4 ねーちゃんそれほとんどやらなかったから
ところがルー・ウルフはお坊ちゃんだった。というか、お坊ちゃん以前に王子様だったわけだ。
「どうしてこの家は、こんなに暗いのだろう」
無邪気な顔で問いかけてくるものだから、あたしは頭が痛くなる。このおんぼろあばら家が暗いって、そりゃあ当たり前の事なのだ。
この家は日が昇れば起きだすし、暗くなれば寝る家である。
獣脂ろうそくだってあたしたちの暮らしでは高い物、贅沢品だし、蜜蝋のいいろうそくなんて夢のまた夢、かまどの炎だっていつまでも燃やしているわけにはいかない。薪を切らせば次の日の朝に火を熾すものはない。
毎日週に一回は近くの森で薪を拾ってくるのが、あたしの大きな仕事の一つだったりする。
獣に襲われる可能性は高いし、変な人間に襲われる可能性だって高いけど、うちくらいお金がない家だと、日常的に薪売りから買い求めるわけにはいかないのだ。貧乏って大変。
「灯りをもっと増やさなくていいのだろうか、夜は長い」
「何言ってんだい。夜は寝るものさ」
「……?」
かーちゃんの言葉に目を瞬かせて、どうしてそう言うのかわからないという顔のルー・ウルフ。彼は言った。
「夜は出歩かないのだろうか。遊びに出かけることをしないのだろうか。夜更かしもしないのか?」
「ああ、あんたは夜会によく出ているような家の子だったわけか」
あたしにはよくわからない事だったけど、かーちゃんは思い当たる事があったんだろう。阿呆らしいと言いたげな鼻の鳴らし方をした後、言い出す。
「あんたは深く考えた事が無いだろうけどね、このかまどで燃えている薪、どこで手に入れていると思う?」
「家に運ばれてくるだろう。毎日、同じ時間に」
王子様ってこんなにも違う世界の住人だったのか。
心の中で一歩引いてしまったあたしは悪くない。そうか、お城には薪だって売り込みに行くだろうし、城の中を探検していてもそう言う発想になるのか。
それに、王子様がお忍びで行くような地区に、こんな貧乏な家はないだろうし、薪を売り歩く人もいないだろう。
お忍びと言われそうな地区は、そこそこ裕福な商人の空間のはずだ。夜のお姉さんたちが働きに行くのもそっちだったはず。
「馬鹿を言うでないよ、薪に足が生えて自分から来るわけがあるか」
かーちゃんが自分で言って、その光景を想像したんだろう、笑いだす。かなり大きな笑い声で、ルー・ウルフがさすがに馬鹿にされていると思ったらしい。
「では、どういう風に手に入れているんだろうか」
少し機嫌の悪い声で問いかける。かーちゃんがここで、鍋をかき回していた杓子をあたしの方に向けた。
「この子が拾ってくるのさ。毎週ね。そこの森でだよ」
「場合によっては一日がかりだね」
ちょうどいい薪がない場合、そう言う事になったりする。乾いていない薪なんて、燃えなくて面倒だ。むやみに煙が上がるし、湿気ていて火が消える恐れもある。
いい薪を見分けるのも、あたしたちには必要な手段だ。
あたしは枝同士を打ち合わせて音で確認する。乾いているとすかっとする音がするんだ。湿ってるとぼけた音になる。
「そんな、危ないだろう! どうして危険な場所に行くんだ」
森の中に一人入っていくのが大変、というのは想像がついたらしい。信じられないと言わんばかりの顔のルー・ウルフだけど、かーちゃんはどこ吹く風だ。
「薪の相場を知っているかい、ルー・ウルフ。一束いくらか。知らないだろう? だからそう言う事が言えるんだ」
「ただの木じゃないか、魔道具でもないのにそんな高額にはならないだろう」
「高額ってのは人間の身の丈で変わってくるんだよ。そこの薪の束で大体銀貨一枚分」
「安いじゃないか」
「銀一枚あれば何が買える? ヴィ」
銀貨一枚を安いって言っちゃったよ、やっぱり王子様の金銭感覚って怖い。
あたしはかーちゃんに聞かれたから、市場の品物を思い出して答えた。
「ジャガイモ三袋と半分と玉ねぎ。それから青菜二束と豆を一袋つけてもおつりがくる」
「それはどれくらいなんだ?」
このたとえが分からなかったようだ。教えても理解できないルー・ウルフに、かーちゃんが告げる。
「ジャガイモ二袋で、女二人が一週間食べていけるって言ったらわかるかい?」
「待ってくれ、こんな一束で、女性の一週間分の食事以上の金額になるのか!?」
王子様は目を見開いた。かまどの火が呼応するように揺らめく。……勘違いか、きっと火の揺らめきが瞳に映ったんだ。そして王子様の瞳も赤いから。
