第1部第3章『デルフィーの日々』その6
ホールでの晩餐も済み、今日の疲労で眠気に見舞われた一同は、早々とテントに戻って休むことにした。明日の試合の為にも出来るだけ回復しておかなければならない。
その帰り道の途中、ソニアは思わぬ人物に呼び止められて、回廊を照らす松明の下で話をした。気になった一同は少し離れた所で見守って待った。
赤制服の近衛兵隊長が友好的な笑みを浮かべていた。
「今日の君の活躍は素晴らしかったよ。大変有望だ。明日の闘いにも期待しているよ。頑張ってくれたまえ」
「ありがとうございます」
近衛兵隊長の方が上官らしく、これがかしこまった話でないことを示して寛いだ様子で腕を後ろ手に組んで足を傾いでいたが、ソニアの方は若い兵士らしくきちんと背を正して姿勢を崩さず、両手をピッタリと腰につけて敬意を示していた。
「……ところで、つかぬ事を訊くが、君の名はパンザグロスだそうだね?」
「……はい」
ソニアはドキリとして、その名に、ときめきと同時に痛みを感じた。
「先の大戦の英雄と同じ家名だったものだから気になってね、何か関係があるのかな? それとも単に同名なのかな?」
デルフィーでは訊かれることのなかった質問に出会い、さすがここは情報の中枢なのだと知って感心し、ソニアは誇りを持って凛とした目で言った。
「英雄アイアスは私の兄です」
答えが出ても近衛兵隊長は暫く固まり、信じられない様子で口を開けたまま呆然としていた。確かに、信じられない話だ。
ソニアは細かな事情をここで語るのは適当でないように思い、懐からパンザグロス家のペンダントを取り出して彼に見せた。角に蔦を絡ませた牡鹿の紋など見ても本物と判別がつくとは思えなかったが、真実味は増したようで、彼はそれを手に取るとまじまじと見入った。
「縁あって養女になったんです。そしてパンザグロスの名を頂きました」
「……真に? 何故……アルファブラで暮らしてはおらんのだ?」
「事情でこの国に住むよう預けていかれたのです。私はこの国の人間ですが、そのままパンザグロスを名乗っています」
疑念が払えぬものの、彼はひどく感心した様子で「ううむ」と唸った。国王や国軍隊長よりずっと若く見える30代半ばの容貌の彼は、1つ頷いて時間を取ったことを詫びると、こう言った。
「その事についてまた訊きに来るかもしれんが、いいかね?」
「はい、もちろんです。閣下」
彼はもう1度ソニアを頭から足先まで眺めると、「では」と言って去って行った。
待っていた仲間達は、当然何を訊かれたのか知りたがり、ソニアは一緒に歩きながら名前のことを少し尋ねられたのだと説明した。途中で彼女が何かを取り出していたのも見ていたので、それについても訊かれ、名前の刻まれたペンダントを見せただけだと教えた。そんなことだけでわざわざ近衛兵隊長が声を掛けてくるとは信じ難かった皆が、柄にもなくしつこく訊いて探ろうとしたので、ソニアはもう1度ペンダントを出して皆に見せた。近衛兵隊長が兄のことを知っていて、兄と同じ名前だったから自分に話し掛けてきたのだと言うと、ようやく皆も納得したのだった。
「知り合いなのか?」
「ううん、そう言う訳じゃないけど」
今の些細な出来事に一時気を取られたものの、すぐに皆は明日の大会の方に関心が移って、今日見た参加者の中で手強そうな者を何人も挙げて話しながらテントで眠りについた。
ソニアは久々にアイアスのことを人に尋ねられ、自分でもそれを口にしたことで興奮して、すぐには眠れなかった。明日、出来る限り勝ち残って城勤になり、誰にも負けないくらい強くなると改めて心に誓い、アイアスを想った。
このまま眠らず、すぐに試合を始めてもいいとさえ思える力の炎が心に灯っていたが、明日の為に強いてソニアは目を閉じた。睡眠で得られるエネルギーよりずっと力強いものを手にしているが、侮ってはならない。瞼の向こうのアイアスに語りかけながら、ソニアは夢の国よりは少し浅くて落ち着かないまどろみの中に入って行った。
翌日、朝も早くから選手達は起き出し、また丹念に体を解し始めた。毎日のように訓練している者達でも、昨日の肉体酷使が響いて体に残っている者が多く、だからこそ昨日より入念に手足を揉み、あらゆる筋を伸ばした。
城勤者達も、今日こそが大会の目玉であるトーナメントなので、しきりに覗き見をしてそわそわとしていた。兵士はもとより、文官でも格闘技好きは多いものだ。
