37 王様、皆に配布して!
泥臭いスープに涙を入れても、味は泥の味に近いらしい。
食べ慣れたあたしにはわからないけど、皆して泥味、と言う。あんたら泥食べた事あるの? という素朴な疑問はこの際放置された。
そして、毒が入っていないのを、王宮の毒見役の人三人がかりで確認した後、すっかり冷めきったスープが、その日のうちに、飲まなくちゃいけない液体の薬、として貴族の坊ちゃんがたに渡されたらしい。
大掛かりな……と思うんだけど、それくらい仰々しく、王室の肩書をつけなければ、あの土の匂いしかしないスープを飲む人間がいないだろう、と監視役の人に説明された。
さらに言うと、スープは材料が本当にない。
あたしが出来上がったスープの量を見せた時、監視役の人は叫んだ。
「あんなに手間をかけたのに、これっぽっちしか出来上がらないのか!」
「だって材料があれっぽっちだったでしょう」
出来上がったのは、両手で抱えられるほどの大鍋一杯分くらい。
この理由は簡単で、医者の連中が、山から根こそぎ持って行ったくせに、毒と薬の見分けもつかないで、別種の根っこも一緒にあく抜きしたり煮込んだりして、と使いまくったからにほかならない。
「でもだ! これではおかしくなっている人全員に配れないじゃないか!」
「だったら、最初から医者の人たちが作り方とか材料の見分け方とかを、あたしからきっちり教わっていればよかった話だ。材料がないのまで、あたしの責任にされたら困るよ」
事実。確かにあたしは助けたい。苦しんでいる人を助けたい。
でも。
たった一つ、あたしではどうにもできない事実があって、それが素材の量なんだ。
少ない量の材料で、たくさんの薬は作れない。希釈する薬だったら作れるかもしれないけど、こればっかりは、植物を操す神様でも何でもないから、無理なんだ。
「……ちなみに、スヴィエート殿下は、コップ一杯、あれを凍らせて持って行きましたね、どちらへ?」
「ああ、約束をしていたから、ダニエルの所へ」
「! どうしてです! あなたの異母兄弟や従兄の騎士団長殿だって、あの薬が必要だというのに!」
示された人たちも、医者の連中が問題の物を飲ませたって、もう知っている。
結果として、毒素で苦しんでいるっていうのも知らされた。
「ダニエルは前々から、あの薬を欲していた。実はあの薬の材料は、ダニエルの伝手を頼って、牢屋に閉じ込められていた魔女から、聞いたものなのだ。ダニエルの兄が極めて重い容体なのも、知っているだろう、ブロベンスキー殿」
しかし、とブロベンスキーさんが言う。
「王族よりも優先されるなど」
「一番初めに、この薬を欲しがったのはダニエルだよ、順番だし、あんなに一生懸命にお兄さんの事助けたいんだもの」
それが魔女の考え方だ。先に欲しがったのはダニエル。材料がないとあきらめかけたのはあたし。
もしも、材料を盗まれなかったら、一番早くスープを渡していたのは、ダニエル相手なのだ。
だから出来上がったスープを多少、融通するのはおかしくない。
彼は待っていたんだから。
「残りは皆異母兄弟や従兄殿に回されたのだろう。しかし、材料がもう山に生えていないのは困ったものだ」
ルー・ウルフが腕を組む。彼からすればそこが問題だろう。
「何か代替品があればいいのですが」
「代替品」
薬の材料でも、それはある。本当の材料はこっちだけれど、効能がほとんど同じだから、別の材料で薬を作るっていうことはよくある話だ。
それも、調合のよし悪しを頭に叩き込んだ人でなければ、出来ない高度な事らしいけど。
かーちゃんはよく、基礎を覚えろ基礎を覚えろ、応用は基礎が確実に頭に入ってからやれ! 薬は毒と表裏一体、と言っていた。
それの意味が、今なら本当によく分かる。
でも、哀しい事に、あたしは……木の根っこの代わりになるものを、思いつかない。
だって伝説にもなった解毒薬の材料だ。もっとたくさん生えていて、代わりになるものなんて……そこら辺に生えていたりしない
ろう。
……代替品を探している間に、何人の人が死ぬだろう。