「こんな一束じゃ、二晩も夜を越せないだろう。……まさか、だから森へ?」
「そうなんだ。それにうちの稼ぎは一週間で銀三枚もくればいい方でね」
かーちゃんの薬の材料のなかでも、市場でしか手に入らない物があるから、どうしたってそっちのためにお金がかかったりする。
だから薪は拾ってくるしかないんだ。
べつにあたしはいつもの事だし、雨が降ると憂鬱なだけ。
「彼女はそんな事一言も」
彼女、が誰を示すのかこの場合よく分かる。ねーちゃんだ。ねーちゃんは貧乏が嫌だと言ってばかりだったけど、大変な仕事はいつもあたしに押し付けてたから。詳しい事は知らないんだ。
「あの子はそう言った仕事が大嫌いだったからね。いつもこの子に押し付けた」
かーちゃんが淡々と言う。
「薪拾いをねーちゃんにやらせるのは途中から諦めた」
「君は嫌だと言わなかったのか?」
そんな危ない事なのに、と言いたそうな声で言うから、あたしは胸を張った。
「いった所で薪が自分から足生やしてやってこないんだから、取ってくるしかないよね」
あたしは当たり前の事しか言ってない。向こうから来ないんだから、あたしがとりに行くしかないし、なかったらその日のご飯にありつけない。
それに、次の日の朝のご飯だって当然なくなる。ジャガイモは生では食べられないのだ。
食べる方法もあるそうだけど、一歩間違えればお腹壊すらしいし。
ただこの現実は、ルー・ウルフにとって信じられない現実だったらしく、彼はかーちゃんが薬を作り終えるまで、かまどの炎をじっと見ていた。
何か考えているようで、でも、王子様の思考回路はわからないでその日は終わった。
朝、あたしが起きて下のかまどを見ると、かまどの前に座って、ルー・ウルフが何かしていた。
見ると、一生懸命火を熾そうとしているらしかったんだけど、どうにもうまくいかないらしい。
「……それじゃ一日かかっても火は起こせないよ」
いつからここでやってたんだろう。かまどのうえの寝床から下りていうと、彼は顔をあげた。
「彼女はいつも、火を起こすのなんて簡単だと言っていた。石と金属をぶつければすぐだと」
「ねーちゃん実地でやってないし。……それに、生傷だらけだけどどうしたの。夜の間にどこに行っていたの」
「薪を取りに行ったんだ、日が上る前に起きて、拾って来た。君を危ない森に行かせたくなくて」
「……その心はいいけど、だめだめだよ」
あたしはルー・ウルフが拾って来た枝を一本手に取る。
「折ろうとしてみて」
「……?」
枝を折る彼。それを指さして教えておく。
「これ、まだ生乾きなんだ。これに火はつかない。ついても燃えない」
「ただ枝を拾ってくればいいわけじゃない、という事なのか?」
「そう言うこと。ちゃんと乾いている奴を探して、量集めるっていうのはそう言う中身なんだよね。ただ火をつければいいってわけじゃない」
「じゃあ、迷惑な事をしてしまっただろうか」
「気持ちはありがたいよ、そうやって考えてくれたのは嬉しい、でも方向性が違う。ルー・ウルフが自分だけで出来る事だったら、がんばってくれてよかったけど」
「……じゃあ、君はどんな風に火をつけるんだ?」
「こう」
あたしはかまどの脇に積んである薪をかまどの中に組み上げて、わら屑に火打石と火打ち金をぶつけ火花を飛ばし、あっという間に火をつけた。
「なんて簡単な風に付けるんだ、なのに私は……」
「こんなの経験だから。一日で覚えるわけでもないし、あなたはあたしの知らない事は出来るでしょ、数字とか」
ショックを受けている彼の肩を慰めるべく叩き、あたしはご飯のために立ち上がった。
「あなたはあなたが確実に出来ることをしてよ。その方がいいし、それで暇が出来たら別のことをしたっていい」
そして一応言っておいた。
「井戸で顔を洗ってきなよ、顔も手も血まみれだよ」
彼はきっと薮に分け入ったんだろう。顔も手も枝で切れて血がにじんでいた。
心はいいんだ、でも一人で出来るって思わないでほしかった。
それとも、一人で出来るようになりたいのだろうか……後で聞いてみよう。
彼が戸を開けて井戸の方に行くのを見て、あたしは欠伸をするかーちゃんに声をかけた。
「起こしちゃった?」
「元々起きていたよ。ルー・ウルフは性根の優しいいい子だ」
後は根性かなにかかね、と欠伸交じりに言っているかーちゃんは、どこを目指しているんだかわからなかった。