ホールでの朝食を終えると、全員鎧を装着して剣士は剣を差し、槍士は槍を手にして昨日の広場へと集まった。
今日は広場が4つに区切られており、早くも一般市民の見学者が周辺を陣取って色めき立っている。入城を許された応援団が衛兵の指示通り見学者用の線まで下がって、持参した折り畳み椅子に腰掛けたり肩を並べたりしながら、知り合いを探してキョロキョロと辺りを見回し、声を張り上げた。
デルフィーから来ているのは引率2人と魔術士の他10人だが、ソニアとアーサーの身内はその中にはいなかった。リラはもともと高齢だし、アーサーの母親は妹を残して応援に行くことに気が引けて断念していたのだ。家の仕事もあるし、アーサー自身もそれがいいと言って自分の方からも断っていた。自身満々というわけではない最年少参加者なので、折角来てくれた身内をもしガッカリさせることになったら耐えられないのだ。そんな心配がなければ、心置きなく戦闘に専念することが出来る。
10人の内訳は、例の好成績だった年長者の身内と友人で3人に、残る3人の兵士の身内がそれぞれ2人ずつ。そして最後の1人は教師ザイーフだった。教え子2人が戦う勇姿を目に納めようと、本来の学校の日を助手のティアナに任せて出て来たのである。
ザイーフはソニアとアーサーを見つけるなり手を振って、声は出さずに口だけパクパクとさせて《頑張れ》と言い、拳を掲げて見せた。それにはソニアもアーサーも笑い、拳を掲げ返した。
昨日与えられた番号がそのまま引き継がれ、その番号が振られたくじを係の者が引いて、次々と対戦相手が決まっていった。昨夜のうちに決めてしまっても良いものを、不正などがないよう公正を期する為に、こうして皆の前で仕掛けのない箱にくじが入れられるところから始まったのだ。
4ブロックそれぞれの第1試合4組が真っ先に決まり、その者達はくじ引き途中で早々に対戦会場へと移動した。24都市各6名で計144名の他、この城都からの参加者6名を加えた150名全員のくじ引きが終わると、デルフィー班はうまく仲間と当たらないように散らばることが出来、4ブロックに見事に振り分けられた。ソニアは第2ブロックの12試合目だ。
対戦相手の運で強者が落ちることもあるので、たった1試合だけで終わるようなことはなく、敗者同士の試合も沢山組まれることになっている。だから今日は一日中試合ずくめだ。
時間を惜しむように試合はすぐ開始された。各ブロックには救護用の術者がおり、負傷時には治療呪文で処置することになっている。実戦兵を求める試験なので木刀などは使わず、真剣で勝負するのだ。
今日も特設テントで国王や軍人達が集まり、幹部らしい文官等も加わって見物を楽しんでいた。世話係の女官や下働きの者が忙しなくテントと城内とを行き交っている。
緊張と興奮とで胸が高鳴るソニアとアーサーは、互いのブロックは違えど、自分の戦いが始まるまでは一緒に面白そうな試合を観戦し、論じ合った。そしてデルフィーの兵士が戦う時には、そのブロックに行って大いに応援した。
真剣の試合とはいえ、本当に相手を刺したり腕や首を斬り落としたりするはずもなく、殆ど型通りの剣舞に近くて、達者な者が喉下に切っ先を突き付けて相手に「参った」と言わせたり、押し伏せていつの間にかレスリングに変わって固め技を決め、降参させるといった調子だった。
組み合わせに余程の力差がなければ数秒で決着がつくこともなく、有望選手の試合以外は大概時間がかかったので、ブロック毎に試合進行のバラつきが出てきた。アーサーは第1ブロックの9試合目だったのだが、ソニアとほぼ同じ時に試合が始まることになった。デルフィーの者は二手に分かれて応援をした。教師は迷った挙句、より長い付き合いであるソニアの方をまず見ることにした。
ソニアの対戦相手は30歳の体格のいい赤毛男だった。御前試合に戸惑うはずの若いソニアよりも、むしろ相手の方が戸惑っていた。何せ戦う相手が最年少の少女で美しく、しかも昨日あれほど立派な成績を納めているのだ。
体力テストも障害物走も彼の方が低い順位だったので、当人を目の前にして、本当のこの子にあんなことが出来たのだろうかと不思議でならなかった。だが、今日は経験がものをいう試合だ。自分の方が有利に決まっている。そう自分を奮い立たせて彼は剣を抜き、構えた。ソニアも構えた。
