第76話
「勝ったぁ……」
最初はビクビクしていた戦闘だったが、蓋を開けてみればこちらには大した被害も無く、完勝と言っていい。
腰が抜けて立てない私にヒストリアが近付いて、手を貸してくれた。
「あなたのお陰で助かったわ。やっぱりリリカはすごいわね」
「そんな……大したことはできてないよ」
一緒に置いておいた荷物を取りに行っている間に、男衆はマンティコアの死骸を調べていた。
「この尻尾とか高く売れそうだよな……」
「持っていくには嵩張りますよ」
「毒があるんだっけ? 上手くその毒だけ抽出できれば持ち運べるかも」
「リリカ、空き瓶があったろ?」
「えぇ……本当に持って行くの?」
空き瓶はあるにはある。ダンジョンに潜るのは奥にある宝物を求めてだが、こういう魔物の素材だったりも高く売れたりするので採取したりするのだ。なので空き瓶だけでなく、長いヒモだとか、まとめられるような小袋だとか、そういう物もいくつか用意して持っている。
ただ、マンティコアの毒を持ち歩くのは少々、気持ちのハードルがある。
とは言え、それを素直に吐露したとしても「じゃあ俺が持っておく」なんて言い出すのが船長だし、この四人でも出会ったことのないマンティコアの素材だ。高く売れそうだと私でもわかる。
それを放っていくのは流石に、ダンジョン探索者の端くれとして見逃せるはずがなかった。
これも成長のため、私の仕事、と割り切ってできるだけ大きな瓶を渡す。
船長がチマチマと毒を採取している間、暇なのでマンティコアのご尊顔を鑑賞する。ただ、さっきはあんなにイケメンに思えていたのに今はまったく魅力を感じない。
イケメンなのはイケメンなのだが、死んだからなのかどうにも作り物感が否めない。ギリシャ彫刻に興奮する質では無いので、どれだけイケメンだろうと心は沸き立たなかった。なんなら、毒を採取する船長の二の腕の方が惚れ惚れするくらいだ。
「……最初に警戒していた割りにはあんまし強くなかったよね」
私は後ろの方でチマチマサポートしていただけなのであまり言う資格は無いかもしれないが、そう感じた。
同じことをヒストリア感じていたのだろう。うなずきが返って来る。
「言ってもまだ五階だから、それであまり強くなかったのかもしれないわね」
「なるほど。まだ潜ったばかりなのに忘れかけてたよ……」
そういえばここはまだ地下五階。ダンジョンに潜ってから休憩を一度挟んだっきりで、まだ大した時間も経っていないはずだ。
日の光も無い地下だとどうにも時間の感覚が狂い、体内時計だってあまり信用できない。
そんなことは当たり前なのか船長達に焦った様子も無く、私としては四人に従っておけば大丈夫だろう、くらいの軽い気持ちであった。
「まだ時間かかりそうだしご飯にしよっか」
「そうだね――ちょっ!?」
船長の手元ばかり見ていたが、ミニッツの提案にうなずいて顔を上げるとベイタがマンティコアから肉を切り出しているところだった。
未だに魔物を食べるのは慣れない。
ヒストリア達に気にした様子は無いが、マンティコアは食べても大丈夫なのだろうか。
「毒とかさ、あったりしないの?」
「尾にはあるけど見た限り肉は大丈夫そう」
「問題は味、ですね」
「そうかなぁ……」
市場を眺めていても魔物の肉はあまり並んでいなかったような気がする。とは言え、普通に並んでいる肉の名前もほとんど聞き覚えは無いので魔物の肉なのかもしれない。
それなら文句を言うのも今更だろうか。
これを心の中で留めて文句を言わなくなっている辺り、私はもう魔物食に抵抗が無くなってきているのかもしれない。
「今日のメニューは?」
「……焼肉だな」
船長が決めるまでもなく、ベイタはもう切り出した肉を薄くスライスしていた。
ここがボス部屋だったことを考えると他の魔物は出て来ないかもしれない。それでもちゃっちゃと料理してちゃっちゃと腹を満たしてこの場を離れるのが正解だろう。
