46 春嵐、豪雪の中来た、その事実
「知ったら後戻りのできない知識だぜ、嫁さん」
男の人が笑うように言い出す。
あたしは言い返した。
「人の頭の上でやいのやいの言われて、ちんぷんかんぷんなの、すごく嫌。嫁にしたいとか対等になるとか思うんだったら、そういうこともちゃんと言いなよ」
「おお、一本取られたな」
けらけらと笑った男の人だったけど、ここでルー・ウルフが言った。
「あなたに話してもらわなくても、私が教える。あなたは今日の宿を探した方がいい」
「ここに泊めちゃくれないか」
「……じゃがいもの在庫はどれくらいあっただろうか、ヴィ」
男の人のお願いに、ルー・ウルフはあたしとかーちゃんを見て聞いた。
「じゃがいもの在庫が足りなくて、夕飯がひもじくなるのだったら、私は仕事先に何か恵んでもらいに行くのだが」
あたしはすぐさま、食料棚のじゃがいもの量を確認した。
袋に半分。いつもこれ位は、かーちゃんとあたしと、ルー・ウルフが一食で食べきってしまう量だ。
それから、かーちゃんが親戚の家から山のように渡された葉物野菜の酸っぱい漬物。
キノコの酢漬け。これがおいしいんだ。歯ごたえも絶妙で、親戚の家の保存食名人の腕が確かだって実感する。
それから、何と驚くなかれ、我が家で見た事がないような黒い、ライ麦パンもいっぱい貯め込んでいる。
かーちゃんの従兄のおじさんが、家に戻るんだったらと、たくさんくれたのだ。
かーちゃんと二人暮らしでも、ルー・ウルフの収入が追加されても、こんなにたくさんの食べ物が、我が家に詰まっている事ってなかった。
持つべきものは、食べ物を融通してくれる親戚なのかもしれない。
「今日泊めるくらいだったらあるよ。おじさんが豪華なもの一杯くれたから」
「じゃあ、お泊り。あの馬鹿娘を助けた男を、もてなせない理由は、なくなってしまったからね」
かーちゃんが茶目っ気たっぷりに言い切って、本日男の人は、この家に泊まる事になった。
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客間かかまどの上か。お客様を寝かせる時はどちらがいいか。
お貴族様的には、客間と言われる場所なのだろう。
だがうちでは事情が違う。何て言ったって一番いい寝床は、火を使った後の温かいかまどの上なのだ。
そこを譲るか譲らないか。
ルー・ウルフはほとんど家族だから、譲ったりするとかは発生しない。一緒に寝る。
しかし、あたしを嫁さん候補にしている男の人と、同じ場所で寝るのってちょっとどうなんだろうとか、思ってしまったあたしがいた。
ねーちゃんの恩人なのはわかっているし、もしかしたらあたしやかーちゃんの命の恩人になるかもしれない人だ。
今までは、歩く解毒薬の作用とか、スープの作用とかで、貴族の男の人たちが正気に戻ったと思っていたけれど、彼が言うには、彼がねーちゃんの魔力を封じたかららしいのだ。
もしも、スープを飲ませても、あたしが近くにいても、お貴族男子がまともに戻っていなかったら、きっとあたしたちは今ここで息をしていない。
役立たずの魔女とその娘、もしかしたら惚れ薬を作った悪の張本人とか言われて、酷い噂とともに処刑とか、あり得たかもしれない。
結果として、どうであれいい方向に進んだから、あたしたちは生きているけれど、もしもは一杯転がっているものなのだ。
そう言う相手だと思うと、むげには出来ない。
でもこの人が、ねーちゃんの力を封印したから、皆解決したって断言するのは、ちょっと早計だったかな、と寝床の事を考えながら思ってしまう。
嘘をついている人じゃないとは思うのだ、だが真実をきちんと話しているか、と言われたら。なんとなく、はっきり言えない物がある。
……でも、だ。
あたしは男の人の顔をよくよく眺める。この人は、このあたりの村にもいない人だっただろう。だって奇跡使いと言う物を知っているかーちゃんが、この男の人が近くの村にいた事がないと感じている様子だからだ。
