67 山猿の姫巫子
その体質のお姫様が、滅んだ国の姫巫子だったなら、どうしてこの国にいたのだろう。
そんな疑問が思い切り顔に出ていたらしい。
あたしの顔を見た一人が、付け加えてくれた。
「その国は、もうこの麦豊かな国が、ある程度領土を併合したの、だいたい百五十年前に」
「どうしてある程度なの?」
「その国が、あなたが想像できない位に大きな国だったからよ」
百五十年が、人間何人分の人生か考えた。
人間が一人、大人になって孫が出来て、もしかしたらひ孫までが、そこそこ年齢になっているくらいの歳月だ。
そうやって考えると、あたしがその滅んだ国の事を、全く分からなくても、当たり前なような気がした。
かなり厳しい暮らしを続けている平民の子供が、そんなよその国の事情まで知っているわけがないのだ。
自分の、今のご飯のことで精一杯なものなのだから。見る余裕なんてない、聞く余裕も調べる余裕も無論ない。
知識がない事を咎める人は多いけれども、知識を得る時間は、食べ物とかに余裕がある人でなければ、手に入れられないというのが、現実だ。
だから知識層と呼ばれる人たちは、お金持ちとかお貴族様とかが多い。というか、その層しかいないのだ。
あとは神官とか僧侶とかは、知識で食べているようなものだから、詳しい。
そうやって考えると、あらためてかーちゃんの実家の財力が、中途半端なものじゃなかったのだと思い知る。
自分の国の、そう言った知識のある場所に学ばせに行くのにだって、ものすっごくお金がかかる。
それを、旅費も考えたら、四人家族が五年六年は楽に食べていけるだけの金額をかけて、東方まで学びに行ったのだ。
かーちゃんの親族が、留学に猛反対した理由の一つに、その莫大な金額は関わっていそうだった。
頭の中がかなりずれてしまった。
あたしは会話の中に、思考を戻す。
「滅んだ国のお姫様なんて、どうして見つけられたの」
「この国の牧童の間で、不思議な話が広がったからよ。人々から家畜を預かって、草を食べさせて山をめぐる彼等の間で、花のような可憐な女の子が、一人で険しい山の中、獣たちと暮らしているっていう噂」
「それだけで、お姫様なんてわからないと思う」
「その女の子が来ている衣装が、滅んだ国の伝統的な模様を描いた布が使われていたら? その子が、滅んだ国から失われた、まばゆいばかりの銀と、草よりも艶やかに碧い、緑柱石をはめ込んだ姫巫子の冠を被っていたら?」
「どこかで拾ったという可能性は」
「ありえないわ。特に姫巫子の冠は、周辺諸国が血眼になって探したの。一番争っていた時期に出た模造品は、それだけで城一つが賄えるくらいだったと聞くわ」
「姫巫子の冠ってそんな大事なものだったの?」
「そうね」
「宝石のついた冠ってものが、すごい高価だし貴重なのはわかる、でもそんなに?」
「当時その滅んだ国から、何十人ものお姫様が、周辺諸国の王族から貴族からに、嫁いでいたのよ。で、滅んだ国の王宮の財産とかをめぐって、相当ないさかいがあったそうよ」
その秘宝を無造作にかぶっていた山の女の子は、まさに生き残った正当な王の血筋って事になったわけか……
「それにもう一つ。滅んだ国の王家の血筋の人は……共通する特徴があったの」
「それとお姫様が発見されたのと、どうつながるの」
「ここまで聞いていながら、察せないのか」
話をしていた一人が、呆れた声で言うが、あたしにはまだつながりが分からなかった。
「わからないよ、一番初めの知識からして、あたし持ってないんだから」
あたしが反論すると、その男の人が睨んでくる。睨みあいで負けるなんて癪に障るから、あたしは睨み返した。
それを見て、女の人が、男の人に向って鋭く言った。
「あなたさっきから、この女の子に対してあたりがきついわ。この子のお母様を別の部屋に寝かせるって言った時点で、おかしいと思ったけれど、あなたこの女の子に恨みでもあるの?」
「どうだっていいだろう」
男の人はそれ以上は言わなかった。
そこであたしは、ルフィア姫が誰かよりも、かーちゃんがどこにいるのかの方が重要になった。
「かーちゃんどこ?」
「集中治療室だ。枯渇寸前まで失われた魔力を回復させるために、そう言った特別な魔力の満たされた部屋にいる」
魔力の満たされた部屋。それはあたしが入ってはいけないだろう部屋だ。
あたしが入ったら、たぶん、その力が分解されてしまって、かーちゃんが助からなくなってしまう。
そんな事は絶対に認められない。
そして、この口ぶりから察するに、この国の人たちは、かなりかーちゃんを丁寧に手当てしてくれる様子だ。
食べ物が豊かな国は、お人よしの割合が増えるのだろうか……絶対に違うけど。
あたしは、かーちゃんは大丈夫、とここで判断した。もしも容体が急転したりしたら、この人たちだって駆り出されるか、情報が何か回るから辺りが慌ただしくなるはずだからだ。
「さて、さっき話した続きだけれど。その宝冠を被った女の子は、桃色の髪に桃色の瞳と言う、かなり血筋が明らかでなければ現れない、滅んだ国の王族の色を持っていたのよ」
あなたもそんな髪の毛の色ね、でも瞳は翠が混ざった青色で、ちょっと違うわね。
女の人が言う。そして続けた。
「そう言ったいろんな事情から、彼女はこの国の王宮に姫巫子として迎え入れられたの。でもとっても身軽な人だったから、国の中にいればいいんでしょ、って言って、いろんな地方に遊びに出かけて……遊びに出かけていった地域が次々、作物の収穫量が上がったのよ。
それを聞いた前王が、彼女を正式に、豊穣の巫女とたたえて、彼女は豊穣の巫女と呼ばれるようになったのよ」
「なのに行方不明になったの?」
「当時の王子と婚約関係だったのだけれど、彼女は顔が可愛い山猿みたいなものだったらしくって、王子の好みと全然合わなかったのよ。地方に出かけてばかりで、王子と親しくなる時間もなかったし。それで王子が彼女をとても嫌っていて……そのあたりに何かあったんじゃないかって噂がまだあるわ」
「そして十九年。彼女が地方を歩き回っていた時に、頂点に達した収穫量から、今は半分まで減っているんだ。減っているといっても、二十年前と同じくらいなわけだがな」