3 ねーちゃん下町中の噂だから
ちょっと直しました
朝ごはんが終わったら、この家も開業の時間だ。あたしは移動式の卓を片付けて、家の庇の部分にかーちゃんお手製の薬を並べて出来た、簡単な店のまえに座る。
実はかーちゃんは、下町で魔女と呼ばれる、ちょっと有名な薬売りで、はるか東方の薬草術も極めた専門家だったりするのだ。
ただ、東方に旅立つ時に親戚と大いにもめ、親戚とちょっと離れた位置で商売をする事になったという過去がある。
そのため、こんな大通りから外れた所で、小さく商売するしかないのだ。
親戚ともめなかったら、もっと大きい所で働いていたかもしれないが、それはたとえ話で関係ないって、かーちゃんはいつも言う。
今をちゃんと見渡すんだ、とかーちゃんはよくあたしたちに言っていた物だ。
でもねーちゃんは上昇志向が強すぎて、結果あれになったしな。人間育ててもどうにもならないものもある。
まああたしの仕事は店番と、日向においても品質が低下しない薬草の下準備だ。例えば葉っぱの使えるところだけむしるとか、筋を取るとか、使いやすいように種をばらすとか。
ちまちましたそう言った作業は、実際に調合する時にとても大事で、下準備で薬の出来が決まるといってもいいらしい。
そんな大事な所まで、任せてもらえるようになっただけ、あたしも進歩した。前は危なっかしくて、店番しながらなんてとてもできなかったんだから。
かーちゃんはいずれ調合もあたしに教えたいらしいけど、仕事に関してはまだまだ危なっかしい弟子という扱いだ。
朝から店を開けていても、一日を通してうちに来る人は少ない。昼間なんて、近所のおばちゃんたちが、ちょっとした軟膏を買いに来るくらいだ。稼ぎはあんまりない。
お昼ご飯代わりに、暖を取るための焚火で黒焦げになるまで焼いたジャガイモをほおばりつつ、おばちゃんたちに手を振る。
「まあいつ見ても色気のない事してるわね!」
「ヴィに色気があったら驚きだわ!」
「お店の番をしながらご飯食べるの大変でしょー!」
いつも通り大変騒がしい人たちだ。
でも、このおばちゃんたちの情報網は侮れない。
薬を作って引きこもりがちなかーちゃんよりも、新鮮な情報を持っている。
一人が、身を乗り出して話しかけてきた。
「ねえヴィ、もう話は伝わってる?」
「どの話?」
主語がない、主語が。どこの誰の話のことなんだかさっぱりだよ。
「その様子じゃ知らないわね、一週間前に、貴族学校で学園祭があって、その後夜祭のダンスパーティで、王子様の一人が婚約破棄をしたんだって」
「はあ、そんな悪目立ちするところでよくやりましたね」
「そんな他人事みたいに言ったらだめじゃない! もっとノリよく聞いてよ!」
ばしんばしんと背中を叩きながらいうおばちゃんたち。うん、でもこのノリの方が喋りやすいんでしょ、知ってる。
「なんでも、婚約者の公爵家のご令嬢が、特待生をいじめたって事らしいんだけどこれが傑作で!」
「なんか一発逆転ありそうな雰囲気」
「まさにそれよ!」
べしん。別のおばちゃんが背中を叩く。皆さん力が強いんだ。さすがおばちゃん、三人くらい育ててるだけあって逞しい。
「特待生いじめの証言がちゃんと取れなくて、目撃情報もあいまいで、特待生の自作自演だってわかったのよ!」
「それで?」
もちろんそれだけじゃあ、おばちゃんたちが騒ぎまくるわけがない。オチと言うべきものがあるはずだ。
「特待生と道ならぬ仲だったらしい王子様と、その特待生は学校を退学、王子様は王族から抜けることになって一庶民、特待生の実家にお婿に入る事になったんですって!」
「ヴィ、何か聞いてない?」
……聞いてないどころか、はい。
聞いてて思うんだけど、多分該当してるのうちだと思う。
ねーちゃん本当に何してんだ。あんたは疫病神か。人様の男を略奪するとか何してんの、せめて相手のいない男性と恋に落ちろよ……
そんな事を思っても、近所のおばちゃんたちに言うわけにもいかず、唸っておく。
「初耳ですよそんなうわさ話」
「これ今世間ですごく広まってる話だから、覚えておいて損はないわよ!」
その後もいろいろお喋りをして、おばちゃんたちは去って行った。
あたしはねーちゃんのやった事にめまいがしそうになりながら、その後も店番を続けた。
夕方になると少しお客が増えて来て、傷薬とか風邪薬とか、一般的なお医者で買うとバカ高い薬が売れていく。
かーちゃんの調合する薬は、お医者と違った材料と配合の東方の薬が多いから、値段が違っていてもお役所に睨まれない。
そのうち夜の薬をいくつか買っていく、夜が仕事の女性たちの相手もする。
「いらっしゃい」
「公休日の日は仕事がなくていいけれど、その後ずっと仕事だから大変よね」
華やかな女性たちが、お喋りしながら近づいてくる。練香の見本の新しい匂いを確認したりする彼女たちが、愚痴を言ってくる。
いつ見ても綺麗だけど、綺麗を維持するために一生懸命な人たちだ。とても真似できない。
彼女たちはいろんな理由で夜の仕事をしていて、薬売りはそれに余計な詮索をしないのも大事なわきまえ所だ。