彼は残念ながら間違いをしていた。年齢差はソニアの歳以上あるのにも関わらず、現時点での経験――――戦闘経験はソニアの方が上だったのである。
開始と同時に、ソニアは目にも止まらぬ速さで彼の懐深くに入り、衝撃波を繰り出す時と同じ要領の踏み込みで力強く剣の柄を突き出して、彼を弾き飛ばしてしまった。
観客達は歓声を上げるよりも先に沈黙した。その、大歓声ではなく、一斉に大勢の人間が息を呑んだり止めたりする妙な陰圧の空気が他ブロックの人の目を引いた。戦っているアーサーですら一瞬そちらを見そうになったが、彼女が見事相手を仕留めたのに違いないと信じるだけにし、自分の対戦に集中した。
ソニアの相手は剣を取り落として仰向けになっていたのだが、唸りながら上体を起こして目を白黒とさせ、ソニアを見た。自分の体重の半分くらいしかなさそうな小娘が涼しい顔で尚も構えている。彼は立ち上がろうと歯を食いしばって膝を立て、腕に力をかけたが、立ち上がれなかった。彼は自分の身に起きたことが信じられなかった。ここでソニアがやって来てさらに攻撃を加えればもっと彼を痛めつけられたが、ソニアはそうせず、彼が立ち上がるか降参するのを待っていた。
テントの幹部達は前もってパンザグロスの名を語る少女に注目していたので、最初からこの試合を見ており、呻き声を漏らした。国軍隊長は口を手で覆い、近衛兵隊長は腕を組んだまま口を開けた顔で固まり、国王は何やらウン、ウンと頷いていた。
結局フラフラと立ち上がった相手だったが、剣を構え直しても、再びソニアに剣を払われ体当たりされると、成す術もなく飛ばされて遂に降参した。
デルフィー組が真っ先に声を上げて喜び、続いて観客全員がワッと歓声を張り上げ拍手した。
ソニアは兵士らしく剣を納めて、礼儀正しくお辞儀をしてから相手の下に行き、手を差し出して起き上がるのを手伝った。本来ならこんな年下の、しかも娘に手を貸してもらうなどプライドが許さないはずの力自慢の男だったが、あまりに呆気にとられていて、夢現に近い状態で差し出された手を自然に取り、ゆっくりと起き上がった。
後で我に返った時に、自分はもう戦士としてやっていけないのではないかというくらい彼は落ち込んだのだが、今日全ての試合が終わる頃にはその考えは変わるし、後々にはまるで自慢話のように、この時のことを語り草にするのだった。
隣の第1ブロックでは、アーサーも25歳の相手に巧みな動きと剣技で土をつかせ、「参った」を言わせていた。教師ザイーフはソニアの活躍に目を奪われていたあまり、そちらを見るのを忘れていたことに気づいて、しまったと腰を打った。
ソニアと対戦相手が陣内から出ると、すぐに次の対戦者が入ってきて大会は進行され続けた。幹部達もまだ進行を優先させて直接言葉を掛けに行ったりはせず、テントから賛辞を投げた。 代わりにデルフィー応援団がソニアやアーサーを取り囲んで滅茶苦茶に叩いて、思い切り褒め称えた。
1回戦全てが終わると、次は即座に2回戦が始まり、勝者戦と1回戦の敗者同士の戦いが交互に行われた。つまり、試合数は同じである。しかし、ここでまた負けた敗者戦の敗者はもう2度と戦うことが出来ず、次の3回戦では勝者同士の戦いと2回戦の敗者、敗者戦の勝者を含めた2度目の敗者戦が行われることになり、段々と試合数は減っていくのだ。
デルフィー組はソニアとアーサーの他、好成績の年長ともう一人が勝ち、2人は惜しくも敗れて復活戦に賭けることになった。
2回戦では順調な3人は残り、もう一人は負けてしまい、敗者だった2人はどうにか勝ち残って次の復活戦に進んだ。ソニアもアーサーも若いながら見事な戦いぶりで人々に注目され、喝采を浴びていた。
2回戦が終わった者から希望で順次食事を摂り、試合が全て済むまで何も口にしたくない者や、もう少し後にしたい者はそのまま会場にい続けた。デルフィー組は全員しっかりと補給し、3回戦前のちょっとした休憩時間を柔軟運動で過ごして、早くエネルギーに変わるようにした。
3回戦の通常戦は19組だ。幸いまだ同じ郷の者とは当たっていない。今では敗者戦の方が多くなり、通常戦はその合間に入れられている。3回戦で勝てば、幾ら組み合わせの運があると言えど、上位19名として合格圏内に入れると言えた。ソニアもアーサーもこれに勝っていこうと意気込んで手を叩き合い、会場に向かった。アーサーこそ、ここで勝たねば己の合格の道はないと思っていた。
