6 ねーちゃんたまには役に立ったんだ
食べ終わってこれから仕事に行くんだろう。ルー・ウルフが立ち上がった時に、一瞬だけかまどの炎が膨れたように見えた。
でもそれは一瞬の事で、やっぱり目の錯覚なんだろう。
「さて、ヴィは今日は店番をしなくていいよ、たまには私が出るさ」
「ってことは今まで貯めてたお金使っていいんでしょ」
「あんたの分だけだよ、それで亜麻を買っておいで」
「紡ぐのあたしなんだけどな」
「あんたがもっと一人前になったら、もう少しは薬のことを教えるさ、それまではうちの仕事はあんたの仕事だよ」
そりゃそうか。あたしは軽く家のなかを掃いて、ごみと一緒にルー・ウルフも外に出す。
「何でこんなに追い立てられているんだろう」
「市場は午前中で閉まっちゃうから。これから家の片づけして出て行って、やっと間に合うんだから、ルー・ウルフは仕事行って」
「市場に行くのか? 私は祭りの時は見た事があるんだが……」
「い、く、の!」
興味津々と言う顔をし始めた王子様は、どうやら日中は外出しない暮らしだったようだ。昨日は夜会に行かないのかとか聞いてたんだから、夜に出かける夜更かしの人だったんだろうか。
取りあえずさっさと家から出していると、隣の奥さんがこっちを見ていた。凝視してた。
そして王子様が裏道に走っていくと、あたしを見て叫んだ。
「まあ、ヴィ! あなたいつの間に旦那さんできたの!」
「旦那さんじゃないから。ちょっと訳ありで家に居候している人だから」
「優しそうな、いい旦那さんじゃないの。いくら強くたって人格がどうしようもなかったらだめよ、男だって相手に対して気遣いが出来なきゃ」
「一般的に他人に気遣いは必要じゃないの。……奥さん顔また腫れてるね。また喧嘩したの。今度は何で」
隣の家の奥さんは、美人なのだが、旦那さんとしょっちゅう喧嘩している。そして殴る蹴るの大喧嘩を三日に一回はしてて、二人とも顔のどこかが腫れている珍しくない。
それに、いざという時灼けた火ばさみで旦那さんを追い詰める、奥さんはとても強い。
「あの人ったら総菜屋の女の子に夢中になってて、通い詰めるものだから、叩いちゃって、その後はいつも通りの流れよ」
いつもの流れ、と言い切れる奥さんがすごい。普通言い切れないし、旦那と殴り合いはしない。と思う。
しかし隣家は笑いの絶えない家だし、聞こえてくる声も仲がよさそうだし、夫婦の相性ってよく分からない。
うちにとーちゃんはいないし。
「お互いを殴るのがいつもの流れなの、おかしいと思わなきゃだめだよ奥さん……」
「つい慣れちゃってだめね」
ウフフと笑う奥さんが、ポケットから小銭を出す。
「ヴィ、いつもの塗り薬をくれないかしら。あの人に塗ったらなくなっちゃって」
「自分じゃなくて旦那さんに先に薬を塗る奥さん、すごい」
そこは普通自分が優先じゃないのか、なんて思いながら、あたしは家の中に声をかけた。
「かーちゃん、隣の奥さんにいつもの」
「ちょうどよく熟成したのがあるよ、ほら」
かーちゃんが入り口であたしに手渡す。かーちゃんは仕事ちゅう以外は外に顔を出さないことが多い。
たぶんあたしが経験を積むためだ。人生経験と言う奴をである。
小銭と交換で薬を渡したあと、あたしはかーちゃんのお金の壺から、いつもの糸の値段分を取り出して、声をかける。
「じゃあかーちゃん、行ってきます」
「買い食いしたっていいんだからね、ヴィ」
「買い食いするなら塩漬け豚の樽の小さいの買う」
「あんたはぶれないわね」
あたしが座るように、庇に座ったかーちゃんは、顔を覆う布の奥で笑った。店番する時のいつもの格好だ。