荷物の中からフライパンを取り出す。五人分を料理するには少し小さいが特別なフライパンである。火にかけずとも魔力を流せばフライパン自体が熱を発しこれ一つで調理が可能なのだ。いわゆる魔道具の一つである。
直接戦闘には関係の無い調理道具をいくつも持ち込むわけにはいかないので、ダンジョン探索には必需品である。
切り分けられたマンティコアの肉は一見すると牛肉やらと大差は無い赤身肉。脂身が少なくヘルシーそう。付け合わせの野菜は無いがこれならたくさん食べられそう。
「これならリリカも食べられますよね」
「……お気遣いどうも」
心の中を読んでいたかのようなタイミングだ。
調理は魔力の扱いと料理の練習、二つを兼ねて私の担当。
何度かこのフライパンを使って調理をしているが、ただ焼くだけと言っても中々難しいもので、魔力が足りないと全然焼けず、逆に魔力を流しすぎるとすぐに焦げてしまう。その絶妙な火加減を見つけるのに苦心したものだ。
料理や魔力操作の技術が上がるよりも先に、このフライパンの腕の方が早く上がりそうな気配がするのはご愛敬。
「なんか……ダンジョンの中なのに長閑だねぇ……」
フライパンに肉を乗せ、焼けたらそれぞれが順番に食べていく。
ジュージュー焼ける音と咀嚼音だけが響く状況はとてもダンジョンの中とは思えなかった。
「まぁ、いいんじゃないか? ずっと緊張してても疲れるだけだしな」
「休憩だと思って気を抜きましょ」
「そうそう。でないとせっかくのマンティコアが台無しだよ」
ミニッツの言葉には中々うなずき辛いのだが、確かにマンティコアの肉はしっかり味わわなければ失礼なほど美味であった。
引き締まった肉は少々硬いが、噛めば噛むほど味が染み出てくるようで悪くない。もう少し厚ければ顎が疲れてしまいそうだが、ベイタの切り分けがベストだったお陰で十分に味を楽しめる。小さいフライパンということで一人一人に行き渡るまで時間がかかるのも良い。次が焼けるまでに顎を休ませられるのだ。
貴重なので多くは使えないが塩コショウをちょっと振るだけでも劇的に美味しく変わる。お肉なので色々な料理に使えそうだが、やはりシンプルな味付けが合いそうだ。
これが、マンティコアの死骸に見つめられながらでなければもっと楽しめただろうに。
頭の部分は人間。胴体は獣。複雑な気持ちだ。
「毒はちゃんと採れたの?」
「バッチリ。これだけあれば十分だろ」
牛乳瓶サイズで七分ほど入っている。確かにこれだけあれば十分過ぎるほど。
透き通るような青紫色の液体はサラサラとしていて、毒に見えないほど綺麗だった。
「多分、この調子で何階か進んだらボス。何階か進んだらボス。ってのが繰り返すと思う。大丈夫か、リリカ?」
「うーん……なんとかなるんじゃないかな……不安だけど」
「ちゃんと休憩も挟みますし大丈夫でしょう」
ある程度お腹も満たされて、これ以上は探索に支障が出るのでしばしの食休み。軽い運動がてら部屋の中を少し歩く。船長やベイタはマンティコアの解体を再開していた。もしかしたら他に貴重な素材が手に入るかもしれないとのこと。
食後によくそれができるものだ。
改めて部屋を見てみたが、やはりダンジョンの中とは思えなかった。しかし、広い空間なのに柱一つ無い光景はある意味で非現実的とも言えて、これはダンジョンの中だからこそなのだろうか。
光源は壁に掛かっているトーチだけなのに中心部も明るいのも不思議。激しい戦いをした後だと言うのに床や壁には傷一つない。それだけ硬いのか。見た目の冷たさの割りに、さっきまで地べたに座っていたがまったく冷たくなかった。
やっぱり不思議空間である。
「リリカ、そろそろ行くぞ」
「はーい!」
不思議だからこそのダンジョン。非現実が現実になっているのがダンジョン。
船長達どころかこの世界の有識者を集めても諸説出てくるダンジョンの不思議さについて考えるだけ無駄だ。
そんな風に考えている私はこの時、とんでもなく暢気であった。