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7 王子様雑魚じゃないと思う

たとえどんなに行列整理をしても、素行の悪い人はいる。並び疲れて機嫌が悪い人もいる。


「いつになったら『魔女』の所にいくんだ!」


大柄な男の人が、あたしに向かって怒鳴って来る。この顔は見た事が無いから、あたしが娘だって知らないんだろう。

あたしが逃げられないように、腕を力いっぱい握って怒鳴る人は、正直に言って不愉快だ。


「皆さん順番にですよ」


それに、殴られる趣味はないから、一応丁寧に答えておく。それでも相手は不機嫌のままで、喚き散らしてくる。

いい大人なのにこんな事して、恥ずかしくないのだろうか。


「順番がいつまでたっても来ないじゃないか! おれだって暇じゃないんだ、さっさとしろ!」


「それを本人の前で言えますか?」


「この生意気な小娘が!」


うっかり口を滑らせてしまった。あたしの言った事を聞いて、馬鹿にされたと思ったんだろう。男の人がこぶしを握る。

他の行列の人たちは、関わり合いになりたくない人半分、暇を持て余した野次馬半分、さらに止めたいけど行列を出られない人少数って感じだ。

一回行列から抜けてしまったら、また並び直しだから、だろう。さすがにどこに並んでいるのかまで、あたしだって覚えきれない。

これは殴られるな、と身構えて、目を閉じた時だ。

殴打する音は確かに聞こえたのに、あたしはちっとも痛くなかった。


「……へ?」


よく分からない事が起きてる。おそるおそる顔を庇った片手をおろして、目を開けると、鼻を押さえたルー・ウルフがあたしの前に立っていた。

殴ってきた男の人を睨んでいる。


「あなたは恥ずかしくないのか、彼女に当たり散らして」


鼻からたぶん血が出てるんだろう。指の隙間からぼたぼたと血が流れていくのが見える。

一体いつ、ルー・ウルフが間に入ってきたのかわからないし、どこで見ていたのかもわからない。

でも、あたしは庇われたのだ。


「なんだとこのひょろすけ! おれは忙しいんだ、なのにいつまでも並ばせるから」


「ここの誰もが並んで順番を待っている。あなただけ特別扱いにはならないのが、どうしてわからないんだ。それに整理している彼女に文句を言ってどうなる。言ったからあなたの順番が来るわけじゃないだろう」


「言わせておけば! くそ生意気なあおびょうたんが!」


男の人はますます顔を赤くして、ルー・ウルフを殴る。あたしは間に入れなかった。

……ちがう、入れてもらえなかったのだ。ルー・ウルフはあたしが二人の間に入って落ち着かせようとしているのに、片手であたしを後ろに押しやっているんだ。

男の人が殴る。酷い所に入ったらしく、王子様はよろめいた。お腹に入った拳が、膝をつかせる。そこでさらに蹴りを入れる男の人、周りが悲鳴を上げているのに、興奮状態が酷いのか、止めようとしない。

