8 ねーちゃん悪い想像当たってたのかよ
「ヴィ、大丈夫だった!?」
騒ぎを見ていたんだろう。洗濯物を抱えて、隣の奥さんが走り寄って来た。彼女は向かいの通りにある、共同の洗濯場に行っていたらしい。
それでは、さっきの騒ぎを見ていても、あたしが絡まれていても、助けに入れないわけだ。行列をかき分け、洗濯物片手に入るのなんて難しい。
「殴られたりしなかった? ごめんね、止めに行けなくって」
隣のおかみさんは優しいから、本当に心配して言っているに違いなくて、大丈夫、と言う代わりにうなずいておいた。
「大丈夫。間に入ってくれた人がいたから」
「その人は大丈夫だったの?」
「殴られて蹴飛ばされたけど、そこまでひどい怪我にならなかったから、本人が大丈夫っていうのを信じるしかないと思う」
そう言う事実を言うと、奥さんは、そう、と言ってから、かーちゃんを見た。
「通りの向こうまで騒ぎが聞こえて来て……心配になって走ってきたのよ」
「あんたはそう言う女性だからね。逆に間に入らなくてよかったよ。ああいった男は、きれいな女を殴るほうが好きだからね。あんたみたいな美女の方を殴っただろうし、殴ったらあんたが倍返しして、警邏に引っ張って行かれてしまったよ」
「そんなひどく殴らないわよ」
「いいや、あんたの旦那との喧嘩を見る限り、どっちも体が頑丈だから、その程度ですんでいる殴り合いだと見たね」
「もう!」
隣の奥さんがかーちゃんの背中を叩く。その勢いは強くて、かーちゃんはよろめいた。
「だからあんたは馬鹿力なんだって……」
ひとしきりぼやいたかーちゃんは、さて、と背中を向ける。今日は丸一日、店番の予定だったのが変わったから、色々やる事が出来たんだろう。
「ヴィ、森まで薪と木の実を拾いに行くよ、時間が出来たから手間のかかる薬を作るからね」
「はーい」
かーちゃんが森に行くのは基本的に、薬の材料を集める時だから、あたしも一緒なのは当たり前だった。
だって荷物持ちが増えるし、場合によっては木の上のものとかも取りに行ける。
さらに崖っぷちに生えている薬草だって、二人がかりなら少し余裕をもって取りに行けるのだから。
「ルー・ウルフになんて伝言しておく?」
「家の黒板に行先だけ書いておけば、いいだろうよ」
そう言ってかーちゃんが、家の前にぶら下げている黒板に、白い炭で字を書く。かーちゃんはどんなものを使っても、とてもきれいな字を書く。
そこ森に言ってくる、と書いているのを見ながら、あたしはかごを背負った。いろんな薬草や木の実を入れられる便利なかごだ。
これは実家を出て行くときに、かーちゃんがこれだけは、と思って持ち出したものだという。
実際にとても使い勝手がいいから、最近はあたしが重宝しているかごである。
「用意ができたね、日暮れまでには帰るから。奥さん、ここの居候に良かったら、ごはんを食べさせてやってくれないかね」
かーちゃんが奥さんに声をかける。奥さんが笑顔で頷いた。
「いいわ。旦那もたまには私じゃない人と夕飯を、家で食べるのも新鮮だと思うもの」
「いつ聞いてもいちゃついた夫婦だよ、全く」
嫌な気分にはなっていない、それどころか喜んでいる声で言ったかーちゃんの後を追いかけて、あたしは家の近くの囲いを通って、森の方に入って行った。
あたしたちが暮らすところは、街はずれぎりぎりで、一番森に近い場所でもある。
そしてこのあたりは城壁を作れない地形、という物らしくって、他の場所によくある立派な城壁はない。代わりに、申し訳程度の囲いがある。
そこの出入り口を抜けて五分も歩けば、もう、森の中だ。
「このあたりに生えている若い草を取るから、あんたはその間薪を取っておいておくれ」
かーちゃんが、さっそくめぼしい物を見つけたようだ。あたしはかーちゃんが遠くに行ってしまう前に、出来るだけ薪を取っておくことにした。
