36 王様、元王子様がすごい純情だ!
「もともと王子様だったのは知ってたんだけど」
あたしは、目の前の立派な衣装に、負けていないルー・ウルフを見て言う。
「本当に王子様だったんだね」
「もう王子様じゃないんだけれどな」
「王子様じゃないの?」
「君の姉の所に婿に行くという事で、追放されてしまったから」
「それじゃあまだ王子様だと思うんだけど」
だってねーちゃんと結婚してないもの。結婚式もしていないし、というか、ねーちゃんといつ、結婚の書類とかを書く暇があっただろう。
今までの生活を見ても、そんな悠長な時間はなかったと言えると思う。
延々とうちの親戚の書類仕事を片付け続け、毎日そこまで遅くない時間に帰ってきて、と言う生活をしていたし、あたしたちがおじさんの家に保護されたあとは、家と仕事場所が同じだから、延々とよっぴいて書類の計算とか間違いがないかとか、見てたって知っている。
あの生活のどこで、ねーちゃんとの書類を、教会に届ける時間があっただろう。ないんじゃなかろうか。
そう言う風な、思っていたことを告げると、ルー・ウルフ以上に、監視の男の人が固まった。
まさかそんな事になっていたなんて、と言う顔だ。
でも待ってよ、ねーちゃんが出て行ったのは、一晩監視されていたんだから、分かっていたんじゃないの?
それとも、監視していた人たちも、ねーちゃんの”歩く惚れ薬”体質で、その事をもみ消したんだろうか……
知るのが怖い。
「と言う事はですね、殿下、え、殿下未婚!!!」
引きつった叫び声をあげる男の人。男の人を見て、あたしを見て、ううん、と少し考えて、ルー・ウルフはそうだ、と頷いた。
「確かに、どこにも婚姻の書類も提出していないし、一夜の契りも交わしていないから、結婚したとは言えないな」
「ついでに聞くけど、ねーちゃんと一線超えた事は」
「学校のどこで、ヴィオラとそんな真似ができると思うんだ! 手を握るくらいしかできないぞ?」
王子様、下町のあたしより健全だ……あたしはキスもした事ないけどさ。男の子と手をつないだのなんて、小さい頃くらいだ。
かーちゃんの仕事が忙しくなって、生活にどんどん余裕がなくなって行ってからは、家の手伝いとお使いとお店の番と、いろんなことで手一杯で、女の子たちの好きな恋愛なんてして来なかったし、ねーちゃんの尻ぬぐいとかで暇な時間はつぶれたものな。
「殿下、手を握る以上の事を、フィオラニーア様と行った事はありますか?」
なんかとても重要な事を聞いている顔で、男の人が問いかけて来る。
ルー・ウルフは恥ずかしい事をしている事はないみたいで、普通に答える。
「手を握って、花を届けて、あとは一緒に遠乗りに出かけるくらいだったが」
「では、ヴィオラ嬢とは?」
「貴族学校の花園で、一緒のベンチに座って手を握って、星を見ながら語り合うくらいは。……何を恥ずかしい事を言わせるのだろうか」
途中で真っ赤になる王子様は、純情だなって思った。
あたしの方が、色々知っているな、と思う位には純情だった。
こっちが知っている理由が残念な事に実体験でなくて、夜のお姉さんたちの持ってくる恋愛小説と言う娯楽なのが、なんとも言い難いものだけどさ。
夜のお姉さんたちは、自分をお気に入りにしてくれる男性から贈り物をもらうんだけど、贈り物の中には、ためになる本と一緒に、そう言う皆で回し読みしてねって感じの、娯楽小説を入れて来るいい人もいるらしい。
もちろん皆で回し読みして、端が擦り切れてぼろぼろになって、印刷された文字がかすれかけるくらいまで読んでから、あたしの所に持ってきてくれるんだ。
店番の途中で雨が降って、お店を閉じる時とか、暇だったら読ませてもらっていた。
あれも、もともとぼろぼろだったから、令嬢たちに分解されて、もう読めない紙の束になってしまったけど。
好きだったんだけどな……恋愛もののピンクの背表紙とか、冒険ものの青い背表紙とか。
いちいち安っぽくないんだ。夜のお姉さんたちへのプレゼントだったから。
「……おいおい本当ですか……殿下頭がおかしくなっていても、健全だったんですね……」
男性が顔を覆ってそう言った。
さらに告げられた言葉に、あたしは変な声が出た。
「これじゃあ、フィオラニーア様の方が、よっぽど裏切ってるじゃないですか……」
「は?」
「ヴァ?」
普通の変な声はルー・ウルフ、どすの聞いた声はあたしだ。
なに、ねーちゃんといちゃついたとかそう言う事とかで、追放されたルー・ウルフよりも、その婚約者の方が不真面目だったわけ?
