クモのココロ
あるところに大きな身体のクモが一匹。自慢の八本の腕を使って気ままに生きていました。
「退屈だなあ。そうだ、みんなをギョッとさせよう」
クモは森で怖いものはありません。小さな虫たちをを驚かすことが大好きです。
今日もクモはみずたまりでお化粧をしているテントウムシにそっと忍び寄ると、八本の腕でオバケの顔をつくりました。
「きゃあ」
みずたまりに映ったオバケの影に、テントウムシは腰を抜かして泣いてしまいました。
「あはは。ああ愉快だな。次は何をしようかな」
テントウムシのびっくりした姿はおかしかったのですが、まだクモの心は満たされません。クモが歩いていると、石を背負ったアリたちの群れがやってきます。草むらに隠れてクモは様子を伺いました。
最後尾のアリの後ろにはりついたクモは、石ごとアリを持ち上げます。アリは地面から足が浮いて、全然前に進めません。
「あれれ、どうしたのだろう。みんな行ってしまう」
焦ったアリは懸命に足を動かしますが、クモが石を掴んでいるとは夢にも思いません。
そのうちに仲間に置いていかれてしまったアリは、道に迷って困ってしまいました。
「ああ、とっても面白かったなあ」
それでもやっぱり心は満たされません。クモは途方に暮れるアリの背中を振り返りもせずに、巣に戻ります。遊び疲れたクモは少し休むことにしました。木々の間に張った糸のハンモックに寝そべって、クモは束の間の休息を味わいます。
ふと異変を感じたクモが目を覚まします。ハンモックから落ちてしまったわけではないようです。それでも何かがおかしいのです。
「やや、一体どうして腕がないんだろう」
立派な腕が半分ありません。四本になってしまったのです。慌てたクモは森の精霊に会うために、秘密の洞窟に向かいました。
洞窟に棲んでいる精霊は、とても長生きで色々なことを知っています。クモは腕がなくなった理由を尋ねました。
「クモよ。あなたはイタズラばかりしていますね。だから神様が怒って腕を減らしてしまったのですよ」
クモの意地悪を見かねた神様が寝ている隙に腕を消したと言うのです。神様は、クモに八本も腕を与えたのは、そんなことをするためじゃないとずっと悲しんでいたのです。
「ではどうすれば腕は生えてきますか」
とクモは言いました。すると精霊は、
「なくなったものは仕方がありません。新しい自分と向かい合わなければいけないのです」
と呟きました。
クモは四本の腕ではうまくバランスが取れません。洞窟から出ると、これまで何ともなかった段差や石ころに転んでしまいました。
それは意地悪をしたアリが置き忘れていった石です。クモは傷ついた足を引きずって、森を歩きます。
空には黒い雲がたちこめて、嵐の訪れを予感させます。山から麓へ吹き下ろす風が強くなり、四本の腕では踏ん張りの効かないクモは飛ばされます。
疾風にもみくちゃにされながら、クモはどうすることも出来ません。そのまま遠くに運ばれて、木にぶつかって落っこちました。するとそこにはみずたまりがあって、クモはずぶ濡れになりました。
もがいて岸にあがりたいのですが、クモは力が出ません。クモはこれまでの行いを反省して涙がでました。
「ボクはなんて酷いことをしてきたんだろう。弱いものを脅かして笑っていたなんて」
とうとうクモは力尽きて、みずたまりに沈んでいきます。
「しっかりして!」
遠ざかる意識の角で、ふいに声が聞こえました。重いまぶたを開けると、誰かが手を差し伸べています。
赤い背中に黒い水玉もようが光っています。クモは温かな手を握り返しました。
テントウムシに引き上げられたクモは、日当たりのよい岩の上に降ろされました。
「危ないところだったわ」
「どうして意地悪をしたボクを助けてくれたの?」
肩で息をするテントウムシに、クモは尋ねました。
「困っているときは助けるのが当たり前でしょう」
テントウムシは当然のように胸をはって答えました。
それからテントウムシは去っていきました。
よろめきながら立ち上がるクモはこれまでのように力自慢ではなくなってしまいました。
巣は頭上の木の間に作りましたが、今はもう登れません。
「さて、どうしようか」
腕のなくなったクモは、これまでどんなことでもできました。力のないクモは抜け殻同然でした。
「はあ。できることを探さなくちゃ」
ため息ばかりついていても仕方がありません。クモは地面の枝を積み上げることにしました。とても時間がかかる作業です。汗を流しながら、黙々と階段を拵えていきます。
そして夕日が沈みかけたころ、ようやく巣にたどり着くことができました。
心地よい風に吹かれて汗が乾いていきます。クモは味わったことのない爽快さに驚きました。不自由のない生活は便利でしたが、とても退屈でした。だからクモは悪戯をしていたのです。
ハンモックに揺られながらクモは四本の腕でもできることを頭のなかにたくさん思い浮かべます。
「試してみたいことがいっぱいあるなあ。明日が待ち遠しいや」
大切な腕を失ってしまいましたが、クモはなぜかこれまでの人生で最も穏やかに眠ることができました。
おしまい
クモはイタズラがしたかったのではなく、心を満たしてくれる何かを探していました
八本ではなく、四本でなければ、
探り当てることはできなかったことでしょう
私たちは大切な何かを失う前に、寄り添うココロを見つけたいですね