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第25話

 船長の見ている方に顔を向けると、森から十人程度の男達がぞろぞろと出て来た。


 ほとんどの人が、獣の毛皮のを腰に巻いただけの簡素な恰好で、原住民と聞いて思い浮かべるそのままのような服装であった。

 獣人が一人もいないのが少し不思議だ。


 これまでのこちらの世界での生活で、私のような人間――こちらの世界で言うところのヒト種――と獣人との割合は半々くらい。もしかすると獣人の方が多いかもしれない。

 それだけに、十人もいてヒト種だけなのは少し意外であった。


 しかしそんなことはそれほど問題ではない。


 露出されている上半身はすべからく引き締まり、鍛え上げられていて、思わず生唾を飲み込んでしまう。


「むほほ……眼福眼福……」

「そういえば……あなた筋肉が好きとか言ってたわね……」


 呆れたようなヒストリアの声。


「うん……。撫で回したいよね」


 まさか初対面の人達にそんなことをできるわけもなく、行き場を失った手がもやもやと空を掻く。


 ヒストリアが頭を抱えている気配をなんとなく察する。


 私がそんな間抜けなことをしている間に、船長は先頭を歩いていた人と握手を交わしていた。

 その一人だけ、毛皮だけでなくアクセサリーを身につけていた。


「久しぶりだな。今回も頼むぞ」

「久しぶり。シーサーペント。歓迎」

「彼がミルロル。この島で私達の言葉がわかるのは彼だけなの」


 耳を澄ましてみると、助っ人に来たこの島の住人達の言葉は聞き取れない。


 今朝気にしたばかりだが、私はこの世界の言語をなんとなく理解できている。文字を書くことはできないが意味はわかり、言葉も理解できる。しかしそれは自由に操れるというわけではなくて意味が理解できるだけ。

 異世界に飛んで来た際に、コミュニケーションが取れるように神様がそうしてくれたのだと勝手に解釈していた。

 しかしそうであれば理解できない言葉が出てくるのはおかしいではないか。


 神様がいるならばもう少し丁寧に異世界転移ケアをしてくれればいいのに。


「ヒストリアはなんて話してるかわかる?」

「わからないわ。彼ら――ホウシァ・ネネの言葉は私達だと船長しかわからないわね。わざわざ勉強しようと思わないもの」

「ふーん……」


 私達の日本語に対する英語みたいなものか。


 しかしなぜその「ホウシァ・ネネ」とやらの言語が理解できないのか。その理由はわからない。もしかしたら他にもわからない言語があるのかもしれない。


 一先ずわかっているのは、彼らはシーサーペントの解体を手伝ってくれるということだけだ。ミニッツと身振り手振りで楽しそうに話しているのを見ると、悪い人達ではなさそうである。


