74 鶏は王子様の味方である
数日がかりで決着がついた王族の利用明細であるが、ただこれで終わったわけではない。
その事を、痛感する羽目になったのは、通路という誰しもが行きかう場所で、激怒した第三王子に掴みかかられたからである。
「おいお前!!」
いきなり何の用事だ? 何をしたというのだろう……まだなにも彼にはやらかしていないはず。
怒鳴りつけられて、彼は真剣にそう思った。思い当たる事が何一つない状態で、怒鳴りつけられ、掴みかかられる筋合いはない。
そして、彼と直接会話するのは、雇われになってからは、今日が初めてだ。
それまでは、時折、自分の世間知らずを馬鹿にするために、声をかけて来ていたような気がするのだが……一体何だろう。
怪訝な顔になったルー・ウルフを見ながら、第三王子が言う。
「シンシアへ渡した贈り物の明細を探させるために、侍従を取り込んだのだろう!」
「何が言いたいのか、よくわからない」
シンシアとは確か、佳人薄命という名前の、大変危険な香りをしみこませた匂い石を持っていた使用人だった気がする。
彼女は取り調べののちに、王宮からは追い出され、とある未亡人の使用人になったと仲間が話していた。
たとえ匂い石の力を知らなかったにしろ、あまりにも警戒心がなさ過ぎる、これで使用人としてやっていくのはあまりにも危ない、何に利用されるかわからない、という事から、そう言った物に詳しく、また迷える乙女たちを導く未亡人のもとに向わされたのだとか。
ルー・ウルフにはわからない何かの結果だ。
多分、シンシアを処刑したら、匂い石のことで馬鹿になっていた人たちのことも明るみに出され、多くの王族が処分せざるを得ないからだろう……色々世間は厳しいのだ。
そうか、第三王子もシンシアに夢中だったのか、と変な所でようやく合点した彼であるが、その反応の悪さは、第三王子の機嫌を一層悪くさせたらしい。
「お前が侍従に、明細の数が合わないから探してほしいと言ったのは知っている! そのせいで、そのせいで……!!」
ルー・ウルフは記憶を探り、探り、そんな発言をいつしただろうと考え込み、やっと、第三王子の明細の枚数が、三枚ほど足りなければ、たぶんこの数字の合わなさに決着がつくんだけれどな、と言った事を思い出した。
確か、仲間たちと必死に情報交換し、何故数字が合わないのかを考えていた時だ。
この時、第三王子の侍従はいただろうか……
何日も徹夜になるほどの事を続けていたせいで、記憶があいまいになっている。
それにしても……
「何か疚しい明細だったのでしょうか。計算が合わなければ、その次の年の王子への予算は出ません。困るのはあなたでしょう」
予算の下りない王子は悲惨である。何せ買い物はことごとく断られるし、予算が下りていないのなんてあっという間に、商人たちには伝わってしまうのだ。
一体どこから伝わるのだろう、と謎を感じてしまうのだが、彼の上司のような、あらゆる事に通じている人間と知り合いになっていれば、結構簡単に手に入るものなのかもしれなかった。
「お前は! シンシアへの心からの贈り物の金額が気に食わなかったのか!」
心からの贈り物の金額なんてどうでもいい。
ルー・ウルフは心底そう思った。どうでもいいに決まっているだろう、その金額が合わないから、こちらは何日も徹夜をしたのだ。
気に食わないという以前の問題だ。ただ金額が一致しないから、こちらは仕事が終わらなかったのだ。
どれだけそれが大変な事だと思っているのか。
予算が下りなければ、困るのは彼なのだというのに。
ルー・ウルフは口を開いた。反論するべく、である。
「そう言った事は、私にはかかわりのない事です。今年の予算を組むために、どうしても、必要な明細だったのです。あなたも、特別に雇っている者たちへの給料は、自分の予算から出す事くらいご存知でしょう?」
予算が下りなければ、その特別な使用人たちへの給料だって支払えない。
小銅貨一枚分の給料さえ出してもらえないで、誰が働きに来るだろう。困るのは彼等の方だ。
何故それが分からないのだろう。
おそらく、侍従は自分の給料を出してもらうために、明細を探したのだろう。ルー・ウルフは何となくそんな事を思った。
