第9話
強化週間二日目。
二日目と言っても、この前ベイタとゲオルギ草を採ってから二日間の休みがあった。そもそも強化週間と言いたいだけで、四人とそれぞれペアを組むのだから四日で終わる。こういう所は雑なのだ。
今日はヒストリアとペアを組んでの依頼。前回が簡単な薬草採取だったので、次は魔物の討伐依頼だ。戦う依頼である。
休みの間もミニッツにお願いして魔法の練習に付き合ってもらい、自分の限界は知ったつもりだ。今度こそ実践で試す機会である。腕が鳴る。鳴りすぎて一曲奏でてしまいそうだ。
「で、今日はなにを狙うの?」
「デミサハギンっていう魔物よ。一体だけならリリカ一人でも倒せるくらいかしらね」
「ふむふむ」
名前から想像するに魚系の魔物だろうか。
角ウサギと違って普段から食材として見ていた分、気持ちは楽である。同じ命を奪うのには変わりないのだが、見た目で印象が変わってしまうのは仕方のないことだ。
話しながら川を遡って行き、やがて沼地のような場所に出た。
水は濁っていて底どころか水面近くすら見通せない。なんだかガスのような汚臭もしてきそうで気分が悪くなる。
ここら辺で一番大きな沼らしく、対岸の木々が爪楊枝のようにしか見えなかった。
「それで、水の中にいる魔物をどうやって探すの? 釣り?」
ちなみに私に釣りの経験はない。ついでに言うと泳ぐのもあまり得意ではないので、潜って探すのも勘弁したい。
まさか強化週間でその二つを練習するわけでもあるまい。
ヒストリアは私の表情をチラリと一瞥し、
「それでもいいんだけど……。嫌なんでしょ?」
うなずく。
「待ってても勝手に出て来たりするけど……今日はこうしましょうか」
そう言うとヒストリアは私のカバンから干し肉を取り出し、そこら辺に放った。罠らしい罠を仕掛けたわけでもなく、本当にただ放り投げただけだ。
その意味を問いかける私の視線に、肩をすくめただけで背を向けた。そしてスルスルと大きな木に登る。
「どういうこと?」
木の下から問いかける。
「デミサハギンは肉食だからああしておけば沼から上がって来るのよ。あなたも早く来て」
ヒストリアの手を借りながら木に登る。
肉食とは言え魚が陸地に上がって来るのだろうか。そういえばそんな魚がいたような気もするが、そもそも水の中にいるのに陸上の干し肉の匂いがわかるのだろうか。
頭を捻っていた私の肩をヒストリアが叩く。
「出て来るわよ……」
干し肉を置いてからまだ数分と経っていない。しかしヒストリアの指差す方を見ると、水面がポコポコと泡立っていた。こんなにすぐ食いつくなんて、警戒心がなさ過ぎではないか。釣りでも簡単に獲れそうだ。
泡が勢いを増し、ついにデミサハギンが姿を現す。そして私は、昨日の夜に「明日はアタシと依頼を受けましょう」「鍛えに鍛えた魔法の腕、見せてあげるよ!」なんて会話したのを後悔する。
想像していた通り、デミサハギンは魚系の魔物であった。しかし干し肉を求めて陸上を進むのに、逞しい二本の足を使っているのだ。ヒレを使って陸上を移動する魚はいたが、デミサハギンは文字通りそのままの足を使って歩いている。
魚の姿にそのまま足が生えたような形容しがたいなにか。一言で言えば気持ち悪い。
目玉は出目金のようにギョロッと飛び出して忙しなく周囲を見回している。細かく牙の生えた口は半開きのまま、ヨダレらしき物が垂れていた。
そして身長――と言うのかはわからないが――が子供くらいあるのだ。魚にしては大き過ぎる。
やがて干し肉を見つけたのか、ギョロついていた瞳が一点に定まる。
気持ち悪い。
「あれがデミサハギン!? やばくない!?」
干し肉にガツガツと食らいついている。干し肉ってあんな風に食べカスを巻き散らかしながら食べる物だっただろうか。
