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第20話

 一夜明けて天気はどんよりと曇り空。黒に近い灰色の雲が空全体を覆っていた。若干、風も強い。


 少しだけ早く目が覚めてしまった。

 隣のベッドではヒストリアがまだ寝息を立てていて、まだしばらくは時間に余裕がありそうだった。


「んー……散歩でもしようかな」


 ベッドの上で体を伸ばせばパキポキと心地良い音が鳴り、二度寝するような気分でもなくなる。


 せっかく初めての町に来たのだ。ちょっとだけでも見て回らなければもったいない。ついでに今日乗る船、今日渡る海の様子でも見ておこう。


 頭の中で港までの道順を思い返し、キチンと覚えていることを確認する。


 無言で部屋を出るとヒストリアが起きた時に大騒ぎしそうだ。この前から少し過保護気味になっているのでその姿も容易に想像ができる。

 とは言えメモを残そうにもこの世界の文字はまだわからない。


「そういえば、なーんか言葉の意味はわかるんだよね……」


 目で見ても、これまで私が見たことがあるような日本語とも英語ともロシア語ともホニャララ語とも、似ても似つかない謎の文字。

 それでもそれが文章となれば自然と頭に意味が伝わってくるのだ。「こんにちは」と書いてあれば「こんにちは」と理解できる。言葉も同様で、私の言っていることも通じている。しかし私が「こんにちは」とこちらの世界の文字で書くことはできないのだ。

