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第1話

 ピチョン、ピチョン。と、滴の落ちる音がする。どこかの蛇口がちゃんとしまっていなかったのだろうか。さっきまではまったく気にならなかったのに、一度それに気づいてしまうといつまでも気になってしまう。時計の針の音と共に眠る時の大敵である。


 ちょうど目覚めて微睡んでいた時なのでこのまま起きても構わないのだが、瞼の向こう側に光は感じられない。まだ暗い時間帯であればそんな早起きする必要はない。七時に起きて余裕で学校に間に合うのだ。

 音は気になるがわざわざ蛇口を閉めに行くとこの微睡みがもったいない。しかし気になる。


 しばし悩んだ後、無視をすると決意。気合いで音を余所にやろうと、寝返りを打つ。

 寝るのに気合い入れるんかい、なんてセルフツッコミも無視する。


「……ん?」


 引き上げた掛け布団が妙な感触だった。

 ぶよぶよとしていてしっとり。妙な弾力があっていつものふかふか布団ではない。しかし全身を包む温かさは大好きな布団の中と変わらない。


「やっぱりぶよぶよ……」


 確認のために手をやると、水の入った袋を触っているような感触だ。

 これはこれで気持ち良い。叩くとタパタパ鳴るのが面白い。


 少しだけその感触を楽しみ、布団ではないのならなんなのだ、という当たり前の疑問が現れてようやく目を開ける。

 一度でも目を開けてしまうと至福の微睡みは戻ってこないのだからこれは大変な決断である。


 それだけ、この正体不明の掛け布団が謎ということである。

 そういえばベッドもいつもより固くないか。


「え……どういうこと?」


 目を開けて最初に入って来たのはいつもの天井ではなく、苔むした土っぽい天井。顔を巡らせると石の壁があって、こちらも苔っぽい。部屋は薄暗く、寝る時は真っ暗にする派の私としては少し寝にくい。状況に気づいた途端に鼻が土の臭いで満たされる。

 顔だけを動かして遠くを見ると、小さく光源が見える。しかし光源同士のの間隔が開きすぎていてこの場所を照らし切れていないのだ。ここは丁度真ん中くらい。


 自分の部屋ではない、という事実に混乱しつつも、考えてもわからない疑問はとりあえず余所に置く。改めて目を開けた本来の目的のために自分の体を見下ろすと、


「きゃあああああああああああああああああ!」


 一瞬で目が覚めた。

 私の体の上に乗っていたのは、形の定まらないナニか。うぞうぞとゆっくり蠢くその姿に思い当たる名前はスライムだ。ちなみに水色。


 体の半分以上は飲み込まれていたが簡単に立ち上がれて、急いで服の上から払い落とす。


「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!」


 払って払って払い落とす。


 ようやく目に付く場所のスライムは払い一息吐くと、私のすぐ横でスライムが一つにまとまっていっていた。そしてすぐに元の大きさに戻ると、ゆっくりこちらへ近付いて来ている。


「いやぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああ!」


 ここはどこなのか。そんな疑問は吹っ飛んで、今はただただあのスライムから逃げることしか考えていなかった。

 どっちに進めば良いかもわからずにとにかく走る。


 その時、私の声に反応したのかコウモリみたいな生物が通路の奥の方から私の頭のすぐ近くを飛び去っていく。


「もおおおおおおおおおおおおおおお!」


 頭のそばから聞こえるバタバタという羽音と、何かがぶつかる衝撃。恐怖に頭を抱えてしゃがみ込む。


「何なのよもう……」


 コウモリが過ぎ去ってようやく目を開ける。


 それも怖かったのだが、私が黙るとシーンと静まり返るこの場所で目を閉じているのも怖い。いつの間にかスライムが足下にまで来ているんじゃないかと想像してしまう。


 どうやらなにもいないようだ。


 しかし、


「……なにこの臭い?」


 ツンとした不快な臭いに周囲を見渡すと、すぐ近くの地面がボコっと盛り上がり、腐った腕が這い出てきた。


「いや……いや……!」


 怖いのに腰が抜けて逃げられない。尻餅をついたままズリズリと後ずさる。


 腕。肩。そして頭が現れる。

 そのすべてが腐り落ちていて、腐敗臭が鼻を貫く。現れたそれの正体は映画で何度も見たゾンビだった。


「ああああああああああああああああ!」


 腰が抜けていても恐怖がそれを上回り、一目散に逃げ出す。

 正面の通路が二手に分かれていて、右を曲がると、牙が何本も生えたイノシシが待ち構えていた。


「きゃあああああああああああ!」


 反転して走る。


 視界は涙でぐしゃぐしゃで、喉も枯れている。それでも足を止めることはできない。

 振り返ったらこれまで出会った気持ち悪い生物達が追って来ている予感がして、後ろを確認することもできなかった。


「なんなのよなんなのよ……なんなのよ!」


 曲がり角を特に考えることなく曲がる。


「うおっ!」


 すると、同じく角を曲がっていたなにかとぶつかる。

 尻餅をついて確認すると、相手は頭を掻きながらこちらを見ている。その頭は、犬のような形をしていた。


「お、お、狼男!?」


 食われてしまう。あの巨大な口で頭からかじられてしまうんだ。

 私の意識はそこで途切れた。




「全然起きないですね」

「気絶してるだけだから心配しなくても大丈夫だよ」

「俺らはあんまり大丈夫じゃないがな」

「あんまりそういうこと言わないの」


 四者四様の声が私の頭の上で行き交っていた。


 誰かの声で目覚めるのと、誰かに起こされるのとでは感覚が違う。自然と起きられる前者の方が気持ち良かったりする。無理矢理に起こされると、微睡むことも許されないからだ。

 瞼の向こうは明るいのが、なんとなくわかる。起きなければならない。しかし起きたくはない。


 スライムにまとわりつかれたり、コウモリに襲われたり、ゾンビが現れたり、イノシシに追いかけられたり、狼男に食べられたり。散々な夢を見た。

 悪夢の後なのだからゆっくり寝させてもらってもいいだろう。

 起きてアレはやっぱり現実でした、となるくらいなら一生寝ていたい。


「目が覚めたんじゃない?」


 気づかれてしまった。まだ眠っていたいのだが、起きているのがバレたら起きないわけにはいかない。


 しかしこの四つの声は聞き覚えがない。簡単に目を開けてよいのだろうか。

 あの狼男の仲間なら「最後に食べられ方くらいは選ばせてやろう」とか言って焼くか煮るかの選択を迫られそうだ。


「本当に? 全然起きないけど」


 女性の声。ちょっと安心。

 硬く瞼を閉じる。


「目に力が入ってますね」

「これは起きてるな」


 男三人に女一人。声の感じからしてあまり悪い雰囲気は感じない。狸寝入りをしている今も酷いことをしていないのがその証拠だろう。


 だが待って欲しい。何だか体がスースーしている気がする。布団に包まれているわけではなさそうだ。そもそもパジャマだとかそういう物を着ているはずなのに、肌の一部が外気に晒されている感覚だ。