あたしはほかの村とか街に行った事は一度としてない。記憶にある限りない。
そしてこの街は、深い雪に閉ざされていて、周囲に色々な噂が広がるのだってとても遅いし、実際にほかの国に、まだねーちゃんの悪評は届いていない筈なのだ。
この国の雪は、一年分の噂を閉じ込めるのだ。他の地方の商人に、そうやって皮肉られる事も多いほど、この北の国の雪は分厚い。
その結果なのかどうなのか、この国の流行とかは、他の国からかなり出遅れるし、流行に追いついたと思ったら、もうほかの国ではすたれているなんて珍しい話じゃない。
ここの雪は、それだけ色々な物を遮断する、恐ろしいものでもあるのだ。
この雪のおかげで、他の国と戦争が長引く事はないらしいけれど、あたしは詳しくは知らない。そう言う事情を知る機会がないから。
お貴族様とかは、他の国の流行とかにもとても敏感になるけれども、庶民はあんまり敏感じゃないから、流行に乗り遅れても、あまり苛々しないけどさ。
話が少しそれたな……あたしは男の人の目を見ている。偽りなく、おいしそうにあたしの作ったスープを飲んでいるし、黒パンもほおばっている。
膨れた頬と、食べられてうれしいと語る瞳の色は、偽物には見えない。
ねーちゃんと違って、このご飯に不平不満を並べる人ではなさそうだ。
それにしても、幸せそうに食べる人だ。
「あなた、お腹いっぱい食べる事って滅多にないの」
「そうだな、周りよりもかなり食べるせいで、客人として歓迎された事は一度もない」
貧しい家の食料を空にする客人は、かなり嫌われる、というのが常識である。
お伽噺とかで、食料を食べつくした聖者がもっと素晴らしい贈り物をする事は多いが、現実問題としては死活問題でしかない。
食べさせた後、その家が飢えて死ぬなんてありきたりすぎる。笑い話にもならない。
幸い今日は、食料がいっぱいあるから、まだ困った事にはならなさそうだし、この人はたぶん、もううちで食べさせられないと事実を言えば、自分で食べ物を探してくる根性はありそうだ。
男の人がスープを飲む手を止めた。それからあたしを見て、問いかけて来る。
「何か質問がありそうな顔してんな」
「ええと、ないわよ」
本当はあったから一寸どもってしまった。
「嘘が言えない顔してるな、可愛い。上手に騙せない奴は、嘘をつかない方がいいんだぜ。そっちの方が可愛い」
「あなたの好みの話をしているんじゃないのよ」
「そうかよ。で、何が言いたいんだ? おれが答えられる事だったらいくらでも喋るぜ」
「あなたがねーちゃんの力を押さえたから、ねーちゃんの体質に夢中だった人たちが、正気に戻ったっていうくだりが、信用できそうで納得出来ないから、色々考えているの」
「その答えなら簡単だ、この死にそうに寒い雪の中、今生身のおれがここにいる、そしてほかの町では知らないはずの、あんたを名指しした、それが大きな答えになるぞ」
「……まあそうだろうな」
不意にルー・ウルフがそれに同意した。同意してしまう理由は一体何なのだろう。
「もっと季節が温かくならなかったら、他所の町では知られない事を、詳しく知っている、この街の外の人間。
その事は、つまりどういう形であれ、ヴィオラ嬢との接触があった人間、ということだからな。そして奇跡使いという、知られたら後が怖い職を口にして代金を求めるなど、詐欺にしては勝算が薄すぎる。
まして雪にまみれて死ぬ危険性がある季節に、わざわざ命がけでやって来る……それはつまり主張が事実、というわけだ」
ルー・ウルフが言う通りなのだ。
色々な情報が遮断される中、あたしという人間を指名するのは、あたしを誰かから聞かされていなければできない。
薬草採取以外で街の外に出ないあたしを、ここから遠く離れた場所に暮らす人が、詳しく知るためには、あたしを知っている旅の人から聞かなくちゃいけない。
この場合、その旅の人として一番可能性があるのが、ねーちゃんなわけだ。