そこに気付いてあたしは、救えるはずだったものも救えなくなる結末か、と思った。
道を間違えたのか、救えないのか。
すごい効果を発揮する解毒薬(仮)があるのに。
ねーちゃんの惚れ薬体質でおかしくなっている人がいて。
本物の惚れ薬でおかしくなっている人がいて。
女使用人の……シンシアだっけか、彼女の持っていた佳人薄命で男性的機能が致命的になりそうな人がいて。
さらに医者たちが、作り方を間違えたものを飲ませた患者たちがいて。
ああ、こんなに多い? 本当はもっと少なく済むはずだったものが、色んな原因でどんどん膨れ上がったんだ。
それの多さに、血の気が引いた。
スープを作れた達成感が急にしぼんでいく。
作れても、何もできないに等しいんだ。
それどころか。
「薬があるって、分かってる方が残酷だ」
今まで一回も思った事がない事を、思った。薬があるって、存在を知られている方が残酷な現実って、そりゃあそうだ。
薬の作り方も、手順も、ある。作れる人間もいる、なのに
材料だけが、ない。
足りない。
あたしが、かんがえなかったから。
「うっ」
その事で急に吐き気がした。すごい吐き気で、あたしは膝をつく。胃の中の物を吐き出しそうになって耐える。
「ヴィ!?」
いきなりの事で、ルー・ウルフが膝をつく。あたしを何度も名前を呼ぶ声がする。
なのにあたしの意識がどんどん薄くなっていく。
たすけて、だれか、だれかたすけて。
急に震えだした手を、暑いくらいの体温の誰かがつかむ。
「ヴィ、大丈夫だ、大丈夫」
強い声が、言う。燃える声が言う。
「ヴィ、思い出してほしいんだ。ヴィザンチーヌさんは、スープを何度も飲ませていたかい」
あたしは言われて、呼吸も苦しいけど必死に、記憶を掘り起こした。
かーちゃんは、かーちゃんは。
「食べられない位具合の悪い人には……」
大匙に二杯。それも上澄みだけ。無理やり口の中に突っ込んだ。
そして、そして。
次の日には、もう、どんな酷い風邪だって、治っていた。
「それだ、それならできる、たくさんの人に渡せる」
「ほんとう?」
「上澄みだけの人と、咀嚼できる人は木の根っこの欠片と、何度も煮込んで大丈夫なら、もう一回煮込んで、水を足して、涙も木の根っこにしみ込ませて、たくさんの人に、配れるはず」
そう言って、何度も背中を撫でるルー・ウルフの手が本当に優しいから、あたしは、唇をかみしめた。泣くものか。
まだ誰も助けてない。だから泣くな。
「……もう一回煮ます。水を足して。……薄めてどうこうなるスープじゃない」
あたしは嘔吐しそうになって、口の中に溜まった唾液を飲み込み、ごしりと口元を袖で拭いて、言った。
「ルー・ウルフ、小瓶を、たくさん探してきて」
やれるだけの事をしないで、魔女の娘を名乗る事は、出来ないんだから。
「あたしは、魔女の娘だ」
気持ち悪かろうが何だろうが、やるほかに道はない。
そして大急ぎで水を足して煮込んで、ルー・ウルフが持ってきた大量の小瓶に、大匙二杯を測って入れて、ブロベンスキーさんに渡した。
「これを配るのは、オウサマとかに任せます」
そして、かーちゃんですら幻だった材料を使った解毒薬が、貴族の苦しんでいる人たちに配られた。
庶民に配られていないのは、惚れ薬を飲まされたのも、ねーちゃんでおかしくなった人も、庶民にはいないから。シンシアの佳人薄命でおかしくなった人にも、薬は配られたけど、彼等も城勤めの、庶民とは言えない身分である。
そして薬は、信じられない位劇的に効果を現したらしい。
症状の軽い人は一晩。重かった人は二日も寝れば、治ったんだとか。
ねーちゃんの惚れ薬体質でおかしくなってた人でさえ、三日くらい頭痛を訴えた後、憑き物が落ちたみたいに、ねーちゃんの事をどうでもよく思うようになったとか。
……ちなみに、飲んだ人たちは皆、一気に大匙二杯分も飲めなくって、小匙半分とかそれ位を、食後とかに何度も舐めたらしい。
それを聞いて、たぶん一気飲みしたら一晩で、症状の重い人も治ったな、と思ったのはここだけの話である。