 少し、気持ちいい。


「早く起きて欲しいんだけどな」

「いつまでもこんな格好とはいかないものね」

「ちょっと私でなにをしたのよ!?」


 こんな格好とはどんな格好か。寝ているわけにはいかずに飛び起きて自分の体を見下ろす。


 学校の制服。その所々の生地が薄くなっていて、所々に穴が開いていたりしている。幸い大事な所の生地は無事だが、だからといって許される話ではない。


「こんな格好させてなにをするつもりだったのこの変態!」


 体を隠して後ずさる。木にぶつかって止まるが、警戒は止めない。


 中学生のまだまだこれからの成長に期待する体であるが、そんな体を求めるのであれば変態以外の何者でもない。

 そんな変態になにをされるか、想像するだけで鳥肌が立つ。


 これならひと思いに唐揚げにでもされた方がよかった。


「ったく。それが恩人に対する態度かね」

「仕方ないわよ。自分の体を大事にしているみたいで私としては好感が持てるけど」


 声の主四人を見ると、どことなく呆れた目つきで私を見ている。


 これはもしかすると盛大な勘違いをしていたのかもしれない。しかしそんなことも忘れてしまうほど、四人の姿は異様だった。


 一人目は二足歩行の犬。しかし完全な獣ではなく、立ち姿には人間らしさも残っている。フサフサの毛の上からでもわかる素晴らしい筋肉が全身を覆っており、それをアピールするかのように着ている服の布面積は少ない。筋肉とか諸々がエロい。


 二人目はどちらかと言うと人間に近かった。肌にも毛が生えているわけではないが、猫のような耳が頭の上にあったり、長い尻尾が揺れている。四人の中で紅一点で、切れ長の目がセクシーである。人間に近いのでコスプレかなにかに見える。


 そして三人目はネズミだった。こちらもどちらかと言えば人間に近い。丸い耳や長い尻尾。そして私の腰くらいまでしかなさそうな低い身長である。昔飼っていたハムスターと同じ、グレーの毛色だった。


 そして最後の一人が唯一、私と同じような人間であった。しかし興味なさそうにそっぽを向いている。


 四人中、三人はアレだ。ファンタジーではお約束の獣人という存在であろう。

 そういえば悪夢の中でもゾンビやらスライムやらと、やたらファンタジーっぽい物が出てきた。


 目が覚めてもファンタジーということは、実はまだ目が覚めていなかったというオチか。ビックリさせないで欲しい。

 私の夢であれば変態になにかされることもあるまい。あのマッチョの獣人は惜しいが夢なら早く覚めた方がいいだろう。


「じゃあおやすみなさい」


 ちょうど木陰になっていて程良く涼しい。寝るには最高の場所である。


「寝ちゃったわよ?」

「夢だと思っているのでは?」

「……厄介な奴を助けちまったな」


 ゴチャゴチャ言っているが、私の夢の出演者なら、大人しくしていて欲しい。私はこれから寝ようとしているのだ。なんならその太い腕で腕枕とかしてくれてもいいんだよ?


 私の方に近付いて来る足跡が聞こえる。まさか本気で。しかし待ち構えていたと思われては癪なので、それを無視するように寝返りを打って背中を向けるが、足音はそれでも止まらない。

