52 春嵐 ニワトリにげた、どこにげた
そして数日、どういう風にあたしたちが鶏を追いかけるかで、入念な打ち合わせがあった。
打ち合わせなしに、勝利は収められないのだ。
全てはご馳走をお腹いっぱい皆で食べるため。
その目標は何年も皆が掲げて、でもほかの区域の方が若くていきのいいのが多いから、かなわなかった望みだ。
ちょろちょろできる青年や娘が少ない区域にとって、かなりの悲願だった。
そしていよいよ、お城からのお知らせで、何日後に春祭り……ほかの国の季節では初夏……が行われるか掲示された。
これにより、いよいよあっちこっちの人たちの、いさかいとか揉め事が多くなっていく数日だ。
うちの区域にはいないんだけれども、他所の区域の有力な若い人に、何かしらのわいろを渡したり、怪我をさせたりして、勝算をあげようというところは多い。
どこだってお腹いっぱいにお城のご馳走が食べたいのだ。
それと、うちの区域では考えられない、去年もいい成績を収めたから、今年も収めなくっちゃいけない……とかいう考え方だ。
うちはそれ以前の問題で、何しろいつでも結構低い順位をさまよっている。
お祭りで追いかけられる人間が少ないから仕方がない。
小さな子供がいる家は、子供の見張りをしなくちゃいけない。お祭りにかこつけて、子供をさらっていくよからぬ輩はとても多いし、近所でも数人毎年さらわれているから、これに警戒しないわけがない。
子供なんて攫って何にするの、とかーちゃんに一回聞いた事があるけれど、かーちゃんは何にも包まない事実を言った。
「子供は扱いやすいからねえ。なんでも仕込みやすいんだよ」
その言い方はとても怖かったから、もっと深く問いかける勇気は沸いてこなかった数年前だ。
……ねーちゃんも結構さらわれそうになってたものなあ、と今考えれば、あれは人さらいの一種だったと思う人たちの事も思う。
ねーちゃんはやっぱり魅了体質で、そういう人さらいに狙われている自覚があったんだろう。
なんとも言い難い。
さてそんな事は後回しにして、あたしや近所のお兄さん、ルー・ウルフとアスラン、その他肝っ玉なおばちゃん数人が、うちの区域の代表だ。
代表には腕に印がつけられている。これは区域ごとに決められた色で、シンボルカラーでもある。
あたしの暮らす区域のシンボルカラーは、黒と白のみつあみだ。
二本が白、一本が黒と言う物を編みこんでいる。
余所の区域はもっと華やかなシンボルカラーの腕飾りをつけるけれど、うちは色々な色で染めた糸や紐を手に入れられない人が多いから、洗いざらしで白くした麻に、炭で真っ黒にした麻を使う。
「見ろよ、今年もあの区域は勝てない面子だぜ」
「かわいそうになあ、あの区域には若い男が少ないんだ」
「毎年勝てないんだから、参加しなくていいのに」
「まあまあ、俺たちがお祭りの時なら食べられるものだって、あの区域の人間には食べられないご馳走なんだ、考えてやれよ」
「じゃああんたたちは勝ちを譲るのか?」
「勝負事と同情は別物だろう」
あたしたちの顔ぶれを見て、そんな事を言っている他所の区域の人たちは、まあ毎年同じ発言をしているから、うちの近所をどう思っているかよくわかる。
魔女とまで呼ばれて尊敬されている薬師の、機嫌を損ねるかどうかなんて言う物は、医者にかかれる人達にはどうだっていいのだ。
それに、自分たちよりみじめな人を見て喜ぶのが、集団心理とかーちゃんが断言していた。
自分が底辺だなんて思いたくないのだ、人間なんだよ、って言われた事も何度か記憶にある。
「にしても、他所の区域の人たちは、見事に男ばっかりだな」
「男の方が持久力があるし、スカートのすそを気にしないで走れるからね。それに人を押しのけるのだって、こういうお祭りなら男の人の方が有利だ」
「女の人だって十分に強いだろうに」
「強くても、子供の面倒だったり、このお祭りでふるまうご馳走の準備だったりで、参加できない女性の方が多いんだよ、どこのお母さんも料理に一生懸命なんだ」
「へえ……」
ルー・ウルフが、色の濃い隈が浮いた顔でいう。
「それよりも、ルー・ウルフ、貴方大丈夫なの、顔色が酷い」
「今日のお祭りに参加するために、三徹で計算をしてきたんだ。絶対に勝ったものの個数と値段が合わない、という事になったから、今は依頼者側が明細の数を調べている。私は明細の数に関わらない事にしているから、今日は出てこられたんだ。朝日が眩しいな」
「倒れないでよ? 鶏追い掛け回しだしたら、誰も助けられなくなっちゃうんだからね」
「肝に銘じておく。具合が悪くなったら壁際に隠れるものだと聞いたしな」
「いざとなれば、ヴィザンチーヌ殿あたりが様子を見に来て、回復するような薬を飲ませて、追いかけろって尻を叩かれると思うけどな」
アスランも、見てきたように言う。
あたしもそれを聞きながら、毎年お祭りのルールを説明するお役人の声に耳を傾ける。