森は深いし、見た目のいい、いかにも薪って感じの枝しかとらないわけじゃない。枯れたわらみたいなものだってとるし、とにかくちゃんと燃えるものだったらいい。
かまどはちゃんと温めれば、結構保温するものだし、うえであったかく寝られるし、いいものだ。
これがお城とか学校だと違うんだろう。だってルー・ウルフはあたたかいかまどで寝たいって言わなかったもの。
なんて思いながら、かーちゃんの後を追いつつ、薪になるものや、燃やすと香りのいい枯草を拾っていく。
最終的には、崖に生えている青い花のおしべとめしべを取ってこいといわれ、あたしはかーちゃんの持つ命綱を頼りに、何とかそれを取った。
「身軽なのは父親似だね、あんたの父さんは猿みたいな身ごなしだったよ」
「かーちゃんそれ娘のこと褒めてない……」
手を叩いて喜んでいるかーちゃんに、息を切らせてあたしは文句を言うしかなかった。猿って。時々祭壇で見せてもらった紙芝居の中でしか知らないけど、あんまり美人な生き物じゃないから、複雑だった。
それに猿はよく、道化の役割をしていたから、例えられると複雑だった。
さて、日が暮れるぎりぎりに、やっと家まで帰りついたあたしたちは、けっこうよれよれになってしまっていた。
なぜならば、途中でかーちゃんが珍しい生き物の痕跡を見つけて、後を追いかけ始めたせいだ。
いくらその生き物のふんが、ニキビの薬に効果があるからって……日が落ちそうなのに追いかけるかーちゃん時々非常識だ。
かーちゃんいわく、この材料の薬を作れば、大貴族に結構な金額で売れる。
なんとか材料は見つけたけど、二人して疲れ果てたのは事実だ。
「夕飯何にしよう」
「食べられればなんだって構わないさ」
「だけどね、それでもね……」
なんてやり取りをしていた時だ。
ルー・ウルフが、家の前で座って待っているのを見つけてしまった。何で家の中に入っていないのだろう、と思ったら彼が立ち上がって走って来る。
そしてあたしを抱きしめた。
「日が暮れても戻ってこないから、何かあったんじゃないかと思った、ああ、よれよれだけど無事そうでよかった」
「ちょっと予定が変わってしまっただけだよ、あんたも心配性だね、ルー・ウルフ」
「ヴィザンチーヌさんはそういうが、昼にああやって絡まれたんだ。逆恨みして二人に危害を加えようとする誰かがいてもおかしくないだろう」
大真面目な声で言うルー・ウルフは、あたしを離して息を吐きだした。
「想像が外れていてよかった」
……ねーちゃんは、恨まれまくってたんだろうなあ、とこの時なんとなく気付いてしまって、自分の姉ながら何してたんだよ学校で、と結構真剣に思ってしまったあたしは、変じゃないと思う。
「彼女は、帰ってこない時よく、同学年の女子生徒に嫌がらせをされていて、場合によってはごろつきにいちゃもんをつけられていて」
「ねーちゃん何してんだよ、嫌がらせって何しでかした」
「よく、貴族の男子生徒に近付くなと」
「普通近寄るものじゃないでしょ、学校ってたしか男女別のはずじゃないの。学生生活が乱れたらなんとかとかいう理由で」
かーちゃんが、ねーちゃんを貴族にやるのに同意したのは、学校がちゃんと男女別で授業をするから、だったような……
「彼女は男女の垣根なく色々な相手に話しかけて、交友を広げようとしていたから」
それで気分を害した女子生徒が、集団で色々やっていたと思う、と王子様は言う。
でも長年のねーちゃんの流れから、それは大体間違ってるな、とわかってしまうのがいやだ。
ねーちゃんはおそらく、自分の有利な相手を狙って落としに行っていたと思う……出て行くときの台詞が台詞だったし。
それにしても、女性の対応を生家とかで学んでいそうな男子生徒たちが、つぎつぎねーちゃんに陥落したのって、どうしてなんだろう……?