ソニアの相手は筋骨隆々の若者で力に溢れており、自信もある黒髪褐色の好男子だった。彼は試合前に口を開いた。
「大分目立っているようだが、俺は今までのようにはいかないぞ」
ソニアは相手の挑発に特にムッと感じもせず、ただニヤリと笑って返した。
今の彼女にとっての関心事は、目の前の敵を倒すことでありながら、目の前の敵に心を注いではいなかった。ここにいるはずのない架空のアイアスがそこで試合を見ていて、彼女はそちらの方にずっとずっと心を向けていたのだ。アイアスという観客を手に入れた今、ソニアに恐れるものはなかった。後は、何が何でも勝つだけだ。
開始と同時に両者は飛び掛かってぶつかり合った。刃の噛み合う悲鳴と風を斬る叫びが響く。体力だけでなく動体視力と素早さも誇りにしている彼は、実に見事な剣捌きでソニアに連続攻撃を仕掛けた。ソニアもその1つ1つを正確に捉えて剣で受け流していく。それは舞踏用の2人組剣舞のような鮮やかな流れだった。
強敵相手には最初から高速の連続攻撃で攻めて攻めて、相手が疲れてミスを犯すまでは決して手を緩めないのが彼の戦法だったが、ソニアが一向に疲れを見せず、逆にこちらのパワーが尽きるのを待っているかのような探る目をしているのに気づいた時、ギクリとして彼は柄持つ手を強く握り締めた。
そしていつの間にか彼の攻撃に対して彼女が受けるだけでなく、彼女の方も反撃して彼がそれを受け流すようになり、それが半々になり、遂には彼女の方が攻撃する率が多くなっていった。観客の顔つきも変わり、何より彼の目つきが変わっていって、縄張り争いで追い詰められた虎のような鋭い危機感が表れた。
ソニアの技は次第に速さを増し、追い付いて行けなくなった時、彼の剣は薙ぎ払って飛ばされ、丸腰になってしまったのだった。
素手になっても戦い続ける者が多かったが、ソニアにあっという間に喉下に剣を突き付けられて動けなくなった彼は、事態の把握に数秒懸かってから呻くように「まいった」と口にした。観客は熱狂して吠え、手を叩いて剣技を讃した。
デルフィー班が走り寄って彼女をヒラリと担ぎ、笑って笑って大騒ぎした。
「――――お前はこれで間違いないよ! やったな!」
引率の者も教師も魔術師も、自分のことのように喜んで拍手喝采だ。実は自分のことでもあるからだ。皆が彼女に技や知識を授け、訓練し、今日まで育て上げてきたのである。その日々が、自分の労力がこうして華々しく報われようとしているのだ。引率の1人は、彼女に入隊を勧めたあの兵士であるし、皆が幼い時から彼女を知っているので誇らしい限りだった。
魔術師は何故魔法を使わないのかソニアに尋ねたが、ソニアは要らなかったから使わなかったのだと言い、まだ余裕を見せていた。上位者はもう1戦やって更にランキングを分けて終了となる。この分なら、彼女はそれにも勝っていけそうだった。
32歳の巨漢を苦戦の末アーサーも破り、有力だったデルフィーのもう1人も、自分より若い男を倒して3回戦を勝ち抜いた。19傑の中にデルフィーから3人も入っているのはとても優秀なことで、同郷の応援団達は鼻を高くした。この大会で、デルフィーを知らぬ者も一体どんな街なのだろうと強い関心を示した。
2回戦で負けていた者は敗者戦で勝ち、もう1つ上の試合に臨めることになり、残る2人はここで敗退した。
最終戦、4回戦が始まる頃に日は大分傾き、広場に映る影が自分の背丈以上にまでなっていた。最終戦らしく、まずは敗者戦が先に行われて目玉は後に残され、19位以下のランキングが決まった後、ソニア達の出番となった。
そしてここで遂にデルフィー出身同士が対決することになった。ソニアと年長の兵士だった。彼は貫禄のある立ち姿で、ニッと笑ってこう言った。
「思いきりかかって来い。同郷だからと手を抜いて俺に恥を晒させるな」
ソニアはコクリと頷いて剣を構えた。彼は常日頃彼女を見ているから、他の街から来た兵士のような油断はない。しかも、攻略法を考えてきた日々があった。
どちらを応援するわけにもいかぬ応援団は、ただ両者に声援を送った。彼は今回盾を持ち、魔法攻撃にも備えている。
開始と同時にソニアは容赦なく魔法を放った。
「――――――フレア!」
