第63話
実際、それぞれに逃げて来る盗賊と戦うよりも、逃げる方向を一つに絞って二人で戦った方が楽だとは思う。
左右の長さを目視で測り、さっきよりも多くの魔力が必要だとわかって躊躇してしまう。が、それ自体はわかっていたことなので今更止められるはずもない。やると決めたならやるしかないのだ。
「よしよし!」
ここまで来て隠れる意味も無いので声を出し、頬を出して気合いを入れる。
ペンダントに残っていた僅かな魔力も寄せ集め、自身の魔力と混ぜ合わせていく。
多少壁が薄くなったとして、多少壁が低くなったとして、多少ならば問題なし。
息を吐き、集中し、今度は目を閉じずに距離だけをしっかり測る。そして一気に魔力を放出させ、巨大な魔法陣が地面に刻まれる。
体の中身がすべて失くなったかのように錯覚し、それなのに軽い吐き気に襲われる。同時に私の体から放たれた魔力は目の前で氷の塊となり、瞬く間に高く広く壁が築き上げられていった。
「せい、こう……!」
少しクラッとしたもののまだ魔力はある。息もできるし立って居られる。
水筒の水を二口飲み、再び気合いを入れるように頬を叩く。
なんのためにまた壁を生み出したのか。まさかここで呆けて楽をするためではない。シズキちゃんを手助けするためにこうして無理をしたのだ。
繋ぎ目なんかを確認している暇は無い。そんな暇があったら一刻も早くシズキちゃんの下へと駆けつけたい。
そんな気持ちのお陰か否か、身体強化の魔法を使わずとも速く駆けることができた。
ピンチの時ほど前を向いて、勝利のためにできることを。そしてそれをするための体作りを。
コーチの言葉が胸に染みる。練習が終盤になってみんな動きが鈍くなるとコーチはいつもこの言葉で説教した。本人にそのつもりも、こんな事態を想定もしていないだろうが、その言葉のお陰で今私は走ることができている。
「帰ったら真面目に練習します! 不真面目だったわけじゃないけどね」
氷の壁を曲がり、私が見たのは座り込んでいるシズキちゃんだった。
「シズキちゃん、大丈夫!?」
やはりあの壁は魔力の消費が多かったのか。もしかしたらもう盗賊が逃げてきて致命傷でももらったか。
急いで駆け寄ったが、
「あっ、リリカちゃん――って大丈夫?」
至って健康そうなシズキちゃんに思わず地面へ突っ伏してしまう。
よくよく見てみれば普通の体育座りで、体調の悪い人がする座り方では無い。
考えてみればシズキちゃんが魔力の扱いを間違えるはずもないし、盗賊に後れを取るはずもない。
「どうしてこっちに来たの?」
「シズキちゃんが心配でね。その必要も無さそうだけど」
「ううん。ありがとう」
話してみれば全然元気だ。特に緊張している様子も無ければ、魔力不足に喘いでいる様子もまったく無い。ただ、私がここに来たのはそれとは別に、単純に心配だったからだ。
盗賊が来ないうちに喉を潤し、ドライフルーツを口に入れる。
お兄ちゃん達が突入してからまだ大した時間も経っていないので逃げて来た盗賊も居ないらしい。
「じゃあ、しばらく暇だねぇ……」
「油断してちゃダメだよ」
なんて言うけれど、シズキちゃんも座ったままリラックスした体勢を正そうとはしない。
私達の仕事は逃げて来る盗賊を捕まえるだけで、お兄ちゃん達が中で頑張ればそれに応じて仕事は減っていく。もしかしたら頑張り過ぎて恐怖に駆られた盗賊全員が逃げて来るかもしれないが、その時はその時だ。最悪、壁で閉じ込めてしまえばいい。
少し休んで体力的にも魔力的にも余裕が出てきた。
その時、ドタドタと不格好に走りながら逃げて来る盗賊が三人現れた。
「くそが、なんなんだあいつら……」
「ボスに、報告だ。やってられねぇ!」
もう一人は腹に手を当てて苦しそうにしている。きっと食後だったのだろう。
周囲に敵が居ないと決めつけているのか、遠慮せず大声で話している。
「それに、なんだあの、炎と……氷は。逃げられねえじゃんか」
「ここだけ、開いてて助かった……ぜぇ。さっさと逃げるぞ」
隣で欠伸をしていたシズキちゃんと目を合わせる。
一つだけ逃げる場所が用意されているなんて怪しくないか。それでも逃げざるを得ないのだが、盗賊達はこの怪しさに気づいていない様子。
