第47話
「嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ!」
ゴブリンにもどこか似ている姿。その正体はオーガだ。話に聞いていた特徴と一致する。
マンドレイク狩りに向かう前に船長達からいくつか注意をされ、危険な魔物についても教えられた。その内の一体がオーガである。
ゴブリンと同じ人型の魔物だがその強さは比ではなく、単純な身体能力でも人間は劣っている。性格は凶暴。縄張りを荒らされることを極端に嫌う。もしも姿を見たら気づかれないように身を潜める。もしも見つかったら、
「一目散に逃げる!」
体を反転させ、身体強化の魔法を一気に発動させて駆ける。
逃げながらもちゃんとマンドレイクは確保していて、カバンにしまう辺りちゃっかりしていると我ながら思う。
カバンの中に三体のマンドレイクが収められたのを確認し、更に加速する。
後は森を抜けて町まで戻るだけ。そうでなくとも平野部まで逃げられれば流石のオーガも諦めるだろう。
考えてみれば、自分の縄張りにノコノコ侵入して来て、マンドレイクを引き抜いて大絶叫を三度も響き渡らせた存在。はた迷惑以外の何者でもない。
「でも……こっちも仕事だから!」
振り返る。オーガは相変わらずの表情で私を追っていた。
「勘弁してよ、もう!」
段々と距離を詰められているのを感じる。
森の地面は柔らかな土と木の根っこ、倒木でデコボコして走りにくい。更に私は木を避けるせいで一直線に逃げられない。距離が縮まるのも道理だ。
再度振り返る。やはりオーガは火でも吹きそうな表情だ。
近付くと余計にオーガの恐ろしさが目に付く。
太い足で一歩踏み出す毎に地面が揺れているように感じる。体のあちこちにある傷は、このオーガが歴戦の強者であると教えてくれている。
そして、ムキムキの手足に胴体。
「魔物じゃ、なかったらな!」
少しでもその足を止められれば、と氷の礫を放つ。しかし即席の礫は大した大きさもなく、オーガは避ける素振りも防ぐ素振りも見せない。
肌に当たった氷はそのまま砕け、キラキラと光を反射させて筋肉を引き立たせる。
魔物じゃなかったら舐め回したい。
我ながらド変態だとも思うが、人間とかけ離れた姿をしている獣人の船長の筋肉にもウットリしているのだ。魔物だろうと人型に近いなら、それはそれで筋肉は魅力的だ。
「これならどうだ!」
氷の壁を作る。
魔力の消費は激しいが、足を止められなければ正面から戦わなくてはならないのだ。泣き言は言っていられない。
それほど厚くはない氷の壁だが、一枚二枚と重ねていく。しかしその努力も虚しく、バリンバリンと煎餅のように割りながらオーガは突き進む。
「もー……泣きたい」
逃げながら足止めすることは不可能だ。かと言って正面切って戦うだけの度胸は私にはない。
結局、持てる魔力をすべて脚力に回し、最高速度で逃げるしかないのだ。
気分は全国大会、同点で迎えた九回裏。私達のチームの攻撃。二塁に進んだ私。外野に飛んだボールがキャッチされたその瞬間である。三塁を回り、ホームにいざ戻らんとする。
もう、後ろを振り向いたオーガを確認する余裕なんてない。
一歩一歩確実に近付いて来ているのが、足音だけで感じられる。そして、ざわざわとした嫌な予感。
地面に映った影を目にした途端、咄嗟に左に避ける。
その私のすぐ横――すでに右後ろ――にオーガの棍棒が振り下ろされた。
地面が砕け、土がめくれ、小さな石が飛び散る。
「ひぃぃぃぃぃぃ!」
私が思っていたよりもすぐ近くまで来ていた。もう、手を伸ばしたら届きそうな距離ではないか。
変な妄想をして気分を乗せている場合ではない。集中して、体中から魔力をかき集め、それらすべてを足に。頭は足を動かすためだけに使う。