突如、広場に有り得ぬ炎が発生して、他ブロックの試合を見ていた者も皆こちらを振り返った。そして、1度見始めるともう目が離せなくなった。魔法も扱える剣士というのは、そういるものではない。しかも、最年少の少女がそれを操っているのだ。デルフィーに魔法剣士がいるという噂を聞いて知っていた者は、この子がそうなのだと解り目を見張った。テントの幹部達も殆ど全員がこの試合を見ていた。
ソニアの火炎魔法を彼は盾で防ぎ、少し体に浴びつつも横に払い流して突進した。ソニアはもう1度火炎を放って彼を足止めさせ、その隙に体当たりを食らわせた。深い踏み込みで、彼は盾ごと吹き飛ばされる。予想していた彼は巧く転んでその勢いで立ち上がり、もう1度猛突進した。出来るだけ魔法攻撃に集中させないようにとの戦法だ。今度はソニアも正面から剣で受けて立ち、刃を噛み合わせて押し合い、体重の軽いソニアはズルズルと後方に押しやられた。
彼は盾を突き上げてソニアを飛ばした。おおっと声が上がる中、ソニアは宙で身を正して巧く着地し、落とさず握っていた剣を再び構えると、楽しさに思わず笑みを覗かせた。彼は眉を吊り上げ、同じく不敵な笑みを浮かべて《かかって来い》と手招きした。
「――――――スキラ!」
ソニアの風の刃が彼に襲いかかる。盾を翳して凌いだが、2発、3発と続けざまに浴びて体勢がグラついた。
そして盾が傷だらけになったところで、ソニアは思いきり踏みこんで剣を振り上げ、大技『アイアスの刃』を放った。距離があったにもかかわらず盾は真っ二つに折れ、勢いで彼は猛牛に撥ねられたくらい――――いや、それ以上の勢いで吹っ飛び、宙で体が弄ばれるように何度か回転して、そのまま地に落ちた。
観客達は息が止まり、横たわる彼が動くまでジッと瞬きも忘れて見守った。一般観客の中には見たこともない魔法と大技にすっかり圧倒されて、もしや彼は死んでしまったのではないかと思う者さえいたのだが、さすがに彼は鍛え抜いた戦士で、咄嗟ながら最悪の落ち方は免れて、無意識のうちに身を守っていた。ソニアはまだその場に立ったままで彼が起き上がるのを待ち、追撃はしなかった。
彼は軽い脳震盪を起こしていたが、ややあって頭を振りながら呻き声と共に上体を起こし、剣を杖にして起き上がろうとした。しかし出来なかった。
「……まいった、お前の勝ちだ、ソニア」
どっと湧き上がる驚きの声の中、ソニアはすぐに彼の下に駆け寄り手を貸した。救護班が彼の様子を診て少し治療を施した。
「まったくこの天才め……! よく吹っ飛ばしてくれたもんだ」
部下であり、年下である者に負けることはプライドが傷付いて険悪な雰囲気になるものだが、彼は既に達観していて偽りのない笑顔を見せた。ソニアも笑った。そして起き上がると、彼は耳元でこう言った。
「同じ負けるでも、あんだけの技で負けりゃ俺の株も上がるだろうよ」
そして握手し、2人は皆に取り囲まれた。これでソニアは10傑の1人になったのだ。また仲間に担ぎ上げられて、ソニアは胴上げされた。結果が発表されなくとも、もう彼女の入隊は確実だ。教師はソニアを抱き締め、魔術師も普段することのない抱擁とキスをソニアに浴びせた。
傍らでは、別ブロックのアーサーの試合が佳境に入っていた。いい試合で、年輩の森の男との闘いは剣同士の時もあれば、それを取り落としてレスリングになったりと長引いていた。体格的に劣るのに、アーサーは返し身を上手く続けて捕まらず、粘り強く向かって行って諦めなかった。
ソニアの試合を見られなかったが、彼女が勝つのは解っていたし、歓声でそれと知ったので、彼は尚更自分も並びたかった。彼女を負かすことを想像するより、目の前の敵を倒すことの方が彼には容易に思えてくる。
敏捷に四方に動いて隙をつき、敵の足を取って転ばせ、うつ伏せになっている間に手近な剣を取り、乗り上がって突き付けた。上を向いた相手は起き上がろうとした体勢のままで固まり、悔しさがジワジワと顔に広がっていって、やがて吐き捨てるように「まいった」と宣言した。
アーサーは相手よりも信じられない様子で放心していたが、割れるような歓声に目を覚まして相手から退き、周りを見ると、ようやく勝利を実感して手が震えてきた。一応礼儀は忘れず剣を納めてしっかりと礼をすると、そこまでは兵士らしかったが、その後はまさに少年らしく飛び上がって喜び、雲の上の誰かにでも伝えるように叫びを上げて駆け寄る仲間達と合流した。