あたしは声をあげられなかった。あげて状況を悪化させるのが怖かったのだ。

こんなに苛立って起こっている人の相手は、初めてだった。

それでも、はっと我に返ったのは、王子様の唇から血が垂れるのを見たからで。


「ルー・ウルフ!」


あたしは暴力を止めない男の人を見て彼を見て、とっさに王子様の襟首をつかんで、男の人の間合いから引きずり出した。

男の人は行列を出るのを嫌がったのか、それ以上やらない。

周りはざわめいているし、でも、暴力的な男の的になりたくなくて、何か言いだしてこない。


「大丈夫、ごめん、早く動けなかった」


あたしは自分で何を言っているのか、分からなくなりそうだ。でも、彼はあたしを見て聞いてくる。


「怪我はしてないだろうか」


「あなたが怪我しているでしょう」


何で人の心配がそこで出て来るのか、と思った時だ。


「うちの娘と居候に何しているんだい」


他人のふりをしたくなる位に、冷たい、殺意に満ちた声がその場に響いて、大股でかーちゃんが歩いてきた。


「『魔女』! いつまで待たせるんだ、さっさと診察を」


「今日は終わりだよ」


びしゃりと情け容赦なく響いた声に、並んでいた誰もが固まる。

どうしてだ、とざわめく人々に、かーちゃんがきっぱりと告げた。


「うちの娘に暴力をふるおうとして、居候に暴行して、周りの誰も止めやしない。私はそんな相手を見るのは嫌だね、今日はもう誰も見ないよ」


そう言いながらかーちゃんはしゃがみ込み、ルー・ウルフの顔の怪我を調べる。


「骨が頑丈だね、血をちゃんと止めればすぐに治る。あんたどうしてここに来てたんだい、仕事先はあっちだろうに」


「ヴィザンチーヌさんに手紙を預かっていて、直ぐ届けてほしいと頼まれてここに来たら、ヴィルが殴られそうになっていたんだ」


鼻血で発音がおかしかったけど、大体そんな感じの事を、王子様は言った。


「そう。……なに野次馬しているんだ、さっさと散りな」


布越しでもわかる強烈な射すくめられる視線に、さっと人々が逃げていく。殴ってきた男の人が、かーちゃんにつかみかかろうとした。


「こんなに並ばせておいて! やらないだと!」


でも、かーちゃんの方が何倍も上手だった。布の隙間からさっと突き出された糸切狭が、男の人の喉にぴたっと押し付けられる。


「次何かしたら、あんたの喉が終わるよ」


突きつけられたそれから、本気の度合いを察したんだろう。男の人は本物の殺意に蒼褪めて、そして。


「何の騒ぎだ!」


誰かが近くの警邏にいったんだろう。警邏の人が走って来る。


「この男が、娘にいちゃもんつけて殴ろうとして来て、庇った男に暴力をふるったんだよ、さっさと連れていきな」


警邏が、かーちゃんに追いつめられている男と、かーちゃんを交互に見て、訳が分からないという顔だ。

でも、血をぬぐっているあたしと、おとなしく血をぬぐわれているルー・ウルフから、それが事実だと判断したらしい。


「話を聞こう、こっちへ来い!」


男の人をそう言って、二人がかりで引っ張っていった。

それを確認してから、かーちゃんはルー・ウルフを見た。


「ありがとうね、うちの娘を庇ってくれて。騒いでいるなとは思ったんだが、薬の話の途中だったからなかなかここまで来れなかったんだ」


「当たり前の事をしただけだ、ヴィルが殴られるのを黙ってみていられなかっただけで」


「自分より屈強な男の前に飛び出すのは、結構度胸がいるんだよ、それも確実に殴られるって分かってて、なんてね」


そこであたしは、お礼も何も言っていないと気付いた。


「ルー・ウルフ、あの……ありがとう。でもあんまり、無茶して間に入らないで」


「いや、殴られたのが私でよかった。あの男、結構思い切り殴ってきたから、ヴィルだったら鼻の骨が折れてしまったと思う」


そう言って笑った彼は、馬鹿なお人よしだった。取りあえず、いそいで布を洗って、また彼の顔を拭く。鼻血は冷やすと止まるから、冷たい手ぬぐいで患部を押さえるようにする。


「自分で押さえてて、口開けて? ……歯が無事だ、よかった」


あたしが見ていると、かーちゃんが無遠慮に彼の上着をまくって、お腹を出す。

そしてそこに触れて、よし、と言った。


「あれだけ蹴られたわけだけど、内臓破裂とかは起こしていなさそうだ。手足の骨も折れていない。あんた受け身が得意だね?」


「弱いと、受け身ばかり上手になるんだ。力で勝てないから」


自分で鼻を押さえている王子様は、皮肉みたいにそう言った。

……かーちゃん以外の人に庇ってもらうの、初めてだったな、とあたしはここで気が付いた。

なんとなくまじまじとその、整った顔を見ていると、彼が慌てた顔になる。


「な、何で泣くんだ? もしかして、助けてくれた時にどこかぶつけて?」


あたしは泣いていたらしい。慌てるルー・ウルフと、自分の顔に驚くあたしを交互に見た後、かーちゃんが周囲を見た。


「あんたはひょろすけなんだから、あんまり一人で突っ走るんじゃないよ。……そろそろ仕事先に戻らないと、あんた心配されやしないかい」


「そうだった」


王子様は手紙を懐から取り出して、かーちゃんに手渡し、鼻を手ぬぐいで押さえたまま、慌てて走って行った。


「……走ると血が止まりにくいんだけどね。急かしてしまって悪いことした」


見送ったかーちゃんは、あたしを見て、ほっと息をついた。


「あんたに怪我がない事は、まあ、よかった。……あんなひょろすけで、雑魚呼ばわりされていたけれど、あの王子様は大したものだ。弱音も泣きご友恨み言も言わなかった。普通出来る事じゃないよ」


途中から感心した声になっていて、かーちゃんが本当に評価しているのが伝わってきた。

あたしも、ねーちゃんの言っていた雑魚という評価は、ルー・ウルフにふさわしくないな、と思ってた。

彼は優しくて善良で、人の心配が出来て、想像力だってちゃんとあるし、お育ちで浮世離れしているだけだ。

ねーちゃんはどこを見て、彼を雑魚扱いするに至ったんだろうか、とそんな事が気になった。

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