂行を願って、ガルデロンは長々と頭を垂れていた。

 ほんの暫くの滞在であったが、あの令嬢をガルデロンは気に入っていた。若君が好いているから、その影響が強いのだが、同じ直系筋の子孫として、身命を賭して仕える心積もりもできていた。

 それがこんなに早く事情が変わってしまい、迎え入れる者ではなく、排斥するべき者として位置付けられてしまった令嬢のことが、何とも憐れに思われた。

 だが旦那様が、そして若君がそうと決めたのならば、それは必要なことで正しい判断なのだろうと考え、胸の内の虚しさは隠して蓋をしてしまった。

 島を通る海風が、昨夜の雨で濡れた森の湿気と土の香りを抱いて流れていく。当主が去って軽くなったその風は、ゆったりとガルデロンの衣を揺らし、撫でていった。

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