アーサーは真っ先にソニアを見つけ、ソニアもアーサーに笑いかけ、彼は勢いよくぶつかって彼女とガッチリ抱き合い、お互い回って――――と言うより彼がソニアを振り回して、やったやったと喜び合った。その後は手を叩き合ったり拳をぶつけたり仲間達に滅茶苦茶に叩かれて、何が何だか解らないくらいの騒ぎとなった。
異例の最年少2人の10傑入りに会場中が沸き、テントにいた幹部達も席を立ってやっと出て来た。アーサーも胴上げされて、もう1度ソニアと抱き合い、肩を叩いた。
勝者達には幹部達から直々に祝いの言葉が掛けられ、参加者達は上気したまま礼を返した。幹部達は、もうこの者達が次に城に来る者達であると見なしているので、そのつもりの挨拶だった。
最年少10傑の2人には、国王からも言葉が掛けられた。昨日一度言葉を貰っているソニアはともかく、アーサーは初めてなので、この国の最高権力者に間近で会い、面と向かって話し掛けられてひどく緊張していた。
この後は試験官や幹部等で会議がなされ、合格の30名を決定することになっており、その発表が晩餐の席でされる予定だ。全課題から解放された参加者達は、成績はどうあれ胸を撫で下ろして、予想について話し合うなり落ち込むなり食事をするなり、好きなようにした。
デルフィー組は有力3人の他は、敗者復活の1人がどうにか勝って、順位的には中の上辺りになった。3人以外はおそらく駄目であることが判っていたので、敢えてその話題には触れず、応援団も含め一同は残る時間で再び城下街に繰り出すことにした。
汗だく泥まみれの参加者は水浴びをして体を洗い、ソニアはきちんと設置されている女性兵士用の水場で体を洗って着替えをして、さっぱりしたなりで夕暮れの小一時間を城下街散策で楽しんだ。
兵士として働くようになってから自分の小遣いというものを持っているソニアは、リラに土産を買おうと思い、アーサーも家族にと、一緒に工芸品店や服飾品店を見て回った。世界に誇れる技術を持つこの国ならではの、見事な品ばかりだった。
ソニアはリラにスカーフと、体に良いという茶を買い、アーサーは母親にストールを、妹にはリボンと可愛らしい色とりどりの飴の入った小瓶を買った。
彼が家族思いなのは周知のことだったが、妹のミンナは父親の記憶がないだけに、まとめてその分も彼に懐いていて、たまに端からソニアが見ていても愛らしく感じるほどだった。きっと喜ぶよ、とソニアが言うと、アーサーも嬉しそうだった。
時を告げる番人のラッパが響き、間もなく晩餐が始まることを知った参加者が次々と城に帰り、ホールに集まった。世の中でおそらく兵士ほど時間に厳しい職業はないので、予定時刻前には全員が揃い、落ち込んでいた者も1つの事を成し終えた喜びをそれなりに感じて、皆ガヤガヤと発表のことを話し合った。
予定時刻直前になると、国王、王妃他、大会に関わった幹部等が集まってホール上座の席に着いた。国王が入場してきただけで拍手が起こり、彼が中央の席に辿り着き手を挙げて止めるまでそれは続いた。
今晩はもう競技の心配をせずに飲めるので、テーブル上にはふんだんに酒瓶や酒樽が載せられている。大会前日も含め、この3日間慎んでいた酒好き達は、もう飲む前から嬉しそうに頬をテカらせていた。
最年少の2人の前には気遣いよく果実の搾取液やミルクが用意されていた。体質的に飲めない者の為にも、茶や、同じような物が並べられている。
まず軍隊長が挨拶して大会での努力を労い、続いて王が同じように皆の尽力を称え、それから大会の監督官のリーダーが合格者の名を書き連ねた紙を手に前に進み出て、大会の出来を満足したことを語り、幾つか面白いアクシデントの話などをして皆を笑わせてから、ようやく紙を広げて目の前に翳し、一人ずつ読み上げていった。
「――――それでは、これより栄えある合格者30名を発表する。どの者も、これからこのトライア城に迎えるに相応しい強者であると我々は満足している。選ばれし者は誇りと忠誠心を持って、トライア国と国王陛下にお仕えするものと信じている。惜しくも選ばれなかった者も、変わらぬ忠誠心とトライア兵士としての誇りで、これからも勤めに励んでくれ。この大会が来年も行われるようであれば、再度の挑戦も待っている。この大会は、ある者にとっては始まりであるが、誰にとっても終わりではない。それを忘れぬよう。トライアと、トライアスに仕える者に栄光あれ。
――――――合格者。
7番、コドロ兵士団、ハズル=ペトラ!