 すでに作業に参加してくれている人達もいたので、私も急いで作業に戻る。


 そして、十五人の手があればあっという間と言わないまでも、すぐにすべての鱗を剥がすことができた。


 朝早く船を出して、昼頃には戦っていたのか。そして鱗を剥がし終わってもまだ日は高い。


「昼飯はリリカお待ちかねのこいつだぞ」

「お待ちかね……。うん、そうだね」


 そんな風に言われると私がすごい食いしん坊みたいではないか。


 しかし美味しいと聞かされ、私のために獲り、苦労して倒したのだからお待ちかねと言えばお待ちかねである。そして、お腹はもうペコペコだ。


 ホウシァ・ネネが二人がかりで巨大な包丁を操り、シーサーペントの腹を裂いていく。

 内臓は大きな葉っぱに乗せられて別に。きっとあれも薬だとかに利用されるのだろう。

 捌いている間に巨大な鍋と即席の竈が用意されていて、シーサーペントの身が次々と放り混まれていった。


 私を含めた船の面々はただ眺めているだけだ。


 気づけばホウシァ・ネネの人達の人数が増えていて、四十人くらいになっていた。


 男は解体し、女は料理。老人はそれぞれに指示を出し、子供達はシーサーペントの身を持ってあっちへこっちへ忙しない。


 しばらくすると美味しそうな匂いが辺りに立ち込める。


 誰かのお腹の音が鳴る。


「ダイガント様。準備。できた」

「よし! じゃあ食べるか」


 シーサーペントの煮込まれた巨大な鍋を背にして皺くちゃの老人が一人。きっと長かなにかだろう。その横にミルロル。そして私達も並ぶ。


 全員が車座になり、料理が配られたところで長が祈りを捧げ始めた。


 長い祈りである。特に意味のわからない言語であるため、余計に長く感じるのだ。

 いただきます、と、ごちそうさま、で済ませられる日本の習慣に感謝しつつ、他の人達を倣って手を組む。


 そんなくだらないことを考えている間に、長の祈りは終わったようだ。全員が一斉に食器を手に取った。


 焼かれたシーサーペントの身に、アラで出汁が取られたスープ。生食の文化はないのか、刺身はなかった。少し残念。


 気を取り直し、まずはスープを一口。


「美味しい!」


 たった一口で口の中いっぱいにシーサーペントの旨味が広がる。それを堪能する前に喉へ流し込まれてしまう。私の意思とは無関係に、それが美味しい物だと察した喉や胃が催促しているようだった。


 冷ます時間すら惜しく、次から次へと口にスープを流し込んでいく。


 具は、野菜とシーサーペントの身。野菜には出汁の旨味が染み込んで噛むとジュワッと広がり、身はちょっと歯が触れただけでホロホロと崩れる。


「どんどん食べろよ。お前のために獲ったんだから」

「もちろん!」


 美味しさが体の隅から隅まで染み渡っていくような不思議で、幸せな感覚だ。


 さっきまでシーサーペントを相手に極限の戦いをしていたとは思えない。しかしその苦労を差し引いても余りあるほどの幸福だ。

 高く売れるのは倒すことの難しさだと思っていたが、この味を知ってしまったらお金と引き換えにするのがもったいなく感じてしまう。そりゃ、いくらも積まれないと差し出さないだろう。そして、いくら積んででも食べたいだろう。