それって何の不平等?
……でも、ねーちゃんの体質に酔っぱらった状態だっただろう、ルー・ウルフが、今と違ってもっと頭が吹っ飛んでいた可能性もあるわけだ、口を挟まないようにしよう。
さて、とルー・ウルフが手を叩いて、場を仕切り直す。
「私は、城に忍び込んで、ヴィを庇って腕を一本なくした後、不死鳥に変身し、腕が生えてきたというわけなんだな?」
「まとめるとそうなります」
「で、ヴィは、木の根っこの扱いを間違えた医者たちに、濡れ衣を着せられそうになり、無実を証明するべく、正しい作り方でスープを作って、これがそうなんだな?」
「あってるあってる」
「見た目はかなり衝撃的なものだな。砕けた木の根が浮いているようにしか見えない」
「ルー・ウルフさっき鳥の格好の時食べてたよ、美味しいって」
「なら食べられる物なんだろう」
そう言って、ルー・ウルフもスープをすくって口に運んで、不思議そうな顔をした。
「いかにも薬になりそうな味だ」
「殿下、それですまされない味ですからね!?」
「ブロベンスキー殿、それだけの味だろう?」
あたしはそこで、監視していた人の、名字だか名前だかが、ブロベンスキーだと知った。
ブロベンスキーさんは、突っ込む。
「この泥臭さと土臭さと謎の草臭さは、劇物一歩手前の味ですよ!?」
「ヴィザンチーヌさんが、面白半分で私に舐めさせた、東方のねっとりした飴みたいな謎の薬の方が、死にそうな味だったが……」
「ルー・ウルフ、それかーちゃんのとっておきの、眼精疲労とかそう言うのに聞く、疲労回復の薬だ」
「確かに、あれを一匙舐めた翌日は、今までの疲れがすっきりなくなったな。そうか、そんないい物をあんなに簡単に舐めさせてくれたのか……」
「かーちゃんが気に入った人じゃないと、舐めさせない奴だったと思う。材料が多いから原価が高いって言ってた」
そうだったのか、と言ったルー・ウルフ。ブロベンスキーさんは息を吐きだして、気持ちを取り直して、言った。
「とにかく、私も殿下もお嬢さんも、体に異変がないのですから、スープは毒性のないものと証明されますね」
毒は普通、一時間もすれば何か効果が出て来るんですよ、と言った彼は、お城とかいう怨霊がとぐろ巻いていそうな場所に、慣れている事がうかがえた。
「じゃあ、これにルー・ウルフの涙を入れて見よう」
あたしはスープを指さして言う。言われた王子様は、そう簡単に涙が出るかな、と考えて頬をつねっている。
「……入れたら、また飲んでくれますか、毒か確認するために」
割ともっともなことを言うブロベンスキーさんが、ポケットから何かを取り出した。
そしていきなり、ルー・ウルフの目の前に吹きかけた。
「うわっ!!」
その刺激臭は相当な物で、こんなもの顔にかけられたら、涙がぼろぼろ出るものだ。
「これって、お芝居の時に涙を流すために使う、香草を煎じた汁じゃん!」
鼻から思いっきり吸い込んでしまったルー・ウルフが、背中を丸めてせき込んで、本当にぼたぼたと涙を流すものだから、あたしは慌ててお玉に、その涙を入れた。
「こんな突飛な事が起きても、涙を採取しようと思うヴィは、本当に薬師だ……」
あたしにされるがままになって、涙を流している王子様が、感心しているような、呆れているような、そんな声で言った。