12番、クリーミャ兵士団、トーマ=タビンキ!
15番、同じくクリーミャ兵士団、カザノバ=ロッコ!」
名を呼ばれた当人と同じ兵士団は、ワッと立ち上がって合格者を祝し、肩を叩いた。どうしても盛り上がるので、リーダーは間を開けて名を告げていった。国王の御前であるだけに、いきなり合格者に酒を浴びせ掛けたりするようなハメを外した行いはせず慎んでいたが、それでも声も拍手も大きく騒々しかった。
80番台であるデルフィー組は全出場者の中程だ。暫く待つだけで、すぐにその番がやって来た。ソニアは膝に置いた手でズボンをギュッと握り、テーブルの下でアーサーがその手を取って、力強く握った。少し震えていた。
「――――――80番、デルフィー兵士団、ドマ=アステリア!
84番、同じくデルフィー兵士団、アーサー=ヒドゥン!
85番、また同じくデルフィー兵士団、ソニア=パンザグロス!」
予想通り3人の名が呼ばれ、デルフィー組は立ち上がって喜びの声を上げた。3人は互いに手を取り合って一繋がりになり、揃ってトライアスの名を称えた。落ちたとは言え、同郷仲間3人の喜びようも尋常ではなかった。3人も合格者が出た街はまだ他にないのだ。
その後も合格者発表が続き、無事30人の名が挙げられると、最後にリーダーが「以上だ、おめでとう」と述べて下がった後にまた一層の拍手と歓声が上がり、合格者30人だけが立ってその場で祝福を受け、笑顔と身振りでそれに応えた。上座の国王や幹部達も惜しみない拍手を送った。
また国王が立ち、それでホールは静まった。
「選ばれし者達に祝福あれ! そなた達の就任を楽しみにしておるぞ! ――――さぁ、今宵はご苦労だった皆で存分に寛ぐがよい!」
そして王の音頭で乾杯がされると、騒々しい宴が始まった。
仲間達は何度も乾杯をして城の蔵の上物ワインを次々と空けて大いに笑い、ソニアもアーサーも少しだけ飲んで、後は勧められても断るようにした。
アーサーは興味を示していたが、ソニアに止められると素直に言うことを聞いて、仲間に「今からかかぁ天下か?」とからかわれていたが、彼は満更でもなさそうに顔を赤くして笑っていた。利かん気の強い意地っ張りなら飲むのだろうが、戦士としての肉体の成長に若い内の飲酒がよくないことを、父、母からも教えられていたので、馬鹿でない彼はそれを第1に取ったのだ。
ソニアに堂々勝ったと言える時が来るまで、彼は強くなる為ならあらゆる事をし、あらゆる事をしないだろう。
合格者の2人が茶と果汁のブレンドティーばかり飲んでいるのは妙であったが、彼らはどう見られようとも構わなかった。目的は果たしたのだ。
幼なじみ同士、ソニアとアーサーは乾杯し、これからの生活のことをあれこれ楽しく語らった。今日の栄光より、既に未来を見始めていたのだ。今後の詳細については明日説明を受けることになっており、今夜は宴だけを楽しめばいいが、若い2人は若いなりの不安があるので、先のことを考えてしまうのだ。しかし、そうして時を過ごすのはとても面白かった。
合格者名は城外で待っていた応援団達にも告げられ、デルフィー団は飛び上がって喜んで、小躍りしながら酒場へと直行して行った。今夜は酒場も繁盛するだろう。
夜更けに、酒臭いテントの中でソニア達は休み、トライアスへの祈りの言葉を呟きながら途中で寝入ってしまったのだった。
翌日、二日酔いの仲間はテントに放っておいて、頭の重い年長者ドマとソニア、アーサーは呼び出し通り城の会議室に集まり、上京に際しての詳しい説明を聞いた。日取りや、用意する物や、城での生活の流れなどである。
城勤兵は城内の兵舎で寝泊りするので、寝具類や下宿などの用意はしなくていい。これからはこの城が我が家となり、城下街は我が庭となるのだ。
二日酔いでも、高官を目の前にして仕事の話が始まれば、皆ピリリと目を覚まして話に集中した。
そして新しい国軍兵服を誂える為、仕立屋によって採寸がされ、後日届けられることになった。この時1番、ソニアもアーサーもドキドキとして、本当にこれから国軍に入るのだと実感した。集まった30人は、大会時のような競争心は過去のものとなって互いを仲間として見ており、和気藹々と言葉を交わした。