肩で息をしながらしばらく足を止めているところを見るに、体力も無さそうだ。
きっと近くで見たら年齢を感じられるんじゃないかと思う。
「私がいくよ。多分……大丈夫だと思う」
「気をつけてね」
お兄ちゃん達から逃れられて気が抜けたのか、完全に体力が戻るまでは歩きで行くようだ。その調子だと町までもどれだけかかるかわからないが、私にとっては好都合だ。
そろそろと一応姿を隠しつつ近付くが、一向に気づく気配が無いので隠れることも止める。
魔力を練り上げ、三人の足下を凍りつかせるべく魔力を放つ。
「ん?」
「なんだこりゃ!?」
「敵だ!」
魔法陣が浮かび上がって気づいた時にはもう遅い。
一瞬で足首近くまで凍りつかせられ、一歩踏み出しかけた姿勢そのままに地面へ倒れ込む。色々とギャーギャー悪態吐いているが気にすることは無い。
「じゃ、お疲れさんでした」
「クソが! 放せよ! おい!」
倒れないようにじわじわと氷の面積を増やしながら、頭を残して全身を凍りつかせていく。
一息に凍らせられた方が盗賊的にはマシだろう。少しずつ氷に覆われていく感覚なんて拷問と変わりない。しかも彼らには、一々殺したくない私の気持ちはわからないのだ。殺されると思っていても当然である。
なおも叫び続ける盗賊達を前に、いっそのこと口まで覆ってしまうか、と考えて止める。彼らはマンドレイクじゃないのだ。
ただ、
「うるさいんで静かにしてください。じゃないと殺しちゃいそうなんで」
と、注意しておく。
後ろから襲いかかって最後まで顔は見せていないので、彼らにとって私はどんな人物だと思えるだろうか。
ピタッと口を閉じたからには恐ろしさを感じているのかもしれない。
「終わり!」
と、振り返るとちょうど、爆煙が上がって盗賊が一人こちらへ吹き飛ばされて来たところだった。
白目を向いて気絶しているそいつを一先ず氷漬けにし、シズキちゃんの下に急ぐ。
「また一人来てたよ」
「まったく……お兄ちゃん達はなにをしてるんだろうね」
シズキちゃんは曖昧に笑うだけだった。
「降参だ! 降参するぅ!」
私達の姿を見るや否や、両手を上げて地面にひれ伏した盗賊二人を氷で磔にし、これで私達の戦いは終わりだった。
逃げて来たのは十人に満たない人数で、お兄ちゃんと奏汰さんが頑張った結果だ。
しばし様子を見て後続が無いのを確認し、シズキちゃんと共に砦の中へと足を踏み入れる。
「これは……!」
「すごいね。すごい」
言葉を失うほどの凄惨な光景だった。
地面いっぱいに広がるのは盗賊達。ほとんどの者がピクリとも動かず、近くに寄ってそのうめき声を聞かなければ死体と間違うほどである。
半分は気絶しているようで、もう半分は腕か足か、その両方を失っている。
誰がこの光景を作り上げたのかは明らかで、それでもすぐには信じられなかった。
「……! 奏汰さん!」
そんな盗賊達を跳び越え、壁際に座ってうなだれている奏汰さんの姿を見つけた。
駆け寄る内にそばにお兄ちゃんが倒れているのを見つけ、走るスピードを上げる。
「お兄ちゃん! 奏汰さん!」
「ユウキ! 大丈夫!?」
胸に耳を当て、二人の心臓が動いているのを確認。続いて呼吸を見て正常なのを確認。
一先ずは胸を撫で下ろし、奏汰さんを寝かせる。
「気絶してるだけ……なのかな?」
シズキちゃんは首を横に振る。
「わかんない」
「そうだよね。私にもわかんない」
それでも放っておけるはずもなく、タオルを水で濡らしてとりあえず血を拭う。
援軍は今日中にここまで来るとお兄ちゃんは言っていた。二人の容態も軍人ならわかるだろう。彼らが来るまで私にできるのはここまでだ。
それからは気も休まらない時間が過ぎていった。
軍が来るまでの間に、外で氷漬けになっている盗賊を中へ運び、それが終わると残党が居ないかの確認。誰も残っていないとわかってようやく壁を消す。そしてもやることが無くなると、やきもきしながら軍を待つだけになった。
「来た! 来たよリリカちゃん!」
「本当!?」
交代で街道の方を見張っていたシズキちゃんが嬉しそうに走って来る。
塁壁の上から私も、こちらへ向かって走る馬車を確認した。
「よかったぁ……」
お兄ちゃんも奏汰さんも変化は無かったが、それはつまりずっと倒れたままだったということ。悪化しなかったのはよかったが、治りもしなかったのだ。
