58 その体質は吉と出るか凶と出るか
そのうち、なんて遠い話ではなしに、あたしは春嵐の獅子のことを知る羽目になっていた。
彼が黙って寝転がって数秒、ぐうぐうという寝息が聞こえてきた後の話だ。
山賊らしき人達が、姿を現したのだ。
「おい、こんな山の中に女の子とろくでなしの男だぜ」
「ずいぶんきれいなお嬢ちゃんだな、って言っても手はぼろぼろか、あんた相当働き者だな、働き者はいい値段で売れるんだ、豪農のところの奴隷にな!」
姿を現した後、あたしたちが武器とかを持っていないのを一目で見てとった男たちは、ずかずかと近寄ってきて、ぱっぱと火を起こして、あたしの脇に座り込んだ。
あたしが逃げようとしなかったからだろう。
実際には、疲労で立ち上がる根性がなかっただけだ。
逃げるだけの体力があったなら、あたしは立ち上がって即座に逃げていた。
「賊相手に一人で立ち回ろうと思っちゃいけない。数の暴力は危険だからね」
というのが、旅を重ねたかーちゃんからの教えだったし。
山賊の一人が、座り込んで、こっちの顔を掴んで上から下まで眺めまわして、結構いい顔だと思ったんだろう。いひひと笑った。
「べらぼうな美少女じゃないか、国を三つ渡り歩いたってこんな美少女出てこない。いい値段だぞ!!」
「あたしなんて売ったところで二束三文にもならないわよ、諦めなさい」
あたしの口は滑らかに動いた。こういう時は、気丈にふるまって見せるか、怖がりまくった臆病者に見せるかのどちらかだ。
どちらも相手の隙をつくためである。
こんな真似ができるのは、山賊とは言いつつも、彼等はあたしに暴力を加えることはあまり考えられないためだ。
何故かと言えば簡単で、彼等が、あたしを商品として認識しているからだ。
商品に傷があればあるほど、売れないのは売り物の世知辛い定めで、あたしを売り物として見ている時点で、あたしに傷がつく事は出来ないのは、確定していた。
処女の方が売り物になる、ということも知っていた。
処女なら清らか、とか言うなぞの理由で、馬鹿みたいな金額を支払う物好きは、多いのだ。
神殿とか、高級な楼閣とか言うところとか。後、神聖なお姫様の奴隷も、処女でないといけないとか噂で聞いた。
だから、あたしがそうであるかわからないうちに、乱暴な真似はしないだろう。
処女なら確実に、ただの娘より三倍は、値段をつけられるのだから。
「その美貌で? そこらへんのご令嬢が、ぼんやり顔に見えてくるくらいの美少女顔で、そんな事言っちまうのかよ」
「あたしはね、もっと高い値段で、売り買いできる人の顔を知っているのよ。貴顔っていう物をね。だから自分の身の程位知ってる。あたしは売れない方なの」
ちなみに、貴顔というのは、あばたである。あばたは神様の力を受けているすごい力の持ち主に、多々見受けられる顔なのだ。実際、一回だけ見た事のあるその顔の持ち主は、とてつもない力を持っていた。
ねーちゃんだ。ねーちゃんはお年頃になるまで、たいそうなあばただったのだ。
あんなにもあばただったのに、攫うようなよこしまな奴が後を絶たなかったのは、歩く惚れ薬体質のせいだったと、最近になって知ったわけだ。謎は一つ解けた。
とにかく、だからあたしは姉妹の中では、売れない方、と言ってもおかしくないのだ。
嘘はついてない。
歩く惚れ薬体質な美少女とか、ものすごい高額で取引されそう。
春を売る人として、頂点になれる体質だ。
本人が選べば、の話で、ねーちゃんはそれを断固拒否したから、アスランがやってきていたのだ。
だから、あたしは、売れない側だ。
「おお、言ってくれるな、だったら売られる金額を聞いてからにしないか?」
