54 王子様は魅了の歌を歌う
あたしが順調に鶏を捕まえて行っても、問題はその後だ。
鶏と言う物は、捕まえられているのを嫌がって暴れる。
暴れ方が酷いと、慣れているあたしでも、脱走させてしまうのだ。
「うわっ!!」
五回目だったかな、鶏をがっちり捕まえていたのに、足元に他所の区域の子供がじゃれついてきて、あたしは鶏を手から離してしまった。
「こっけえええええ!!」
鶏は高らかな声とともに、あたしの腕から脱走して、近くで構えていたらしい、別の区域の男の人につかまってしまう。
男の人がにやっと笑った。
「あばよ名人!」
そんな捨て台詞を残して、鶏もろとも去っていく男。
「ふざけんじゃないわよ!!」
この暴言も毎年恒例、どこの区域でもやっているやり口だ。
確かに、捕まえる人間の人数制限はあっても、その人間を邪魔する人間の数に、制限はないのだ。
つまり、自分の区画の人じゃない人は皆、鶏を狙っているわけだ。
それに、横からかっさらう方面において名人という人が、一定数存在していて、あたしみたいな鶏を捕まえる腕のいい人を、付けまわしている人も結構いる。
もう、何回妨害を受けたか忘れるくらい、妨害を受けた後、あたしは呟いた。
「今年も何回とられたっけ……」
子供たちは、あたしの手から鶏が離れた後はさっと散っていく。
そしてほかの人を狙うのだ。
子供の作戦って結構簡単な中身で、でも絶対に侮れない。だって子供は、いろんな区域にいるわけで、皆結構大胆な事も出来てしまうのだ。
子供の小ささだからこそ、可能な作戦もいっぱいある。
がしがしと頭をかき回して、あたしはうなった。
いくら捕まえても捕まえても、色々な邪魔が入ってしまって、自分の区域の檻まで、鶏を運べないのだ。
運んだ数も結構だけど、妨害された数がそれを上回ってしまったら、今年も優勝を狙う事は難しい。
出来れば、他所の区域の妨害にアスランが回りまくっていて、鶏がまだこの時間でも、あちこちに逃げていれば……と思う。
追い掛け回す区域の目印の、大きな時計。その時計の針が、捕まえる時間がこくこくと減っていることを告げて行く。
「大変だ!!」
あたしが、どっちののろしを追いかけるか、と考えていた矢先の事だ。
アスランが、すごい勢いで走ってきた。
「どうしたの、そんなに息きらして」
「区画の檻が壊れた」
「はあ!?」
「他所の区域のやつらが、鶏強奪に動いたらしい。聞けば、時間が迫ってきたら檻を狙ってくる奴がどこにでもいるんだってな?」
「まだそんな時間じゃないのに!」
去年も一昨年も、もっとぎりぎりになるまで、その禁じ手を使う区域はなかった。
なのに、まだこんなにも、追いかける時間があるのに、他所の区域の檻を狙ってくるなんて!?
おどろいて目を見開くあたしに、アスランが苦い顔で言う。
「最初の三分の有利が、どこの区域にもないから、どこも体力が限界になりつつあるんだってな。おれが突っ込んで言った責任は多少ある」
「そんな事言っている暇があったら、檻が壊れて逃げ出した鶏を捕まえなきゃ!」
「実は捕まえようとして、全部に逃げられた……」
「アスラン!!! なんで自分が鶏に嫌われてるのに、わざわざ逃げ出される事しちゃったの!」
アスランが肩を落としたけれども、さすがに突っ込んでしまう。逃げられるって分かっていたじゃないか。なのに捕まえようと近付いてしまったのか。
どう言えばいいのかわからない感情が、あたしを支配した。
そんな時だ。
「ヴィ!! 大変だ、区域の鶏が全部逃げて……!!」
ルー・ウルフもあたしを見つけて走って来る。そして困った顔で言う。
「今から鶏全部回収は難しいと、おばさんたちが言っていたんだが」
「ああそうだろうよ!」
ちょっとやけっぱちな声が出たあたしに、彼がすごくけろっとした声で言った。
「ずっと走っていてわかったんだ、あちこちの区画の檻とかも見て。そこでわかったんだ。このお祭り、要は鶏を一番多く、檻の中に入れてしまえば勝ちなのだろう?」
「そんな簡単に言わないでよ……」
それが簡単にできれば苦労しないんだって、言おうとした時だ。
ルー・ウルフは、すごく朗らかな笑顔で、言い切った。
「鶏を呼び寄せてしまえばいいだけなら、とっておきがあるんだ!」
あたしは正直、そんな無茶な事できないだろう、って思ったので、話半分で返した。
「できたらね」
「ああ。人間何かしら役に立つ特技はあるものだな」
嬉しそうな顔をした元王子様が、その整いまくった顔立ちを、柔らかく甘い色で笑顔にする。
「あの男の人素敵じゃない?」
誰かが言うのが聞こえたと思ったら、それが始まったのだ。
「La……」
あたしの知らない発音が、彼の口からこぼれた。よく響く声は、純粋な音として聞いていて、すごくすごくきれいな音だ。
それがゆっくりと、まるで舞台の上か何かみたいに、ゆったりとした歩幅で、うちの区画まで歩き出したルー・ウルフの口からこぼれだす。
その音があまりにも綺麗だから、いろんな人の動きが止まる。
その音があんまりにも、美しいから、老いも若きも手や足が止まる。
あからさまなくらい、泣いている赤ちゃんとかも、泣きやんでしまう。
それくらい、きれいできれいで、誰も聞いた事がないくらいの歌声を響かせて、ルー・ウルフがゆっくりと、腕を伸ばした。
伸ばした腕の先の建物の屋根の上には、逃げ出して、誰にもつかまらなかったらしい鶏がいる。
ばさっ……
その鶏が、羽ばたいた。羽ばたいて、まるで小鳥か何かみたいな調子で、ルー・ウルフの手の甲にそっと舞い降りた。
鶏に舞い降りるなんて表現を使う日が来るとは、思ってもいなかった……
そして。それを皮切りに。
あっちこっちから、鶏……それもどう見ても雌鶏……がふらふらと近付いてきたのだ。
まるでルー・ウルフがとんでもなく魅力的な雄鶏みたいに。
ふらふら近寄ってきたり、大急ぎで近付いてきたり。
とにかく、今日追い掛け回されていたはずの鶏の中の、雌鶏という雌鶏が、元王子様の方に群がってきたのだ。
そうなると、雄鶏が黙っているわけがない。
雌鶏を追いかけて、わらわらぞろぞろ、集まって来る。
ルー・ウルフは歌う。
高らかに、のびのびと、一つも歌詞のない歌を、辺り一杯に響かせて、鶏を集めて行く。
「嘘でしょ……」
うちの区域の檻の方に、ゆっくり歩いていくその背中を追いかけながら、あたしは見ているものが信じられなさ過ぎて、突っ込んだ。
「ルー・ウルフ、いつから鶏呼べるようになったの……」
「あいつお前の何なんだよ!」
突っ込むあたしに、誰かが突っ込んだ。
「なんであんたそんなに冷静でいられるんだよ! うちの区域の檻から、鶏皆逃げ出しちまっただろうが!」
誰かはそう言いながら、元王子様の後を追いかける鶏を捕まえようとして、その鋭いかぎづめに引っ掻き回されて、呪いの声を吐き散らしていた。