「何か適当に誤魔化す事だってできるだろう!」
「小銅貨一枚分程度の誤差も、経理は許されないんですよ。そこからどんな不正行為が行われているか、分かったものではありません。それに去年どれだけ使用したかによって、予算が新たに組み直される事も、第三王子はご存知でしょう」
ぎりぎりと第三王子が歯ぎしりする。
王族の中でも、第三王子の出資記録が、かなり合わなかったのは記憶している。他の王子たちも、王女たちも、記録が合わなかったので、こうして計算能力の高い自分が雇われとしてでも、ここに戻って来る事になったわけだが。
「それに、その事を誤魔化す? なんてとんでもない事を言うんです! 経理が誤魔化す不正は、それだけで処刑ののちに街の広場に括りつけになり、晒しものになる事をご存知ではないのですか」
第三王子が何とも言えない、苦々しい顔になる。彼は知っていながら、誤魔化せ、と言ったのか。
「もしや、今までにも誤魔化すように示唆したのですか? あなたはそれを言って、行った者たちの家族などの事まで考えた事はありますか!?」
「うるさい! もう王子ですらないものが、ぎゃんぎゃんと反論するな、口答えばかり出来るようになって!」
第三王子が手を振りかぶる。殴られるな、とルー・ウルフが覚悟した時だ。
「こけーっ!!!」
突如、そんな声が響き渡り、第三王子の横っ面に、何かが強烈な蹴りを入れてきた。
それは予測していなかった第三王子が、掴んでいた手を離し、よろめく。
屈強な第三王子がよろめくとはいったい、と思ったルー・ウルフは、彼を守ったのが、一匹のきらきら輝く鶏だという事で、目を丸くした。
「鶏?」
「こけーっこっこっこ!!」
第三王子をその鋭いかぎづめで蹴飛ばした鶏は、ふんぞり返ったような調子で、彼を見る。
しかし、その一匹だけでは済まなかったのだ。
「こっけー!!」
「こけっこっこ!」
「こっけええ!」
それを皮切りに、何匹もの鶏が、第三王子に襲い掛かったのだ。
一体どこから現れたのだ、と彼が周囲を見回すと、そうだ、この通路は一階部分で、そこの出入り口は厩舎に続いていたのだ。
数多の鶏たちは、そこの入り口から飛び込んできたのである。
「うわっ、いってえ! やめろ! 鶏風情が!」
どうして自分は鶏に守られているのだろう……と思ったルー・ウルフであったが、第三王子が鶏につつきまわされているのは、さすがに不憫に思われた。
まだ殴られていないのだ。あまりひどい怪我をさせるのもよくない。
「おやめ!」
こう言った時何と言えばいいのか、と考え、ヴィザンチーヌさんのように言えば止まるかもしれない、と思った彼の言葉は、ある意味正しかった。
キラキラと輝く羽の、春祭りの際に捕まえられる鶏たちが、一斉に彼の方を見たのだ。
「ありがとう、でももういいよ」
命令でいいのか、お願いの言葉にするべきなのか。
どうしてもわからなかったため、お願いに近い言葉を選んだ彼を見て、鶏たちはぞろぞろと、元の厩舎の方に去って行った。
残されたのは、鶏の大群に押し倒され、つつきまわされ、踏みつけられていた第三王子と、彼と、騒ぎを聞きつけて現れた使用人たちである。
ルー・ウルフはちょっと迷った後、彼に手を差し伸べた。
「お前は鳥を味方にするのか……卑怯な……」
第三王子が、差し出された手を取る事もなく払いのけて、痛そうに顔をゆがめて立ち上がる。
「なんてとんでもない奴なんだ」
「まさか私も、鶏に守られるとは思いもしませんでした……」
言いつつ、彼は第三王子の顔についたひっかき傷に手を伸ばす。
「何をっ!」
「思った以上に深い傷の様です、鶏の爪には泥がこびりついている事も多い、炎症を起こしたら大変です。……誰か、宮廷医師の所まで案内してください」
第三王子の顔の傷は、かなり深いものになっていた。
だが、鶏を罰するわけにはいかない。春祭りの際に捕まえられる鶏は、そこら辺の家畜と違い、神聖な鶏なのだ。
鶏等を捕まえる事により、豊かな天候のいい初夏を手に入れる、という意味合いもある鶏たちなのである。
そしてまた、その鶏たちに守られたルー・ウルフを処分する事も難しいと、第三王子ですら、分かっていた。