触るとヌラヌラテラテラしていそうな鱗。乙女二人が倒しに行くような魔物ではない。
「肉食だから牙もあるし意外と走るのも速いから、気をつけてね」
「えぇ……。まぁ強化週間だし仕方ない、ね」
それでも心の準備は必要だ。
できる限り触れずに倒す手はないだろうか。魔法……はダメだ。練習でも大した威力の魔法は放てていない。
先生役のミニッツ曰く、魔法は自分の体に触れているか触れていないかで、その難易度は変わるらしい。対象に触れることで自分の体の延長線としてうんぬんかん、と。
とにかく、今の私だと魔法で倒すにしてもデミサハギンに触らなければならないのだ。
気持ち悪い。
「とりあえず動きを止めるか」
「頑張ってねー」
木の上から降りた私と違って、ヒストリアはまったく動こうとしない。当然と言えば当然だが、もしもの時のために待機するくらいはしてもいいのではないか。
そんな不満はすぐに頭から消し去る。余計なことを考えて発動する魔法ではない。
地面に手をつける。
デミサハギンまでは距離があるがデミサハギンもまた、私の触れている地面に足を着けている。地面の一部。ちゃんと狙いを定めればできるはずだ。
魔力をかき集め、手の平を伝って地面を進み、デミサハギンの辺りを凍らせるイメージで。
「やっ!」
体からゴッソリと力の抜ける感覚。感覚的には手応え十分である。
見れば、両足を固定されてバランスを崩しているデミサハギンの姿がある。視覚的にも手応えは感じられた。
木の上からパチパチと手を叩く音が聞こえる。思わずガッツポーズもしてしまう。
「私も成長しているってことね」
自分の成長を実感できる時ほど嬉しいことはない。思えば部活の時もそうだ。
投げる球の速度が上がった。二軍に抜擢された。そういう嬉しいことの積み重ねが――
「浸ってるところ悪いけど、早くトドメを刺しちゃいなさい」
「……了解でーす。どこが弱点?」
「いくつかあるけどあなたの場合は凍らせるのが一番ね。その方が新鮮だし」
新鮮。また食べるのか。そう言えばギルド酒場のメニューにもデミサハギンの文字があった気がする。ギルドに帰った時に、確かめない。
コボルトもそうだがデミサハギンまで食べるとは。机と椅子以外はなんでも食べそうだ。
凍らせる、と言われても詳しいやり方はわからないが、大した手順はないだろう。
噛みつかれては堪らないので後ろから回り込む。尻尾を掴み、魔力をじわじわと流し込んでいくイメージ。
魔力を燃料して動く魔道具という物がある。一度だけそれに触らせてもらったが、それを動かす時と同じイメージである。歯車が回るのを感じるように、ゆっくりじっくり。
「いいわよその調子」
わかりやすく氷に包まれているわけではないが、デミサハギンの動きが徐々に小さくなっていく。やがて、見た目はそのままに、銅像のように動きを止めたデミサハギンができあがった。
こうして止まっている姿を見ると……やはり気持ち悪い。
魚は近くで見ると想像よりも気持ち悪いものだ。やはり私は水族館のガラス越しに見るので充分で、食べる時は切り身でいい。
「魔力が足りずにナイフを使って頑張って倒すと思ってたんだけど、案外やるじゃない」
「失礼だな……。これくらいはできるよ。ちゃんと練習してるんだから」
「うんうん。それでこそ強化週間ね」
いつの間にか隣に立っていたヒストリア。
笑顔なのだが、その笑顔に裏がありそうな気がしてならない。
こういう時はサッサと退散するに限る。
「じゃあ帰ろうか。デミサハギンも倒せたし、後はこれを運ぶだけだよね?」
「なに言ってるの? 今回の依頼はデミサハギン三体の討伐よ。ほら次が来た」
指差す方を見ると水面から目の辺りだけを出したデミサハギンがこちらを見ていた。