 話している言葉も普通に理解でき、私の言葉も理解してくれているようだが、その話し言葉も実は日本語ではないのかもしれない。


「ま、いっか」


 考えても詮無きこと。


 こういうファンタジーなことはラノベやら漫画やらが大好きなお兄ちゃんに任せればいいのだ。とにかく、意思疎通ができるのだから文句の一つもない。


 そういえばあまり気にしていなかったが、お母さんにお父さん、お兄ちゃんは元気にしているだろうか。急にいなくなったりして心配をかけているだろう。

 しかし帰り方がわからない。わからないのでみんなには少し我慢してもらおう。


 こういう時、主人公ならなにをするのか。お兄ちゃんにラノベの一つや二つでも借りておけばよかった。


「……まっ、今更気にしても仕方ないか」


 その戻る方法を探すために冒険者になったのだ。一々無駄なことを考えるのは止めよう。

 そしてついでに、メモを残すことも諦めた。早めに帰って来ればいいだけの話だ。


「うーんいい気持ち!」


 胸いっぱいに深呼吸をすると潮の匂いのする空気が入って来る。

 少しの磯臭さ。しかしそれが心地良い。


 港へ向かって行くと昨日見たのと同じように、何人かの漁師達が集まっていた。そしてそこに真剣な表情の人はいない。

 今日は船を出さないのかもしれない。


「それもそうか……」


 あまり天気はよくない。船を出してから更に悪くなったら大変だろう。


 船長達が持っていたのは帆船。風がないよりはあった方がいいのだろうが、今吹いている風はなんだか嫌な雰囲気だった。

 それも天気に釣られて私がそう感じるだけなのか。そうだといいのだが。


 さて、この天気の中で船長はどういう判断を下すのだろうか。あの船長にあのミニッツ。あのベイタにあのヒストリアならどんな天気だろうと出港しそうだ。

 船を出すぞ、なんて真顔で言う船長を想像したら、少しおかしかった。




「なに言ってんだ? 船は出すに決まってるだろ?」


 朝ご飯の最中、一応尋ねてみるとキョトンとした顔で返されてしまった。


「で、でも、もし天気が悪くなったら? 船が転覆したりしたらどうするの?」

「そうならないようにするんだよ。それにもしも大時化になろうがどうにかするさ」


 ついつい言い返してしまったが、船長がこういう性格なのは散々学んだではないか。

 私にできることは腹を括るだけ。

 元の世界の常識、と言うか、私の常識がこちらの方々に通じるはずがないのだから。


「安心して。少しくらい荒れても本当に大丈夫だから」


 ミニッツの慰めも半分程度に聞いておく。


 船長なら多少海が荒れたとしても本当になんとかしてしまうのだろうが、その際には私もへとへとになって苦労するのは目に見えている。


 船長と長年パーティを組んできた面々だ。私とは大丈夫のレベルも違う。


 朝食は軽めに済ます。命が懸かっているのだ。船酔いなんてしていられない。

 そして食休みを挟み、いよいよ出港の時だ。


 さっき見た通りのまま、船はドッシリと構えていた。そして空はドンヨリ曇っている。風は少し強くなった気がする。


「リリカは座ってていいわよ」


 お言葉に甘えて船室でゆっくりすることにする。

 私がいなくても出航の準備は着々と進んでいて、むしろ私がいない方が早いように見えたからだ。


 船長は操舵室で一人、黙々と作業をしている。


 その間に三人が忙しなく動き回り、いよいよ準備のできた船長の合図で、港と船とを繋いでいたロープが外される。そして帆が張られた。


 船長がなにかを叫んで動き出すわけでもなく、汽笛を鳴らすわけでもなく。ただ船室でボヤッとしている間にヌルッと船は動き出した。

 しかしその航路は生易しい物ではない。


 甲板に出ると、帆ははち切れんばかりに風を受けている。


「どんな感じ?」

「いい調子だ。これなら今日中にシーサーペントと戦えるかもな」

「そ、そうなんだ……」


 これはあまり船の旅を楽しんではいられないかもしれない。


 船長は椅子に腰掛け足を舵輪に乗せてリラックスしているが、私にはここまで気を抜くことはできそうにない。


「安心しろ。なるようになるさ」

「それは……よかったよ……」


 とりあえず心の準備だけは急いだ方がよさそうだ。


 話している間にも船はどんどん進んでいく。


 いつの間にか、甲板でなにか作業をしていたベイタもいなくなって船長と二人きりだ。きっとヒストリアやミニッツのように船室でくつろいでいるのだろう。


「船長はずっとここにいるの?」

「船の針路も見てなきゃいけないからな。お前は気にせずに休んでろ」

「ううん。私もここにいる」


 これが四人の普通なのかもしれないが私は、一人でいる船長を放っておくのは申し訳なくてできなかった。


 かと言って何かを話すわけでもない。


 なにをするわけでもなくボーッと水平線を眺め、ちょっとだけ船長が席を外してナッツとジュースを取って来て、たまにそれを摘まむ。


「お前は本当に俺らと一緒に来るのか?」

「えっ……まさか船から落とす気?」

「そんなわけあるか」


 冗談のつもりだったが、この船長なら面白半分で本当にやりそうだった。その後にはちゃんと拾い上げてくれるのだろうが、だからと言って放り出されたいわけじゃない。


 そうではなく、


「この前言ったじゃん。私はみんなのことが好きになったんだって」

「……そこまで言ってたか?」

「言ってないっけ?」


 そういえば、この前に話してた時は好きとかどうとかは言っていなかった気がする。


 でもそれも、そっぽを向いている船長を見るとどうでもよく思えた。毛皮の上からでも赤くなって照れているのがわかるようだ。


 そしてみんなのことが好きなのも嘘じゃない。


「みんなが好きで、みんなと一緒にいたいから。危ない目にあったって大丈夫だよ」

「大丈夫だって言ってもなぁ……」

「大丈夫だよ。魔法の練習もしてるし。まぁ、強くなるまではまだ迷惑もかけると思いますけど……」

「とんでもない拾い物だよ」

「拾ったんだから責任取ってよね」


 今更この四人から離れてこの世界で暮らしていくなんて想像もできない。

 ならば四人と一緒にいるのが一番に決まっている。


「実は船長も私のこと心配してたんだね」

「……うるせぇ」


 ヒストリアだけだと思っていた。しかし船長もまた、私を危ない目に合わせたくないと思っていたのだ。

 その心配が素直に嬉しい。


 私が冒険者を続けることをヒストリアが反対していた時、続けられるように説得してくれたのは船長だった。その時も嬉しかったが、今はその数倍嬉しい。


 後はミニッツとベイタも同じように思っていてくれたらいいのだが、残念ながらあの二人の心は読み取れそうにない。


「それより、お前船酔いとかはしてないか?」

「意外と大丈夫だよ」


 ちゃんとした船に乗るのは初めてだ。そして想像していた以上に船は揺れている。

 それでもあまり気持ち悪くなっていない。


 シーサーペントと戦うのだからゲロゲロしている暇はないのだ。


 ただ少し不安なのが、


「港を出た時よりも海、荒れてない?」


 船は上下に大きく揺れ、海は暗く、行く先の雲は黒く厚い。


 不穏な空気とはこのことを言うのだろう。


 今はまだ船酔いしてないが、五分後はわからないような状況だ。


「繁殖期のシーサーペントが集まるんだ。荒れもするさ」

「そんな普通のことみたいに……」


 あらかじめ言っておいて欲しかったが、言われたからといってなにができるわけもない。この調子ならいざシーサーペントの集まる海域に着いたら、ジェットコースターみたいな波になっているかもしれない。


 これが想定外ではなく想定内だとすれば、船長達も織り込み済みなのだからそこは信頼するしかないだろう。


「そろそろ準備を始めるか。みんなを呼んで来てくれ」

「はーい」


 いよいよかと思うと緊張する。


 強化週間とか言われて依頼に行く日の前日にも似たような心地であった。


 これから狙いに行くシーサーペントは、角ウサギやデミサハギンとは段違いの獲物だろう。それなのにこの程度の緊張で済んでいるのは、逆に考えればいいことなのかもしれない。

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