そして説明会が終わりかけた頃、国王が入って来て、一同に改めて祝いの言葉を述べ激励した。ソニアの所へ来た時、彼はよく知った者でなければ判らぬくらいの僅かな変化を顔に表してじっくりとソニアを見、深く頷いた。
「パンザグロス家の者を我が城に迎えられてわしは光栄じゃ。そなたは全くもって……妹と名乗るに相応しい戦士である。兄君も誇りであろう」
ソニアは感激のあまり瞳を震わせた。王は奥深い目で優しげに微笑むばかりで、彼女の事情のことなど一切尋ねなかった。ソニアは兵士らしい機敏な動作で顔を伏せた。
「有り難きお言葉です……!」
王は、また王らしく世は事も無しというような穏やかな顔で2つ頷くと、他の者にも回って行った。皆が皆、恐縮して目を輝かせ、その栄誉を受けた。合格したことの次に、彼等が口にする自慢話となるのだ。
全て済むと一同はテントに戻って身支度を整え、合格者は一時の別れを、その他大多数の者は長い別れを城に告げて丘の上のトライア城を後にし、街で待っていた応援団とも合流して、そこで合格を祝って喜び合い、ソニアは魔術師とも教師ともまた抱き合って祝福を受けた。
そして今度は全員で1つの流星となって、デルフィーへと飛び立って行ったのだった。
デルフィーに帰還した時の大騒ぎぶりは、ソニアの予想を上回っていた。昨夜の内に魔術師が流星呪文で結果を告げに一時帰還していたので、一夜明けて皆が帰る頃には、街中の者が街の栄誉を知っていたのである。
団長や教師等に、詳細を話す楽しみを一人占めしないようくれぐれも言い渡されていたので、魔術師は全て一気に喋ってしまいたい衝動を抑えるのに苦労していた。しかし、内緒だと言って知人に教えても、きっと知人が同じように広めてしまうのを年嵩の女らしく解っていたので、後で見損なわれぬよう、よくよく自分を戒めて結果だけを告げて城下街に戻って行ったのである。
だから、めでたくデルフィー住民は話に飢えた状態で、表に出て一行の帰還を待ち構えており、光の筋が過って広場に着陸したと見るや、ワッと集まって取り囲み、一斉に喋り出したり叫んだり拍手したりしたので、何も聞き分けられぬ状態だったのだ。
ソニアとアーサーは顔を見合わせて可笑しく笑った。
街のお調子者や仕切り屋や名士が「まぁまぁ待て」と宥め続けてようやく人の声が通るようになり、名士がここぞとばかりに前に出ると、当然のように皆を代表して大声を張り上げた。
「――――デルフィー兵士団、城都勤務合格――――――万歳――――!!」
すると皆もそれに続いて万歳をし、気の済むまでそれが続けられた。魔術師がソニアの手を取って掲げ、教師がアーサーの手を取って掲げ、団長がドマの手を取って掲げると、万歳の合間に名も入るようになり、ワラワラと人が集まって胴上げが始まった。ソニアは少年隊時代からの仲間や学校の仲間が主となり、アーサーは港で働いていた時の仲間が主となり、ドマは兵士仲間が主となって持ち上げられ、宙に放られた。
「やったなぁ! お前スゲェよ! 半端じゃねぇや!」
「よくやったな!」
こうしてデルフィーのお祭り騒ぎは始まり、ソニアもアーサーも高台からリラや家族が嬉しそうに見守っているのを発見したが、騒ぎを避けて近寄ってこないので手を振るだけにし、そのまま名士が準備した祝賀会場と称する公民館に運ばれて行ってしまったのだった。2人が家族と無事会って、直接報告をして抱き合い、喜べるのは、まだまだ先のことになりそうだった。
知人やその他大勢が自慢料理や酒を持ち寄って、早くも酔っ払っている者さえいる。
戸惑いつつも笑って、ソニアはこの街への愛着をまた違った形で実感した。自分の成したことを喜んでくれる人が多くいればいるほど、その土地に愛しさを感じるのは当たり前のことだ。まだ真の目的の達成には程遠くても、着実にその必然の一過程を終えたことにソニアは満足し、アイアスと別れて以降、初めてと言えるくらいの幸福感を得ていた。
群衆の中に架空のアイアスを発見し、ソニアは喜びの中で彼に報告をした。
アイアスはまだ遠かったが、笑っていた。変わらぬブルー・グレーの瞳で。