??? それは現れて運命を吹き鳴らす
ヴィはお留守です。
あり得ない事が立て続けに起きたという事を、麦豊かな国の王はわかっていた。
生き黄金の檻は、火の鳥が死んで数日後、その羽に宿る命の炎が絶えるまで、檻の形状を保つ。それは絶対だった。
そして生き黄金の檻に入れられた火の鳥が、外界の声に応えを返す事もありえなかった。
あの檻の中に入れられた火の鳥は、永遠に響く人間の血が通う音により、外界の音など何一つ聞こえないのだ。
だが。
「……何という女だ、あの黒髪」
王は小さな声で言う。檻の中から一人生き残って現れた女は、全くあきれ果てるほど大したものだった。
生き黄金の檻が、素材となった人間が一人でも生きている状態で、元の人間の山に戻る事などあり得ない。
だがあの女は前代未聞のそれを行ったのだ。
どうやってそんな事を可能にしたのか。多量の魔術に精通した王は、憶測を重ねる。
推測にしかならないのだが、あの女は術が発動する際に、何かしらの方法で術に割り込み、術の一部を上書きしたのだ。
古来数百年以上、上書きも改善も改良もされないほど、完成された術に、何かを割り込ませたのだ。
「ばけものか。天才などと言う言葉も温い」
既に完成された術に、割り込み、さらに書きを行うなど、ただの町の薬師には到底行えない行為だ。
あの女は一体何者だ。
どこで生まれた怪物だ。
そしてその怪物が、なぜ下町の片隅で、薬師などと言ううま味などほとんどない立場に甘んじた。
寒さ厳しい北の国で、それだけの術を使いこなす女など、誰しもが喉から手が出るほど欲しがる人材だ。
あの国は、魔法の力を選ぶために、学校まで作った国なのだ。
あれだけの女を、選定から漏らすはずがない。平民にまで魔力鑑定を行う国のはずだ。
「……あの女はどうなっている。やはり死んだか」
王は家臣の一人に問いかけた。あの女、と言われて即座に、主の求めた情報を察する有能な家臣は、しかし即答しなかった。
家臣の唇が引きつった。何と答えようか、と言いたげな雰囲気を放っている。
平素ならば無表情と言われるだろうが、あいにく長年の付き合いの王には、この家臣の思う事が多少はわかるのだ。
こいつ、何か隠しているな。
「どうしたのだ、即答できないなど、珍しいではないか」
「あの黒髪の女ですが……あの、実は」
口下手な男ではなかったはずだ、だが言いよどむとは珍しい。
余程、耳に入れたら怒り狂う中身なのか。
王は更に問いを重ねた。
「私の耳に入れられないような事態が発生したのか? この王宮でわたしが知らない事など、妃たちの生理周期くらいだと思ったが」
「……陛下は、女が突如男になったといっても信じますか」
「は?」
王は言われた意味が分からず聞き返したものの、直ぐにそれに該当しそうな術を並べた。
「認識操作か、それとも幻術の類か、世にも珍しい身体変化の術を心得ているか。なんだ、命がけで性転換の術でも使ったか。あれは一歩間違えれば体が変質し、死ぬと聞くが」
それを言った時、王の記憶の中に何かがよぎった。そう言った可能性を話し合ったのは一体誰だったか。戴冠以前なので、王子の頃だ。今は側近になった友人の誰かだっただろうか。
「……陛下はまあ、魔術の類に精通していらっしゃるから、その反応なのですね……」
時折、王子時代の、馴れ馴れしさが出てきてしまうその家臣が、ぼやいたように言う。
そうだ、とある友人が恐ろしいほどに魔術に精通しており、それの話を聞いていたせいか、大概の魔法に同時なくなった自覚はある。
その友人は誰だったか?
王は後で側近の誰かに聞いてみようと思った。
「あの黒髪、あの桃色の髪の娘から離れて数時間後、医務室の傍らで寝かせていたのですが……」
あれこれと並べ立てるよりも、いい言葉を思い付いたようだ。
家臣は簡潔に言った。
「起き上がったと思ったらもう男になって、今陛下への謁見を待っております」
「死ぬ手前まで、生き黄金の檻に、魔力も生命力も奪い取られているだろう人間が、謁見を待っているだと? 正気か?」
身なりからして貧しいとわかる薬師が、謁見を望んだから、それが叶うなど相当あり得ない事だ。
家臣でさえ、王への謁見には手続きも順番も、それを取り次ぐ人間へ嗅がせる鼻薬も多いのだ。
それを社会層の底辺である貧民街に生きる、薬師が望んで叶うわけがない。
「世迷いごとを言ったか」
「別段言っているつもりはない」
王の独り言に、あり得ない即答が響く。王は声がした場所を凝視した。
「な……!」
不意に声が聞こえるわけがない方向から、第三者の声が響く。家臣が絶句して己の影を見、その影からずぶりと一人の人間が現れる。
「あんたに聞きたい事があっただけさ、麦豊かな国の王」
女の時は結っていた黒髪は、背中を豊かに流れ、長い睫毛の、眼光鋭い瞳は紫の中に黒い闇をたぎらせ、白磁の肌もしらじらと、その男は立っていた。女物の衣装は、かなり詰め物で膨らませて調整していたのだろう。
そうでなければ、同じ衣装をまとうなどできるわけがない。男と女の骨格は大きく異なるのだから。女の腰の括れは、男が絶対に持てない物だ。同じようにコルセットを巻いたら、骨を折る。ただでは済まないと、王はどこかで聞いたような気がした。
あれは誰に聞いたのだ。
「俺様を忘れたか? はっ、その目玉も記憶力も飾りかい」
王は記憶を探った。突如家臣の陰から現れた男に、兵士たちもその場にいた士官たちも対応できない。
だがこの男、何やら王を知っている素振りだ。
誰だ、誰だ。
記憶を掘り起こそうとしている王に、男が鼻で笑う。
「目の前で豊穣の巫女をさらってやった恩を忘れたか?」
王は息をのんだ。
二十年近い昔の記憶が、蘇ったのだ。
「お前、阿呆の極みか? 豊穣の巫女に乱暴な真似をして、国が栄えたまま過ぎるわけがないだろう。計画は取りやめにしろ」
殴られた顎は全治一か月の重傷になった。
頭突きをされた額は割れて、発見した侍従が血まみれの自分を見て悲鳴を上げた。
「そんなに嫌なら俺様がさらってやるぜ。あばよ、友人オウジサマ!」
翻る、魔力の強さを表す、漆黒の長い長い髪。
「はっ……」
そうだ、この男は自分が、豊穣の巫女と結婚したくないがために、人を雇い巫女に非道な振る舞いをしようとした間際に、自分を殴り倒し、その腕で巫女をそのままさらっていった恩人だ。
おかげで、この国は滅びずに済んだともいえる、救国の存在。
そして麦豊かな国に単身留学していた、あらゆる方面に有能だった男。
自信過剰な部分があり、女性たちから若干嫌煙されていた男だ。
ああ、この男は。
王はかすれた声で言った。
「わが友にして北の魔人、ヴィザンチウス……」
「思い出すのが遅いじゃないか。お前がこの俺様の麗しい顔を忘れるなんざ、記憶力に問題があるんじゃないかい」
北の国の、とある一族に数世代に一人生まれるという、飛び切りの魔力を持った存在、魔人であるその男は、笑った後に言った。
「俺様は、お前の国に、巫女を返しに来たんだよ」