第5話
空はどこまでも青く澄み渡り、流れる雲は様々な形をしている。そんな雲を色んな物に例える遊びも乙である。美味しそうな食べ物、かわいらしい動物。なんでもござれだ。
しかしそれも周囲の喧噪がなければの話であるが。
「おいリリカ早く起き上がれ!」
魔物の鳴き声。武器が打ち鳴らす音。そして魔法が弾ける音。ずいぶんと殺伐とした環境だ。臭いもどこか血生臭い。
私が異世界に転生して一週間が経った。
なにが驚きと言えば、私が暮らしていた世界と違ってこちらの世界は一週間が六日。一月は同じく四週間。そして一年は十六ヶ月だという。十六ヶ月て。もうわけがわからない。
これでは一日も二十四時間か怪しいものだ。ちゃんとした時計がないのが少しありがたい。
地球の時間は太陽と月がどうのこうので、別の星であるなら一日も二十四時間かわからない、なんて話を聞いたことがあるが私は馬鹿なのでわからない。
とりあえず一日が何時間で一週間が何日であろうとこちらの暦に合わせるだけだ。
閑話休題。
今日は私の魔法の修行もそれなりに形になったということで、ついに冒険者としてのデビュー戦の日であった。
「そっちに行ったぞ!」
船長の叫び声に急いで起き上がる。
見ると、こちらに向かって二足歩行の犬が向かって来ていた。コボルトという魔物だ。
イヌの獣人――ファルグ種というらしい――に似ているが船長に比べるととても醜悪である。長い舌は口に収められずにダランと垂れ下がり、毛もボサボサで汚らしい。子供みたいな身長のコボルトだが魔物というだけあって力強く、私はさっき突き飛ばされて地面に転がっていたのだ。
鋭い爪と牙を見せつけながら襲いかかって来るコボルト。犬らしくその動きは素早い。
しかし最初の爪の一撃を躱した私はそのまま手にしたナイフを突き刺し、蹴り飛ばした。
「くぅーん」
今際の声は子犬のようでかわいらしい。目を閉じていたらほだされていただろう。見た目が見た目なので容赦なくトドメを刺すが。
魔法の先生であるミニッツに教わった最初の魔法は身体強化の魔法である。こちらの世界では小さな子供まで使える簡単な魔法らしい。
しかし簡単と侮ることなかれ。その魔法を使ったミニッツは二倍以上の身長、体重なら三倍もありそうな船長を持ち上げたのだ。簡単で単純だが、それだけに恐ろしいのはよくわかった。
その魔法を覚えたお陰でコボルトの攻撃も避けられて、私でも倒すことができた。
まだまだ要修行だが最低限、自分の身は自分で守れるようになったと言えるだろう。
「これで二体目!」
見渡すと、ベイタが最後の一体を土の弾丸で撃ち抜いたところだった。私もいつかあんな風に魔法が使いたい。
「ようやく終わったな。リリカは無事か?」
「うん。なんとか大丈夫」
服がコボルトの血やら土やらで汚れているがこれは仕方ない。
見渡すと何体ものコボルトの死骸が転がっている。その中で船長は大振りの手斧を担いでこちらの心配までする余裕。他の三人も大きな怪我を負った様子もなかった。
私の初めてやる依頼はコボルトの討伐。
森の中にある巣から戦いやすい開けた場所までおびき寄せる作戦だったが、それが上手くいった。ただ一つの誤算は、巣の中にいたコボルトが予想していたよりも多かったこと。流石は、増え過ぎて討伐を依頼されるだけある。
次から次へと湧いて出てくるコボルトの光景は地獄と言って差し支えなかった。
討伐の証を獲るためにひとまとめにしているが、十数体の数がいた。依頼では五体討伐すれば十分との話だったので、予想外も予想外だ。
「初めてにしてはよくできたんじゃない?」
「二体しか倒せてないしまだまだだよ。ヒストリアはどうだったの?」
「私は六体。リリカにしては十分な戦果よ」
三倍もの戦果を出している人に言われても素直に喜べなかった。しかしヒストリアの言う通り、初めてでこれだけやれれば十分なのではないだろうか。
自分で自分を褒めよう。私は褒められて伸びるタイプだから。
ミニッツとベイタが討伐の証である尻尾を切り取ってまとめる。これで後はギルドに報告するだけだ。
太陽はまだ高い所にあるが、すでに一日を終えたかのような疲労である。
「早くお風呂に入りたい!」
「ホントにそうね……。汗と血でベトベト」
こちらの世界にも風呂文化があって本当によかった。公衆浴場しかないが、ちゃんと湯船に浸かることができて、これが毎日の楽しみになっている。
しかし私達女性陣と違って、
「少し疲れたし休憩してから帰ろうよ」
「肉もあるからな」
「戦った後ですし、しばらくは他の魔物も寄りつかないでしょう」
と、男達は汗も血も泥も気にしていないようだった。疲れているのには同意するが、それよりもサッパリしたい。
しかし船長、肉もあるとはどういうことか。
私のポシェットの中には傷を癒やすポーションやもしものための携帯食料、飲み水が入っている。他になにか入れたのか思い返すが、ポシェットの中に干し肉は入っていないはずだ。
ミニッツもたき火の準備をしているが説明をして欲しい。
ヒストリアも「それもいいかもね」なんて呟いているのはどうして?