「最近裏の人達よりも、貴族の人たちの出入りが激しくって顔が覚えられないわ」
「それにケチよね」
「そうそう。貴族なのにつけにしてとか言うのよ、一括で全額支払ってって思わない?」
「思う思うー」
「この薬この前すごくよく効いたの、また欲しいわ」
「私こっちの香り入りの奴がいいわ。こういうエキゾチックな匂いが好きな人って多いのよね」
そして彼女たちも、貴族学校の噂に詳しかった。
「追い出された特待生の話聞いた?」
話を向けると、彼女たちは言いたい事がたくさんあったらしい。
「知ってるも何も、お客のほとんどが話すんだから知ってるわよ」
「なんでも、特待生っていろんな男性と遊んでたらしいし」
「いろんな学生が特待生に夢中だったって話だし」
「あれってほら、魅了の術が使われてたって噂聞かない?」
「ああ、聞いた聞いた」
「だって、目を合わせた途端にその特待生に夢中になっちゃうんだから相当よね!」
「で、特待生から引きはがされると、しばらくは特待生の事ばっかり言うんだけど、ある日ぴたりと言わなくなって」
「「憑き物が落ちたみたいにまともになる?」」
どうやら貴族の間でも、嘘か真かわからない話が広がっていたらしい。
ねーちゃんの名誉回復にはこれっぱかりも興味がないけれど、うちになにか害があると困るな。
後でかーちゃんに教えておこう。
その後、最新のお化粧事情とかを喋っていた彼女たちは、華やかな笑い声とともに去って行った。
その頃になると、もう外は暗いから庇の薬を片付けて、家の中にしまう。立て看板も閉店のほうにして、お夕飯の準備だ。ジャガイモと豚の脂身だろうけど。
ああ、でも薬と物々交換で、野菜売りのおじさんが青菜も持ってきてくれたから、それも炒め合わせるんだろう。
お夕飯の準備もあたしだ。ジャガイモを切って焼いた脂身とともに鍋に入れて、最後に青菜を合わせて炒める。
そうしている間にかーちゃんの薬の調合も終わって、かーちゃんがお茶を淹れてくれる。それ位の時間になって、とんとん、と扉が叩かれる。ぼろい家だが扉を叩く相手に感心した。
わりと無遠慮に開かれるのだ、我が家の扉は。
「はい」
扉を開けると、無表情一歩手前みたいな顔で、朝家を出て行った男の人が立っていた。何でいるの。朝出て行ってそれっきりのはずじゃないの。
本人そのつもりだったよね?
あれ、あたしの受け取り方がおかしかった?
「……もうしわけないのだが……仕事先の相手に、住む家を紹介してもらおうとしたら……「ここに戻れって言われたんだろう?」
かーちゃんが爆笑してた。かーちゃんこうなるって見越してたのだろうか。
「あそこはうちとのつながりが欲しいからね、私の紹介できた男だから、私の家の居候だと思ったんだろうよ。まあいいさ、客間はしばらく使い道がないし、あんたは自分の食い扶持くらいは稼げそうなんだろう、その反応だと」
「ああ、明日も来てほしいと言われた」
「上出来だよ、あそこの人間は気に入らなかったら叩きだすからね、さて。ヴィ、夕飯は三人分あるかい」
「……ある」
多めに作ったジャガイモ炒めは、三人で食べてもいいくらいの量ではあった。明日も食べようと思ったんだけどな。
「お前、仕事は日払いだろう。今日の賃金を出しな」
かーちゃんが男に言う。彼は素直にお金を出す。そこから多少お金をつまみ、かーちゃんが笑った。
「これだけあれば、毎日ジャガイモに豆も食べられるよ、ヴィ」
「……残りのお金は、私の手元でいいのだろうか」
なんか騙されやすそうな素直さだな、この歳でそんな素直ってどんな育ち方してたんだろう。
ああ、噂によれば王子様だから、そう言った意味での悪意は向けられなかったのかな。
……このひょろすけが巷で噂の王子様か、とてもそんなりりしい男には思えない。
王子様って凛々しくて白馬が似合っちゃう生き物だと思ってた。でもこの男は、ひょろ長くて吹けば飛びそうで、ねーちゃんが雑魚扱いする男性だ。
王子様にもいろいろ種類があるのだろうか。
……でも、街の噂の王子様たちって、やっぱり凛々しくて馬に乗っているのが似合うって話だった。
本当に彼は王子様だったんだろうか……
「あんたの稼ぎだ、とったお金はまあ、家賃だと思っていればいい」
「……」
あたしが思っている間に、かーちゃんがまだ笑いながら言う。男の人は真面目な顔をして、お金をしまい込んだ。
「ただし、自分の怪我とかは自分のお金で解決しな」
「それ位はわかっていると思う」
男の人はそう言って、あたしが鍋を持ってくるのに合わせて、椅子を引いてくれた。
「あたたかい食べ物は、それだけでご馳走だな」
卓に出されたのは貧乏人のご飯なのに、男の人は少しだけ笑った。
「そうだ、居候の名前を聞こうじゃないか。おっと、私が名乗るのが先だね。私はヴィザンチーヌ」
「その娘のヴィルだよ」
あたしたちの自己紹介に、彼は頭を下げて正式なお辞儀をして、こう言った。
「私は、ルー・ウルフ」
この日、新しい家族が一人増えたといってもおかしな事じゃないと、その時は思っていた。