すると、急に世界が真っ白になったような感覚に陥る。そして音が消える。
神様の世界に連れて行かれたかとも思ったが、すぐにそうではないと気づく。
視界が白くなったのではない。ちゃんと森の風景が目に入っている。しかしなぜだか、私の体の隅々まで。後ろのオーガまで。森の奥まで。すべてがハッキリと手に取るように感じられたのだ。そして、胸元で揺れるペンダントまで。
ペンダントの中になにか力強い物を感じる。
「……そっか。これが魔力か」
そう思うと、私の足にもなにか力強い感覚が。そして後ろを振り返っているわけでもないのに感じられるオーガの足と腕にも同じような感覚がある。
一種のランナーズハイにも似た状態か。
体を巡る魔力の流れを感じられるお陰で、スムーズに足へ魔力を集中させることができた。
そして、私が実際に動かしている腕とは違う、言うなれば魔力の腕みたいな物をペンダントまで伸ばすと、力強いナニか――魔力がハッキリと感じられる。それを引っ張り出すと、糸のようにスルスルと引き伸ばせる。
「これが魔力を操る感覚……」
ペンダントから伸びた魔力の糸をそのまま足へ。すると、次の一歩目からグンと加速することができた。
しかしオーガも私に合わせて走るスピードを上げたのを感じる。
「もう……諦めたっていいじゃん……!」
オーガ自身に私が直接なにかしたわけでもない。縄張りから採ったのもマンドレイクだけで、こんな物は誰の物でもない。ここまで執着される理由もよくわからない。
なにが恐ろしいと言えば、オーガの魔力に尽きる気配がまったくないのだ。
それに比べてペンダントは段々、魔力が少なくなっていっているのを感じる。
依頼が始まる前に船長達にできる限りの魔力を補充してもらっていたのだが、ペンダントが吸収できる量にも限界があるため――例えるなら、いくら大量の水があっても注ぎ口が小さければ溜めるのに時間がかかるようなこと――大した量は補充できていない。
ただ、少しずつ森の木々が少なくなっている。もう少しで森から出られる。
森から出てしまえばもうオーガの縄張りではないだろうし、平野部、そして街道であれば他の人達がいるかもしれない。町も近いので衛兵の力を借りられるかもしれない。
「もうちょっとの辛抱……!」
そして、オーガに追いつかれるよりも先に森を抜けることに成功した。
だと言うのにオーガはまったく諦めず、なおも棍棒を振り回しながら私のことを追いかけていた。
「なんなのよもう!」
ランナーズハイは終わっていて、その間に感じていた妙な高揚感も消えている。魔力を感じることはできていたので、ペンダントから魔力を引き出すのは問題ない。
オーガが諦めてくれる、なんて見込みが外れたのは残念だが、幸運にも街道を進む竜車が一台。護衛の冒険者が居るはず。居なかったとしても、護衛を付けずに旅できる人物だ。実力は期待できるだろう。
囮にしてしまうようで申し訳ないが、私は私で必死である。たとえ十秒やそこらでも休憩できるならしたい。加勢ならその後にする。
しかし幸運は再度訪れた。
こちらに気づいた竜車が慌ただしく街道を町の方に駆け、護衛の冒険者が手を大きく振りながら反対に進んだのだ。そしてオーガを呼んでいる。
「助かった……!」
足をそちらへ向け、残りの魔力をすべて使い切る勢いでその横を駆け抜ける。
「ありがとうございます!」
すれ違いが一瞬過ぎて、ちゃんと耳に届いたか不安だ。後でちゃんとお礼を言おう。
しかしすれ違う時に向こうもなにか言っていたようだが、どこか聞き覚えがあるような。
「なんだ……? どこで聞いたっけ……?」
こちらの世界に来てからちゃんと知り合ったのは船長達四人。それ以外の人で長く接した人はいないはずだ。
それでもどこか引っかかるような懐かしいような。そんな感じがしていた。