ベイタはコボルトに手を伸ばしているがまさか……。
「……そんなに心配しなくても、意外と美味しいのよ?」
「やっぱりそうなんだ!?」
見た目が悪くても美味しい食べ物はいくらでもある。しかも日本なんてホヤやらハチノコやら様々だ。私は食べたことないが。それらに比べればまだ見た目はマシか。捌いてしまえば牛肉と変わらない。ベイタのそばに積んであるのは牛肉だ。
ただ、動いていた時のコボルトを思い出してしまう。
心の中でモヤモヤを抱えている私は放ってコボルトバーベキューの準備は進む。小さく切られた肉を串に刺し、火のすぐ近くに置いて焼いている。
吹き出る煙は紫色をしていた。怪しすぎる。
「本当に大丈夫なの?」
「魔力を持ってるから煙が変な色をしているだけよ。味はちょっと不思議なだけ」
その不思議が心配なのだが。
男衆は構わず焼けた肉を口に運んでいるが、特に味についての感想はない。
「……美味しいの?」
「不味くはない」
そう言って船長は次の肉に手をつける。そのそばでベイタが肉を薄切りにし、ミニッツが次々と焼いていく。
下手に美味いと言われるよりは信用できる。
しかしわざわざ食べようとも中々思えなかった。元のコボルトがコボルトなので、そのイメージによってまずマイナス。それを打ち消してプラスにするほどの美味しさがなければ手は伸びなかった。
「あなたも食べて力をつけないと。ほら」
ヒストリアに差し出された串を受け取ってしまう。刺さっている肉はジュージューと音を立て、良い匂いとも悪い臭いとも言い切れない微妙な香りを放っている。油は滴り、見た目だけはなんとも美味しそうだ。
ここまで来ると断る理由も思いつかない。
そうか。これが異世界の洗礼か。
「よし!」
気合いを入れた私のことを船長達はなんとも言えない目で見ている。ただの食事になぜ気合いを入れているのか、とでも考えているのだろうか。
見れば、焼き役に徹していたベイタもちゃんと食べている。
これで獣人にだけ食べる文化がある、なんて可能性はなくなった。
意を決してかぶりつく。
「はふはふっ!」
瞬間、熱々の肉から溢れ出る肉汁。口いっぱいに広がる香り。そして特に味付けもしていないワイルドな肉の味。
「どう?」
「……微妙」
歯応えと言えば聞こえはいいがただ硬いだけ。それを噛めば噛むほどギトギトとした油が溢れてくる。それのせいで一口食べただけで胃もたれしそうだ。
自然と嫌な表情を浮かべているのがわかる。そんな私を見ながら船長はまた肉を頬張った。
出された分だけは、と思って串一本分だけはなんとか食べ切る。
余程時間がかかっていたのか、私が食べ終える頃にはすっかり、コボルトの肉はなくなっていた。
「よく食べられるね……」
「馴れればイケるものよ」
ヒストリアはそう言うが、わざわざ馴れてまで食べるような物でもないと思う。
お腹の中に収めてもまだゴロゴロと主張してきているような感覚があった。
「冒険者をやってるとな、食べたくても食べられない時もあるんだ」
フッと船長に影が差したような気がした。
普段であれば格好つけているだけ、と笑い飛ばしもするのだが、この時だけは真に迫る響きがあった。他の三人も茶化そうとはしない。
今日まで一週間、仮にも冒険者としてやって来たが、この言葉は覚えておこうと誓う。
きっと、私の知らない修羅場を三人は潜って来ているのだ。
「どう? まだかかりそう?」
「うん……。まだまだ序章な感じ――はぅ!?」
コボルトの肉は消化に悪い。このこともちゃんと覚えておこう。
時間の流れの設定とかわりと冒険したな、って感じですね