つまり、ねーちゃんからあたしのことを聞かなくちゃ、この人はあたしの存在を知る事はなかったはずなのだ。
それに、だいたい……詐欺するんだったら、もっといい季節にやって来るだろう。
雪が深すぎて、雪の中に落ちて凍死する人が後を絶たない季節に、あたしを探して遠方からやって来るなんて言うあたりで、どこまでも命知らずか、よほど住んでいる場所にいられないかのどちらかだと想像できる。
そしてこの人が言っている事を縫い合わせていくと、彼の言っていることが事実だと明らかになるわけだ。矛盾がない。
色々消去法で考えていってやっと、この人は事実言っているんだろうな、と納得する。
それでもやっぱり、代金扱いは納得してないし、嫁も考えたくない。あたしにはまだ早い。
「まだ春嵐の事聞いてないし」
「知らない方がいい事実だけれどな」
「隠すんだったら絶対に嫁になんか行ってやらない」
隠し事があるって分かっているだけで、結構仲良くなれないと思うのはあたし個人の考え方だろうか。
隠し事するなら隠している事さえ気付かれるな、と思ってしまう。
「怖いなあ、それ位逞しくなきゃ、嫁じゃねえな」
男の人がけらけら笑う一方の、ルー・ウルフがしかめ面で言った。
「あなたはヴィに失礼すぎる。嫌がる女性を娶ろうなど」
「なんだ、坊ちゃん。奇跡使いが嫁を貰えるのは、これまた奇跡なんだぞ、浮かれなくてどうする」
彼の言い方に、ルー・ウルフが黙った。奇跡使いは結婚できないんだろうか。
ああ、さっき言ってたことを考えるとそうだ。
正体がばれれば街から追い出される人間を、好き好んで結婚相手に選ぶ人はあまりいない。もともと知っていたら絶対に選べない。
奇跡使いってきっと血で続く職業じゃなくて、誰か跡取りをさらってくるような生き方なんだろうな、もしくは呪いじみたものに巻き込むか。
「一人寂しく街から追い出されるよりも、可愛い嫁と旅暮らし、だと思ってた方が気分がいいのはおれだけかい」
「気持ちはわからなくもないけど、自分がその相手だと思うと微妙」
「嫁さんは正直だな、それ位はっきり言われた方が気が楽だ」
そこで、今まで黙っていたかーちゃんが口を開いた。
「さすが春嵐だ。思い切りがいいね。……だけどあんた、ここでどうやって暮らしていくつもりだい。何か手に職があったりするのかい」
「春嵐の飯は憎悪と悪夢だ。これだけ人間が多い場所なら、それをいくらでもむさぼれる。それにおれは何でも屋だからな」
「表向きは何でも屋?」
「そうさな。薪割から赤ん坊の世話までなんだって。ただし暴力と殺人はお断りってな」
この人赤ちゃんのお世話とかできるんだろうか。
あたしはつい、男の人らしからぬ器用さなんだろうな、と思ってしまった。
「ははっ」
かーちゃんが噴き出す。おかしくて仕方がないと言いたそうだ。
「赤ん坊や幼児は純粋だからねえ。危害を全く加えない春嵐の獅子ならば、懐きそうだ」
「あんた言い方にかなりのとげがあるな」
「私の知る限りの春嵐の獅子が、ここまでの、のんきものだった事は一回もないからさ。何かに騙されているんじゃないかと思いそうにもなるんだが、……さっき見たものは事実だしね」
ご飯はそうして終わって、彼は当たり前の声でこう言った。
「寝床はどこだって構わない。隙間風さえ当たらなければ」
「なら皆一緒にかまどの上だね。ヴィ、今日はこっちで眠りな。ルー・ウルフ、あんたは反対の方で、お客人と寝床を分けな」
かーちゃんは、あたしの悩みを一発で解決してしまった。それでいいの?
「うちに温かい寝床なんてかまどの上しかないんだ。おまけに客間だったところはめちゃめちゃになってしまったから、取り壊しただろう? 寝床になる広さの場所もないわけだ」
ああそうだった。お貴族令嬢のばかたちは、客間を廃墟にしたんだった。そしてもともと使い道がない場所だったから、なくてもいいと壊したんたった……
すっかり、客間を壊した事を、あたしは忘れてしまっていた。使わないから。