 このままで際限なくスープを飲み干してしまいそうなので、なんとか自分を押さえつける。


 次は焼きシーサーペントだ。


 分類的には魚介類なのだろうが、私の知る焼き魚とはずいぶんと違う。まるでステーキのようだった。


 周りを見ると、みんななにか果物を搾ってその果汁をかけている。


 レモンのような物だろうか。しかし真似してかけてみると、酸っぱい匂いではなく、フルーティな甘い香りが漂って来た。


 スープであれだけ美味しかったのだ。シーサーペントのステーキはどれほどの物だろうか。

 散々、スープを飲んだのにまだヨダレが溢れてくる。


 柔らかなその身を口へ運ぶ。途端、スープとはまた違った美味しさが口の中で暴れ回った。


 肉と違ってそれほど脂が多いわけではないのでサッパリしている。それだけだと若干、淡泊な味のシーサーペントを果汁の甘さが引き立たせる。

 ともすれば果汁の甘さが味を支配しそうであるが、二つが並ぶとどうして、シーサーペントの淡泊な味わいが主張し始めるのだ。


 この組み合わせを考えた料理人は何者だろうか。シェフ界のノーベル賞である。


「あなた……よく食べるわね……」


 船長の向こうから、ヒストリアが呆れ顔でこちらを覗いていた。


「美味しいんだもん! これだけ美味しい料理初めてかも……」


 これまでも美味しいと言える料理はいくつも食べてきた。その中でもいきなり殿堂入りするくらいの美味である。


 基本的に、相当な不味い料理でない限りは美味しい美味しいと感じていた。そして、美味しいと感じられるある一定のラインを超えればあとは大差ないと思っていた。

 そんな自分の浅慮さが嘆かわしい。

 これまで食にお金を惜しまない美食家のことをどこか冷ややかな目で見ていた。もっと安くても美味しい物はいくらでもある。お金の無駄遣いだ、と。

 しかしそれは大きな間違いだった。突き抜ける美味しさ、というものはあるのだ。


「喋ってる暇ももったいないよ!」


 あれだけ巨大なシーサーペントも何十人で食べればすぐになくなってしまうかもしれない。


 まだ砂浜には、解体し切れていないシーサーペントが半分以上残っていたが、この美味しさを考えるとそれも心許なく感じる。


 ヒストリアの更に向こう、いつもは食事中も賑やかなミニッツもこの時だけは無駄口と叩かない。その隣でベイタまで食事をしているのだから、シーサーペントがどれだけ美味しいかわかる。

 私達の間で、会話に混じらず食事を続けている船長もいる。

 むしろヒストリアのように、落ち着いて食事をしている方が少数派であった。


「美味しいのはそうなんだけどね」


 好みの味じゃなかったのか。それならあまり箸が進まないのもうなずける。


 だがそんなことはどうでもいい。


 人の好みに考えを巡らすくらいなら、脳細胞の一片まで、美味しさを堪能するのに使いたい。


 今日、私は美食家への扉を開いたのだ。


「そうだそうだ、リリカのために取っておいたんだ」


 と、少し席を外した船長が持って来たのは、巨大な葉っぱで包まれたなにかだった。


 食べ物なのは間違いない。そしてこのタイミングということはシーサーペントなのだろう。であればその味にも期待ができる。

 あれだけ食べたのにまだ溢れるヨダレ。


 そして船長がその葉っぱを開いた。


「きゃああああああ!」


 思わず上げた悲鳴にホウシァ・ネネの人達も何事かと寄って来たが、すぐに呆れたように帰って行く。抱きついてしまったヒストリアも鬱陶しそうに背中を押してくる。


 葉っぱの下から現れたのはシーサーペントの頭だった。目玉とか舌とかそのままに蒸されていて、食べ物の見た目としてはずいぶんである。


「あなたも毎回いい反応するわね。美味しいから食べちゃいなさい」


 やはりあまり好みの味でないのか、ヒストリアの反応はどこかおざなりであった。


 しかし食べろと言われてすぐに手を出せるような食べ物ではない。ウキウキしながら船長が取り分けているが、コボルトの肉を食べた時と同じ雰囲気を感じる。


「ありがと。リリカが自分で凍らせたんだから、脳みそは食べなよ。好きな人は好きだよ」


 舌と顔の肉を受け取ったミニッツが言う。


「珍味として有名で、出す所に出せば金貨何枚にもなる価値がありますよ」


 同じく肉を受け取ったベイタ。


 それならば出す所に出そうじゃないか。


 私がそう言うよりも早く、船長はシーサーペントの頭を開けた。


 瞬間、クラッとするような芳しい香り。そしてクラッとするような見た目のグロテスクさ。天国と地獄とはこのことか。言い過ぎだけれど。


 そして船長は自分の分とヒストリアの分を取り分けると、そのシーサーペントの頭にスプーンを差して私に渡してきた。


 まさかこのまま食えと言うのか。


「熱い内が美味いからな」


 ヒストリアを見ると目を逸らされる。ミニッツとベイタは普通の顔で、船長は羨ましそうであった。


 好きな人は好き。納豆とかそういう類いの物か。


 まあ、悪い物じゃないから食べてみよう、なんて思えるのは私にもゲテモノに対する耐性ができてきた、というところだろうか。


 プルプルとした脳みそをスプーンで掬い上げる。なんだかプリンみたいだ。


「どうだ?」

「……普通」


 食感も味も白子みたいだ。ネットリと濃厚な感じ。


 不味くはないが美味しさはわからない微妙なラインであった。

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