「おあいにく様、あたしはどこかに売られるのは嫌だ。あたしは探し物がある」
ぱしん、と手を叩いて払いのけると、山賊たちは顔を見合せてにやりと笑った。
「ずいぶん気丈な女の子じゃないか、いい値段が付くぞ」
「娼館に入れればかなりの額になりそうだ」
「この顔だろ、そしてこの気位の高さだ、売れっ子にもなれる」
「人の運命を、勝手に決めないでくれないかな」
あたしはそう言って、懐に手を伸ばす。目当ての物はちゃんとそこに入っていて、男たちが次に手を出した瞬間に、それを突きつけようと身構えた。
そんな時だ。
本当に予兆なんてなしに、それが起きたのだ。
起きた、というのは始まった方ではない。
身体を起こしたのだ。
そこにいたのは、ちゃんと人間のはずだった。
だが。
起きたそれは、太い四つ足で立ち上がり、うるさいな、と言いたげにこちらを振り向いた。
ぱしん、と地面を不愉快そうに叩くのは、房のある尻尾だ。
しなやかな体は苔むして、豊かな鬣にはいろんな花が咲き誇っている。
猫科の何かにしか見えないその獣は、さっきまでアスランに似た彼が寝転がっていた場所から起きあがり、山賊たちと、山賊たちに囲まれているあたしを交互に見た後、ぐわりと牙をむき出しにした。
その牙の鋭い事と言ったら、知っているどんな獣よりも鋭い事が確かだった。
そんなものを見せられた山賊たちが、ひえ、と小さな声で悲鳴を上げたのも、仕方のない事でしかない。
轟、とその獣は雷に似た音で吼えた。
あたりがびりびりとしびれるようなその音は、圧倒的な強さを持っていて、山賊たちが一気に落ち着きをなくして、すぐさま立ち上がり、あたしのことなんてすっぽ抜けたような速度で逃げ出したのも、道理と思う位のすさまじい音だった。
「ひいいいいいい!!」
「く、食い殺される!!!!!」
「どこから出てきたんだ?! そこで寝てたのは人間だっただろう!?」
「じゃあ一口で飲み込んだのかよ?!」
「鬼一口って本当のことかよ!!!」
「逃げろ!!」
結構な場数を踏んでいそうな山賊たちが、その咆哮で一斉に逃げ出して、そしてあっという間に闇夜の薮の中に消えていく。
残されたのはあたしと猫みたいなそれで、そいつは不思議な瞳をあたしに向けて来る。
春の空のような光を放つ、ただの獣とも、曲々しい獣とも思えない双眸だ。
「春嵐の、獅子?」
彼が持っている力が形になると、こうなるのだろうか。
呼び掛けられて、それは日溜まりの光を放つ瞳であたしを眺める。
そしてしばらく、その双眸でじっとあたしを値踏みするように見た獅子は、あたしの方に歩み寄る。
あたしは座り込んだまま、一歩も動けなかった。
動けなかったけれども、この獣はたぶん、あたしを食べることはしないだろうな、と感じていた。
食べるのだったら、一気に飛び掛かって喉笛を締め上げて窒息死させるなりなんなりして、殺しているはずだ。
険しい山のユキヒョウとかトラとかがそんな感じだったから、それらによく似たこの獣もそう言った狩りをするはず、と経験から考えたのだ。
獣はぐるぐる、とあたしの体に自分の頭をこすりつけて、機嫌のいい猫のような音を立てた。
それでも、地響きしそうな音ではあったけれども。
そして、あたしがそのふさふさの頭に手を乗せた瞬間だ。
ばりり、と雷鳴に似た音が響いたと思ったら、彼があたしの膝の上でぐうすか眠っていた。
「……」
あたしは自分の手を見つめて沈黙した。
あたしは歩く解毒薬、あらゆる魔法を分解する体質。
……この人が獣になる魔法すら、分解してしまうんだろうか。
それを考えた時、それって相当な力なのではないだろうか、と今更のように背筋が寒くなった。