ルールは明確な物で、百匹いる鶏を、お城の鐘が夕方の鐘を告げるまでに一番多く捕まえた組が優勝。準優勝と三位には、多少の賞金。優勝した区域は、お城の庭園でお腹いっぱいご馳走を食べて、賞金をもらって、区域の事で一つだけ、叶えられるお願いを王様に願うことを許されている。
うちの区域はとにかくご馳走目当てだが、他所の区域はこのお願いを使って、区域をより豊かにすることを願うらしい。
鶏の首には、一定の範囲にしか出て行かないようにする首輪が付けられていて、その外に脱走することを防ぐ仕様だ。
ついでに言えば、他の区域の鶏を強奪するのも、ありというかなり乱暴なやり方もある。
さて、そんな風に追い回される憐れな鶏は、とさかもシンク、体は茶色と緑、尾羽は玉虫色に輝くきらきらの鶏だ。
お城でお役人が大事に大事に飼っている鶏は、このお祭りのために足腰を鍛えられている。
なかには、お役人になつきすぎて、町の人に近寄ろうともしない奴もいるらしい。
今年のお役人の妨害はどんなものだろう。
そう、このお祭りはお役人もライバルという、なかなか油断ならないお祭りなのだ。
お役人は、盗まれた鶏を取り返すぞ、という立ち位置。町の代表は皆泥棒。なかなかにみつどもえな感じである。
お役人が一番鶏を集めた時は、お役人に報奨金がつくらしい。
皆血眼になって鶏を集めることが、ここで想像できるだろう。
「きれいな鶏だな、あれを二匹小脇に抱えるのは大変そうだ」
「鶏って猛禽だからね……」
「猛禽だろうか?」
「足とか見て見なよ、あの鋭いかぎづめとか。あれで結構深い傷になったりするんだよ、だから若い女の子は、このお祭りで鶏を追いかけるのあんまり好きにならない」
「嫁入り前に、痕になる怪我をすると、かなり色々言われるからなあ。傷があってもなくても、女の魅力なんて減らないだろうに」
「アスランの考える魅力はどんな風だ?」
「鋼の背骨。いざという時はやる。相手を見くびらない瞳」
「……それはかなり男性的な魅力のように聞こえるんだが」
「男も女も魅力になるものは、大して変わらねえんだよ」
そんな会話が行われて……いよいよ鶏が一斉に解き放たれる。
この瞬間が一番気が抜けない。
だって興奮状態になった鶏と、それを一斉に捕まえようとする人たちの大混乱になるからだ。
数年前には、選手と観客がもつれて将棋倒しになって、大怪我する人が結構出たのだ。
「あんたたち、わかってるわね? この状況では深追いは厳禁だよ。人間に踏まれた方が痛いんだからね!」
近所のおばさんが言う。鶏を捕まえる達人だ。
ただし子供が泣いていると聞くと、そっちに行ってしまうから、時々鶏をよその人にかっさらわれてしまう人である。
「わかっている。もみくちゃになった後、鶏は一斉にあちこちに転移するのだろう。私たちが行動を起こすのはそれからだと聞く」
お祭りの中身をしっかり聞かされた、こう言った事に縁のなかった王子様が、頷く。
「そう。解き放たれて三分間だけ、鶏はこの場所をウロチョロする。そして三分経ったら、人間につかまっていない鶏は、範囲の中のあちこちに転移するんだ。私たちが狙うのはその飛んで行った鶏だよ!」
ちなみに、うちは追いかける専門と、居場所を探す専門に役割分担して、選手を配置している。
去年まではあたしとおばさんだけが、鶏を追いかけまわしていたけれども、今年は二人増えたし、二人ともやる気に満ちているから、行ける気がする。
「さて、アスラン! あんたはあの人の群れの中に飛び込むんだよ、三分の中で、一匹位あんたなら捕まえられるだろう」
「あいわかった」
柵の中の鶏たちは、各々こけっこけっと鳴いている。これからの大騒動の運命を知らなさそうだが、あれで何年も追いかけられている達人の鶏もいるはずだ。
茶色の頭に濃い緑の胴体と、玉虫色の尾羽の鶏たちは、ひしめき蠢き、なんだか別の生き物のようにも思える。
「では、はじめ!」
鶏たちを囲っていた柵が、お役人たちによって一斉に外される。
わっと群がる選手たち。うちの代表として、アスランを突っ込ませたのだけれども、そこで事件は起きた。
「こげえええええええええ!!」
「ごっごっげーーーーーー!!!」
アスランが突っ込んで言った瞬間に、鶏たちがまるで天敵を見たかのように狂乱してみた事もない暴れ方をして、すさまじい勢いで飛んだり跳ねたり逃げ出したりしたのだ。
「ええっ!?」
アスラン、人間にも怖がられるけど、鶏にも怖がられるのか!?
あまりにも鶏たちが、必死になきさけびながら逃げていく。
アスランもその勢いに押されて、他の区域の人たちもおんなじくらいびっくりしていて、三分経っても誰も鶏一匹捕まえられなかった。
「……元気出せよ、鶏も好き嫌いがあるだろ?」
どこかの余所の区域の人が、哀れんだようにアスランの肩を叩いていた。