それが軍の人によって良くも悪くも事態は変わる。まさか植物状態になるとは考えてもいない。
迎えに行くために馬車へ駆ける。
「そこの女、止まれ!」
「敵じゃないです! 冒険者です!」
御者をしていたのは鎧を着込んだ強面のおじさん。明らかに軍隊然とした様子で、怒鳴られると体が自然と強張ってしまう。
冒険者の証であるギルドカードを見えるように掲げる。
荷台の方からもう一人軍人が下りて、警戒しつつ私の下へ来る。こちらはまだ若い青年だったので多少は気は楽だ。
私のギルドカードをチラリと見て、
「冒険者のようです!」
「女! 盗賊では無いんだな?」
「冒険者ですぅ……。むしろ盗賊を狩る側……」
その「女」って呼び方はどうにかならないのか、と思いつつもこんなことで反感は買いたくないので言及しない。
「お兄ちゃ、じゃなくて……ガントレットを付けた男の冒険者が援軍を頼んでいたと思うんですけど、その仲間です!」
「あの目つきの悪い冒険者か?」
「はい。その鬼のような目つきの冒険者です」
「リリカちゃん……」
こういう時はお兄ちゃんのあの目つきも役に立つ。忘れようったって忘れられない強烈な個性である。
シズキちゃんはなにか言いたげだったが、あの目つきの鋭さは否定しようも無いのか、はたまた兵士に通じて、馬車から降りた上官風情の兵士となにやら話しているのを見てか、黙ったままであった。
多少、時間をかけて話し合っていても私達が冒険者であることには違いなく、盗賊と言うには身綺麗だということで信じてもらえた。
「これは……全部君達がやったのか?」
「いえ私達がやったのはほんの何人かで、こいつら全員とっちめたのは……」
寝かせていたお兄ちゃんと奏汰さんを示す。
「すぐに人を呼んでこよう」
寝かせられている二人を見て状況を察したのか、兵士はすぐに駆けて行った。
そうして呼ばれた別の兵士は二人の体のあちこちを触診し、じっくりと体調を診る。そして息を吐き出し、
「二人とも軽度の魔力欠乏症ですね。端的に言えば魔力の使い過ぎです。これくらいならしっかり休んでいれば治りますよ」
「「よかったぁ……」」
シズキちゃんと揃ってその場にへたり込む。
手放しで喜べはしないが、ちゃんと治る病気ならよかった。
魔力の使い過ぎと言えばシズキちゃんの記憶喪失を思い出すが、兵士の口振りだとそこまで深刻ではないだろう。しかしシズキちゃんはどこか落ち着かない様子で、
「あの、どれくらいで起きますか?」
「どうだろう。こっちの彼は疲れて寝ているって感じだからね」
奏汰さんを指す。
「こっちの彼はもう少し寝かせてあげたいから、壁際にでも運んでくれるかな?」
「わかりました」
別の兵士の力も借りつつお兄ちゃんを壁際まで運ぶ。そして寝かせたまま、シズキちゃんと二人で奏汰さんが起きるのを待つ。
そのまま起こしてくれるらしいので、あの場に居ても邪魔な私達は端っこで大人しくしているのだ。
「まったく……無茶しちゃって……」
魔力欠乏症と言われた割りには穏やかな寝顔である。
こうして目を閉じて寝ている間はその目つきも鳴りを潜めているのだから、お兄ちゃんはこの際、心眼でも身につけてみたらどうだろうか。
「ゴメンねシズキちゃん。これからもお兄ちゃんは無茶するだろうか、上手く手綱を握ってあげて」
「うん。任せといて。でも、私と二人の時よりリリカちゃんが居る時の方が頑張ってる気がするな……」
「嬉しいこと言ってくれるね」
まぁ、兄なのだからそれが当然とも思う。
私だって、シズキちゃんになにかあったらお兄ちゃんが心配する。だから無理して氷の壁を二枚、なんてしたのだからお兄ちゃんのことは笑えない。
お兄ちゃんやシズキちゃんの代わりにいつものメンバーだったらもしかして、船長達だったらなんとかするでしょ、と放っておいたかもしれない。
なんにせよ、私達は仲のいいめずらしい兄妹だということだ。
笑い合っていると気が抜けたのか、シズキちゃんは大きな欠伸をして眠ってしまった。
そして目を覚ました奏汰さんがフラつきながらこちらへ来た。
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