「ついでに、市場で誰かに言っておくれ、今日は私が店番しているってね」
気軽な言い方だけど、これ結構大事な事だ。
かーちゃんが店番すると、薬の中身を相談したい人達が押しかけるのだから。
市場はうちのある細い、ぐにゃぐにゃした道を進んでいくと出る大通りで行われている。
目当ての物を探す人と、市場を楽しむ人が行きかっていて繁盛してて何よりだ。
あたしは目当ての物一直線で、いつもの場所に亜麻を出してるおじさんの所に行った。
「おじさん、いつもの」
「糸を買う気にはならないか?」
「だって糸は高いんだもの」
「まあ、ヴィくらい糸が紡げれば、そういうのかもしれないな。ほら、いつもの奴だ。今日は売れ行きが悪いから一寸おまけしてやろう」
「売れ行きわるいのに?」
「ヴィが買うのは普通売り物にならない所だからさ。かさばるくらいならおまけしたい」
「わあ、ありがとう。家に人が増えてね、糸ももっと必要になるからちょうどいいや」
おじさんはいつもの二倍の量を渡してくれて、思わず笑顔になってしまう。
「そうか。そうだ、さっきすごい格好いい男が、お使いしてたんだぞ。あっちこっちで。どうやら計算が早いから、お使いに出されたらしくってな。連れが横から色々言っていたが、子供にやらせるような事なのに楽しそうだった」
あれはいい所の坊ちゃんが、家から追い出された口だろうな、所作ってやつが違ってた、とおじさんが言う。
「もしかしたら、あれが噂の王子様だったりな」
冗談めかしているおじさんだったが、その可能性は大いにある気がした。ルー・ウルフ、市場に興味津々だったし、かーちゃんの親戚の所は人が多いから買い出しも多いだろうし。
世間ずれしたお坊ちゃんを慣れさせる感じで、やってそうだな、と思った。
様子を見に行こうかな、と思ったんだけれども、かーちゃんからの伝言の方が大事だし、伝言の後行列整理するのあたしだし、道草はしてられない。
あたしはおじさんに言った。
「今日はかーちゃんが店番してるんだ」
「なんだって! おい、隣の! 『魔女』が店番しているんだと!」
おじさんの反応は慣れていて、この声で市場の人たちがざわめくのも慣れている。
何人かがすでに、視界の隅っこでうちまで走り出してるし。
「そうだ、うちのばあちゃんが行くまで、『魔女』に家に引っ込まないように頼んでくれるか、足の関節が痛いんだ」
「とりあえず伝えておくよ、それじゃ、またね!」
あたしも急いで走り出す。実際、家の前ではすでに行列ができていて、庇でかーちゃんがぼろっちい我が家の椅子に人を座らせて、話を聞いていた。
その行列で喧嘩とかが起きる前に、あたしは荷物を家の中に放り込んで、家の中にあるとある立て札を持って、外に出た。
最後尾の人にその立札を渡す。
「ここが最後尾」ってかーちゃんの達筆で書かれた立て札は、後ろの人に順番に流れていく。道を通る人の邪魔にならないように、行列の人を折り返したりする、あたしの戦いが今幕をあげた。
これは、ねーちゃんの発案した事だったけど、ねーちゃん自身は日焼けするとか、疲れるとかいろいろ文句を言って、実際にはやらなかったことだ。
でもこれは、一回やった後から、ご近所で苦情を言われなくなったから、続けてるのだ。
それまでは、道で喧嘩が起きたり、道をふさいだり、知らない人が間違えてよその家に入ったりして、うちまでご近所の皆さまが文句を言いに来た。
ねーちゃんやるじゃん、と思ったのはこれだけで、これ以外でねーちゃんが役に立ったことはあまりない。
「勝手にほかの家に上がり込まないでくださいねー!」
あたしはさっそく、家を間違えたらしき人に声をかけておいた。