 マッチョなら大歓迎。筋肉ならバッチコイ。ムキムキなら添い寝して。


 獣人でも筋肉は等しく素晴らしい。


 心の中でドラムロールが鳴り響く中、私の肩が優しく叩かれる。力強くないことに落胆しつつも、仕方なく私は目を開けた。


「なんて言ったらいいのかわからないけど……夢じゃないから寝ても覚めないわよ?」


 サッパリとした短めの髪の毛。スッキリした目。その青い瞳。私にそんな気はないが、すぐ近くで見つめられたらドキドキする。


 寝ても覚めない、なんて意味のわからない言葉を言われても胸は高鳴る。


「恩を売るわけじゃないけどあなたが危ない所を私達が助けたの……」

「売る気満々じゃん」

「ミニッツは黙ってて!」


 キシャーと効果音が付きそうな剣幕で変な相槌を打ったネズミの獣人を振り返る。

 そして咳払いをして仕切り直し、


「これからのことも考えなきゃいけないから、あなたのことを教えてくれる?」

「は、はい……。平凜々花、十四歳です。好みのタイプは力強くて気遣いができる人」

「そうなのね……。私はヒストリア・ミヤオ。好きなタイプは真面目な人よ」


 わざわざ私の変な自己紹介に合わせてくれる。


「ダイガント・ザッツだ。よろしく」

「僕はミニッツ・クン。面白い人が好きだよ。船長の好みは巨乳」

「ベイタと呼んで下さい。好みのタイプは考えたこともないです。


 それぞれ、犬の獣人。ネズミの獣人。人間が名乗る。

 犬の獣人――ダイガントがネズミの獣人――ミニッツの頭を叩いたということは、彼が船長なのだろう。


 私の胸は巨乳にはほど遠い。今後に期待である。


「どうしたの? 大きな怪我はないと思うけど?」


 心配してくれるヒストリアに手招きして、耳を借りる。


「私、筋肉が好きなんですよ」

「なるほど。でも船長は馬鹿だから止めておいた方がいいわよ」

「馬鹿ですか……。馬鹿はな……ちょっと」


 いくら素晴らしい筋肉を持っていても頭の中までムキムキだと人としてどうなのだろうか。


「おい。聞こえてるぞ」

「ごめんなさい。で、これからどうする?」

「そうそう。これ、夢じゃないんですか?」


 私の質問に、四人は微妙な表情を浮かべている。


 夢だからスライムやゾンビに襲われた。夢だから目の前に獣人が現れた。夢でなければ説明ができない。

 まさかいつの間にかハロウィンの時期が変更になったわけでもあるまいし、盛大にドッキリを仕掛けられているわけでもあるまい。


「現実よ。だからちゃんとこれからのことを考えましょう?」


 ヒストリアの声音がこれまでで一番優しいものになる。

 まさか私のことをかわいそうな子とでも思っているのだろうか。それについては後々どうにかするとして、今大切なのは本当に夢かどうかだ。


 頬をつねる。


「夢じゃないわよ」


 ヒストリアの呆れた声。


 太ももをつねる。


「夢じゃないぞ」


 ダイガントの呆れた声。


 腕をつねる。


「夢じゃないよ」


 ミニッツの呆れた声。


 どうしよう。他につねる所がない。


「夢じゃないのでつねらなくていいです」


 そんな私の心を見透かしたようなベイタの呆れた声。


 まさか本当に夢じゃないのか。頬を太ももも腕も痛い。


「でも……でも夢じゃなかったらそんな……獣人とか……」

「獣人がそんなにめずらしいのかしら?」

「どこかに獣人がまったくいない国とかあったと思うよ」

「タルーティア王国のことですね」

「だとしてもまったく知らないなんてこともないだろ」


 四人の会話からは獣人が既知のものとして扱われている。それも四人中三人が獣人なのだから当たり前かもしれないが。

 むしろ、私の常識を疑われているような空気である。


「私が襲われたスライムとかゾンビとか……」

「魔物くらいは知っているみたいね」

「そんなに色々襲われてたんだ」

「私達が見た時はグリボアの子供に追いかけられていただけでしたね」

「よくもまぁ、生きていたもんだな」


 ダイガントの言葉には私自身も自分で自分を褒めてやりたい。

 いきなりモンスターに襲われた状態でスタートするとか、どんな話でも最悪だ。私が異世界転生する時はそんなことはお断りである。


 おや?


「もしや……まさかの異世界転生?」

「異世界?」

「こことは別の世界って認識でいいのかな」

「別の世界、ですか」

「どちらにせよここら辺の人間ではなさそうだな」


 私の言葉に反応して四人はスラスラと話を進めてくれる。


 私が思いつくこと以外の情報が得られるので助かると言えば助かるのだが、頑張らないと当事者の私が置いて行かれてしまいそうで必死である。


 馬鹿みたいな話だが、この四人と私とでは常識がずいぶん違っているみたいだった。


「とりあえず、落ち着いて話せるように場所を移すか」


 ダイガントの提案に、私を含めた全員がうなずく。

 まさかまさかの異世界転生。

 これが夢でないのならワクワクもする。さっきまでと違って、夢じゃないことを望んでいる私がいた。

書いてた時にコメディ物を読んでいたせいかアホな主人公になってしまいました。

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