48 春嵐、食べ物は皆で食べるもの
そこまで話が終わったから、あたしはかまどの上から下りて、ごはんの支度をする事にした。
凍りかけのライ麦パンの欠片をしゃぶりながら、火加減を調整していく。
調整しながら上着を着て、靴をちゃんと履く。手櫛で髪をまとめて、一つに縛る。
昨日の夕飯の残りである、スープは外で凍っているだろう。
あたしは男二人に指示を出す。力の強い人がいるんだ、やってもらおう。
「外の桶から、スープ取り出して、食べる分かち割ってきて」
「どれくらいだろう」
「適当だろ、そんなもの。それにしても、このあたりは外で食い物凍らせてても、盗まれないなんていい治安だな」
アスランは一体どんな殺伐とした環境に暮らしてたんだろう。
軒下に隠しておいた、大事な食べ物も奪われるってかなりの場所だ。
叩き割ったスープを煮直して、パンくずも入れて煮たてたあたりで、ようやくかーちゃんが起きだしてきた。
「あんたの母さんは寝坊助だな」
「かーちゃんは夜に調合しないといけない薬が多いから、夜更かしの人だから仕方ない」
結果の話だ。あたしはやってきた兵士の人にこう言った。
「ねーちゃんが地方で厄介な病気にかかって、その請求がうちに来ている。元々血のつながった家族だ、病気で苦しんでいたなんて、知らなかった事、そして無かったことにはできないから、薬草園に行くよりもまとまったお金が欲しい。」
聞いた兵士の人は、この子は一体何を言っているんだろう、と言いたそうな顔になった。
そりゃあこれだけを聞いて、お金を払うなんて思われないだろう。
しかし、ねーちゃんの問題な体質のことも、アスランの力のことも、滅多な事じゃ言えない中身だ。
秘密にして、墓場まで持って行かないと後々苦労する秘密でしかない。
つまり、どこの誰に喋るかわからない兵士になんか、とても言えない部分なわけだ。
「この事をオウサマに伝えてください」
丁寧に頼むと、兵士は二人、顔を見合せて、ちらっと外で近所の荷物運びを手伝っているアスランを見て、去って行った。
きっとアスランが請求に関わっているということだけは、理解したんだろうな。
そして数日後、うちに皮の袋に入れられたものを、兵士の一人が届けに来た。
陛下はかなりあきれてしまったらしいものの、うちにお金を届けてくれたわけだ。
「高々百枚ぽっちとは、冗談みたいな安い金額だね」
「かーちゃん、金貨百枚って、うちが十年は食べていける金額だよ!?」
ときどきかーちゃんから、飛び出す衝撃の金銭感覚は、やっぱりかーちゃんが結構良いところの出身だったんだろうな、と実感させられる。
かーちゃんの親戚あれだもんな、と納得してしまいながら、あのおじさん、最近こっちの様子をうかがいにちょくちょく覗きに来てるんだよな、かーちゃんに言っておいた方がいいのかな、という風に思考が少し脱線する。
「こういう国家の一大事に発展するものを解決した人間には、もっと豪華な褒美が出てくるはずなんだよ。どうせヴィオラの支払いがそこまで高額じゃないと思われたんだろうよ」
「金貨百枚か、ここまでくる道中の経費で三分の一がなくなるなあ。やっぱり足りないぜ」
「何でそんなにお金がかかるの、旅って。かーちゃんそんな大金もって地方の薬草仕入れに行かないよ」
「そりゃあ、私は近所の知り合いだの、荷車に乗せてくれる商人の友人だのがいるから、安く済むんだよ。これが一人で何でもかんでも解決しようとすると、大変な金額になるものさ。ましてこっちの男は、ヴィオラと違った意味で、他人の目をはばかるように、旅をしなきゃ安全じゃない特殊技能だからね」
「あんたそのあたりよくわかってんな」
「私はそれの専門の勉強も東方でやってきたんだよ、詳しさは、この地方出身にしてはかなりのものさ。専門にしている奴らよりは、はるかに下だけれどね」
かーちゃんが豆をはかって入れている。この豆は、兵士が出て行った後を見計らったように、ダニエルの家から届けられてきた。
一家の跡取りの命を救ってくれた、大切な恩人たちに報いるなら、こういったものの方が、喜ばれるでしょう。
これだけではとても足りないから、毎月色々なものを送らせていただきます、というわけだった。
ダニエルの家の対応がびっくりするくらい丁寧で、届けてきた人たちもいい人たちで、トーラさん、つまりダニエルのお兄さんは、家にとってとても大事な人だったんだな、と改めて実感する。
そりゃあ、ダニエルが死に物狂いになって助けようとする人だ、人柄は推して知るべしってわけかもしれない。
その婚約者は大問題な女の子だったけれども。
余所の家の教育に、口を出すってのは違うものだから、ダニエルの家もそうなんだろう。
もしかしたら、婚約者の気質に困っていたかもしれない。
「気前のいい豆の量だ、近所に配って皆で食べよう」
豆の袋を見上げて、かーちゃんが言い出す。
事実気前が良すぎる。豆の袋は、積み上げていくとあたしの背丈分の高さと、あたしの横幅五つ分くらいありそうだった。
「こういう時、大きな秤が欲しくなるね、ああ、壊されるんじゃなかった」
かーちゃんが残念そうだ。確かに、うちは壊れるまでは、大きな古めかしい秤があったんだ。
あれも壊されたのか、どっか行っちゃったよな。
「そうだね、あたし今から皆に知らせてくる!」
あたしは当然のことだから立ち上がって、どこまで知らせてこようかな、隣三件は絶対だよな、と思いつつ、豆だから皆大喜びだ、なにせそろそろ皆ジャガイモも買えない……と言う事実を思う。
実は、このあたりに住んでいる住人達は、春が始まる少し前というのは、皆食べるものがなくて、空腹で夜も眠れないのだ。
豆とか色々手に入った、これは謝礼だ、皆で食べよう! と言えば、皆喜んで知り合いを呼んでくれるだろう。
「独り占めという考えは、あなた方にはないのか?」
「このあたりは、厳しい世界でね、ルーウルフ。この街の底辺の場所で、食べ物を独り占めしてしまったら、いつか自分が苦しめられる時、誰も手を貸してなんてくれないのさ」
「パンなどは独り占めしている様子だが」
「ばかだねえ、こういった場所では、暗黙の了解ってものがあるんだよ。皆で食べるもの。皆で食べないもの。皆そんなのよくわかっているのさ」
ルーウルフにはその微妙な境界線がわからなかったらしい。
難しい顔をして問いかけてくる。
「その加減は」
「状況によるよ。今は一番、このあたりの皆がおなか好かしている時期だもの。そういう時にこんなにいっぱいの豆とか蕎麦の実とかもらったのにため込んで隠してたら、そりゃあ恨まれるでしょ。これがもっとあったかい時期だと、皆色々持ち寄るんだけど」
あたしの言葉は、元王子様にとって驚きの事実のようだ。
「食事に招待されているのに、食べ物を持ち寄るのか」
「そう。食事に招待されて、食べるだけってのはこのあたりじゃありえない。なんかしら持ってくる。青菜でしょ、じゃがいも、豆、麦、かぶ、魚、何かのお乳、皆集めて何かいっぱい作る。それで集まった人たちが皆満足するだけ食べるのが、このへんの食事」
それって滅多にないものなんだろうな。ルーウルフが呆気にとられた顔で聞いていたもの。